説話

 みずほが家に帰ってからも、やることは特に変わりはなかった。朝に鍛錬を済ませ、昼は市中の見回りをして魑魅魍魎を潰して回る。

 しかし、このところみずほ宛の魑魅魍魎討伐の依頼がふっつりと途切れていた。

 みずほは朝餉を出しつつ、浄野におずおず声をかける。このところ、浄野はこの数日、警察のほうに早めに出て、夜遅くまで帰ってこないことが増えていた。


「あのう……異母兄様にいさま。連続女学生殺人事件のほうの捜査は、私は加わらなくても問題ないものなんでしょうか……?」


 新聞を騒がせている連続女学生殺人事件は、未だに被害者が上がるばかりで、なにひとつ解決されてはいない。さすがに人の引き起こした事件に対して、みずほはなにひとつ対処をすることはできないのだが、同年代の少女が狙われるのは痛ましいと思う。

 みずほの申し出に、浄野は少しだけくたびれた様子でも穏やかに笑う。


「捜査がずいぶん難航しているけれどね。今のところは魑魅魍魎の仕業とは言えそうもないから。みずほも気になるだろうけど、まだお前に頼むことではないと思うよ?」

「そうですか……しかし、異母兄様にいさまもお疲れでしょうに。充分休んでくださいね」

「ありがとう。朝にこうしていい食事をもらえるんだから、それで充分だよ」


 浄野が穏やかにそう言って、みずほの出した朝餉を全て平らげると、急いで出勤していった。それをみずほは見送りつつ、自身も朝餉を食べる。

 朝餉を食べつつ、それを一部始終見守っていた朔夜が口を開く。


「気にするな。いずれ犯人は見つかるだろうさ」

「そうかもしれませんが……心配です。私の友達まで狙われないか気になるんです」

「松葉や、先日潜入した先の娘か?」

「……はい」


 学校の決まりにより、許可が出ない限りはほぼ寄宿舎から出ることのない加奈子だったらいざ知らず。女ふたりを食べさせないといけない松葉が、危ないからという理由で女給を辞めて家に篭もるなんてことはできる訳もない。

 犯人が捕まらない限り、安心なんてできないのだ。

 朔夜は「ふむ」と顎を撫でる。


「お前さん、そんなに気になるなら、松葉の店に通えばいいだろうが。そこまで躊躇う必要がどこにある? 知己ならば会いに行けばいいだろ」

「それは、そうなんですが……」


 松葉に毎日会いに行って、彼女の無事を確認できればそれで問題はないのだが。

 問題は、彼女の働く【純喫茶やしろ】を四六時中見守ることもできないということだった。

 ただでさえ最近は魑魅魍魎の動きが活発化している上に、先日の絡新婦じょろうぐものように寝ていたのが起きて騒ぎを起こしてしまった例も見られる。

 騒ぎにならない内に、まだ小さい魑魅魍魎を殺して回るとなったら、悔しいが松葉の元だけ通うこともできないのだ。

 みずほが見なかった場所で育った魑魅魍魎が、また凄惨な事件を起こさないとも限らないのだから。


「……魑魅魍魎の動きが活発化しているからです。松葉ちゃんを守るために私が見なかった魑魅魍魎が、彼女を襲ってしまったら……私は後悔してもし足りないと思いますから」

「ふうむ……」


 朔夜はお膳の味噌汁をすすり終えると、「気にするな」と言う。


「気になりますよ。私、なんのために退魔師をやっているんですか。魑魅魍魎を倒すのが使命なのであり、見逃すのはお役目ではありません」

「そもそもお前さんひとりで、町ひとつを任せるほうがどうかと俺は思うぞ」


 朔夜のあっさりとした言葉に、みずほは少しだけ拍子抜けする。朔夜は美味そうに食事を終えて続ける。


「お前さんひとりでできることなんぞ、そこまで多くはないだろうさ。お前さんの刀が届く範囲がお前さんの守れる範囲であり、お前さんの腕は町ひとつを抱くには届かないさ」

「そう……かもしれませんけど、でも」

「みずほ。お前さんがどんな脅迫概念に囚われれているのかは知らんが。少なくともお前さんひとりで守れるものだけを守れ。知己を選ぶか、顔も知らぬ者を選ぶか、優先順位をはっきりしろ」


 そうきっぱりと言われ、みずほはお膳に視線を落とした。

 みずほは退魔師として生きなければいけない。魑魅魍魎を倒し、無辜の人々を守らないといけない。

 それは先祖代々行ってきたことであり、今代ではみずほ以外にはできないことだ。そう……彼女は幼少期の頃から教えられて育ってきた。

 優先順位を決めていいなんてこと、初めて言われてしまい、その大きさに心細くなる。

 ……自由とは、厳格に育て続けられたものにとっては、ただただおそろしくて果ての見えないものだ。


****


 朝餉の片付けを済ませ、半日かけて洗濯を済ませたみずほは、日傘を持って散策に出かけた。

 朔夜もその横を着いていく。

 結局考えたのは、毎日でなくても松葉の顔を見に行こうというものであった。

【純喫茶やしろ】に入ると、前に来たときは女学生たちが結構見られた店内は、前よりもまばらで、新聞を読んでいる男性が数人見られるばかりだった。


「いらっしゃいませー……あら、みずほ。お久し振り」


 松葉は客の数が減っても、快活さが消えることなく元気に働いていた。そのことに心底ほっとしながら、みずほはにこりと会釈する。


「お久し振りです、松葉ちゃん。お客さんが……」

「あー、大学生はそうでもないんだけどねえ……。この間、舞台女優が殺されたじゃない。私たちとあんまり年の変わらない人が。そうでなくっても、和製切り裂きジャックの事件だって未だに解決してないし。どこの女学校でも警戒してか、寄り道厳禁令が出されているんですって。商売上がったりだから、本当に勘弁して欲しいわあ」

「そうですか……松葉ちゃんは大丈夫なんですか?」

「私? ぜーんぜん。犯人からしてみたら、職業婦人は手荒れかさかさでお呼びじゃないのかしらね。それよりも、みずほのほうが私は心配よ?」


 そう言われて、みずほはきょとんとした。

 松葉が言うのももっともである。大人しくって影が薄い。よくも悪くも一般的な大正女子の箱入り娘のほうが、よっぽど今まで新聞を騒がせている連続女学生殺人事件の被害者に近いだろう。

 いくら家で木刀を振るっていると聞いていても、ぼーっとしているようにしか見えやしない。

 松葉はみずほと朔夜を席に座らせつつ、みずほの手を取る。


「私、嫌だからね? 友達が次の新聞に和製切り裂きジャックの犠牲者として載るなんて」

「松葉ちゃん……わかりました、お互い気を付けましょうね」

「絶対だからね! ああ……ご注文はどうなさりますか?」


 その日は珈琲にシベリアを頼むことにした。

 松葉が注文を頼みに行く背を眺めながら、みずほは朔夜と顔を見合わせた。


「私、そこまで皆に心配をかけているんでしょうか?」

「そうさなあ。お前さん。なにも知らん人間からしてみたら、ぼーっとしているように見えるからな。それが鈍くさく見えて、仮にわせいきりさきじゃっくが来たとしても、それから逃げ切れるようには見えんのだろうさ」

「そこまでですか……」

「ところで、先程頼んだしべりあとはなんだ? わっふるとはまた違うのか?」

「ああ……これも喫茶店でなかったら食べられませんもんねえ」


 そう言ってみずほは、新聞を読みながらシベリアを手に取って食べている男性を指さした。


「カステーラという、ワッフルに似たお菓子がありまして、それの間に餡子を挟んだお菓子です」


 明治のパン屋により発明されたそれは、瞬く間に広がり、ミルクホールや喫茶店では定番菓子として出されている。

 朔夜は「ほうほう」と言いながら、松葉が「お待たせしました」と言いながら持ってきたシベリアと珈琲のセットを見た。

 みずほは気遣わし気に言う。


「珈琲だけで飲むのが苦手なら、牛乳を入れてくださいね。ここにはちゃんと牛乳がありますから」

「入れたら、これが飲めるようになるのか?」


 前に薬湯だと言って以来、本当に苦手らしい珈琲を見ながら、松葉が持ってきてくれた牛乳の入ったポットを傾ける。真っ黒だった珈琲と牛乳が混ざり、淡い茶色に変わる。

 みずほはそれを「どうぞ」と朔夜に勧めると、朔夜はこの間の苦手意識を持ったまま、おそるおそる飲みはじめた。


「……まだ、これだったら飲めそうだな」

「そうですか。それならよかったです。では、シベリアと一緒にどうぞ」

「ふむ……」


 朔夜はカップをテーブルに置くと、シベリアも口にする。それに目を細めつつ、食べているところから、ワッフルと同じく気に入ったのだろう。

 それにほっとしつつ、みずほもまたシベリアを食べはじめた。店長も松葉も他の女給たちも、不安が付きまとうこの数日の出来事にも、快活さが薄らいでいないのである。だから未だにこの店も、魑魅魍魎がいない。

 そのことに心底ほっとしつつ、珈琲カップを傾けたとき。扉がカランと開いた。


「すみません、席は空いていますか?」

「ああ、いらっしゃいませ、伊藤様。ご案内しますね」


 松葉が案内するのは、以前うっかりと呪具を掘り当ててしまい、危うく魑魅魍魎を育てるところだった伊藤であった。

 また研究や論文に没頭していたのか、癖毛は変な癖がついたままであった。

 みずほは会釈する。


「こんにちは、伊藤先生」

「ああ、先日はどうも。最近は大学にもなかなか寝泊まりできないんで、仕事がなかなか進まずに困っていますねえ」

「お疲れ様です。今はどのような研究を?」


 伊藤がまたもうっかりと、魑魅魍魎を起こしかねないようなものを発掘してしまってないだろうか。そう思ってみずほが口にしてみると、伊藤は頼りなく笑う。


「このところ、この辺りの治安も悪いでしょう? もういっそのこと、しばらくは帰らない前提で発掘作業をしようかと思ったんですが、ちょっと発掘作業を止められてしまいましてねえ。仕方がないから、今残っている資料で研究中ですよ」

「大変ですねえ……」

「いえいえ。お国の命令にはなかなか逆らえませんから」


 そう言いながら、紙束をとんとんと叩く。


「先日、鏡が付喪神になってしまった騒ぎを得て、泣く泣く鏡は処分せざるを得なくなりましたが。それのおかげで仮説が立てられそうなんです。御伽噺おとぎばなしとされている話の中にも、真相があるのかと。例えば、大昔、鬼の存在は否定されていたのですが、それがどこかに行ってしまっただけでいるのかもしれないとか。特に古代はいるのかもいないのかもわからない生き物の話がさんざん出ましたからね」


 そうゆったりと笑いながら言う伊藤に、みずほは少しだけ目を丸くする。

 朔夜は「ふむ」と顎に手を当てる。


「そういえば、先生は古代史以外にも、怪奇現象を調べていたみたいだが、専門との関連性は?」

「ああ。元々古代で幽霊や鬼のしわざとされてきたことの中には、今だと理屈を説明できるものも多くあります。ですが、同時に今の世に出てきた怪奇現象の中にも、理屈を付けて説明できないものがありますから。千年前と今で、屁理屈を捏ねるのには差がないのではないかと思って、まとめていますよ」

「なるほどなあ……」


 みずほにはちんぷんかんぷんだったが、朔夜は少しだけ納得したような顔をしていた。

 学者の捏ねる理屈というものは本当にわからないと思うが。もしかしたらいろんな説話を集めている彼にだったら、聞けるのかもしれない。

 先祖が倒した鬼の詳細について。

 それが、朔夜の正体を知ることに繋がるような気がするのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る