胎動
山中で人の声が響けば、山に入った人が迷うのは道理。その声に麓の人間が恐怖を覚え、脅えたとき、日光の神社に奉納された神刀がひとりでに飛び出したという。
神刀は祢々を神社の境内まで追い詰めると、遂にはそれを退治した。以降その神刀は
ここで斬られたとされる祢々がどんな魑魅魍魎だったのかの逸話は残っていない。
河童だったのか、虫だったのか、
人々を脅えさせ、神刀が動かなければならない事態を引き起こした魑魅魍魎が、長い時を超えて、今度は大正を生きる人々を脅えさせている。
凄惨な連続女学生殺人事件という形を変えて。
****
みずほは家に帰ると、朝餉の残り物をかまどで温めて、朝に炊いたご飯は軽く握って味噌とみりんを混ぜたものを塗って焼くことにした。
七輪に味噌おにぎりを載せている間、かまどに薪をくべて竹筒を吹いていた中。
「みずほ、ちょっといいかい?」
浄野が顔を引き締めて、台所に入ってきたのに、みずほは竹筒から口を離して振り返った。
「どうかしましたか、
「夕餉前に言うことではないのだけどね……とうとうみずほに正式に依頼が来た」
「……やはりそうでしたか」
「やはり?」
浄野が尋ねると、みずほは頷く。
「家に帰る途中、祢々に遭遇しました。そこでは戦いにはなりませんでしたが。それで、依頼というのはやはり?」
「……最近、魑魅魍魎の動きが活発とは言ってもね、今回の事件までとはね。そうだよ、連続女学生殺人事件を、とうとう上も魑魅魍魎のしわざだろうということで、みずほに捜査して欲しいということだ。しかし、ねえ……」
浄野は困った顔をしているのに、みずほは「
「……みずほも知っていると思うけれど、祢々は力がないはずの魑魅魍魎なんだ。人を迷わすようなことを言って、故意に死に至らしめることはしてきても、自ら手を出してきたことはなかったはずなんだけど……」
みずほもそれを気にしていた。
魑魅魍魎と何度も対峙してきたが、祢々自体は人を殺せるほどの力を持つものではなかったはずなのだ。それなのにどうして今、こんな
なによりも気がかりなのは、祢々らしき魑魅魍魎が狙っているのは、女学生ばかりだということ。本来聞いている逸話では、山中に入る人を迷わせるのだから、修行僧や山伏、猟師に関わった魑魅魍魎のはずなのだ。
……伊藤から聞いた話を思い返す。
逸話は違う逸話と合併して新しく逸話をつくり、それにより真相がすり替えられてしまうこともあると。
今回は暫定的に祢々ではないかと言っているだけで、違う魑魅魍魎である可能性も考慮しておかなければいけない。
「どんな魑魅魍魎かは、今は関係ありません。この凄惨な事件を起こしているものを特定して、倒す。私の使命はそのはずです」
「……そうだね。本当にお前にばかり任せて、申し訳ないけど……」
「大丈夫ですよ、
みずほはにこやかに笑いながら、ちょうど香ばしい匂いを立てはじめた味噌おにぎりをひっくり返した。
「私だけではなく、今は人手もいますから」
みずほの言葉に、浄野は一瞬だけ表情を消したけれど、本当に一瞬だけで、すぐにいつもの穏やかな表情に戻った。
「……そう、だね。お前が言ったら、朔夜様も手伝ってくれるだろうしね」
まるで言い聞かせるようにして、浄野は言ったのだが、みずほは竹筒を吹くのに戻ってしまったので、聞き逃してしまったのだ。
****
次の日。
早朝の鍛錬と朝餉を済ませたみずほは、顔を引き締めて朔夜と共に現場へと向かったのだ。
途中で魑魅魍魎を日傘で潰して回りつつ、浄野から告げられた場所へと向かうが、だんだんと黒い影の量が多く濃くなっていくのがわかる。
「馬鹿なのかね、さっさとお前さんに任せておけば、これ以上犠牲者は増えなかっただろうに」
朔夜のぼやきに、みずほは目を細める。
「たしかにそうなんですが、それだけでは皆さん安心できませんから」
「と言うと?」
「だって人間が事件を起こして、その犯人が捕まったとしなければ、事件が終わったと安心できないじゃないですか。犠牲者の遺族だって浮かばれません。普通の人は魑魅魍魎の存在を見ることもできなければ、そもそも信じてないんですから、魑魅魍魎は倒したからもう安心だって言われても、納得できますか?」
「やれやれ、ずいぶんとおかしな話だなあ……」
朔夜は肩を竦める。それにみずほはきょとんとして彼の横顔を見上げる。
「私、変な説明をしましたか?」
「訳のわからない現象や事象に名前を当てて、それで人間は安心を得たというのに。不可解な現象自称に魑魅魍魎と名付け、それが起こしたことということで納得できないとは……いやいや、これも時代錯誤という話なのかね」
古い時代、かどわかしには「神隠し」、病や怪我には「生霊に憑かれた」、物が古くなれば「付喪神が憑く」と説明をすることで、言葉に閉じ込め、それにより起こった事象について納得したり諦めたりすることができるようになっていた。
しかし千年前だったらいざ知らず、なんでもかんでもゴシップに書かれるこのご時世では、「魑魅魍魎のしわざ」で納得してくれる人間がどれだけいるというのか。
みずほは溜息をつく。
「大昔はそれでよかったのかもしれませんが、今はそれで誰も納得してくれませんし、さっきも言いましたが見えないものを人は信じることはできないんですよ」
「ますます持って難儀なことだなあ……見えないものを信じられないって、そもそも人の心の在り方なんて、千年前も今代も見えるものではないだろうに」
呆れた顔をする朔夜の足を、みずほは思いっきりブーツで踏みつけた。足袋に草履では、たまったものではあるまい。
「いったい……みずほ、お前さんなにを怒っているんだ?」
「もう! 郷に入ったら郷に従えって言うでしょ! 屁理屈ばっかり捏ねて!」
「ああ……すまんすまん」
「知りませんっ」
ぷいっとそっぽを向いたみずほは、最近の犯行現場に辿り着いた。
警察により人避けがしてあるのを、浄野の名前を通して入ると。みずほは口元を抑えた。
既に魑魅魍魎がその場を大量に占めていたのだ。なによりもおそろしいのは、その場を徘徊している魑魅魍魎は、既にいるだけでは害がないという大きさではなく、さっさと殺さないと間違いなく害が出るという大きさにまで膨れ上がっていたのだ。
みずほは黙って日傘を構えると、育ちつつある魑魅魍魎を片っ端から貫いた。
「ぴぎゃっ」「ぴぎゃっ」「ぴぎゃっ」という悲鳴が続き、地面が見えなくなるほどの魑魅魍魎相手に大立ち回りをするみずほを眺めながら、朔夜はときおりみずほが取りこぼしたものを踏み潰す。
さんざん魑魅魍魎を殺し回り、残りのまだ育っていないものが蜘蛛の子を散らしたように消えようとするのを、みずほは逃がすかとばかりに、長い髪に仕込んでいた簪を投げつけてとどめを刺し、ようやくその場は静かになった。
「……昼間にこれだけ害悪に育った魑魅魍魎が出るなんて……本当に、犯人はなんてことをしてくれたんですか」
「ふうむ」
「……なんですか、まだ近頃の人間はとか説教する気ですか」
朔夜が腕組みして辺りを見回すのを、みずほはむっとした顔で睨みつけたら、「いや、なあ……」と言う。
「お前さんも言ってなかったか? 祢々とやらでは、和製切り裂きジャックにはなりえないとかって」
朔夜がそんな言い方なのも、千年前には祢々という魑魅魍魎が存在していないからだ。
みずほは頷く。
「言いましたが……それがなにか?」
「もしかしたら、祢々の存在は変質させられたのかもなあと。さっきこの場にいた魑魅魍魎も、いささか育ち過ぎていたからな。誰かが餌をやって育てていたのかもしれんと」
「……餌をやるって。魑魅魍魎を育てるために、女学生たちが殺されたとでも言うんですか? なんで、そんな魑魅魍魎を育てるなんて」
朔夜は腕を組んで、どこか遠くを見る。
「……本当に嫌な話だ。千年経ったら変わるものもあれば、変わらぬものもあるというのは」
ぽつんと言う朔夜の言葉に、みずほはまたも首を傾げるが、今は彼の感傷に付き合うことより先に、しなければいけないことがある。
みずほは日傘を地面に突き刺して、気配を探りはじめた。
これだけ魑魅魍魎が育っていたのだから、それを撒き散らしている気配を探るのは容易だろうと踏んでいたが、なにか中途半端に気配が途切れることに気付く。
「どうした?」
「……気配を探り切ることができません。何故か、途中で気配がぷつんと切れるんです」
「本当に嫌な話だな。祢々を変質させたことと言い、結界を張られたことと言い、俺の思っている奴のせいかもしれん」
「ちょっと待ってください……結界ですか?」
結界。
本来は
内側に自分専用を界を設定し、外側からの進行を一切遮断するという神秘空間のことを差すようになった。
なお、結界を張るというのは修行僧や山伏、陰陽師の類でも「本物」の存在でなければ意味がなく、今代唯一の退魔師であるみずほも、その本物の結界使いには出会ったことがなかった。
「そんなものが、魑魅魍魎の中にいるというんですか?」
「魑魅魍魎だったらどれだけありがたかったかなあ……あれはそもそも魑魅魍魎ですらないからな」
朔夜がそうぼやくのに、みずほはますます困惑する。
「ちょっと待ってください。どうしてあなたがそんなもののことを知っているんですか……」
「……千年ほど前に、やり合ったことがあるからなあ。まあ、俺の封印が解けたことだって、ただお前さんが解いたからというだけではないということさ」
それに息を詰める。
千年前の出来事は、みずほも未だにわからないままだ。
伊藤から聞いた話をもってしても、朔夜の正体はわからない上に、朔夜自身がみずほの先祖と遣り合ったということくらいしか聞いてはいない。
だが、もしみずほの先祖ならば朔夜はもっと容赦がないだろう……彼は、みずほの先祖を何故か毛嫌いしているのだから。
だしたら、千年前に朔夜の遣り合った敵とは、何者なのだろうか。
「……本当に、どうなっているんですか」
「わからん。ただ、あれはさっさと始末しなければ、犠牲者はもっと出る。それに、最悪の場合この町は消し飛ぶぞ」
「……そこまでまずいものだっていうんですか」
結界で遮断されて、気配を探ることすらできないというのに。みずほは唇を噛む。
この辺りのほとんどの女学校は、最近の連続女学生殺人事件のおかげで、短縮授業であり、外を出歩く数は減ってしまっている。……つまりは、次の犠牲者を探すことが困難なのだ。
どうしたらいいのだろう。
自分に、もっと力があったらいいのに。朔夜は、ギリギリとするみずほの肩を叩いた。
「大丈夫だ。犯人は絞れた以上は、もうこれ以上は犠牲者は出さんさ……今回ばかりは、俺も本気を出さんといけないみたいだからなあ」
****
町中に建てられた
元々は華族のものだったが没落して持ち主から手放されたものの、未だに買い手のつかないこの屋敷は、このところ連続して行われる女学生殺人事件のおかげですっかりと治安の悪い場所とされて、ますます不動産を扱うものたちからは遠ざけられていた。
それが都合よかったのだ。
四方に結界を張り巡らし、人どころかねずみ一匹すら入ることないこの環境が。
昼間、屋敷に何物かの気配が侵入しようとしたものの、結界がそれを遮断した。
そのピンと弾いた気配を見て、それはすっと目を細めた。
「今代にこれだけ力を持つものがいたのか」
既に
起きた時代は都合がいいとは思っていたが、そうもいかぬものらしい。
夜に蝋燭以上に強い灯りが道を照らし、闇の存在が薄くなったものの、黄昏時の暗さは未だに健在で、そのときに乗じて材料を集めることができた。
少しあとの時代の弱い魑魅魍魎を飼いならし、それに命令して、今代の女の臓物と顔を集めた。
ひとつ。ふたつ。三つ。四つ……。
女の顔は潰し、全員顔を奪われたことは気付かぬように細工は仕込んでおいた。
「……ひとりふたり力があるものがいたところで、どうにもなるまいよ」
これの前に、裸体で眠るものたちがいる。
姿かたちこそ、犠牲者の姿をしているが、先程結界を突破しようとしたもののように、気配を探ることのできるものであったら、これが人間ではないと気付くだろう。
その異形のものは、魑魅魍魎とすら、ましてや祢々とは比べ物にすらならない。
その闇が、この屋敷に胎動していたのだ。
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