第10話 招かざる客、再び。


 今夜はやけに外が騒がしい。ホーホーとフクロウが鳴いている。


 フクロウといえば夜行性の鳥だ。闇に紛れて獲物を狙っているのだろう。バサバサと羽ばたく音が、サチコ達のいる枯れた楠の巣の上から聞こえる。


 又すぐに、バサバサと羽ばたく音が聞こえた。もう一匹別のフクロウが来たのだろうか、羽ばたきと鳥同士の悲鳴の様な声がする。おおかた、エサの取り合いにでもなったのだろう。樹の上で激しく争っている様だ。



 トン——。


 騒ぎの中、サチコ達の巣への入り口の樹の幹が枝別れしている場所へ、何かが落ちてきた。

 その落ちて来た何かは、その難を逃れようと、サチコ達のいる巣へと進入して来た。巣にはサチコ達ミツバチが約一万匹いる。その侵入者は、ミツバチ達を踏みつけ、更に奥へ奥へと入っていった。


 一方、ミツバチ達は深夜の事で何が起こったのか解らないでいた。パニックになりながらも、侵入者が敵だと直感したミツバチ達は総攻撃を仕掛けた。数分間格闘した後、フクロウによってケガをした侵入者は、ギャーと云う断末魔の悲鳴を残し倒された。

 

 外では獲物を逃したフクロウが、 ホーホーとさみしく鳴いている。明け方には未だ遠い深夜の出来事だった。




 重苦しい朝が来た。太陽の光によって、巣の中がホンノリと照らされる。


 昨夜の侵入者の正体とは? 巣の奥で横たわっている者を見てミツバチ達は息を飲んだ。

 ネズミだ。正確に言えば野ネズミの子供だ。恐らく昨夜遅く野ネズミの一家でエサを散策している内、フクロウに襲われたのだ。親ネズミは危険を察知し難を逃れたが、子ネズミの方は残念ながらフクロウに捕まったのだろう。


 別のフクロウによって逃れる事は出来たが、捕まった時の致命傷とミツバチ達の攻撃に命を落としたのだろう。ネズミの死骸の周りには残念ながら、仲間のハチ達の死骸も散乱している。その数、百匹といった所だろう。勇気を持って果敢に戦い、死んで行った仲間の亡骸をミツバチ達は悲しみながら片づけていった。


 おおかた片づいた時、一匹のハチがサチコの所へ血相を変えてやってきた。


「サチ様、大変です——。あのネズミのせいで、蜜の貯蔵庫には行けません」

「エエッー、そんなー取りあえずみんなを集めて——」


 リーダーとなったサチコは伝令に指示を出して、あらためて蜜の貯蔵庫へと行ってみた。

 デカイ! 目の前にすると、やはり大きく感じる。ネズミの死骸が蜜の貯蔵庫へと続く通路を塞いでいる。まるで隙間が見えない。ネズミは難を逃れようと奥へ奥へと向かったのだろう。


 どうやればこんな大きなものを、運び出せられるのだろうか? サチコは考えていた。やがて次々と仲間達がやって来た。他の仲間も驚いている。


「みんなーこのネズミを外に出すのよ。掴める場所があれば、どこでも掴んで、外に出すのよ。いい?——。行くわよーそれ——!」


 サチコの合図で、ネズミの死骸はミツバチの山となった。しかし、所詮はハチだ。外の広い所なら、まだ可能性も有るかも知れないが、此処は狭い巣穴だ。ネズミの身体全体を掴む事は出来ない。側面しか掴めないから力が入らない。何度頑張っても、ネズミは微動だにしない。


 仕方がない——。そう思いサチコは諦めた。エリーや、自分の使命も気に掛かる。


 伝令に、『もうこの場所は使えない』という事を告げてエリーの所へ戻ってみた。エリーは横たわったままだ。元気が無い。


「エリーお姉ちゃん、具合はどう? 外から蜜でも取ってこようか?」


 サチコはしゃがみ込んで、エリーを気遣っている。エリーはゆっくりと起き上がりサチコを見た。


「大丈夫ですよ、少しの間だけ横になっていればすぐ元気になります」


 無理をしているのが良く解る。だから、尚更サチコは辛いのだ。


「じゃあ、エリーは今日はゆっくり休んでいて。時々診に帰るから……」


 サチコはエリーにそう告げると、側で仕事をしている者を呼んだ。


「あの、お願いが有るのだけど。エリーの具合が悪いので、今日は私の代わりに診ていてほしいの……」


 サチコに頼まれた者は喜んだ。


「私のような者がその様な事をしてもよろしいのですか?」

「ええ、お願い……」

「解りました」


 エリーの事が気がかりだが、サチコは自分の仕事をする事にした。なにせ時間が無い。あとでタイムリミットだ。自身の寿命が尽きてしまう。

 

 恒例の掛け声を掛けると、仲間達と一緒に外に出た。いつもどおりにカボチャ畑に行き、実家を往復する。


 しかし今日は集中出来ない。エリーの事が気がかりで仕方がないのだ。



 サチコはカボチャの蜜が出なくなったのを期に、一旦巣へ戻る事にした。

 

 巣のある楠の周りでは、相変わらず仲間達はミツバチダンスを踊っている。

 その横を通りながらエリーの元へと急いだ。樹の穴を通り奥の巣へと駆け込む。


 サチコはエリーの姿を見て、一安心した。ああ、良かった。そんな思いが頭をよぎる。サチコは、エリーに自分が採ってきたカボチャの蜜を与えた。


「ありがとうございます……」


 エリーはそう呟いた。側でエリーの看護をしている者がサチコに言った。


「あの~何か臭う様な気がするんですが?……」


 確かに外から巣へ戻った時、何か悪臭が微かにした様だった。エリーの無事を確認すると、落ち着いたのか臭いが気になってきた。



 そこに奥から、一匹の仲間がサチコを目掛けてやって来た。


「大変です。奥の貯蔵庫の所で死んでいるネズミから物凄い臭いが——。早く来て下さい」

「分ったわ——」


 伝令の後に付いて貯蔵庫を目指した。貯蔵庫に近づいて行くと臭いが段々強くなってくる。サチコ達はやがてネズミの死骸の前に来た。多くの仲間達が居て騒いでいる。


 臭い。臭くて堪らない。ネズミの腐敗が始まったのだ。当然と言えば当然。今は夏なのだ。


 人間界でも食べ残した物をそのまま放置していれば、傷んでしまう。冷蔵庫に入れていても、傷んでしまう時さえある。ここは、ミツバチの巣穴だ。特に蜜の貯蔵庫は奥深く有り、空気の流れが悪い。ネズミの腐敗は進みやすく、悪臭は溜まっている。


 仲間達は混乱している。元々、花の蜜を集めるので嗅覚が良いのだ。こんな悪臭のある所では住めない。


 サチコが様子を見に来た事に気付いたハチがいた。すぐさまサチコの側に駆け寄った。


「サチ様、どうしましょう? このままでは、私達は此処に住めません。何かお知恵を——」

「…………」


 サチコは言葉が出なかった。朝、ネズミの死骸を外に運び出そうと試みたが微動だにしなかったのだ。


 どうすれば……。どうすれば、いいの? これから更に腐敗と悪臭が進んでいくのに……。サチコは考えた。しかし考えても良い案は出てこない。



「サチ様——」


 そんなサチコに声を掛ける者がいた。サチコが声の方に振り返ると、そこには看護の者に付き添われて立っているエリーの姿があった。エリーも心配だったのだろう。巣よりもサチコの事が——。


「エリー、こんな所まで大丈夫?」


 エリーの元へ駆け寄った。本当ならお姉ちゃんと言いたかったが、此処はみんながいるので、それは出来ない。


 サチコがエリーの側に行くと、エリーはサチコの耳元で何かを呟いた。エリーには何か秘策があった。それをサチコに伝えたかったのである。しかし、仲間達が騒いで聞き取れない。サチコは少し苛立ってきた。


「ちょっと、みんな騒がないで——。何か考えるから。みんなは此処から出て、樹の入り口に集まっていて。後ですぐいくから」


 仲間達を一括すると、みんなは外に向かって歩き出した。これで少しは静かになった。サチコはエリーの肩を抱き、話ながら外に向かって歩き出した。巣穴の中には、ほとんど残っている者は居なかった。女王とその側近ぐらいだろう。まあ良い、女王の部屋には扉がある。あれで臭いも少しは防げるだろう。サチコはそう思いながらエリーと共に、仲間達が待つ外に出た。


 エリーの肩を抱きながら、サチコは巣穴の入り口の樹の穴に立った。外では仲間達が待っていた。その数、凡そ一万匹だ。辺りがハチで雲の様に黒くなっている。サチコの姿を見つけると、歓声が上がった。


「サチ様——。これから、どうするのですか? 私達は、この巣を捨てるのですか?」


 サチコに向かって、質問が飛び交った。サチコは落ち着き払って、仲間達に聞こえる様に大声で言った。


「いいえ、この巣は捨てません。あのネズミは、外に出す事は残念ながら出来ません。だから、あのネズミは封印する事にします」


「「エエッ——。封印だって?」」


 どうすれば、封印出来るんだ? と言う疑問の声が一斉に沸き起こる。


「いいですか、良く聞いて下さい。あのネズミを封印するのには、みんなの力が必要です。これからみんなに、 プロポリスを造ってもらいます。そのプロポリスを、あのネズミ全体に塗っていきます。更に、その上にミツロウで固めると封印の出来上がりです。解りましたか?——」

「そのプロポリスで、本当に腐食が止まるんですか?」

「じゃあ、あなた方は、住み慣れたこの巣を捨てて、又、一から巣作りをしたいと言うのですか? 私を信じて下さい——」


 サチコは必死になって仲間達を説得している。暫くの沈黙の後、一匹のハチが前に出て叫んだ。


「私は、サチ様を信じます!」


 見ると、スムシの卵でサチコと言い争ったあのハチだ。一匹の賛成の声が上がると、それにつられて、次第に声が上がって来た。


「私も——」

「私も——」


 みんなわらにも縋る思いなのだろう。住み慣れたこの巣を捨てたく無いという思いでいっぱいなのだ。移動するにも、行先のあてが無い。残された幼虫の事を考えると無理だ。何より、女王蜂の支度が出来ていない。新女王の準備も未だなのだ。

無理をすれば、多くの犠牲しか生まれない。


「じゃあ、それぞれの係りを五つに分けます。各係りのリーダーは——」


 サチコは喋りながら人選をした。勿論、サチコの案に賛成をしてくれた者を五匹選んだ。


「じゃあ、アナタに、アナタと——。ええい、名前が無いと解んない。いいわ、私が名前を付けてあげる」


 サチコに選ばれた五匹の名前は、エル、メル、マリ、ミル、ケリーと名付けられた。


「いい、アナタ達で、みんなを十のグループに分けてちょうだい」


「「はい」」


 サチコの指示で名前を付けられた五匹のハチは、すばやく仲間達一万匹を十のグループに分けた。


「ありがとう。じゃあエル、アナタは今まで通り一つのグループを連れて蜜の収穫に行って来て。後、蜜の貯蔵庫は行けないから、今日は行かなくていいわよ。

 マリは、一つのグループを連れて、蜜の運搬と幼虫の世話係りをやって。

 メルは、一つのグループを連れて、巣の拡張係りをして。

 ミルは、一つのグループを連れて巣穴全体に風を起こして、空気の換気をやって。

 最後にケリーは、残った六グループを連れて、私と一緒にプロポリスを造りに行きましょう。いい、解った? じゃあ、ケリー以外は早速動いて」


「「はい、解りました」」


 サチコの的確な指示によって、仲間達に活気がもどったようだ。指示された四つのグループはすぐさま行動を開始した。









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補足:プロポリス


・植物の樹脂の新芽と自らの酵素成分を含む唾液を混ぜ合わせて作った固形の物質。

ウイルスやバクテリアなどの進入や、腐敗を防ぐ抗菌作用を持っています。

つまり、活性酸素の酸化作用を予防する効果があるそうです。更に、プロポリスには、フラボノイドをはじめ、各種ビタミン・ミネラルなどが含まれています。飲用すれば健康維持に役立つ事が知られていますので、天然のバリアとも呼ばれています。

・プロポリス(Propolis)とはギリシャ語で「敵の進入を防ぐ城壁」という意味です。

 

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