捜査
みずほは宛がわれた部屋で着物に着替えると、加奈子にあちこち案内してもらった。
食堂に談話室。それぞれの相部屋は畳の敷かれた和風な部屋だったが、食堂は洋風で大きな長テーブルの席に着いて食べるつくりのようだ。
談話室にはソファーに丸テーブル。本棚には少女小説が入れられているようだ。加奈子に言われるがまま挨拶した少女たちは皆朗らかそうに笑っている。どの少女も華族や士族のご令嬢なのだろう。どの子も仕草から育ちのよさが滲み出ている。
ひと通り見て回ってから、加奈子から学校への行き方やしきたりなどを教えてもらう。寄宿舎生活も初めてならば、女学校での生活も初めてなので、どれもこれも新鮮だったのだ。
それにしても。とみずほは思う。
案内の最中に日傘を持ち込む訳にもいかず、今は彼女の長い
そして簪を使うのを今か今かと思ってはいるものの、加奈子と寄宿舎のあちこちを見て回っても、ときどき同じクラスの少女たちを紹介してもらっても、先程まで過敏に動いていたはずの魑魅魍魎の気配が見つからないのだ。
これはいったいどういうことなのだろう。
あれだけちょろちょろと動き回っていたのだから、人に取り憑いている訳はない。だからと言って、あれだけ存在感のあったものが、そう簡単に力を失って消滅するとも思えない。
先日、伊藤がうっかりと掘り起こして封印を解いてしまった呪具を思い浮かべるが、仮に魑魅魍魎を吐き出したものが壊れたにしても、なにも壊れていないのにいきなり気配が消えるのは説明が付かない。
これはいったいどういうことなんだろう。みずほがひっそりと悩んでいる中。
「これで、だいたい案内はできたと思うけど。なにか質問はある?」
加奈子に尋ねられ、みずほの思考はふつりと途切れる。そして、咄嗟に感想を漏らした。
「こんなにたくさんの方が、勉強なさっているんですね。私も授業についていけるか心配です」
「そうねえ……」
みずほの言葉に、加奈子はふっと明朗さを欠いた言葉を漏らした。それにみずほはきょとんとして彼女を見る。
質問じゃなかったから変に思われたのだろうか。
「あのう、私なにか変なことを」
「いいえ。みずほさんが変って思ったんじゃないの。ただこの学校は学び舎というよりも、檻みたいなものだから。悪い虫が付かないように互いに互いを監視させて、家が目ぼしい縁談をまとめあげたら、呼び戻して嫁に出す。私たちに勉強をさせたいんじゃないの。単純に男が寄ってこない環境に置いておきたいだけよ」
「あ……その……ごめんなさい、加奈子さん」
頭がいいというのは考え物だ。
彼女たちはわかっているのだ、自分たちの所有者は今は父で、その次は夫になる人間なのだということを。
みずほのように、田村家から女児が出ない限りは退魔師を続けなければいけない立場とは、根本的に違う。
みずほの気の弱い謝罪に、加奈子は「ぷっ」と吹き出した。
「……なんてね。そんなにいい縁談に躍起になっているのは、大きな家だけよ。私みたいなごくごく普通の商家には関係ない話わ。うちの場合は万が一のことがあった場合は、女も商才をもたなかったらお
そう言って、加奈子はすっと人差し指を唇に宛がった。
「見ず、聞かず、知らず。よ。よその家のことに口出ししちゃ駄目。問題が起こっても関与しちゃ駄目。たとえ檻みたいなこの学校でもね、最低限の食事は与えられるし、生きていく上で必要な知識はもらえるわ。それを享受して、それ以外に関与しちゃ駄目よ」
そう語る加奈子の瞳は、ひどく冷えていた。
みずほは黙って頷いてから、どうして警察が捜査に行き詰ったのかを察する。
たとえ寄宿舎で生活しているからといっても、休みの日になったら外に出かけることもあるだろう。そこを捕まえて目撃情報や本当にわずかな証言だけでも得ようとしただろうが。
肝心のこの学校の少女たちが、協力してくれなかったのだろう。
これは少女たちが本気で他人に興味ないのか、形だけ取り繕って本当に友情というものを感じてなかったのかは定かではないが。
この学校はおかしい。
まさか初日でそんなことを考えるとは思わなかったが。
これは魑魅魍魎の調査をするのに、夜まで待たないと駄目そうだ。
みずほは頭を悩ませたまま、加奈子に連れられて食堂へと向かっていったのだ。
****
食堂で出された料理はビーフシチューに焼き野菜のサラダ。パン。
普段から和食ばかり食べているみずほにとっては物珍しい食べ物で、それをゆっくりと食べる。牛肉は口の中でほろほろにほどけ、野菜のほのかな甘みも引き出している。スープの部分もとろみがあっておいしいが、みずほの知識ではこれをどうやってつくるのかがわからない。
そもそもここまで牛肉を柔らかく炊くにはは
みずほは食事をしながら少女たちを観察した。
やはりどこの家も躾が行き届いている。食事の仕方ひとつを取っても洗練されている。スプーンを動かす仕草、パンを千切って食べる仕草、フォークで野菜を刺す仕草。
だが。
「……ごめんなさい、これ以上食べられないわ」
少女たちの多くが食事を残すのだ。
気が穢れれば体の具合も悪くなる。魑魅魍魎が出る以上、ここも祓ってしまわなかったら彼女たちの体調になんら変化が起こってもおかしくはない。
これは魑魅魍魎の影響なんだろうかと思って首を捻っていたら、加奈子もまたビーフシチューの多くを残してしまっていた。
加奈子は快活な性分だから、魑魅魍魎に憑かれる隙なんか与えないと思っていたのだが。みずほは目を瞬かせて加奈子を見た。
「あのう……、加奈子さんはもう食べないんですか?」
「運動もしないのに、そんなに食べられないわ。それよりみずほさんはずいぶんと食べるのね?」
「私、あまり洋食を食べたことがなかったので、本当においしくって」
「なのに、こんなに細いの……?」
加奈子にすごく驚かれてしまい、みずほはきょとんとする。
夜な夜な刀を振るい、刀を振るえるようにと木刀を振るって鍛錬しているみずほは、無駄な肉が付いてはいなかった。
まさか本当のことを言うわけにもいくまいと、みずほはどうしたものかと考える。
「……家の方針で、朝の鍛錬が日課になっていますから」
「ああ、どおりで」
加奈子が納得してくれたのに、みずほはほっとした。
普段から刀を振るって魑魅魍魎と戦っているのだから、一日三食きっちり摂らなかったら体に悪いというのがある。
加奈子は言う。
「みずほさんのしている鍛錬って私もできる? ほら、洋服って体の線が出るでしょう? ここの食事はおいしいけれど、全部食べてしまったらお腹がはち切れて、制服が着られなくなってしまうから」
「ああ、だから食べてなかったんですか。ですが……私の鍛錬を士族以外の方にお勧めするのは、ちょっと体力を使いますので、厳しいのではないかと」
「やっぱりダイエットには運動が一番なのねえ……それをしたくないから、なんとかしたかったんだけど」
加奈子が心底がっかりするので、みずほが「あのう……」と申し出る。
「私が加奈子さんのビーフシチューいただきましょうか? ほら、もったいないですし」
「いいの? そりゃ残すよりはいいけれど」
「いただきます」
彼女たちがあまり食べないのは単純にダイエットのためなのか、それとも魑魅魍魎のせいなのか。
みずほはあとで考えることにして、加奈子から残したビーフシチューをおいしくいただいた。
それにしても。
食事の時間。談話室での団欒、風呂の時間に消灯時間。
それらもひどく細かく決められていて、みずほはそれに途方に暮れながらもこなしたところで、ようやく夜になった。
既に寮母が廊下を回って、それぞれの部屋に点呼をしたあと、廊下の灯りを消していった。
寝巻姿になったみずほは「すみません、
「……消灯過ぎたあとに廊下に出たら、寮母がうるさいのよ?」
「すみません。迷惑はできるだけかけませんから……」
「まあ、怒られないようにね。お小水だったらさすがに見逃してくれるかもしれないし」
加奈子に言われながら、みずほは寝巻にひっそりと簪を隠し持って、廊下を歩きはじめた。
闇夜に目を慣らして、何度も何度も魑魅魍魎と戦ったのだ。灯りの消えた廊下自体は別に怖くはない。
やはりというべきか。昼間に寮に入った途端に感じた魑魅魍魎のカサカサという音が増えていった。
気が穢れれば、魑魅魍魎は増える。
魑魅魍魎が増えれば、気が穢れる。
少なくとも、この学校では充分過ぎるほど魑魅魍魎が増える要素があるが。
そもそもの問題は、どうして女学生たちが行方不明になったかという話であり、魑魅魍魎自体も心配だが、女学生たちの行方を掴むことが先決だ。
事前に聞いている話によると、連続女学生行方不明事件のあらましはこうだ。
女学生が行方不明になった場所は特定できていない。
唯一目撃情報のあった女学生は、たまたま本屋に新刊を買うために寄宿舎を抜け出した子だけで、それ以外の少女たちはどこで行方不明になったのかはわからない。
見ず、聞かず、語らず。
その不文律が原因で捜査が難航してしまっているから、みずほがここに送られたのだ。
ときおり簪を弾いて、黒い虫のような姿の魑魅魍魎を仕留めながら、発生源を探した。
昼間は廊下に出ているのがみずほひとりだけのときに魑魅魍魎が姿を現し、加奈子やこの学校の生徒たちがいるときは魑魅魍魎はパタリと姿を消してしまった。
みずほにあって、少女たちにない。
少女たちにあって、みずほにはない。
それはいったいなんだと悩んでいる中。とうとう厠に辿り着いたとき。そこからさらに真っ黒な魑魅魍魎が吐き出されていることに気付いた。
みずほは魑魅魍魎たちを簪で仕留めながら、一番吐き出されている部分を探すと、洗面所に目が留まった。洗面所に張られた鏡の裏から、まるで堰を切ったかのように吐き出される魑魅魍魎。その姿にげんなりしながら、みずほはわずかばかりの鏡の裏に指を差し入れた。
カサリ……となにかが手に触れたかと思ったら、なにかが落ちてきた。
【不細工、貧乏性、背が低い、足が曲がっている、死ね……】
「……なに、これ」
紙一枚にびっしりと、悪口が書かれているのだ。そこからどんどん吐き出されていく魑魅魍魎。
悪口や陰口もまた、魑魅魍魎を吐き出すことはあるが、誰がわざわざこんなことをしているのだろう。人騒がせが過ぎるし、これが少女行方不明事件に関与しているとも思えない。
みずほはなんとも言えない気持ちで、その紙を破くが、まだ鏡の裏から魑魅魍魎が出てくるのだ。仕方なく再び手を突っ込むと、同じような悪口がびっしりと書かれた紙が出てくる。
それも同じように破るものの、まだ魑魅魍魎が消えない。
何度も何度も繰り返すが、やはり結果は同じだ。
いったいどれだけ出てくるんだろう。
とうとうみずほは、鏡を一旦外して、裏を見ることにしたら。
「……空いてる場所なんて、ないじゃないですか」
同じような紙が、このままみずほが放っておかなかったら鏡が外れるんじゃないかというくらいに貼られていたのだ。そのほとんどをみずほは鏡から引っぺがして破った。癒着して取れなくなってしまったような古いものは、仕方がないからそのままくっ付けておいて簪で何度も何度も刺して清めることにした。最後に破った悪口の紙にも何度も簪を突き刺してから、くず入れに中身を見えないようにして捨てた。
魑魅魍魎はすっかりと見えなくなったが、みずほは徒労を覚え、それと同時に疑問も覚えた。
女子同士でいけずなことをしているのかとも考えたが、そもそもこの学校の生徒たちは互いのことを詮索しない不文律があるのだから、わざわざ嫌がらせをする理由が見当たらない。
だとしたら、これはいったいなんなんだろうか。
最後に鏡を嵌めて、元の道へと帰っていった。
鏡の裏に貼られていた紙を全て処分したせいだろうか、その夜はもう魑魅魍魎は現れなかった。
連続女学生行方不明事件にこれが関係あるのか、みずほにだってわかりはしない。
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