宝蔵
しばらくの間は、魑魅魍魎もほとんど見ることなく、みずほの日傘で簡単に潰せる程度にしか確認できなかった。
普段であったら喜ばしいと思うところだが、先日の四鬼退治のことを思うと、ここまで極端に魑魅魍魎が減るのがかえって不気味に思える。
「なんだか、気味が悪いですね。普通に平和になったと喜ぶべきところなんですが、こうも極端に減っては」
久々に出かけた【純喫茶やしろ】で、珈琲とワッフルをいただきながら、みずほはひっそりと言う。
牛乳なしの珈琲に挑戦して、見事に失敗した朔夜は、ぱくんとワッフルを食べて口直しをしてから「そうさなあ」と答える。
「このところ、魑魅魍魎がなにかに釣られて起きるみたいな現象が起こっていた。あの四鬼をつくった輩も、知らぬ存ぜぬを決め込んでいるから、もっと厄介なものが起き上がろうとしているのかもしれん」
「そんな……もっと厄介なものが起き上がろうとしているんですか……」
それにみずほは顔をしかめる。
彼女の反応に、朔夜はからからと笑う。
「なんだ、お前さんは嫌か。俺にはお前さんが充分渡り合えているから、心配ないと思うがなあ」
「からかわないでください。私はただ……これ以上凄惨な事件が続いて欲しくないだけです」
「ほう? それは、お前さんが松葉や伊藤などが巻き込まれて欲しくないからか?」
それにみずほは無言で頷く。ふたり共一般人であり、魑魅魍魎を見ることも聞くことも感じることもないのだ。もし襲われたら逃げ切ることさえできまい。
みずほの反応に、ますます朔夜は意地の悪いことを言う。
「俺にはそれが不思議なんだがなあ。お前さん、千年ほど前の魑魅魍魎とも渡り合えているが、もし仮に、お前さんの義母や義姉が女子を生んだ場合、どうなるんだ?」
「……それは」
朔夜は続ける。
「もし、魑魅魍魎が事件を起こし続ければ、お前さんを誰も無下には扱わないと思うがなあ? お前さんしか、件の刀を使えないならな」
「か、からかわないでください。いったいどんな問答ですか?」
「いや? 俺は単純に気がかりになっただけだ。弱い魑魅魍魎が関わりたくないとばかりにこの町から逃げ出したのならば、起き上がるのは千年ほど前の奴らばかりになる。俺の時代なれば、あれらと渡り合うこともやぶさかではないが、お前さんは違うだろう。あれらと戦うための覚悟や、動機がなかったら、いずれ折れることもあるだろうさ」
普段であれば、やたらとみずほを甘やかす朔夜が、珍しく厳しいことを言うのに、みずほは怯む。
だが、事実だろう。
戦うことは使命ではあるが、目的ではない。
魑魅魍魎討伐で町の平和を守ることがみずほの生き道であり、もし自分が田村家にしがみつくために刀を振るうようであれば……いずれみずほ自身も魑魅魍魎に飲まれる。
使命と目的を、混同してはいけない。
みずほは気を落ち着けるために珈琲を飲む。喉を苦みが通っていく中で、彼女は気を鎮めた。
「……たしかに、私は戦うことしか知りません。他の生き方を考えたこともありませんから。ですけど」
みずほはちらりと店内を見た。
このところの女学生の失踪事件や殺人事件のせいで、「純喫茶やしろ」に限らず、町中を出歩く女学生はずいぶんと減っていたが。
少しずつだが、女学生たちの客足が戻ってきたのだ。
店の中で談笑する女学生たちが、交代ごうたいでシベリアを食べているのを見ていると、みずほも人知れずほっとするのだ。
もし、みずほが田村家に引き取られなかったら、ありえたかもしれない姿を見ていると、彼女の心もじんわりと温かくなる。
「日常を生きる人を守ることはできます。もし私が刀を置かないといけない日が来たとしても、守れたという達成感と共に生きたいと思います……最悪の場合、私も口利きでここで働かせてもらえたらいいですしね」
店内でてきぱきと帰っていた席の片付けをしている松葉と目が合うと、彼女は訳もわからないまま、にこっと笑った。それにみずほは小さく手を振る。
みずほの言葉に、朔夜は「そうか……」と頷いた。
「お前さんがそれならば、俺は一向にかまわん」
「……なんだか、今日はあなたらしくないですね?」
みずほの言葉に、朔夜は金色の髪を揺らした。ときどき朔夜に見とれていた女学生たちから、歓声が飛ぶ。
「ん、どういうことだ?」
「……私には、あなたが悪い人? 鬼? それには思えなかったので」
それはずっとみずほが思っていることであった。
いきなり「我が妻」となれなれしくしてきて、最初は途方に暮れたが、気付けばふたりで歩いているのが日常になっていた。
千年前、どうして田村家の先祖と対峙したのかはわからないし、相変わらず彼の正体が何者なのかはわからないままだが。
魑魅魍魎と対峙しているときのような、殺伐とした感情が削ぎ落とされ、ただ落ち着く。
まるで、自分が刀など振るっていない、普通の女のように思えるのだ。
みずほの言葉に、一瞬朔夜は蒼い瞳を丸めたが、やがてふっと細める。
「……さあな、わからんぞ」
「からかわないでください」
相変わらずのやり取りをしていたところで、カランと店の扉が開いた。
伊藤がまたも大量の紙束を持ってやってきたのだ。
「いらっしゃいませ、伊藤様。席はどうなさいますか?」
「こんにちは、空いているところでしたらどこでも」
松葉がぱっと頬を染めながら、伊藤を広めのテーブルの席に案内する。伊藤は癖毛を引っ掻きながら、みずほと朔夜に挨拶する。
「こんにちは、また連れ添っていましたか」
「こんにちは。最近は平和でいいですね」
「ええ、ええ。最近は学生たちが不安がって来なくなったりしますから参りましたよ」
伊藤の働いている大学は基本は男しか通っていないのだから、女学生が狙われているという方便を、さぼるのに使っているのだろうと、大学に通える立場じゃないみずほは目を細めるが、朔夜に「みずほ」と窘められて、顔を正す。
朔夜は気を取り直したかのように、「伊藤先生は、このところどんな研究を?」と話題を提供する。
「元々古代史を研究していますけど、最近の事件の頻発で、それに合わせて民間の伝承について研究し直していますね。伝承も、面白さを優先した結果、どんどん変わっていくことがありますから」
「たしかに、物語にする際に枝を削ぎ落とした結果、全然別物になるということはありますね」
伊藤と朔夜は、みずほからしてみればずいぶんと難しい話をしているように聞こえるが。そもそも大学で研究をしている伊藤と話が通じる朔夜は、定期的に浄野から渡された教本で勉強しているが、なにを勉強しているのだろうと首を捻る。
みずほの疑問はさておいて、伊藤と朔夜の会話は続く。
「『竹取物語』も本来は翁が主役でしたけど、時代背景と共に女性の生きにくさを語る物語として、かぐや姫が主役となりましたしね。今だとそちらのほうがわかりやすいのでしょうね」
「元々、あの物語は政権批判だと伺っていますが。作者じゃないかと言われているのも男性ばかりですし」
「ええ。その逸話の変更の遍歴を調べるのが、最近の研究ですね」
『竹取物語』はさすがにみずほも知っている話だったが、あれは月に帰りたいと泣くお姫様の話だとばかり思っていたので、どの要素に政権批判が入っているんだろうと、黙ってただ首を捻っていた中。
「その逸話の変更の遍歴で特に面白いものがありましてね……」
伊藤は楽し気に声を弾ませていると。
コンコンと外から音が響いたので、みずほは振り返る。外には警官の制服を着た浄野が、謝罪のポーズを取って立っていた。
「すみません、伊藤先生。ちょっと呼ばれているみたいで」
「あれ、警官さん……ですか?」
伊藤は浄野を見て驚いている中、みずほは苦笑する。
「あれ、兄です。朔夜さん、参りましょう」
「そうだなあ。ああ、伊藤先生」
みずほが会計に向かう中、朔夜が伊藤に告げる。
「研究資料は大事にしろ。あと、まずいと思ったら深追いするのは止めておけ。先日みたいなことになったら一大事だしなあ」
先日の呪具の騒動を思い出したのか、伊藤は瞬間的に顔を青褪めさせると、何度も何度も頷いた。
****
「すまないね、みずほ。休憩中に」
「いえ。友達の無事な顔も見られましたから大丈夫です。どうかなさいましたか、
みずほに尋ねられ、浄野が「ああ、うん」と言う。
「このところは、お前に仕事を任すのは阻まれていたんだけれど、ちょっと問題があってねえ」
「問題、ですか? なんでしょう。また殺人事件とか、行方不明事件とか、ですか?」
途端に彼女は、日頃の地味な少女から、凛とした少女へと振る舞いが切り替わる。
本人は無自覚に人格を切り分けている節があるが、このことに気付いているのは、浄野と朔夜くらいのものであろうか。
浄野は人気のない道へと場所を移すと、辺りに誰もいないのを確認する。
みずほもまた、日傘をトンッと打ち付けて辺りを窺った。今は悪い気配はないし、立ち聞きする気配もない。
日常を生きる市井の人間は、警察と関わりたがらない。彼らが路地に集まって話をしていても、そそくさと立ち去っていくため、こちらに耳を傾ける者もいないようだ。
浄野は意を決して、口を開いた。
「……ちょっと名前は明かせないのだけれど、とある華族の蔵から、鬼の首が見つかったんだ」
「鬼の首……ですか?」
「ああ。元々御伽草子には
話が大き過ぎて、みずほはくらくらとしてきたが。
実際に田村家には坂上田村麻呂と鈴鹿御前の祠が存在しているのだから、全ての魑魅魍魎を絵空事と切り捨てることもできまい。
三大妖怪と呼ばれているのは。
そして、
それは田村家先祖の坂上田村麻呂と鈴鹿御前が滅したとされる鬼である。
浄野は話を続ける。
「最近は華族たちも景気が悪くてね、戦争景気で儲けている商家に、呪いの品として売りつけたんだよ。これがあったら、立ちどころに商売敵を呪えるなんて嘘八百を付けてね。実際に、封印されていた鬼の首なんて、封印を解いてしまったら退魔師以外で滅せられる者なんていない。それが本当の本当に、あちこちに呪詛をばら撒きはじめた」
以前の伊藤の話と同じく、呪具として、魑魅魍魎をばら撒いたという訳だ。
魑魅魍魎が集まれが気が濁り、気が濁れば魑魅魍魎が集まる。
最近、とみに弱い魑魅魍魎が姿を見せなかったのは、三大妖怪のいずれかの首に関わりたくがないためだろう。
「警察としても、どんな理由を付けて没収すればいいのかわからなくってね。その鬼の首を奪取及び破壊して欲しいんだよ」
「……鬼の首は、鬼の首だけでも飛び回ると伺いましたが」
伝わっている逸話によれば、狐である玉藻前はともかく、鬼の酒呑童子も大嶽丸も、首を切り落とされてもなお、首を落とした者を殺そうと暴れ回ったとされている。
そもそも、みずほは祓うことなんてできない以上破壊するしかできないが。
つくられた鬼である四鬼ですら苦戦を強いられたのだ。首だけになったとはいえど、鬼相手に立ち回れるのか。
みずほは自然と持っている日傘の柄をぎゅっと握りしめる中。朔夜は冷静に尋ねる。
「それで、件の家族が鬼の首を売り払ったというのは?」
「ああ……
「小福屋ですか……」
昨今はぶりを利かせ、新聞に広告をひっきりなしに載せている貿易商だが、戦争景気で一気に力を付けたものだから、武器商人だと揶揄されて、いい評判をほとんど聞かない。
しかし、そんな商家に潜入するとなったら、骨が折れそうだ。
「あの、そんなところに鬼の首を探すとなったら、どうすればいいですか?」
「……みずほに、女中の仕事をして欲しいのだけれど」
みずほは、目をぱちりとさせる。
「
「念のために持てるようには配慮するから……それに、今は鬼の呪いは商売敵にだけ使われているが。こんなものを他のことに使われたら」
そこでみずほは気が付いた。
警察もどんな言い訳をして取り上げればいいのかわからない、確実に呪えるものは、戦争でもなんの言い訳もなく使えるのだと。
呪いの存在は、実証できないのだから。
寒いものを感じながら、ようやくみずほは頷いた。
「……刀をどうにか持たせてください。それが、条件です」
ふたりのやり取りを聞きながら、朔夜は腕を組んだ。
「……こんな首、ただの偶然で見つかる訳がなかろうよ」
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