第2話 試練の始まり


 ようやく花にたどり着いたサチコは、とても興奮していた。


「エリー、とても気持ちよかった~。風になったみたいだった」

「そうですか、それは良かったですネ。でも巣から降りて来た時は、何にも言わなかったじゃあないですか」

「ああ、あの時はね。実は怖かったから、目を閉じちゃってて、何も解らなかったの。ごめんなさい」


 はしゃぐサチコを見ていると、エリーまで嬉しくなってくるから不思議だ。


「じゃあ、次はこの花で、蜜の集め方と花粉団子の作り方を教えましょう」

「はい、せんせい」


 エリーは、サチコに花の蜜の取り方や、副食である花粉団子の作り方を、目の前で実際にやって見せた。


「さぁ、今度はサチ様の番です。どうぞ、やってみて下さい」


 エリーに言われるままに、花の蜜を吸ってみた。甘い香りと芳醇な味が口の中いっぱいにひろがる。吸い込んだ蜜は体の中のミツ胃に溜め込む。


 今度は花粉団子を作ってみる。本来はわざわざ作らなくても勝手に足に花粉は溜まっていくのだが、分かりやすく説明してくれたのだ。


 一旦、飲み込んだ蜜を少しずつ出しながら花粉と混ぜ合わせ、花粉をコネながら団子を大きくしていく。形は悪い様だが、結構サマになっている。


「上手ですよ。花粉団子は幼虫や私達の副食や保存食となります。さっき、蜜を吸った時分ったと思いますが、花の蜜と云う物は一度に多く出ません。ジワジワと溢れ出して来る物なので、一つの花だけに留まっては居られないのです。数多く、花から花へと移動しないと多くの蜜は集まらないのです。近くに花が無いと、遠くへ飛んで行かないとならないでしょう? 

 そんな時、お腹が減ってしまうと飛べませんから、花粉団子を食べる訳です。いつもは、この団子は邪魔にならない様に、後ろ足で持っています。慣れてくると両脇の足にひとつづつ、持てますよ。分りましたでしょうか?」


 エリーの説明を聞きながら、サチコは生前を思い出していた。


 ママも、ミツバチは花粉団子と蜜を運ぶって言っていたけど、足に付いている物は、花粉団子だけだったのね。あはは、面白い——。


「うん、大体分ったけど、蜜を運ぶ量はどれくらい運べれるのかなぁ?」

「さあ、量ったことがないので私には解りませんが、大体、自分の体の1/5ぐらいは体の中に溜められると思いますヨ。」

「じゃあ、お腹いっぱいの蜜を溜めるのに、どれくらいの数の花を回ればいいの?」

「そうですね、花の種類と時季にもよりますが、朝一だと一回で済むのですが、他の虫達が漁るので、ざっと三十~五十ぐらですかね」

「ええっ~そんなに――——」


 サチコは驚いた。一回の採取で、多くの蜜が取れないし、自分のお腹いっぱいの蜜を溜める為に、三十回も花から花へと移動しないとならない事実を知ったからだ。

 しかも、一日の採取は0.3~0.5㎖しか集めれない。しかし驚くサチコを横目で、エリーは平然としている。


「まあ、そんなにひどく驚かないで下さい。確かに、最初はみんなビックリしますが、私達には俊敏な機動力と仲間達がいますから。それと、何処に行けば沢山花があるかは、仲間の誰かが教えてくれますから」


 まあ、ミツバチの世界の中で考えれば気が楽なのだろうが、サチコはミツバチの体を借りてこの世界にいるが魂は人間だ。そんな楽観的にはなれない。母親の命が掛かっている。落ち込むサチコを尻目にエリーは声を掛けた。


「さあ、次の花へ行きましょう」


 そう言って飛び上がろうとした瞬間、エリーはサチコの前足を引っ張って、今居た花ビラの裏側に身を伏せた。


「ちょっと、何するのエリ——」

「シッ、静かに——」


 エリーは何かに怯えている様だ。花ビラの隙間から何かが見える。サチコは目を凝らして見てみた。よく見ると自分の五倍ぐらいはあろうか? というぐらいの大きなスズメバチが三匹飛んでいるのが見えた。


 デカイ——。アイツが敵なんだ。


 エリーの方を見ると、震えているのが解る。しばらく二匹は花ビラの裏でスズメバチが過ぎ去るのを待った。


 やがて、スズメバチが過ぎ去ったのを確認すると、二匹は花の上に出てきた。


「エリー、さっきの奴デカかったわねぇ。さっきの奴ってそんなに凶暴なの?」


 サチコの言葉が届かないのか、エリーはまだ震えている。やがて、ポツリポツリと喋り始めた。


「わた、し…私はヤツらの恐ろしさを知っている……。ヤツらは、とても恐ろしい……。ヤツらは……」


 エリーは話など出来ない状況だ。サチコがそっと抱きしめると、たまらず泣き出した。エリーが落ち着くまでそのままでいる事にした。しばらく泣くと今度は本当に落ち着いた様だ。


「昔ヤツらが襲って来て、大変な目に合いました。ヤツらは五匹でコチラは二千匹。私達はみんな、簡単に防げるだろうと思っていました。しかし、ヤツらには私達の針は刺さらない——。

 しかし、ヤツらの針は私達を簡単に差し連ねた。しかも、ヤツらの大アゴも恐ろしい——。仲間を簡単に噛み殺すことが出来る。又、ヤツラは私達の幼虫を食い荒らすんです。たった五匹を仕留める為に、こちらは、ほぼ壊滅状態でした。残った仲間と女王様を連れ、私達は巣を捨てて逃げる様にこの場所へとたどり着きました……。

 もう、二度とあんな目には遭いたく有りません……」


 エリーの話からは、スズメバチに対する過去の恐ろしい話を聞く事が出来た。

 自分の目の前で、多くの仲間達がズタズタに殺されていく。映画のワンシーンでも残虐なシーンは目を背けたくなるものだ。

 スズメバチは凶暴で雑食。肉食でもある。ミツバチや青虫など昆虫を襲い肉団子にして幼虫のエサにするのだ。


 たった一匹のスズメバチを相手にミツバチは多くの仲間を失ってしまう。スズメバチにはミツバチの針は刺さらない。スズメバチを迎撃する方法は『熱殺蜂球形成』と言われる集団でスズメバチを取り囲み、ミツバチの発熱(46℃まで上がる)で蒸し殺すという方法しかない。スズメバチ一匹に対してミツバチは四~五百匹ともいわれている。まさに人海戦術。だからこそ、ミツバチにとってスズメバチは脅威なのだ。


 しかし、目を背けては自分の死が待っている。自分の死だけならまだしも、女王様や仲間や幼い姉妹達も殺されてしまう弱肉強食の世界。自然界の掟といえばそうなのかも知れないが、明日は我が身と思えば、楽観視出来ない。まさに一瞬の不注意が死と隣合わせなのである。


「大丈夫よエリー、ヤツらはもう行ったわ」


 サチコはエリーに、それだけしか言えなかった。なぜなら、自分も怖かったからだ。しかし怖いと言って、尻込みしていては先には進めない。恐怖に打ち勝つには、それ以上の母親への愛情と勇気を持たねばならない。


 辺りを十分確認すると、サチコとエリーは次の花目指して飛び立った。


「サチ様、思い切り高く飛んでみましょうか?」


 先程の不安をかき消す為か、エリーは気分転換をサチコに伝えた。


「そうね……」


 一抹の不安は有る物の、エリーの提案を受け入れた。しかし良く考えれば低く飛ぶより、高く飛んだ方が良いのだ。その方が視界も広くなるし、風に乗る為飛ぶのに楽である。


 風に乗ってサチコとエリーは次の花を目指した。


「あれっ、ここは何処かで見た事が有るような?」


 高い視点から見渡せば、誰でも見覚えのある場所に気づくはず。そう、サチコ達のいる場所は生前通っていた幼稚園の裏山の辺りだったのだ。幼稚園から生前の自宅までは距離が近い。サチコは懐かしさのあまり散策してみたくなった。


「エリー、私ちょっと行きたい所があるの。お願い、付いて来て……」


 エリーの返事も聞かずサチコは幼稚園を目指した。


 途中、田んぼでは権蔵が田植えをしているのが目に付いた。乗用の大型の田植え機に乗って作業している。


「おじいちゃん~」


 久しぶりの人間と出会う。それも大好きだった権蔵だ。サチコは自分がハチである事を忘れ、権蔵に近づいた。


「なんじゃ~? うっとおしいハチじゃのうー」


 権蔵は一匹のハチが近づいてきたので、手を振りながらそのハチを遠ざけた。


 何で、私よサチコよ。お願い、おじいちゃん、気が付いて——。

 サチコは自分がハチになっている事など忘れている。なおも権蔵に近づいた。


「ええい、うざいんじゃー。むこう行けぇ。仕事の邪魔をすんな!」


「危ない——。サチ様」


 まさに、権蔵の手がサチコに当たろうとする瞬間、エリーがサチコの背中を抱き、方向転換し危機を逃れた。


「なんなんじゃ、あのハチは~?」


 権蔵の捨てゼリフは、もはやサチコの耳には届かない。権蔵にとっては、今のサチコは、只の一匹のハチでしかないのだ。


 下界で、ある者に魂を入れても誰もアナタに気が付かない。と神官に言われた言葉を思い出した。


 そうか、誰もこの姿じゃ、気が付かないんだ……。


 改めて自分の手足と、側にいるエリーを見た。ハチだ。ミツバチだ。誰が、このハチの魂が、サチコと気づくだろうか? そう考えると、幼稚園へは行きたく無くなった。

 しかし、生前の家は目の前だ。しかたなく、実家を目指すことにした。エリーはサチコの横を飛びながらサチコに尋ねた。


「サチ様、さっきの大きな生き物が人間です。どうして、あんなに近寄ったのですか? 人間は何をするか解らないのですよ」

「…………」


 エリーの問いに返事が出来ない。誰が信じてくれるだろう。生前は人間で今はハチになっている。そして、母親の為に蜂蜜を集めなければならない事を。まるで、おとぎ話だ。


 しかし、自分のせいでエリーに危険な目を合わせてしまった。


 いや、エリーに助けて貰わなければ、今頃自分は権蔵の手によって田んぼに叩き落とされていたかも知れない。


「エリーごめんね。今度から気を付けるから……。それと、さっきは本当にありがとう」

「いえ、私はサチ様の付き人ですから、当然です」


 お礼を言ってもらえたエリーは心なしか喜んでいるみたいだ。


「それより、何処へ行くのですか?」

「ここよ、さあ降りるわよ」


 先程、権蔵に会った場所から生前の自宅まで風に乗ればアッと言う間だ。


 とりあえず庭に降りる事にした。庭は母祐子が手入れをし、育てた花が一面咲き誇っていた。


「うわー凄い場所をご存じなのですネ。これなら蜜が沢山取れますョ。でもどうして、羽化したばかりのサチ様がこの場所を?」

「ごめんなさい、訳は後で……。私はまだ別の用があるから、エリーは此処で蜜を取っていて」


 エリーにそう言い残すと、サチコは台所の窓がある場所へと行った。窓の側に行くと、確かに少しだけ窓が開いていた。その隙間を通り家の中に入ってみる。

 私が住んでいた家だ。という懐かしい匂いがしてくる。


「ママ——。何処——?」


 母に会いたい一心で、叫びながら部屋中を飛びながら探してみた。しかし誰も居ない。気配すら感じない。


 そうだ、ママは入院したんだ。ふと我にかえった。


 そうだ、遊んでいたを探さなくちゃ——。神官に言われた事を思い出した。

 自分が遊んでいた人形のコップに蜜を溜めよ。という試練を思い出し、飛んで又台所に戻った。


「コップ、コップ、あったアレだ」


 ままごと遊びの人形のコップを見つけると、側に降りてみた。


「えぇーなんて大きさなの——。これに一体どうやって蜜を満たせばいいの」


 サチコは驚愕している。それもそのはず、生前遊んでいた時は何も感じなかったが、ミツバチとなった今、人形のコップは自分の何十、何百倍の大きさに思えてきたからだ。


 試練がままごと遊びのオモチャの人形のコップで良かった……。以前、自分が使っていたコップが対象だったなら……。自分のコップが更に巨大に見える。


 サチコの気が遠くなっていく——。

 





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補足:ハチミツの採取量。スズメバチの習性。


・ミツバチ一匹の一日の採蜜量は最大で0.5㎖。ミツバチ一匹の採取日は精々二週間程度。(色々な作業分担を経て蜜の採取を行う為)故に、一生分の採取量は5㎖程度ぐらい。およそ、ティースプーン一杯分しか無い。俗にいう「スプーン一杯の幸せ」とは、ミツバチが苦労して集めた一生分の糧に匹敵するからと言われているとか?いないとか?……。

 更に、子供のコップや普通の紙コップに入る量は凡そ200㎖。今回の人形のコップの量は50㎖とすると、ミツバチ一匹にて50㎖を採取するのは期間的に不可能。まさに、神官からの試練は無理難題。いったい、どうする?

・スズメバチは稀にカブトムシやクワガタムシと混じって木の樹液を吸っている事もあります。スズメバチは狂暴で残虐。自分より小さい虫に襲い掛かります。襲った昆虫は幼虫のエサにする為に捕獲します。成虫は、幼虫の出す唾液などを栄養源としています。

 ご存知の通りスズメバチの針の毒は強力な為、刺されるとアレルギー反応でアナフィラシキーショックという症状が起こる為、危険です。私も2年前の夏に背中を刺されてエライコトに……。(´;ω;`)

 草刈りと、カブト虫を取りに行く時は注意!ですね。

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