死闘・一

 千年前。

 坂上田村麻呂と鈴鹿御前が大獄丸と対峙したという逸話は、田村草子にはこう記されている。


──大獄丸は妖術で三百ばかりの剣や矛を操り、それを全て払い落とされたら分身して数百の小人となって坂上田村麻呂に襲い掛かった。

 田村麻呂は時には仏の加護で数多の武器を払い落とし、時には弓矢で射抜いて対抗した。

 最終的には、彼の愛刀、騒速丸そはやまるで首を落とされた。

 しかし首だけになった大獄丸は、なおも執念深く生き残り、体を再生させると陸奥国は霧山に立てこもると鬼の国を築き、田村麻呂とその血筋に復讐を誓った。

 すっかりと年老いた田村麻呂は、自身の取りこぼしたものを拾い、再び屠るためにひとり霧山に登ると、死闘の果てに再度大獄丸の首を落とし、戦を治めた。

 その首は、宇治の宝蔵に納めされ、今日こんにちまで厳重に封印されていたという。


 みずほも、千年前のことはわからない。

 この禍々しい気の中で、どうやって先祖が大獄丸を討ったのかがわからない。

 大獄丸は、金色の瞳を爛々と輝かせると、牙のような歯を剥き出した。


「来やれ、来やれ……我が宝重よ……我の敵をほふれ」


 先程から、大気の圧迫がおかしいと思ったら、とうとうこのだだっ広い土地の辺りだけ、雲が出てきた。今日は雨は降らないとは新聞に書かれていた話だった。

 みずほはその空の異様さに顔をしかめていたら、朔夜が一瞬だけみずほのほうに振り返ると告げる。


「できる限りはこちらで落とすが、万が一そちらまで飛んできた場合は、お前さんが払いのけろ」

「え……?」

「聞いたことがないか? あれの常套手段だ」


 それだけ短く言うと、朔夜は今度こそこちらに背を向けた。

 やがて、朔夜の言葉の意味を知る。

 空からなにかが光って降ってきたのだ。雨にしては存在感があり過ぎる上に、土の匂いは広がらない。雷にしてはゴロゴロと猫の喉音のような音は轟かない……それは長い柄、わずかばかりの飾り、そして鋭い刃……矛だった。

 みずほがぎょっとしている間に、分厚い雲から雨あられと刀と矛が降り注いできたのだ。

 たちまち地面に深く突き刺さる。


「……まだ持ってたか。宝重だと言うならば、宝蔵から出さずに後生大事に持っていりゃいいものを」

「たわけ。使わぬ刀など、ただのなまくらよ」

「それに関しては、否定できんなあ」


 朔夜はいつもの調子で軽口を叩くと、直刀を一閃振るった。途端に、大量に降り注いだ刀と矛がぶわりと弾かれ、地面を貫いていく。

 こちらに飛んでくるのに、みずほは慌てて照彦の襟元を掴むと、後ろに下がる。途端に、ザク、ザクと地面に刀が突き刺さる。

 照彦からしてみれば、空から武器が降ってくるなんていうものは、聞いたことも見たこともない話だろう。


「ななななななな……空から武器が降ってくるとか、いったいどうなってんだよ!?」

「この辺りは私もよく知らないのですが……大昔の鬼や天女の中には、現世うつしよ幽世かくりよの間に宝蔵をつくり、その中に大量に武器をしまい込んでいた例があるそうです」

「みずほちゃん、なんでそういうことに詳しいかな!?」


 すっかりと腰が抜けて力が入らず、みずほが襟首を掴んでなければ自力で逃げ出すこともできない照彦に、みずほは少しだけ困った顔をする。

 神通力を持つ、鬼や天女であったら造作もないことである。

 それに宝蔵を持ち自身の得物の号令と共に、大量の武器を雨あられと降らせたのは、先祖も同じなのだ。

 天女の鈴鹿御前から騒速丸を与えられた坂上田村麻呂と、騒速丸との夫婦刀を持っていた鈴鹿御前。このふたりもまた、宝蔵から武器を打ち放っていたと、記録に残っているのだから。

 涙目になって、地面に座り込んでいる照彦に、みずほは小さく言う。


「……私のご先祖様も、同じようなことをしていたらしいですから」

「なんなの、みずほちゃん家って、手妻師てづましかなんかなの!?」

「うちは、代々退魔師なんですが……」


 よくも悪くも、照彦の情けない叫び声のおかげで、みずほも冷静に朔夜と大獄丸の対峙を見ることができた。

 朔夜は一見すると一閃で風を起こして空からの得物を振り落としているように見えるが、実際は一瞬で何十回も太刀を振るってわずかばかりに降り注いてくる得物の角度を変え、残り数回で地面に叩き落としているのだ。

 朔夜の太刀筋は、みずほからはいつも以上に激しく見える。

 普段であったら、この男はもっと周りが壊れないように気にしているそぶりを見せるが、今回はわざわざ照彦を使って民家から離れた場所に移動し、その照彦をみずほに預けることで、彼女を前線に出すことを阻害している。

 でも今回ばかりは、みずほも手が出せそうもない。いったいどれだけ宝蔵に得物が入っているのかがわからないが、それがちっとも減る気配がなく、降り注ぐ得物の中、大獄丸を斬るのは難しい。

 今のところ、朔夜すら防戦一方なのだから、みずほが飛び込んでいったところで、盾にこそなれど、役には立てない。

 悔しいが、朔夜に任せるしかない。

 みずほは自然と唇を噛む。

 彼女の存在意義は魑魅魍魎を倒すことだ。いくら朔夜にとって大獄丸は因縁のある相手だと言っても、彼ひとりにそれを任せることは、みずほのわずかばかりの自尊心を揺らがせる。

 空から降り続ける得物を払い落としていた朔夜に向かって、大獄丸の首が動いた。なにかを口に咥えて、得物の降り注ぐ中、真っ直ぐに朔夜への距離を詰めている。

 咥えているのは、短刀。誂えも柄すらもなく、ただ剥き身の刃だけのそれを咥えてスピードを上げているのだ。

 ……いけない。

 みずほは咄嗟に辺りを見回す。

 地面に突き刺さっている矛や刀を引っこ抜く。

 本来、刀は自分が一番握り慣れているものでなかったら、手に馴染まず振るい切れないし、最悪の場合、刀身の重さで手を滑らせる。

 その内の一本が、みずほの手にも軽く、余分な反りもなく投げつけやすかった。みずほは、それを一気に地面から引き抜くと、それを大獄丸に大きく振りかぶって投げた。


「お止めなさい……!」


 大獄丸は少しだけ金色の瞳を瞬かせると、にたりと口元を歪め、口に咥えた短刀で刀を叩き落とした。

 みずほは口の中で舌打ちするものの、それでも時間は稼げたとほっとする。

 一瞬途切れた得物の雨の中、朔夜はようやく動くと、大獄丸へと直刀を振り降ろしたのだ。それを大獄丸は咥えた短刀だけで受け止める。

 直刀と短刀。距離が近い場合は、本来ならば、刃の長いほうに軍配が上がり、短刀が競り負けるはずなのだが。この戦いに常識というものは通用しない。

 口に咥えた短刀で、大獄丸は朔夜の直刀をしのぎ、それどころか余裕そうに声を上げる。


「ほうほう……ずいぶんと弱弱しくなったものよのう、貴様は……」


 せせら笑う大獄丸の声を、朔夜は一笑に付す。


「単純に守らねばならぬものが増えただけだ」

「難儀なものだな。貴様はしょせんは俺と同じようなもの。人間の真似事をしたところで、本質が変わる訳がなかろう」

「ふん……俺は本当に貴様が嫌いだ」


 朔夜の太刀筋が、より大きくなる。

 先程まで拮抗していたように見える大獄丸の短刀が、わずかにギチギチと不愉快な音を立てはじめた。その音に、みずほは聞き覚えがある。

 ……刀が折れるとき、刃は霜柱を踏むときのような音を立てる。

 本来ならば、押されているはずの大獄丸は、もっと焦った態度を取ればいいはずなのに、彼は相変わらず金色のまなじりを細めて、せせら笑いを止めることがない。


「人間の真似事をしたとしても、本質など変わらないだろうに……それに、人間の真似事ばかりを続けて、とうとう腑抜けたか、たわけが」


 大獄丸が、そう猛毒を吐いたとき。

 みずほの耳は、不可解な音を拾った。


 ピキピキパキン


 霜柱を踏むような音が響いた。


「え……?」


 みずほは足元に視線を落とす。

 日は沈み、たしかにやや肌寒くはなってきたが。まだ霜柱ができるほどの季節でもなければ、急に冷え込むなんてことはありえない。

 そこでみずほは気が付く。


「……まさか」


 田村草子の内容を思い出して、みずほは顔を青褪めさせる。

 大獄丸の得物は、全て氷でできていると言われていた。しかし実際に降ってくるものは、昔からよく見知っている刀や矛ばかりで、溶ければ水になるようなものなど、この場で見たことがなかった。

 だが、大獄丸の宝蔵から降り注いだ得物が、全て凍らせるものだとしたら?

 みずほは慌てて腰を抜かしている照彦を突き飛ばす。


「ちょっ、みずほちゃ……なに!?」

「きゃ、きゃあ……!」

「みずほちゃ……うわあ……!」


 照彦が尻餅をついている間に終わった。

 取り残されたみずほを乗せて、つい先ほどまで得物が突き刺さっていた地面が大きく盛り上がったのだ。

 氷が深く地面から伸び出たと思ったら天を目指して伸び、みずほを乗せたまま高く高くそびえ立つ。


「みずほ……!」

「人の心配をしている場合か!?」


 朔夜の集中が途切れたところで、大獄丸は嘲笑って短刀で朔夜の手の甲を傷付ける。すると、朔夜の手はすぐにシュウシュウと音を立てて青白く鈍い色へと染め上がる。それに朔夜はピクンと眉を持ち上げる。

 凍傷。本来ならば冬場で長時間温めることなく放置していればなるものが、短刀で傷付けられただけで、彼の温度を奪ったのだ。今の彼の手は、極北の地に長時間さらされたのと、同じだけの極寒を感じているはずだ。

 いくら再生能力の高い鬼とは言えど、これでは直刀を握っている暇すらない。


「朔夜さん……!」


 みずほは盛り上がった氷の上から悲鳴を上げる。

 このままでは、朔夜がやられてしまう。でも今のみずほには得物が簪しかない。これでは、朔夜を守ることができない。

 みずほはおろおろしていた中、自分と一緒に大獄丸の宝蔵の得物もまた、盛り上がった氷の上にばらまかれていることに気付く。

 先程みずほが投げつけた軽い刀もまた、彼女の乗っている氷の柱の上にまで来ていた。みずほはそれをぎゅっと握る。

 軽いし、握りやすい。自分が日頃使っている顕明連けんめいれんと同じくらいの使い勝手のよさだった。

 これならば、大獄丸を倒せずとも、撃退することはできるかもしれない。

 朔夜は凍傷の手のまま、それでもなお握力だけで直刀を握り込んでいる。

 本当ならば手は痺れて鈍くなり、痛みすら伴っているだろうが、それでもなお、朔夜は怜悧な蒼の瞳で大獄丸を睨みつけるだけだった。


「なるほどなあ……貴様、そういえばそういう奴だったな。まあ、これくらいはよくあることさ」

「小賢しい、貴様もずいぶんと耄碌したな」

「たしかに、そうかもしれんなあ」

「ふん、我はあの愛い娘と睦み合えればそれでよい。貴様と遊ぶのもそろそろ飽いたから、とっととくたばれ……」

「誰が、くたばるんですか……!」


 みずほは、勢いつけて氷の柱の上から飛び降りてきた。普通ならば飛ぶどころが降りることすら躊躇うほどの高さであったが、それでもなお、みずほは怒りのままに飛び出したのだ。

 朔夜は一瞬目を大きく見開くと、顔をしかめて直刀の背を向けて一閃する。

 途端にふわりとみずほの体がわずかに浮き上がり、地面へと軟着陸した。

 みずほがストンと地面に足を付けると、本当に珍しく朔夜が怒鳴る。


「みずほ……! 何故降りてきた!?」

「なに言っているんですか! あなた、凍傷受けてるじゃないですか!? これ、すぐには治らないんですか!?」

「あー……俺は鬼としての回復能力はそこまでない。凍傷なんて人間と同じほどでなければ治らんよ」

「なおのこと馬鹿じゃないですか!?」


 みずほは刀を手に、大獄丸に向ける。その刀を見て、朔夜は少しだけ目を瞬かせたが、それ以上はなにも言わなかった。


「交代です。朔夜さんは坊ちゃまにでも手を診てもらってくださいよ」

「ほうほうほうほう……貴様、ようやく我のものになる気になったか?」

「なに色ぼけてるんですか!? そんな訳ないでしょう!?」

「ほうほうほうほう……相変わらず、とんだ跳ねっ返りだ。本当、躾のし甲斐がある……」


 大獄丸は短刀を咥えたまま、舌なめずりをする。その舌の長さと赤さに、みずほは先程覚えた気持ちの悪さを感じながら、それでも刀を握り込む。

 朔夜ですら、この男と遣り合うのは骨が折れるのだ。みずほでも遣り合えるかはわからないが……やるしかない。

 みずほは荒ぶる心を呼吸で鎮めると、凛とした目で大獄丸を睨んだ。

 足を大きく広げて、刀を振るう。

 もう朔夜には充分守ってもらった。もう、充分だ。

 ……刃の届く範囲まではみずほの世界で、そこに届く人をなくす気は、これっぽっちもない。

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