死闘・二

 みずほに無理矢理後方に追いやられた朔夜は、照彦に手当てをされていた。青く鈍い色になった手を見て、照彦は「ひい……!」と悲鳴を上げながらも、マッチで適当に布を焼いて火をおこし、その手を温めさせる。


「あのう……、これマジで刀握れなくなるんじゃ……?」

「そうか? みずほが心配性なだけだ。たしかにすぐ治るもんでもないし、凍傷になったら刀を握ることが難しくなるが、どうしようもなかったら刀の柄を手に縛り付ければいいだけだ」

「退魔師って、そんな戦闘狂みたいなもんで……?」


 照彦の恐々とした言葉に、朔夜は薄く笑う。


「さあな、少なくともみずほは違うとは思うがなあ……まあ、あれはあれで、人の心配ばかりして、自分を大切にする戦い方をしないから問題だが」

「みずほちゃんまで、戦闘狂みたいな言い方して」

「単純に、あれは自分の存在意義を魑魅魍魎の討伐以外に見出してないだけだ。そんなことは全然ないんだがなあ……」


 朔夜はすっと蒼い瞳を戦場に移した。

 みずほは新しく手にした得物は、驚くほどに彼女に馴染んでいた。まさか、大量の大獄丸の宝蔵の品の中から、あれを見つけ出すとは、それは皮肉なのか天命なのか、朔夜には判断ができなかった。

 みずほは朔夜に替わり、大獄丸に刀を振るっていた。やはり簪よりも、日傘よりも、よく手に馴染む。

 大獄丸の引き起こす大量の氷が、ときおり足場を崩そうとしていくが、みずほは霜柱を踏む音が響くたびに高く跳躍し、氷がそびえ立つのを避け続けていた。もう何度も何度も、同じ手に引っかかりはしない。


「ほう…………だま、また人間の味方をするつもりか」


 大獄丸はせせら笑う。その粘り気の帯びた視線に、みずほは顔をしかめながら、刀を振るう。この男は、朔夜にも似たようなことを言ってそそのかし、彼に傷を付けたのだから、何度も素直に聞く気がない。


「私の存在意義は、この町の安寧です」

「ほっほ…………美しい娘よ。そう仕込まれてあれの言うことを鵜呑みにしてきたか」


 あれとは誰のことだろうと、少しだけみずほは思った。

 朔夜は自分を肯定することは言っても、戦うよう仕向けてはいない。みずほは疑問を口にすることなく、再び刀を一閃させる。

 刃は空を滑り、氷を断ち切る。大獄丸の増やした氷の柱が邪魔するのを薙ぎ払い、その氷を少しでも大嶽丸へと返そうとするが、あの首に届く前に、しゅうしゅうと消えてしまう。

 氷の柱の中で浮き上がる大獄丸は、金色の瞳でみずほを射抜く。


「のう、愛い娘。我は貴様を殺す気はないし、貴様を食い物にする気もない。共に来ないか? あれのおかげで起き上がったというのは少々不愉快だが、そのおかげでこうして巡り会えたのは僥倖よ。あれの目の届かぬ場所へ参ろうか?」

「……さっきから、言っている意味がわかりません」


 前にもそんなことはあったように思う。

 何故かみずほにひどく憐憫の目を向けてきたものたちが、退魔師であるみずほを己の目的へと誘う。不愉快極まりないものだが、これは先祖が倒したものだとはっきりとわかっているものだ。

 それが何故、宿敵の子孫を憐み、誘ってくるのかがわからない。


──ああ、気味が悪い、気味が悪い、不愉快だ、不愉快だ


 みずほの中で、昨日と同じくまたも怨嗟の声が渦巻く。喉奥から怒りがこみ上げ、こめかみがピクリと引きつる。

 みずほのわずかばかりの苛立ちに気付いたのか、彼女のささくれに塩を塗りたくるように、大獄丸はささやく。


「あの男のように、自分の都合のいいことばかりのたまう者と、我は違うぞ。愛い娘に何度でも囁こうぞ……愛い、愛いとなあ……」

「ふざけないで、ください……!」

──不愉快だ、私のつまをこけにするな


 みずほの中で、なにかが破裂した。

 途端に太刀筋が冴え渡り、わずかばかりに大獄丸の真っ白な髪が大気に散らばった。

 しかし大獄丸は、そこで驚くことも、怒ることもなく、ただ金色のまなざりを細めて、にたり、と笑ったのだ。


「ほほほほ……愛い娘、残念だ。やはり、あの頃と同じように、体で屈服させるしかなかろうよ」


 途端に、変化があった。

 大気は唸り声を上げ、空は轟きを上げる。

 再び宝蔵から得物を大量に降らす気なのだろうか。みずほは刀の柄に力を込めるが、変化があったのは、大気でも空でもない。

 大獄丸の赤銅色の首が、大きく震えたのだ。

 ズルリ……となにかが出てくる。首より下に、隆々とした裸体が、大木のように太い腕が、足が、伸びてきたのである。

 おぞましくも、その裸体は仏像を思わせる鮮やかな姿であった。

 朔夜と共にいた照彦は、再び悲鳴を上げそうになるものの、場の空気を読んで、息を吸い込み過ぎて顔を真っ青にさせている。

 一方朔夜はというと「ふむ」と唸り声を上げた。


「やはり、振られた腹いせか。俺のときは本気で口説く気がなかったが、みずほはやはり別か……加勢に行きたいところだが」


 朔夜は青黒い自身の手を見る。まだ彼の手に感覚は通らず、万全の体制で刀を握るのは難しい。

 それに、あまりみずほを刺激したくはなかった。

 彼女を狙うように仕向けているのは、おおよそ検討は付いているものの、今は姿かたちすら現わしていないのだから、下手に教えてみずほを追い詰めるような真似だけは避けたい。


「坊ちゃん、布持ってるかい? 刀一本腕に固定できる分」

「はあ!? さっき言ってた奴、本気でやる気!?」

「みずほをあまり無理させたくないからなあ……それに」


 大獄丸とは、死闘を繰り広げれば倒せるだろう。さすがに今代の空気に馴染んできたから、体も十二分に動かせるようにはなってきた。

 だが。

 あれの対処法は、未だに朔夜も計り兼ねている。

 今代にいるはずの、田村家に巣食っているあれの本体は、朔夜をもってしても見つけ切ることができなかったのだから。


「あれを完全復活させることだけは、避けねばなるまいよ。今代が本当に滅茶苦茶になるぞ」

「あれってなに!? あの鬼だけじゃないのかよ……!」

「で、坊ちゃん。布は?」


 照彦は「あぁーん、もう!」となにもかもを諦めきった顔をしたと思ったら、着ていたジャケットを脱いで、そのまま自身のシャツを脱ぎ捨てると、それを破きはじめた。

 それに少しだけ朔夜は笑った。


「すまんな」

「訳もわからず死にたくないだけだから! みずほちゃん、ちょっと強いみたいだけど、さすがにあれと戦わせるのは可哀想と思っただけだし!」


 そのまま朔夜に裂いたシャツをぐるぐる巻きにして直刀を固定していくのを、朔夜は「すまんな」ともう一度礼を言う。

 一方、朔夜の心配通り、みずほは体を生やした大獄丸と、激しい戦いを繰り広げていた。

 気迫と気迫。執着と拒絶。怒号と怨嗟。

 ふたりの戦いに合わせて、大気は唸り声を上げ、空は轟いている。

 いつの間にやら、大獄丸はもっとも長い大剣を引き抜くと、みずほと打ち合っていたのだ。

 大獄丸が剣を振るえば、かまいたちが起こり、それは否応にみずほを傷付けるが、みずほは血を流しながらも向かっていく。傷口はすぐに塞がり、かさぶたをぽろりと落としてなかったことになる。

 普段、みずほは自身を流れる血による、異様な回復を人に見せることはしない。ひとりで戦っているときならともかく、同居人である朔夜や、守るべき対象である照彦にすら見せるようなことはまずしないが。

 そんなことに構っている暇はなかった。

 かまいたちで距離を取られてしまったら、次は大地を霜柱や氷の柱で阻害され、閉じ込められる。それならかまいたちなど気にせず、大獄丸の懐に飛び込んだほうがいい。

 彼の胴目掛けて、大きく突き上げようとするが、それでもなお、大獄丸は大剣でみずほの刀を跳ね上げる。

 それを受け、みずほは唇を軽く噛む。大獄丸の強さは、なにも宝蔵から大量に得物を降らせることでも、神通力で氷や霜を起こすことでもなく、純粋に怪力なのだ。受けた太刀筋はでたらめで、型など全くないが。

 前に戦った四鬼の一体と同じく、力任せでも充分強い。しかも太刀が悪いことに、前の奴よりも強いのだ。みずほが気合で刀の柄を握りしめていなければ、腕が痺れて取りこぼしてしまいそうになる。

 みずほはそれでもなお、大獄丸へと挑む。

 大獄丸は大剣を構えながら、鬱蒼と笑う。彼女が必死で焦りを抑えつけて、しがみつこうと抗う様は、気高く美しい。

 初雪を踏み荒らすように、このままなにもかもを奪われた娘を、もっと踏み潰すと、なお美しいだろうと考える。

 やがて、大獄丸は自身の存在を揺らがせた。最初は、ただ輪郭がぶれただけに見えたが、それは錯覚ではなかった。

 大獄丸が。

 ひとり。

 ふたり。

 三、四、五……。

 みずほはそれに目を見張った。

 伝承によると、彼は分身の術を使い、それで先祖を翻弄したとされている。まさか自分にその神通力を使ってくるなんて、思いもしなかった。

 みずほは唇を噛むと、四方八方から、同時に耳鳴りがする。かまいたちが、大量に発生したのだ。


「ああ、愛い愛い! その様! もっと見せておくれ! そして我の供物となるがいい!」

「あ、なたは……! 本当にぃ──っっ!」


 みずほは必死で叫ぶ。叫ばなければ、痛みで失神している。喉を突っ張らせて、必死で声を張り上げる。

 頬が裂け、着物が千切れ、長い御髪は巻き上げられて何本も飛び散る。首筋に血が固まり、足首にかさぶたが取れ、それでも必死で大獄丸のひとりにでもいいからと刀を振るうが、大獄丸は嘲笑ってかまいたちを投げつける。

 傷は治る。血は止まる。しかし痛みは尾を引くし、痺れるような感覚は残る。

 しかし致命傷は与えない。ただ彼女の痛覚が最も強い場所目掛けて、かまいたちを飛ばしているのだ。

 それはみずほの心を蹂躙し、凌辱し、壊すことで物にしようとしている。そして宝蔵へとしまい込むのだろう。

 悪辣。伝承で何度も描かれた鬼の存在そのものであった。

 みずほの胸の内から、ふつふつと湧き上がってくるものがある。


──不愉快だ、不愉快だ不愉快だ、この男はぁぁぁぁぁぁ!!


 先程よりも、声が大きくなっている。みずほはその声に身を任せたくなる。

 怒りで刀を振れば、太刀筋は乱れる。しかし、その分力は強くなる。乱雑に、感情のままに。

 しかしそれは、もう人間の剣道からは大きく外れる。だが、もう勝つには。

 みずほの感情ががたがたと乱れる中。


「相変わらずだなあ……貴様、やり方が本当に変わってない」


 いつも聞いている聞き馴染みのある声が、みずほの鼓膜をくすぐる。

 朔夜が直刀を一閃させる。柄を握ることができないのが、白い布でぐるぐる巻きに固定され、無理矢理振るったそれは、大獄丸のひとりの胴を大きく薙いだのだ。


「ぐう……っ! 貴様! 折角口説いているところだったというのに……!」

「人の妻を勝手に口説くな、不愉快だ」


 朔夜が軽口を叩く。普段であったら、こんな場所でそんな冗談を言うなとみずほが怒っているのだが。

 今はささくれだった気持ちが沈み、先程から聞こえてくる苛立ちの声が、ようやく聞こえなくなった。みずほの痛むほどに握っていた手が、ほんの少しだけ緩む。


「……凍傷は、もう大丈夫なんですか?」

「大袈裟なんだ、お前さんは。これくらいは、よくある話だ」

「よくあって……たまりますか……!」

「……ようやく、いつもらしくなったな。お前さんの悪態がなければ、調子が出ないからなあ」


 朔夜はみずほの頭に触れる。髪は千切れ、既に髪に結わったリボンも裂けてしまっている。それを労わるように撫でられ、ようやく胸が落ち着いた。

 そして、刀を握る。


「さすがに少々あれの量も多いからなあ……半分ほどは、お前さんに任せられるか?」

「半分……ですか」


 はっきり言って、分身した大獄丸に、ひと太刀すら浴びせることができていない。かまいたちを何重にもぶつけられ、まともに懐に飛び込むことすらできていないからだ。

 そもそも、分身していない大獄丸にすら、太刀筋が届いていない。だが。


「……やります」

「そうか。なら、半分は任せよう。坊ちゃんは少々遠ざけておいたから、もう少しだけは暴れても大丈夫そうだ」

「……よかった」


 照彦は涙目になりながら、敷地の一番端にいる。氷の柱で盛り上がった場所だ。無理に柱が崩れるような真似さえしなければ、彼に危害は及ばないだろう。

 みずほはほっとし、刀の柄を握った。


「……背後は、よろしくお願いします」

「ああ、任されよう」


 ふたりは地面を大きく蹴った。

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