悪玉編
封印
すっかりと
「……いったい何回、我が妻は繰り返した?」
浄野たち鈴鹿御前の子孫が聞いているのは、みずほ……悪玉が鈴鹿と相対して負け、彼女が祠に封印されたところまで。
皮肉なことに、両者痛み分けとなり、鈴鹿も長らく祠から起きることはできなかったが、彼女は夢渡により、子孫に命令したのだ。
代々、悪玉の封印を解けと。
封印が解かれるたびに、彼女の持ち合わせている神通力、いかに人間が嫌いかまでを綺麗さっぱりと忘れさせられ、ただ田村家の兵器として使われる。戦乱が起これば治安が乱れ、それに紛れて魑魅魍魎が跋扈する。兵器となった彼女が、それを平らげるのだ。
しかし、彼女にかけられた呪いは、彼女が退魔師として偽りの生を生きている間に、ふつりと解ける瞬間がある。そのたびに歴代の当主により首を落とされ、再封印をされてきた。
悪玉の怒りにより、鈴鹿は日輪の炎で焼かれ、肉体を回復させることもままならなかったが、悪玉を何度も何度も首を落として封印をし直すことで、少し、また少しと鈴鹿が回復していったのだ。
そして今代。
みずほの代でようやっと、鈴鹿は自らの肉体を取り戻そうとしている次第であった。
なんてはた迷惑な、と朔夜はイラリとする。
鈴鹿は日ノ本の人間に、一切の興味がない。その興味のなさは子孫にすら及ぶ。彼女が興味あるのは、夫と定めた田村麻呂ただひとりであり、ただひとりの寵愛のために、自身の子孫すらも利用してきたのである。
「……ご先祖様、みずほは本当に、いなくなるんでしょうか?」
「わからん。みずほは人間が好きだが、悪玉は人間が嫌いだ。起きたとき、我が妻が今までと同じと思うな」
そのひと言に、浄野は打ちひしがれたように、こんこんと眠り続ける彼女に視線を落とした。
朔夜は祠の中で、ずっと伴侶が殺され続けるのを見続けていた。
惚れた男に捨てられて斬られた。戦で化け物と罵られて殺された。魑魅魍魎の討伐の際に魑魅魍魎と言って追いやられて殺された──……。
全てを思い出せば、人間嫌いの悪玉に戻ってもおかしくはない状況だったが。それでも朔夜は、わずか数ヶ月を共に過ごしたみずほをよく知っている。
家族が好きで、愛していて、愛されたくて、様々なことを我慢していたみずほ。友達が好きで、洋食に憧れて、純喫茶で菓子をおいしそうに頬張っていたみずほ。皮肉なことに、
愛している彼女が消え失せてしまうのは、あまりに惜しかった。
「なあ……悪玉。俺は思うんだ。お前さん、本当はみずほになりたかったんじゃないか? お前さんは本当は神のお使いだったのに、鬼にまで堕とされ、憎んでも憎んでも憎み足りないほどに人間を嫌い抜いていたが、それでも……本当は人間を愛したかったんじゃないか?」
みずほは答えない。彼女の脳裏でずっと叫んでいる悪玉もまた、目覚めない。
それでもなお、朔夜は彼女に尋ねる。
「俺はお前さんに付き合うよ。悪玉でもいい、みずほでもかまわない。起きたほうと、今度こそ共に生きよう……さっさと鈴鹿を始末して、自由に生きよう」
朔夜はみずほの前髪を梳いて、開かれた額に唇を落とした。浄野が少しだけ目を見張っていたが、見て見ぬふりをした。彼女がこうなっている責任の一端は彼なのだから、夫としてこれくらいの役得はあってもかまわないだろう。
何度呼びかけても、彼女が一向に目が覚めないままであったが。
****
みずほは混乱していた。
体内の水分という水分が抜け落ちそうなほどに、熱いはずなのに。辺り一面炎に包まれ、何度も柱が倒れてきそうな中、自身の着物で子供を包んで、必死に走っている。襦袢姿ですら熱いはずなのに、何故か喉が渇かない。
何故。と思って当然なことに気が付いた。
みずほは……悪玉は、元々は天照大神のお使いであった。太陽の使いが、炎をおそれる道理はなかったのだが。
この炎の中、唐突に現れた鈴鹿の姿に、みずほは戦慄を覚えた。
ずっと先祖だと信じていた女は……田村家を、ぬし様の血筋を乗っ取った、憎き女。
怒りで歯がかち鳴る。唇はぶるぶると震える。
──あの女、殺す。ころすころすころすころすころすころすころるころす……!!
我を忘れそうになるほどの憎悪が胸を占めても、彼女の体は理知的に鈴鹿と向き合っていた。
「貴様をぬし様の目の前で消失させてくれようぞ。わらわは大六天魔王の娘、鈴鹿。地獄にも天にも、貴様の居場所などないと思え」
鈴鹿は炎を物ともせず、ひと振りの刀を取り出すと、それを上に掲げた。
それは
やがて、屋敷になにかが降り注いできた──グラグラと煮詰められた、赤い石つぶてであった。鈴鹿は
石つぶては床を抉り、たちまち赤い水溜まりをつくった。
「なんてことを……」
「星を降らせておるゆえなあ。この赤い水溜まりは火山の吐瀉物よ。これでぐつぐつと煮えて消えるがいいわ。わらわの地獄にあるものは、なんでも貴様に差し上げようぞ」
「……小賢しい」
大六天魔王の娘がなんだ。こちらは追放されてもなお、天照大神の使いだ。そちらが地獄ならば、こちらは天で物を言わせようか。
本来、ずっと地上で人間に混じって生活していた悪玉は、神通力の使い方すら忘れていた。だが、今自分が死ねば胸の中にいる子供が、千熊丸が死ぬのだ。
それが、彼女に力の使い方を思い出させた。
悪玉の目が鈴鹿を射貫いたと思ったら、屋敷は大きく割れた。
都は既に、石が降り、炎が舞いで、あちこちから誰かの悲鳴やすすり泣き、絶叫が響く地獄絵図と化していた。
それに鈴鹿は「ほう……」と息を吐いた。
「貴様、神通力の使い方を忘れていたと思ったぞ」
「……この子を死なせる訳にはゆかぬ。貴様、ぬし様をどうした」
「貴様に教えてやる道理はあるまい」
悪玉は赤い水溜まりで震えている我が子をそっと降ろすと、小首を傾げている千熊丸に言った。
「少しだけ外に出ていなさい。ここは危ないからね」
「
「……今、彼女と話し合いがあるからね。もう少ししたら
「はいっ」
そのまま悪玉の衣を被って、千熊丸は言われた通り屋敷の外へと出た。
これで、この場は大丈夫のはずだが。悪玉は鈴鹿を睨む。鈴鹿はにやりと笑った。
「童を逃がして、それで命は捨てると?」
「貴様にやる命などない。私は生きて、あの子の元に帰る」
「せいぜいあがけ」
鈴鹿は、再び星を降らせてきた。そのたびに、辺りは火山の吐瀉物に見舞われ、ぐつぐつと硫黄の匂いが立ち込めてくるが。それでも悪玉は指先で日の光を操って、鈴鹿の星をねじ曲げていった。
いくら星が悪玉を狙おうとしても、視界を奪ってしまえば当たるものも当たらない。
悪玉は琴の弦を弾くようにして、次々と鈴鹿の視覚を奪って星を落としていく。
「ほう……まさかここまでやるとはのう」
「ふん。なにが大六天魔王の娘か。大したことはあるまいな」
「いやいや。貴様も本当にしょうもない女ぞ」
鈴鹿はにこやかに笑って、やがて再び大通連を掲げた。
また星を降らせる気かと思って、悪玉は身構えて視覚を捻ろうと手を掲げるが。空から降ってきたのは、星ではなかった。
剣。刀。矛。槍──。宝蔵に入るありとあらゆるものが、悪玉目掛けて降り注いできたのだ。だが。
悪玉は必死でそれらを避け、しゃがんで躱すが、量がおかしいことに気付いた。
前に一度、鈴鹿の宝蔵を見たことがある。だが、これだけの量が一同に降り注ぐことなんてなかった。
「貴様──……いったいなにをした!?」
「ああ。宝蔵に入っているものを、私の号令で呼ぶには限度があるがなあ。宝蔵の鍵はもうひとつあるからなあ。ふたりで呼べば、これだけの量を呼ぶのも造作もなかろうて」
「ふたり……?」
まさか、と思うが、すぐに悪玉は否定した。
しかし、否定した隙に鈴鹿はせせら笑う。
「言ったであろう。わらわの
「貴様……っ! ぬし様にいったいなにをした!?」
「貴様のぬし様ではなかろうよ。素直になれぬぬし様に、少ーしばかり眠ってもらっただけぞ」
そう言って、鈴鹿は手招いた先を見て、悪玉は目を大きく見開いた。
普段、飄々としている我が
「ぬし様……っっ!!」
「ああ、お労しやぬし様。このような姿になって。筋という筋は切れているから、もう刀を握ることも叶わないだろうて。だから、今は眠らせて、少ーしずつ治してやらなければならないだろうて」
「貴様のような気違いとぬし様を一緒にするな!? 人間がそんな目に遭って生きていられる訳がないだろうが!?」
「いーや、ぬし様は既にわらわと契っておられるもの。ぬし様の体内には、大六天魔王の血が流れておる。それがあれば、千年ほどで完治するだろうさ」
なにを言っているのか、この女は。
悪玉は絶句して、鈴鹿を見た。
「どうして……こうなるまで放っておかれたのだ……ぬし様は」
「お労しや、ぬし様……人間は星が降ることで我を失って、自分のことで精一杯だ。ここが燃えても、使用人たちは我先にと逃げていったわ」
嗚呼──……。
「人と姿かたちが違うからと、ぬし様を化け物と呼ぶものが多過ぎた。放っておけばいいわ。ぬし様が美しいのはわらわだけが知っていればいいだけの話」
嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼──……。
「貴様のような神とも鬼とも知れぬ物には、ぬし様はやらぬ。わらわと睦み合って慈しみあって、わらわのやや子と幸せに暮らすのだからなあ」
嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼嗚呼──……。
──憎い。
犯されたときも、ここまで怒りを感じたことはなかった。我が子に見せていいものではない感情とはわかっているが、それでも出さずにはいられなかった。
悪玉は空に手を伸ばすと、それをぎゅっと掴んだ。
途端に、辺りは騒然となる。
都を照らしていたはずの日の光が、突然に掻き消えたのだ。
「……貴様だけは、絶対に生かしておかぬ」
人間は勝手だ。
勝手に愛を囁いていなくなってしまうなんて。勝手に全部押しつけるなんて。身勝手で気味が悪くて……大嫌いだ。
今の悪玉を見たものは、誰もが彼女を恐れおののいていたことだろう。
彼女の怒りが都から日を奪い、彼女の額に赤黒い角を生やし、彼女の瞳を金色に爛々と染め上げていたのだから。
もう、神の使いであったはずの彼女の面影は、どこにも見えなくなってしまった。
彼女の腕が、鈴鹿を大きく貫く。彼女は抵抗して大通連を掲げて大量の宝蔵のものを射出してくるが、もう鈴鹿には届かなかった。
鈴鹿はコポリ……と血を大きく吐き出すが、それでも笑ったままだった。
動けないまま、宝蔵から射出されたひと振りの刀が、悪玉を貫いた。その刃の味で、悪玉は大きく血を吐く。
「……天照大神様……」
「ああ、
悪玉の中が、だんだん真っ白になっていく感覚があった。
童子切が突き刺さり、どくどくと血が流れていくと同時に、彼女の記憶がぽろぽろと溢れ落ちていくのだ。
鈴鹿はせせら笑う。
「貴様の血が完全に抜け落ちたとき、貴様の記憶は漂白されよう。この刀は鬼殺しの刀なのだからな」
「…………」
「……これくらいでは貴様は死にようがないからなあ。貴様が蘇るたびに、何度でも殺してくれようぞ。よりによってわらわにまで封印を仕掛けてくるとはなあ」
もう、悪玉はなにも聞こえなくなっていた。
「母様……! 母様……!!」
幼い声が聞こえてくる。その声を聞いて胸が苦しくても、悪玉はそれに答える言葉を持たなかった。
あれは誰だろう。自分は誰だろう。どうして体が動かないのだろう。
漂白され尽くした彼女は、血が完全に抜け落ちるまで、身動きが取れなかった。ひどい眠気に襲われて、気付けばそのまま眠りについていたのだ。
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