第11話 別れ
サチコの的確な指示によって、仲間達に活気が戻ったようだ。指示された四つのグループはすぐさま行動を開始した。
「じゃあ、ケリーとみんな、プロポリスの作り方を教えるから、良く聞いてね」
サチコは、エリーから聞いたプロポリスの造り方をみんなに説明した。花のつぼみや、柔らかい若木をアゴでカジリ取ると、そこから樹液が出てくる。その樹液を吸って、体の中で蜜と唾液の酵素と混ぜ、発酵するとプロポリスの出来上がり。という訳だ。このプロポリス、殺菌作用が有り今回のケースの様にネズミの腐敗を防ぐ作用が有る。
「さあ、行くわよ——」
「「オオッ——!」」
サチコはエリーをそっと座らすと、自ら仲間を引き連れて出かけた。
まずは花の蜜を吸う。次に花のつぼみを噛んでみた。
ウウッ、苦い——。蜜の甘さに反比例するかの様に、苦く感じてしまう。しかし此処で止める訳にはいかない。周りの仲間を見てみると、頑張っている。互いが意識して頑張っている。これも自分の為、仲間の為。女王や、これから生まれてくる幼虫の為だ。そう思えば、自然と力が沸いてくる。
蜜と花の樹液で、お腹がいっぱいになったら巣へと戻ってくる。次の仕事が待っているのだ。サチコも一旦巣へ戻り、エリーの事を気遣いながら奥のネズミの死骸がある場所を目指した。途中、ミルの指示で自分の羽を羽ばたかせて換気をしている者達に出会った。換気のおかげで臭いもかなり薄れている。
サチコはネズミの死骸がある場所へ着いた。もうすでに仲間達がいて、プロポリスをネズミの死骸に塗っている。サチコも空いている場所を見つけプロポリスを塗る事にした。あらためてネズミを見ると大きく感じる。それに少し気持悪い。サチコは躊躇しながら、自分の口から少しずつプロポリスを出し、ネズミに塗っていった。
入れ替わり立ち代り、仲間達が来てネズミにプロポリスをどんどん塗っていく。
夕日が落ちる頃には、ほぼネズミの体全体に、プロポリスを塗り終えていた。
ふう~、これで一安心だ。明日はミツロウを塗って封印の完成だ。
サチコは作業終了の合図を出して、仲間達に仕事の終わりを告げた。
エリーの元へ帰る途中、仲間達にねぎらいの言葉を掛けて回った。仲間達も喜んでいる。これで、この臭いも収まってくれる。この住み慣れた巣を捨てなくてもいいからだ。
エリーの元に着いたサチコは、エリーに声を掛けた。
「エリーお姉ちゃん、体は大丈夫? お姉ちゃんのおかげで、臭いもあまりしなくなったよ。お姉ちゃん、ありがとう」
エリーはサチコの方に向かって微笑んでいる。
「本当に今日のサチ様は、ご立派でした。見ていて胸がいっぱいになりました」
「いやだ、お姉ちゃん。お姉ちゃんに言われた事をやっただけだよ。又、明日も頑張るからね」
「はい——」
その夜、サチコはエリーに抱きついて眠った。このミツバチの世界に来てから毎日が疲れ果ててしまう。しかしそれでいて、働き甲斐を感じているから不思議だ。
遠くで、フクロウの鳴き声が聞こえる。ホーホーと、まるでオヤスミと言っているかの様に——。
サチコ 六日目終了
◇ ◆ ◇
「サチ様、朝ですよ——」
サチコは体をゆすられて起された。見ると、エリーが側にいた。
「エリーお姉ちゃん、元気になったの?」
サチコの問いにエリーは微笑んでいる。
「はい、今日から又頑張ります」
「うん、無理しなくてもいいよ」
「ありがとうございます。ほら、みんなが待っていますよ」
エリーに促されて回りを見ると、仲間達は整列してサチコの指示を待っていた。
「「サチ様、今日はどの様な事を?」」
「みんなー昨日は有難う。本当にご苦労さまでした。プロポリスも無事に塗り終わり、今日はミツロウを塗りましょう。昨日同様、各自の仕事を頑張って下さい。ケリーのグループは、今日はミツロウだからね。今日は、苦くないよ」
サチコの感謝の言葉に皆は歓喜した。今までこんな言葉を掛けてもらったことなどないからだ。最後の言葉には何処かユーモアが有り、少しドヨメキすらあったようだ。
「さあ行くよ、みんなー今日も頑張ろうねー」
「「オオッー」」
サチコはリーダーの器が十分なようだ。サチコの掛け声で、みんなが一斉に動き出した。エリーもサチコの後に続く。
サチコとエリーは共に、カボチャ畑で朝食を取った。お腹いっぱいになると巣へ戻り、
もういい頃だろう。サチコのお腹から、体液が出てきた。サチコは大急ぎで巣穴に入ると、プロポリスで固めたネズミの側に来た。仲間達はもうすでに来て作業を行っている。空いた場所を見つけサチコはミツロウを
面白い——。サチコはそう思った。昨日のプロポリスは苦かったが、ミツロウは甘く、粘土の様に柔らかい。何度も何度も外と巣穴を往復し、ミツロウ塗りに夢中になった。
夕方近くにはミツロウの作業も、もう少しで終わろうとしていた。
サチコはふと、我に返った。エリーの姿が無い。今朝は元気そうにしていたが、昨日は一日休んでいたのだ。
サチコはケリーに後の事を任すと、エリーを探しまわった。
エリーお姉ちゃん、どこ? 巣穴の中を見て回ったが何処にも居ない。仲間に聞くと、巣穴の入り口の
サチコは外に出てみた。居た——。確かに楠の下の方に張付いている。
サチコはそっとエリーに声を掛けた。
「エリーお姉ちゃん、大丈夫?」
「…………」
返事が無い。どうやら意識が無いようだ。サチコ慌ててエリーを背中から抱き寄せると巣穴へと飛んだ。
巣に入るとエリーは意識を取り戻した。
「あぁ、サチ様。わたしは?……」
「お姉ちゃん、大丈夫? 楠に張付いていたんだよ」
エリーの顔に精気が無い。それでもエリーは頑張って話そうとしている。
「あぁ……サチ様。私から最後のお願いがあります。どうか……あのコップが有る場所へ連れて行ってもらえませんか?」
「お姉ちゃん、元気になってからにしよう?」
「いいえ、わたしには……もう時間が無いのです。どうか最後にもう一度見ておきたいのです」
エリーの命が終わろうとしている。それぐらいの事はサチコにでも解る。本来なら、働けなくなった者は背中を抱かれ、外に運び出されてしまう。
サチコも以前それを見て、勘違いをして笑ってしまった。
これから悲しい儀式が始まってしまう。エリーも、それを覚悟しているのだ。自然界に生きるミツバチの世界では、厳しいが故に当たり前な儀式。
エリーもサチコに遠まわしに、捨てに連れて行ってくれと頼んでいる。サチコもそれが解っているからこそ出来ないのだ。
「いやだー、お姉ちゃん——」
サチコは堪らず泣き出してしまった。誰が姉として慕っている者を捨てに行く事が出来るだろう。
その様子を、マリが見ていた。
「サチ様、サチ様が出来ないので有れば、私が代わって……」
申し訳なさそうに、マリがサチコに声を掛けた。
「いい……。私が、エリーを……おねえちゃんを……」
マリの言葉で、サチコは決断した。
どうせなら、私が……。エリーにしてやれる最後の仕事だ。そう思いながらサチコはエリーに言った。
「エリーおねえちゃん……じゃあ、いくよ」
サチコは泣きながら、エリーの背中を抱いて外に飛び出した。
茜色に染まった夕焼けを背に、悲しい儀式が始まった。
飛び方を教えてくれたエリー。蜜の取り方や、花粉団子の作り方、巣のさまざまな仕事を教えてくれたエリー。一緒にコップへ蜜を溜めてくれたエリー。スムシの件や、ネズミの件で、プロポリスやミツロウを使う助言をしてくれたエリー。優しいエリー。色んな形でサチコを助けたエリー。
エリーと出会った日は浅いが故に、絆はそれ以上に深かった。
サチコは泣きながらエリーを抱いて飛んでいる。目指すのは生前の実家。
やっとの事で、実家に着いた。サチコはエリーを抱いて台所へと行ってみた。しかし、いつもなら開いている窓が閉まっている。
どうして? という残念な思いで庭に出た。
花の上で休もう。と思って花を見ると、あれだけ咲き誇っていた花達は無残にも枯れてしまっていた。
仕方が無い、花に水をやる者が居ないのだ。母親の裕子は入院しているらしい。
父親の翔太は、家と会社と病院の往復で庭には無関心だ。
サチコは仕方なく辺りを見た。庭の生垣に花が咲いている。アベリアだ。スイカズラ科の植物でいつもこの時期に花を咲かせている。
サチコはエリーを抱いてそのアベリアの花に飛んで行き、葉の上で休む事にした。
庭の生垣の上からは、西の空がよく見えた。茜色に染まった、どこか悲しく、懐かしい空。ちょうど、巣の方向にある。
「エリーお姉ちゃん——。コップは見えなかったけど、巣の方向の空が、とっても綺麗だよ。ほら……」
サチコはエリーを抱き寄せて、西の空を見ている。
「サチ様……。今まで、ありがとうございました——。わたしは幸せ者でした。どうか、最後までがんばってあのコップへ蜜を満たして下さい——」
エリーは最後の言葉をサチコに告げると、体から力が抜けた様に息が切れてしまった。
「エリーお姉ちゃん————」
エリーはサチコに抱かれながら
サチコはエリーを抱きしめたまま泣いた。後から後から止めどなく頬を伝う涙はアベリアの花へと落ちていく。優しく、いつも微笑んでいたエリーは、もういない。一番の理解者を失ってしまった。
西の空から、夕闇が覆ってきた。赤色から黒い闇へと変わっていく。
数分の後、辺りはすっかり闇で暗くなった。
サチコは、エリーを失った喪失感で呆然としている。巣へ帰ろうとしても闇で方向が解らない。仕方なく、アベリアの花の中で夜を明かす事にした。
亡くなったエリーの亡骸を抱いて、エリーの事を思い出しながら、泣きながら眠った。
夜中、幾度となく風が吹いた。
近くでは、コオロギか鈴虫の様な音色が悲しく響いていた——。
サチコ 七日目終了
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補足:ミツロウ
・ミツロウは主に巣を作ります。腹部の辺りの四対八ツの分泌腺からロウが作られています。分泌された時は液体ですが直ぐに固まりロウ片と呼ばれる鱗状に変化します。それを嚙み砕いて、大顎線の分泌液と混ぜ、粘度を自分好みで調節して巣を作っていきます。まるで職人ですね。
・ミツロウは私達の生活の中で様々な物に加工され使用されています。
(化粧品・ろうそく・家具のつや出し・食品素材・クレヨン・等々)驚きです。
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