第7話 死の事実


 サチコと祐子が車によって負傷した瞬間、天上より使者が舞い降りて来た。


 その姿は一見して天使と呼ばれる姿をしていた。見た目、五才ぐらいの幼い容姿をしている。しかし、どこか異様な雰囲気を持っている。よく見れば、背中の翼らしき物の色が銀色だ。それもそのはず、銀の翼を持つ天使は、デス・エンジェル死神なのだ。どうやら、この事故で誰かが亡くなってしまうのだろうか。


 しかし、このデス・エンジェルは何か少し様子が違っていた。挙動不審に見える。


「しまった——。初仕事だと云うのにデス・ファイル死の名簿を忘れてしまった。う~ん。どうしよう……。今更、天界へ取りに帰る訳にはいかないし、このまま何もしない訳にもいかないし……。ああどうしよう……」


 本来、デス・エンジェルは人間の死の通知を行う時、最終確認をする為、デス・ファイル死の名簿を常備するのが慣わしだ。

 しかし、このデス・エンジェルは新人なのに、初仕事で慌てて来てしまった為、デス・ファイルを忘れてきた様だ。

 デス・ファイルが無ければ、誰に死の通知をすれば良いのか解らない。本当に困っている。暫く考えた末、何かを思い出した。


 「——そうだ、確か、小さい子供だった様な気がしたぞ?」


 何かを思いだした事で、デス・エンジェルは安堵した様だった。


「そうだ、小さい子供だ。子供はどこだ?」


 やがて、デス・エンジェルは事故現場周辺を探し始めた。道の上では、祐子が気を失って倒れている。崖の下では、サチコが車の下敷きになっていて虫の息だ。


 いた、いた、この子だな? 勝手にサチコをターゲットにしてしまった。


 サチコの側に寄り、自分の銀の翼の羽根を一本抜くと、サチコの頭の上に置いた。


 するとサチコの魂は、すうっと体から離れてしまった。しかしまだ、体と魂は繋がっている。体と魂とが一本の糸の様な線で繋がっている様だ。いわゆる霊糸線というやつだ。この霊糸線が切れると人は死んでしまう。魂が体から離れてしまうのだ。


 この銀の羽根は魂と体をつなぐ霊糸線を切る時限爆弾のようなものらしい。

 本来なら、背中の銀の翼に隠し持っている大鎌で、霊糸線を断ち切るのだが、今回は即決出来ない為に銀の羽根を使うようだ。


「よし、一旦天界に帰って、デス・ファイルで確認しょう。もし間違っていたら、又戻って来て、羽根を抜いたらいいしね。さあ、次の仕事、仕事。今度はデス・ファイルを忘れない様にしよう」


 デス・エンジェルは満足気に一人言を呟くと、大急ぎで天上へと消えてしまった。






 本当はサチコではなくこの事故によって亡くなるのは、祐子のお腹にいる胎児なのだ。母親の祐子が腰を打った為流産してしまう予定だったのだ。


 何という曖昧な行動。これが天界人の行う行為なのか。思わず疑ってしまう。デス・ファイルを忘れただけでなく、自分の曖昧な記憶だけで勝手に人間の寿命を決めてしまった。しかも、確認した様子も無く戻って来る気配すら無い。


 サチコの魂と体を結ぶ霊糸線はジリジリと細くなり、やがて切れようとしていた。


 祐子が病院でサチコの手を握り話しかけている時に、霊糸線という魂と肉体を結ぶ糸のような物が切れてしまった。この糸が切れてしまうと、どうしようもない。たとえ、神様がいたとしてもこの霊糸線は繋ぐ事はできないだろう。糸の切れた凧の様に、サチコの魂は肉体である主を失った——。




 自分が自分を見下ろしている。サチコは病院で両親に看取られた後、部屋の天井から降りて祐子の側に寄った。


「あれっ? 何で、私がもう一人いるの? ママ——! 私ここに居るョ。ねぇ――――」


 もはや魂だけの存在となったサチコは、誰の目や耳にもとまらない。半透明の状態になってしまった。肉体を持っていないから母親に抱き付いても通り抜けてしまう。無視された存在感ゼロの世界。目の前にいるのに声は届かない、孤独という世界。


 父親や赤の他人であるが、村田夫婦の側に行っても同じ事だった。魂だけの存在であるが感情はある。誰も気づいてくれない……。サチコは泣き始めた。


「どうして、誰も気が付いてくれないの? わたしは、此処にいるのに——。ママーお願い、サチコを抱っこして——。パパーお願い——。私に気が付いて――――」


 泣けど叫べど、もはや誰の耳にも止まらないのが現実なのである。サチコは祐子共々、日が昇るまで母親の側ですがり泣き続けた。




 朝日が昇ると、自分の亡骸についてサチコの魂は両親と自宅へ帰った。自宅に帰っても誰もサチコの存在に気づいてくれない。


 そうだ、幼稚園に行けば誰かきっと気が付いてくれるかもしれない? そう思い、サチコは幼稚園へと行ってみる事にした。しかし、幼稚園に行ってみても結果は同じ事だった。先生や幼稚園児の仲間達も誰一人、サチコの存在に気づく者は居なかった。


 しかたなく、自宅へと戻ってきた。家では、通夜の準備で忙しくしている。もはや魂だけの存在となったサチコは、母親祐子の側にたたずんでいるしかなかった。あまりにも悲しすぎる自分自身の傍観者として……。




 やがて通夜が始まり、お寺の住職が来てお経が始まった。


 ふと外を見ると、見慣れた幼稚園児達が親に連れられて大勢いるのが見える。幼い彼ら達にも、サチコの死が解るのだろうか、みんな泣いている。


「そうか、やっぱり、私は死んだんだ……」


 自分の死を、こんな幼い子がどうして受け止める事ができよう。いや大人であっても自分の死については、なかなか受け入れる事は出来ない。


「これから、どうなるんだろう?」


  自分の遺影、亡骸、両親を交互に見ていると、もはや絶望の二文字しか考えられない。





 長く重苦しい夜が明け、葬儀が始まった。


 そしてサチコの亡骸は、悲しみの霊柩車のクラクションと共に火葬場と搬送された。依然として、サチコの魂は母親祐子の側にいる。


 焼却炉の前で躊躇ちゅうちょし、たたずむ父親翔太が見える。翔太がスィッチを押した瞬間、サチコの魂の頭上にひとすじの光が舞降りてきた。その光は目を開けられ無い程、まぶしく神々しく、はかないほどのまぶしさだった。

 そして暖かみのある不思議な光であった。そして、光の周りには四人ほど、生後一年ぐらいの赤ちゃんが、背中に真っ白な翼らしき物を付け飛んでいるのが見えた。いわゆる、天使と云われる人だ。


 そして天使達はサチコの魂の側に舞い降りると、サチコの両脇を支えた。


『さぁ、もう、お別れです。私たちと一緒に参りましょう』 


 天使からの言葉が、サチコの心に心地よく響く。


 もういいや——。そう思いながら天使に連れられ舞い上がる瞬間、ふと足下を見た。足下では、両親である翔太と祐子がサチコの決別を悔やんでいる。


「サチコ——」

「いや————」 


 この両親の叫びが、魂だけのサチコの心を引き裂いた。


「ママ——。パパ——。助けて――――。サチコ、何処にも行きたくない——」


 暴れ泣き狂うサチコを天使達はサチコをなだめながら、共に光の渦の中に舞い上がって行く。


 サチコの遙か眼下では、決別の儀式である荼毘だびが始まった。無念の死の情を抱き、遙か天上へとサチコの魂は旅立っていった……。





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