第4話 襲い掛かる……



「まんだ早ぇが、水路の掃除でもするかのぅ~?」


 今日は朝から天気が良い。田植え準備にはまだ早いが、田んぼの粗挽きは終えている。


 権蔵ごんぞうは何を思ったのか、溝掃除を始めだした。田舎の集落の溝掃除といえば、月日を決めてその集落の各世帯主が出て行うのが慣わしだ。第一みんなでやれば早く済むし、楽である。しかし、彼にはそんな定義は当てはまらない。思いついたらやる。高齢とはいかないが頑固者だ。しかも彼はこの地帯一帯の地主でもある。


 村田権蔵むらたごんぞう七十二歳。彼は夢野家族が住んでいる地区一帯の地主である。農業が趣味という変わり者であった。彼に言わせると、趣味というよりは田んぼが売れないから仕方なしに作っているようだ。こんなご時世、誰が好き好んで田んぼを買って米を作るだろうか。子供達もそんな苦労を嫌ってか、田舎を捨てて都会へと巣立ってしまった。


 そんな彼にもポリシーが有る。誰よりも早く、誰よりもたくさん収穫する。がモットーだ。 誰よりもたくさん収穫するって事は実際の所、無理だが誰よりも早くは、自他共に認める所だ。


 

                 

「どうせ〜誰にも迷惑はかけねぇ。わしゃ~する事は他に何にもねぇからなぁ」


 そんな思いを抱きながら、権蔵は鋤簾じょれんを一本担いで外に出た。くわとは違い、溝に溜まった小石や土やゴミなどをすくい上げるのに適している。


 水源地溜め池から一番遠い、田んぼまでの溝掃除は結構な距離である。しかしこれは強制やノルマでは無い。疲れたら止めれば良い。年寄りの暇つぶしである。権蔵はゆっくりと作業を始めた。


 しかし、幸いな事に作業を始めると思った以上にはかどった。溝には泥や小石等があまり落ちて無く、一日の作業時間にピッタリの内容だった。

 夕暮れにはおおかたのメドがつき、今日の仕事の充実感に満たされて権蔵は家路に着いた。


 帰宅後、今日の汗を流すべくすぐ風呂に入る。権蔵の妻八重子やえこは心えたものだ。仕事から帰ってくると、まだ日が浅くとも風呂へ入るのは長年の付き合いで解っている。帰ってきた時の顔色で、今日の機嫌と内容は知らずとも解る。夫婦とはそんなものだ。どうやら今日は機嫌が良いようだ。


 権蔵は風呂から上がると、夕食を八重子と共にとった。今日は疲れたが、思った以上に作業がはかどった。夕食の晩酌がついつい進む。権蔵には仕事後の晩酌が唯一の楽しみだ。八重子との会話も弾み、今日は気持ち良く床に着ける。


 しかし、権蔵は不意に思った。いんや、まだ水を流してねぇ。何処かで水の流れが悪くて詰まるかもしんねぇ?


 そんな思いが頭をよぎると、居ても立っても居られない。権蔵は立ち上がると懐中電灯を探し始めた。


「あれはどこに、置いたっけ? おっ~? あった、あった! ばあさん、ちょっくら出かけてくるべぇ」

「こんな時間に何処さ、行くだ?」


 どうせ止めても言う事を聞かないのは解っている。又始まった。一度言い出したら誰も止める事は出来ない。今年になってから権蔵の頑固さに、益々磨きが掛かってきたようだ。長年付き添っている八重子も半場あきれている。


 ホントにもぉ~あのじいさんったら……。ほおって置くしかないようだ。


「じいさん、転んでケガしない様になぁ」

「おう、大丈夫でぇじょうぶでぃ。すぐけぇってくるからなぁ~」


 権蔵は鼻歌混じりで出かけた。今晩は、あまり八重子に文句を言われなかったから気分が良い。鼻歌が次第に口からの歌へと替わり、ますます上機嫌で歩いていった。


 約二十分くらい歩いただろうか。やがて水源地溜め池へと着いた。水門をゆっくり開けると、水が勢いよく流れ出だす。

       

 こんな事、昼間にやって誰かに見られたら、なにこそ言われるか解んねぇからな。


 酒で酔っているとはいえ権蔵自身、自分が無茶をしているのを解っている様だ。

 しかし、一旦思いつくと行動しないと気が済まない。その事が気になって眠れないからだ。確認の為なので、水門を開けっぱなしには出来ない。三十分もあれば一番遠い田んぼに水が到達するだろう。


 権蔵はポケットからタバコを取り出し火を付けた。タバコを二度三度ふかしながらふと夜空を見上げる。満月が浮かんでいる。


 いい月だなぁ~と思いながら又、歌を口ずさみだした。




 もう、良い頃だろう……。


 時間はゆうに、三十分は過ぎている。権蔵は水門をゆっくり閉めた。後は水路に沿って歩き出すだけだ。来た道とは違う道だ。月の明かりと懐中電灯が足下を照らしている。


 目的地の一番遠い田んぼは、この地区で一つしかないスーパーの裏にある。酒に酔っておぼつかない足取りで、やっと目的地まで到達する事が出来た。


「うん、これで大丈夫でぇじょうぶだ」


 確認が出来た。これで今夜はゆっくり眠れそうだ。春先の夜は、酒に酔っているとはいえ肌寒い。

 帰って又、熱燗を一杯やるか。そう思いながら家路につく。古い屋敷の山田家の側を通り、坂をまっすぐ下ると家は右にある。権蔵は寒い外で一時間近くいる為、酔いは失せてしまった。穏やかな坂を下っていくと権蔵は前方の道に何かを見つけた。 


「何じゃ、ありゃ?——」


 田舎の道といっても農業用道路は結構広い。その道に人間らしき者が横たわっているから驚いた。権蔵は恐る恐る近づき、懐中電灯で照らして見た。


「うわぁ——! こりゃ、夢野さんとこの奥さんじゃあ、ねえか? なんで、こんな所で……大変じゃ。早う、救急車を呼ばねぇと————」


 権蔵は車にかれるといけないと思い、祐子をそっと道端に移すと自分のジャンバーを祐子に掛けた。


「待ってろよ、奥さん。今、救急車を呼んで来るけんな——」


 権蔵は一目散に自宅へと走った。







「ふぅふぅ、はぁはぁ~……。おーい、八重子。大変じゃ——! 早く救急車を呼んでくれ。それと警察もじゃ——」


 権蔵は年の割には一生懸命走った。当然息も切れる。家の玄関先に着くなり、持てる力いっぱいの大声でそう叫んだ。


 一方、家でくつろいでいる八重子には事態が飲み込めない。又酔っぱらって、トボケテいるのかと思っていた。

 しかし、どうやら今回は違う様だ。権蔵の顔色が真っ青だ。水を一杯汲んで権蔵に渡すと、震える手でコップを受け取り権蔵は一気に水を飲み干した。水を飲むと少し落ち着いた。


 事情を八重子に話すと、八重子もさらに驚いた。村田家と夢野家は道を隔てた所に有り、まるで親子の様な付き合いをしていたからだ。田んぼや畑で取れる野菜を権蔵は八重子にいって、祐子にあげていた。

 自分の子供達は都会へ行ってしまった。孫達もすっかり大きくなって、なかなか田舎へは帰ってこない。そんな寂しさの中でのサチコの存在は大きかった。


 おじいちゃんー、おばあちゃんー。と言ってくれて、よく遊びに来てくれていた。一番可愛い時期であったので孫の様に思っていた。祐子も幼い頃両親を亡くし、他に身よりが無かった為、村田夫婦の世話になる事で二人に愛情を感じていた。


 村田夫妻にとって大切な人が大変な事になっている。八重子は事の重要性を理解し、慌てて電話を掛けに行った。

 

「わしゃ、夢野さんの家に行ってくる。あそこの子供が家で、ひとりぼっちかも知れんけん……後は頼んだぞ」


 権蔵は八重子を残し再び外に出た。



「もしもし、きゅう…きゅう…救急車をお願いします。早くしてください……」


 電話をかけるが、動揺している為か、なかなかこちらの意志が伝わらない。やっとの事で、救急車の手配が終わった。次は警察だ。


「も、も、もしもし、警察ですか————」





 権蔵は夢野家の玄関の前にいた。家の中には灯りがついてない。一応呼び鈴を押してみるが、家の中からは反応は無い。人の気配も感じられない。

 ええぃ、まどろっこしい。権蔵は玄関のドアを叩きだした。


「ふぅふぅ、はぁはぁ……。おーい、おーいー誰かおらんのんか——? おーい、おらんのんか——?」


 家の中へ向かって叫ぶが、反応が無い。その時、権蔵はふと思った。


 奥さんだけでなく子供も一緒かも? そう考えた方があっているようだ。家の中からは、人の気配すら感じられない。権蔵は自分の家を目指して走りだした。


 自宅に着くと、八重子は警察に電話を掛けている最中だった。


 権蔵は靴を脱ぎ捨て部屋の奥に入り、毛布を二枚持ってきた。と同時に、八重子の受話器を置く音がした。


「はぁはぁ……八重子、もう一件電話じゃ。確か、夢野さんは芝松電器の営業部で働いとる。って言ってたから、そこに電話じゃー」


 権蔵はそう言い残すと、左手に懐中電灯を右の脇に毛布を抱えて走りだした。


 権蔵は走った――。今までにこんなに走った事が有るだろうか。と思うほど走った。


 やがて権蔵は祐子が倒れている所に着いた。祐子の体に、そっと毛布を掛けてやる。介護知識が無いため、どうして良いか解らない。祐子をそっと揺らしてみる。

 

「ふぅふぅ……。はぁはぁ……奥さんー。大丈夫か————?」


 権蔵の問いに、かすかに声がでた。


「うっ————」


 良かった。まだ生きている。


「奥さん。ワシじゃ、権蔵じゃー。もうすぐ救急車がくるけん、がんばるんじゃぞ」


 権蔵は思った。一体、何が有ったのか? 車のひき逃げか? 車のひき逃げなら、車のライトの破片かブレーキの後があるはず。テレビドラマで確か、そんな事を調べていた様な気がした。


 権蔵は持ってきた懐中電灯で辺りを調べ始めた。しかし道の上には何も無い。

 

 その時、かすかに犬の鳴き声が聞こえたような気がした。権蔵は祐子が倒れていた反対側の土手を、懐中電灯で照らしてみた。そちら側は、道路と田んぼの高低差が約三メートルある。その下は水路となっている。 


「んっ、何じゃありゃ?——」


 権蔵は懐中電灯を当てて、そろそろと近づいた。そして辺りを注意深く見て、思わず息を飲んだ。小さい自転車らしき物が、グシャグシャになっていた。権蔵の顔から血の気が一気に引いた。


「こ、こいつが、犯人か? サッちゃん、おーい。サッちゃん。大丈夫か?——。居たら返事してくれ————」


 やがて救急車と警察が騒がしく、そしてもの悲しいサイレンを鳴らしながら到着した。


 空には満月が浮かび、辺りを悲しく照らしていた。

 早く、早く、見つけてやってくれと、願う様なはかなげな明かりだった。



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