依頼

 どの時代にも存在している噂。

 平穏に生活を送っている者が、ある日忽然と姿を消すのである。

 子供がいなくなれば天狗隠し、老婆がいなくなれば狐隠しとも呼ばれているが、概ねそれらは神隠しと呼ばれている。

 大正の世になり、都心には鉄道が敷かれ、瓦斯灯がすとうが夜を照らし、新聞で新しい情報がいつでも仕入れられるようになった。それにより、だんだん神隠しと称される事象はただの誘拐事件に区分され、人々もひとがいなくなる現象について警察に任せるようになってきたが。

 捜査をしても、いつまで経ってもいなくなった人たちの足取りが掴めない事象が存在する。

 それらは退魔師に回され、捜査されるのだ。

 魑魅魍魎の起こす事件は、夜の短くなった大正の世でもなお、尽きることはない。


****


 みずほは、胴着から着物に着替えて袴を合わせて、日傘を携えて現場へと向かっていた。隣には朔夜がきょとんとした顔で彼女を眺めている。


「みずほの異母兄から話を聞いたんじゃわからないのかい? どっちみち魑魅魍魎なんざ、夜にならなきゃ動けないだろうに」

「たしかに夜でなければ魑魅魍魎が現れませんから、倒すことはできません。ですが、昼間は魑魅魍魎は身動きが取れませんから、その間に調べることはできます」

「ふうむ。占い師はいないのか、この時代は?」

「あなたの時代ではどうだか知りませんが、今は占いはそこまで信じられてはいません。だから、足を使って目で見て、そして魑魅魍魎の気配を感じてからでなかったら、戦うことはしません」

「ふうむ……まどろっこしいな」


 朔夜が顎をさすりながら言うのに、みずほは半眼で彼を睨む。


「というよりも、あなたは偉そうなことばかりおっしゃっていますが、神通力じんつうりきとかなにかで、魑魅魍魎の気配を探ることはできないんですか?」


 鬼やそれに近い類のものは、神通力という強い力を持つとされている。特に田村家の先祖に当たる鈴鹿御前は指先ひとつで星すら動かしたと聞き及んでいる。先祖と敵対していたという彼ならば、星ひとつ動かせとは言わないが、少しは霊験あらたかな能力を持ってないものだろうかと思った次第だったが。


「んー……俺は封印が解けたばかりだから、神通力とかは全然使えないなあ」


 間延びした朔夜の言い方に、みずほは脱力する。

 先祖といったいなにをやったのかは知らないが、封印される際に力を奪うというのは退魔師の常套手段だ。彼も力が奪われているんだろうと納得することにした。

 それにしても。

 普段であったら、地味で目立たないように努めているみずほに、視線が集まることなんてまずない。

 道行く人々から、視線が集まることが気になる。


「まあ、本当にびいどろみたいな瞳で綺麗」

「金髪って本当にあるのね」

「男の人を初めて綺麗って思ったわ」


 女学生たちが密やかに囁き合いながら、みずほをすり抜けて隣の朔夜へと視線を向けているのだ。

 日常を生きている人々が魑魅魍魎の調査なんてわかる訳がない。そもそも魑魅魍魎の調査なんて、普通の人にとっては面白いものでもあるまいし、人にじろじろと見られるのは苦手だ。

 こういうことだったら、もっときつく言って朔夜を離れに置いておくべきだったと後悔するが、もう来てしまった以上はさっさと捜査を終えて帰るしかない。

 それにしても、朔夜は暢気なものだった。


「なんだ、みずほ。俺が噂されているのがそんなに嫌か。嫉妬されるというのは存外に気持ちがいいものだな」

「なに勘違いしているんですか。これから捜査なんですよ、捜査。あまり人にじろじろ見られてできるものではありませんから」

「そうは言うがなあ。お前さん、別に占いをする訳でもなく、どうやって捜査をするつもりだ? あれも女学生が川辺付近で神隠しに遭った以外になにもわからないだろうが」

「ええ、ですから捜査なんです。まあ見ていればわかると思います」


 そう言ってみずほは、日傘をくるんと手元で回して見せた。

 今回、浄野から聞かされた依頼。

 黄昏時に川辺付近を歩いていた女学生たちが、行方不明になるというものであった。

 稽古ごとの帰りの少女や、買い物帰りの少女、恋人との逢引などで川辺を通ったのを最後に、少女たちの目撃情報はふっつりと途切れたという。

 最初は警察も誘拐事件の線で捜査をしていたのだが、疑わしい者は見つからなかった。行方不明になった少女たちにも共通項が見つからなかった以上、同じ川辺付近を調べるのがいいだろうと、みずほは町を流れる川辺の捜査に訪れたのだ。

 やがて、さらさらと川のせせらぎが聞こえるかんかん橋までやって来た。

 そこを見て、朔夜は「なるほど」と自身の顎を撫で上げる。


「橋はあの世とこの世の境というからなあ。ここで神隠しとは、趣があるな」

「趣があるのかどうかは知りませんが」


 みずほはそう言うと、日傘を畳んで切っ先を橋の上に突き刺した。朔夜はみずほの携える傘をちらりと見る。


「みずほ、この傘になにを仕込んでいる? これはただの傘ではないだろ」

「……神通力もないとおっしゃっていたのに、わかるんですね。これは仕込み傘です。ご先祖様から伝わる刀には足元にも及びませんが、捜査する分にはこれで十分ですから」


 みずほの昼間に持っている日傘は、柄の部分に霊剣を仕込んでいた。とは言っても、さすがに鈴鹿御前の持つ三振りの剣と並び立つようなものではなくて、無銘の刀だ。

 それでも。古い物には力が宿る。代々退魔師がその土地の魑魅魍魎の気配を探るために、霊剣を用いていた。なによりも廃刀令が出て久しい今、昼間に刀を持ち歩いていても怪しまれないのがいい。

 みずほは傘の切っ先に気配を集中させる。

 やがて、体にどろりとした不快感が迫ってくるのを感じた。橋の上に現れた魑魅魍魎の気配を拾い上げたのだ。その気配と一緒に、水の匂い、水草、そして魚のにおいが強くなる。


「……やはり、ここに魑魅魍魎によるかどわかしがあったのは本当のようです。目撃情報もなかったのは、それが原因でしょう」

「なるほどなあ」

「……それに、匂いがきついです。もしここで女学生たちが川に引きずり込まれたのだったら、もう彼女たちは」

「ふうむ……」


 朔夜は顎を撫で上げた。美丈夫として女性たちからの熱視線を集めている朔夜であったが、目を細め、怜悧な視線をすれば、たちまち彼は鋭い気配を発する。

 争いを知らない、ただ平穏に生きる人々であったら、朔夜の発する気配は震えて腰を抜かしてしまうものであったが、みずほは退魔師だからだろうか。刀を握っているからだろうか。不思議と彼の発する気配が心地よかった。

 その肌を刺すような気配をふいに発した朔夜だが、それも一瞬のことだった。すぐに蒼い瞳に優しい色を浮かべた。


「まだそうと決まった訳じゃないさ。それで、どうする?」

「私が囮として、魑魅魍魎をおびき寄せるのが妥当でしょうね」

「おいおい……お前さんはもっと自分を大事にしないか」


 朔夜にたしなめられ、みずほは少しだけ首を傾げて髪を揺らした。


「私、いつものことなので、ちっとも気にしないのですが」

「俺が気にする。この町のお嬢さん方が神隠しに遭い、これ以上事件を広げたくないという気持ちはわからんでもないが、それでみずほが犠牲になるいわれはない」

「まあ……」


 みずほは少しだけ呆気に取られた。

 なにも朔夜がみずほのことを第一に考えていたからではない。彼が思いのほか見知らぬ人のことも気にかけていたことに驚いたのだ。

 だからと言って彼に気を許すこともできないが、少しは見直してもいいと思った次第だ。

 それにみずほは少しだけ表情を緩めた。


「大丈夫ですよ。私、これでも結構強いですから。空を飛ばれない限りは、大丈夫です」

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