第12話 絶体絶命
サチコは眩しい日差しで目覚めた——。
巣穴の中ではないから、直に太陽の光を浴びてしまう。いつもより早い目覚めだ。
あれっ、ここはどこ? いつもと違う場所で目覚めたサチコは、一瞬戸惑った。
そうか、昨日はエリーと————。
サチコは我に返りエリーを探した。エリーの亡骸が無い。確かエリーは、亡くなったはず? サチコはアベリアの木の下に居るかもしれないと思い、エリーを探したが居なかった。
「エリーお姉ちゃん————」
台所の窓を通って家の中をみた。庭に出て枯れた花の周りを探した。
何処にも居ない——。
もしや、元気になって、巣へ戻ったんじゃぁ? そう思い、サチコは巣へ戻る事にした。
巣に戻ってみれば、エリーが居て昨日の事は夢だったと思える様な気がした。
朝日を背にして西の巣を目指した。
巣に戻って見ると、仲間はまだ休んでいた。無理も無い。連日異なった作業をしたから疲れているのだ。
サチコは仲間達を起さない様にエリーを探した。いつも自分達が休んでいる場所に行ってみる。しかし、エリーの姿はそこに無かった——。
昨晩アベリアの花の中で眠っている時、夜風が何度も吹いていた。サチコは無意識の内、飛ばされまいと花にしがみついていたがエリーの方は、どうやら夜風に飛ばされたのだろう。
「エリー……」
サチコは現実を再認識させられた。エリーは亡くなってしまったのだ。再度襲って来る喪失感に我慢が出来なくなる。たまらなくなったサチコは仲間達を起こさない様に、奥へと走りだした。奥はあのネズミを封印した場所だ。以前は蜜の貯蔵庫で、初めて此処をエリーと訪れた時、ローヤルゼリーの事で感動して泣いた思い出の場所。
今はネズミの横たわった姿が何かの慰霊碑の様にも見える。
サチコはエリーの事を思い出して更に泣いた。我慢しようとしても、溢れ出る涙は止まらない。
「ウッ……。エリーおねぇちゃん————」
「サチ様……」
肩を落とし落胆して泣いているサチコに声を掛ける者がいた。
「エリー?」
思わず期待して振り返ると、そこには違うハチが心配そうにたたずんでいた。
違う、エリーじゃ無い。だれ?……。
「だれ?——」
涙に濡れ、グシャグシャになった顔を拭きながら、そのハチに聞いた。
「私は、サチ様に名を授けられた、ミルと申します。大切な側近のエリー様を亡くした気持ちは、痛いほど解ります。でも、どうか、元気を出してください……」
エリーを亡くして、初めて優しい言葉を掛けられた。サチコは思わず、ミルを抱きしめ大声で泣いた。
「ごめんミル、少しだけでいいの——。少しだけ泣かせて、ううっ、エリー……」
サチコの泣き声は巣穴に木霊した。その声は眠っていた仲間達を起こし、みんなを呼び寄せてしまった。
「「サチ様——」」
「「サチ様——」」
名前を呼ばれる声で泣いている目を開けると、そこには大勢の仲間達が心配そうに立っていた。
仲間の死は悲しいが、こんなに思って泣いて悲しんでくれるなんて……。と、そこに立っているみんなは思った。
この方は違う。私達に安らぎと希望をもたらしてくれる。この方に付いて行けば間違い無い。とみんなはそう思った。
名前を呼ばれた事で、サチコは我にかえった。こんな醜態をみんなの前でさらしてはいけない。以前のエリーも同じ事を言っていたではないか。
サチコはミルから離れると、顔を拭きながら仲間達に言った。
「ごめんなさい、こんな所を見せちゃって——」
「いいえ、サチ様。大切な側近を亡くされたので、仕方が無いと思います。私達には、あのエリー様の替わりは出来ないかも知れませんが、どうか元気を出して下さい……」
何という有り難い言葉だろう。サチコはそう言ってくれた相手を見た。
ケリーだ。サチコと一緒にプロポリスとミツロウで、ネズミを封印した仲間だ。よく見れば、エルやマリやメルも揃っている。みんな仲間である前に家族なのだ。サチコは嬉しくて、胸がいっぱいになった。
「みんな、ありがとう——。又今日も頑張りましょう——」
サチコの声で、仲間達はホッとしたようだった。仲間のハチ達は、一斉に外に出た。
「アッ、ケリー、ちょっと待って」
サチコに呼び止められたケリーは、足を止めサチコの側に来た。
「なんでしょう?」
「もうネズミにミツロウは塗り終えたの?」
「はい、昨日遅くまで掛かりましたが、無事終わりました」
仕事の達成感で、ケリーは気持良く答えた。
「そう、ご苦労様でした。次の仕事が有るんだけど、いい? 蜜の貯蔵庫がもう使えないんで、新しい蜜の貯蔵庫を造ってほしいの」
「あの、何処に作れば……?」
「私について来て——」
サチコはケリーにそう告げると、巣穴の入り口に来た。そして真上を見上げると、天井に穴が開いていた。その穴目掛けて飛び上がり穴の中を通っていった。すぐ狭い穴から目の前が開けた。そこは広いクボミが三つあった。
「どう? ここを新しい蜜の貯蔵庫にしましょう。ちょうどクボミが三つに分かれているから蜜とローヤルゼリーと、花粉ダンゴを分けて置いたらどうかな? と思って」
なんと、先を読む力が有るんだろう。ケリーはそう思った。先程までに、エリーの事で嘆き悲しんでいたのに。この方について行けば間違いは無い。と更に思った。
「はい、早速取り掛かります」
ケリーはサチコに一礼すると、仲間達を集め早速新しい蜜の貯蔵庫にミツロウを塗りに掛かった。
「もうこれで安心ネ……」
そう思いながらサチコは、自分の仕事をする事にした。二日間、巣の事で自分の仕事が出来なかったからだ……。
まだ五十三日あるが、大丈夫だろうか。エリーを失った事は悲しいが、自分の再生の事もある。いや、自分の再生だけでなく母親の事を想うと頑張らないとならない。
間に合うだろうか? そう思いながら、ふらふらと巣から外に出た。
いつも通り、カボチャ畑で朝食を取ろうと思い、花へ止まろうとした。その時、サチコへ何者かが、体当たりをして来た。
「サチ様、危ない——」
サチコが前を見ると、クモの巣があった。体当たりをして来た者は、その衝撃で自らクモの巣へ掛かってしまった。
まだエリーを失ったショックで、目の前のクモの巣に気が付かなかったのだろう。犠牲となった者は名前を呼んだ為、仲間の誰かだろう。絡みつくクモの巣で暴れている。
「キャァー……」
自分の代わりに犠牲となった者をこのまま放っておけない。サチコは慌てて、クモの巣に掛かった仲間の側へ行った。
「ゴメンナサイ、私の代わりに——。どうすれば、どうすれば良いの?——」
もうすぐクモが巣に掛かった振動で気が付きやってくる。
早く何とかしなければ——。気は焦るが、どうして良いか解らない。以前、助けたカミキリ虫でさえ、中々あのクモの糸は断ち切れなかったのだ。
サチコは地面へ急降下し、枯れ枝を取ってクモの巣へと帰って来た。その枯れ枝で、クモの糸を切ろうと頑張ってみた。しかし切れるどころか、枯れ枝がクモの糸に引っ付いて絡まってしまうだけだ。
やがて、クモは網に掛かった獲物を捕らえようと静かにやって来た。
「なんだミツバチか? まあいいや、ここの所メシを食ってなかったから、なんだっていいや。今すぐ楽にしてやるぞ。ヒヒヒッ……」
「サチ様、どうか逃げて下さい。このまま此処にいれば、アナタも捕まってしまいます。私の事は気にしないで下さい——」
犠牲となったハチは、そうは言っているが悲しくてたまらない。涙を流している。生きたまま食べられるのは、誰だってイヤなものだ。人生が終わってしまう。
クモは獲物の直前まで来ると、獲物にお尻を向けた。新しい糸を掛けて、獲物の自由を更に奪おうという気なのだ。
こうなったら仕方無い。最後の手段を使おう。サチコはそう思った。
最後の手段とは、以前エリーが教えてくれた毒針の事だ。しかしミツバチの毒針の先は、釣り針の様に抜けない為のカエリがある。この毒針を打ち込むと針は抜けないのだ。無理に抜こうとしたら、お尻の先が切れて破れてしまう。つまりこの毒針を打つのは、自分の死を覚悟した時しかないのだ。
自分を助けてくれた者を、どうして見過ごす事ができるだろう。母親の為に、自分の為に、神官がくれたチャンスなど忘れていた。
ええぃ——!
自らに気合を入れて、クモに向かってサチコは飛んでいった。
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追記:蜘蛛
・実は蜘蛛は昆虫では有りません。クモ類は、節足動物、クモ形綱に属す動物の総称で、クモやカブトガニなどは、鋏角類に分類されるそうです。
・家の中で見かけるクモは、大きいのでアシダカグモ。小さいものでアダソンハエトリ。というピョンピョン跳ねるクモがいます。
・外で見かける蜘蛛は、多くの虫の飛行経路に上手く合わせて巣を張っています。大型の黄色と黒のコガネグモは、稀に巣に掛かったスズメバチを捕食しているそうです。スズメバチの驚異的なスピードなら蜘蛛の巣も破れそうですが、運のないスズメバチは捕まってしまいます。
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