第16話 ゴールは……。


 朝が来た——。サチコは体を揺すられて目覚めた。


「サチ様、朝ですょ」


 エリーの替わりの付き人となったユリがサチコを優しく起こした。ゆっくりと起き上がると、巣穴へ差し込む光が眩しく感じる。


「あっ、雨止んだの?」

「はい、やっと止んだ様ですね」


 サチコは外が見える場所へ行って外を見た。確かに雨は止んでいた。昨日女王蜂が言ったとおり、雨は止んでいた。台風一過。空は穏やかに晴れ渡り、昨日までの暴風雨が嘘のようだった。


 仲間達も外が晴れたので、活気が戻ってきたようだ。サチコの周りに集まってきた。


「サチ様、伝令に聞きました。なぜもっと早く私達に手伝わせてはくれなかったのですか?」


 女王バチの伝令が巣穴の中に伝わったようだ。仲間のハチが次々とサチコに疑問を問いかけた。


「だって、みんな自分の仕事、巣の貢献があるから言えなくって……」

「もう、本当に水くさいです。女王様の伝令が無くても、私達はサチ様に頼まれたら、この巣の仕事を休んででもやりますのに……。ねぇ、みんなもそうでしょ?」


「「そうだ、そうだ―─! 水くさいですよ」」


 仲間達は暖かくサチコを責めた。何という有り難い言葉だろう。サチコは嬉しくなった。こんな自分の為に大勢の仲間達が、自分の仕事を休んでまで協力してくれるなんて。胸の奥がしんみりと暖かくなってくる。


「ありがとう、みんな……。本当にありがとう……」


 外から入る朝日を背中に、サチコはみんなに頭を下げた。


「サチ様、どうか頭を、お上げ下さい。それより早く仕事へ行きましょう」


 エルがそっと言葉を掛けた。


「そうね、じゃぁ今日の号令は、エルがやって?」

「えっ、私が……ですか?」

「ええ、お願い」

「分りました。みんなー今日は、サチ様の為に頑張るぞ——! 蜜を採って、採って、採りまくるぞ——!」


「「おおっ——」」


 楠の中の巣穴にミツバチ達の威勢の良い声が響き渡った。






 仲間達は一斉に外へ飛び出し、空中で待機している。


「サチ様、ご指示を」

「ありがとう——。じゃぁコップの場所を教えるから、みんな付いて来てー」


 そう言うとサチコは、みんなを引き連れて実家を目指した。


 ミツバチ一万匹。その数は大きな鳥が飛んでいるのか? と思う程黒く異様な光景だった。黒い塊が一斉に空を移動している。


 ふと飛んでいる時、サチコは背中の痛みが気になった。昨日雨の中、無謀な行為をして雨によって地面にたたき落とされた。その時、背中を強打したからだ。それでも我慢して飛ぶ事にした。これ以上甘える事など出来ない。



 飛んでいる時サチコは、違和感を感じた。いつもならこの辺りには、野草が咲いているはずなのに、見渡す限り、花など見えてこない……。


 なんで? どうしてお花が無いの? 疑問の声が体の中から沸き起こってくる。その答えはすぐに解った。


 一旦朝食を採る事にしたサチコは、みんなを連れて山のブドウ畑へ回り道をした。


 あそこなら、ビニールハウスだから、花はあるだろう。と思っていた。

 

 やがて、ブドウ畑についたサチコ達は驚いた。ビニールハウスは半壊状態だった。建物は倒れ掛かり、ビニールも破れて所々無く、ブドウの木もむき出しの状態だった。花は一応あるが、いつもの半分程度だった。連日この地区を襲った台風の爪痕は、無惨な姿を残していた。台風の暴風で野草の花びらも吹き飛ばされたのだ。後で分かった事だが、この台風は近年まれに見る勢いだったそうだ。

 

 蜜が採れるだろうか? と言う不安の中、花に降りてみた。花から透明な蜜が光っている。


 良かった——。安心し仲間達と一緒に朝食を軽く採った。




 実家のアベリアは、大丈夫だろうか? 一抹の不安を胸に、サチコ達は実家を目指した。

 

 実家が見えてきた時、生垣が白く見える。生垣の緑の葉に対して凄い違和感だ。

なんだ、どうした? そう思いながら、生垣に降りてみた。


 ビニールハウスのシートが、風に運ばれ此処まで飛んで来たようだ。そのシートはアベリアの花を守るかの様に生垣に乗っかっている。


 良かった——。花が残っていた。神様、ありがとうございます。

 サチコはそう思わずにはいられなかった。シートをくぐって花まで行くのは多少きついが、そんな事を言ってはいられない。台風の後で、花が有るだけで有り難いのだ。


 アベリアの花言葉は、「謙虚」。それともう一つ、「」も合わせ持っている。






 そして、サチコはみんなに台所にあるコップの場所を教えた。


 さあ、仕事の再開だ——。


 各々がアベリアの花までシートをくぐり、蜜を吸い取ってコップへと蜜を運んで行く。見ていると、シートが邪魔で作業性が悪く能率が低い。サチコはあるアイデアが閃いた。


「みんな——。シートの外から各花まで列を作って、バケツリレーをしましょう。その方が楽で、能率が上がると思うの。どうかな?」


「「おおっ——。さすがサチ様」」


 サチコの提案はすぐに受け入れられ仲間達はすぐさま行動した。今まで、サチコの考えに間違いは無かったし、実際バケツリレーの方が楽で、早く蜜を集められる。サチコと仲間達は蜜を集めるのに集中していた。



 そこへ、何者かがやって来た。瑠璃色の美しい姿をしたカミキリムシだ。


「もの凄い虫の固まりが、空を真っ黒にして飛んで行くのが見えたんで、もしや? と思って来てみたらアンタ達だったのか。ところで、何やってんだ?」


 サチコの知っているカミキリムシがやって来た。カミキリムシは不思議そうに、サチコへ聞いた。サチコは、事の顛末てんまつを話した。


「そうか——。俺に良い案があるぜ。チョット待ってな」


 そう言い残すと、カミキリムシは大きな羽根を広げ、何処かへ飛んで行ってしまった。


 暫くすると、カミキリムシは両手に何かを持って帰ってきた。


「笹を編んで、バケツにしたんだ。これに蜜を入れたら、俺が運んでやるぜ。その方が楽だろ? アンタ達が十回行くより、俺が一回で済むからな。どうだい、良い案だろ? でも周りはアンタ達の仲間だらけだから、邪魔にならなきゃいんだけどな。

 シートの外で待っていようか?」

「ありがとう。でもいいの?」

「別にかまわねえよ。アンタは俺の命の恩人だからな。さぁ始めようか?」


 ミツバチよりも数倍体の大きいカミキリムシが仲間になった。運搬専門だがこれで時間が大幅に短縮できるかも知れない。


 サチコ達は蜜を集める事に集中した。花から蜜を吸い、口うつしで蜜を次々へと運んで行く。カミキリムシの笹バケツに蜜を移して、カミキリムシがそれをコップへと運ぶ。延々と単調な作業が続いた。







 もうすぐ、夕方が来る。今日一日だけでコップの約九割九分は蜜で満たされた。


 流石、人海戦術恐るべし。このペースなら余裕で大丈夫だろう。まだ十一日もある。


 サチコは安心して、一旦みんなで休憩を取ることにした。


「ありがとう、みんな。今日はもう遅いから、これで終わりにしましょう。明日からは、私一人でも大丈夫だから。さあ、一休みして五回繰り返したら、お腹が蜜でいっぱいの方から巣へ帰りましょう」


 サチコのねぎらいの言葉と、仕事の達成感で仲間達は満足していた。


 暫く休憩した後、再び蜜のバケツリレーが始まった。最後の者は、自分のお腹に蜜を溜める。溜まった者から順に巣へと帰るのだ。


 茜色の空が広がっていく。もうすぐ夕日が落ちる。辺りを見ると、ほとんどの仲間の姿は無かった。カミキリムシだけが残っているようだ。


「ありがとう。今日は助かったわ」

「いいって事よ、じゃぁ俺も帰るからな。又な、無理すんなよ」


 サチコにお礼を言ってもらえたカミキリムシは、満足そうに帰っていった。自慢の青い羽根が、夕焼けの光に反射してとても綺麗に光っていた。


 サチコも蜜でお腹を満たし、誰も残っていない事を確認すると、巣へ戻ろうと飛び上がった。その瞬間、バランスを崩してアベリアの花の上に落ちた。


 うっ、痛い。背中が——。


 花の上で背中を見てみた。羽根の付け根がズキズキする。自分で羽根の付け根を触ってみた。すると何かが、静かに落ちていった。羽根だ。四枚有る内の小さい羽根が一枚落ちたのだ。飛ぶには飛べれるが方向が安定しない。ここから巣までは結構な距離がある。このまま飛んでいたら、途中で落ちてしまうかも知れない。


 これじゃあ巣へ帰れない——。


 諦めに似た感情が沸き起こる。仕方なくコップの所へ行く事にした。巣とコップの距離を比べるとコップは目の前だ。覚悟を決めて、ふらふら飛びながら何とかコップの所までたどり着いた。


 外は日が落ちて暗くなり始めた。早くから月が出て、辺りを優しく照らしていた。


 サチコは改めてままごと遊びで使っていた人形のコップを見た。生前はこのコップをよく使って遊んでいた。 

 おままごとに使っていた人形の、小さいと思っていたコップが、ミツバチとなった今は巨大に見える。


 外の月光が台所の窓へ入り、コップを照らしている。コップの蜜が揺れている様にみえる。バランスを取りながら、何とかコップの縁へと飛んでいってみた。


 もうほとんど蜜でいっぱいだ。改めて見るとコップから蜜が溢れ出しそうまで溜まっている。試しに、自分のお腹からコップへと蜜を移してみた。

 サチコの口から、最後の蜜のしずくがコップへ落ちた瞬間、コップの表面の蜜がキラキラ光った様にサチコは感じていた。


 ああ、これで全て終わった——。


 サチコは何故かそう感じた。その瞬間、サチコの全身から力が抜けていく。

 コップの縁から、後ろへ倒れるように下に落ちていった。コップの横へ静かに落ちた。そのままの姿勢でサチコはコップを見上げて何か呟いていた。


 ママ、私……。がんばったよ——。


 タイムリミットまでまだ十一日有るというのに、サチコの寿命は燃え尽き様としていた。度重なる過労に心労が、寿命を早めたのだろうか?




 サチコの体はその後、小さく二度羽根が動くと、二度と動こうとはしなかった。











                           サチコ 目終了

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