第4話 ローヤルゼリー
巣の中心を通って行くと、大きな部屋があった。その入り口には門番の様なハチが
その門番の横を忙しそうに、出入りしている多くのハチ達がいた。
「ねえ、エリーここは、なにの部屋?」
「ああ、此処は女王様のお部屋ですよ。女王様の名前はマリア様と云われます。前回スズメバチに襲われた時、一緒に逃げて来ました。マリア様は、とてもお優しい方で、指導力もあります。この部屋を出入りしている多くの仲間は、卵を運んでいます。ほら、手に持っているのが見えるでしょ?」
「あっ、本当だ。手に卵を持って大事そうに運んでいる。卵ってあんなに小さいんだ。でも、入り口にいる蜂はコッチを睨んでいるょ」
「ああ、彼女達は門番ですからね。大丈夫ですよ、私は彼女達と面識が有りますから」
エリーはそう言うと、門番の側に近づいて行った。エリーは門番となにやら話しをしているようだ。残されたサチコは心配そうにエリー達を見ている。やがて、エリーは話が終わったのか、サチコの方へ歩いてきた。
歩いてくるエリーの横から、門番の顔が見える。先程とは打って変わって、穏やかな顔をしてコチラを見ている。
「サチ様、もう大丈夫です。私が彼女達に話をして来ましたから」
「えっ、エリーなんて言ったの?」
「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。あの方は、生まれながらにして名前を持っておられる方だと、言ってやりました。そしたら急に態度が変わりましたね。まぁ、女王様をお守りする番兵なので仕方がないですね」
「有り難うエリー」
ふーん、やっぱりこのミツバチの世界では名前があると無しでは違うのか?
サチコは名前が有る当たり前の前世と、今のこの世界のギャップを感じていた。
エリーはサチコにそう言うと、得意げに次の場所へと歩いて行った。
「あー待ってよ、エリ——」
置いて行かれそうになったサチコは慌てて、エリーの後を追いかけた。先程の門番をもう一度見ると、コチラを向いて頭を下げている。サチコも軽く会釈をすると、再びエリーの後を追いかけた。
行き着いた先は、蜜の貯蔵庫だ。場所としては、巣の位置からすると、下の方にある。もっとも、巣の上層部にあると何かトラブルがあった時、上から漏れてくるからだ。一番下層部にあるからこそ、漏れの心配は無くなるものだ。もちろん、樹にしみこむと云う問題はあるが、貯蔵庫の底から周りまで、あのミツロウを塗ってあるから安心だ。本来は、卵や幼虫の居る六角形の巣へ食料となる蜜を入れるのだが、雨の日や冬などに蜜が取れない事を想定し、保存する為に貯蔵庫が必要となっている。
そして貯蔵庫として巣の最深部のクボミを利用する事となった様だ。さらによく見ると、蜜の貯蔵庫は間に仕切りが貼ってあるみたいだ。
「ねえ、エリー。どうして蜜の貯蔵庫は間に仕切りが有るの?それに、よく見たら、左右の蜜の色が違う様に見える様だけど、どうして?」
「さすが、サチ様よくそこまで気が付きましたね。確かに左右の色が違う様に、中の蜜の種類は違います。幸い、今ちょうど誰も居ませんから、少しなめて、味の違いを見てみましょう」
そう言うとエリーは、サチコになめる様に促した。まず最初にサチコは、左の茶色の蜜をなめてみた。
「おいし~い」
外で、初めて蜜を吸った時より美味しい味がした。口の中に甘い芳醇な味と香りが広がる。
「では、次に右の方を試してみてください」
エリーは微笑んでいる。言われるがままに、右の白っぽい方の蜜をなめてみた。するとサチコの体に衝撃が走った。先程の蜜とはくらべものに成らない程、美味しかった。
「なに、これ? 口の中がとろけそう~」
エリーは微笑みながら話した。
「気が付いたと思いますが、茶色の方は、普通のハチ蜜です。白い方は、ローヤルゼリーといいます。このローヤルゼリーは、この茶色のハチ蜜から出来るんです。
——あっ、今担当の者が来ましたので、ちょっと一緒に見てみましょう」
エリーがサチコに説明している時、丁度巣の入り口で蜜を受け取った運搬係りが、ハチ蜜を運んで来た。
ハチ蜜の運搬係りは列を作って歩いて来た。エリーとサチコは、彼女達の邪魔にならない様に道を空けて見守る事にした。注意深く見ていると、ハチ蜜の貯蔵タンクの手前で二列になっている。それぞれが左右に別れ、普通のハチ蜜とローヤルゼリーにちゃんと解って分けているようだ。
「エリー、どうしてみんなちゃんとあんなに分かって、別けられるの?」
エリーは相変わらず微笑んでいる。
「じゃあ、右の列と左の列に並んでいる者の違いはなんでしょうか?」
エリーの質問はサチコにとって、なぞなぞの様に取れた。
答えられないのは、ちょっと悔しいから、頑張って見つけてやろう。半ば意地になってサチコは、列に並んでいる者達の違いを見つける事にした。注意深く見ていると、右のローヤルゼリーの方に比べ、左の普通の蜜を運ぶ者達は年配者に見えた。
「エリー、解った。年配者と、若者の違いだ」
エリーはサチコの答えを聞いて、更に微笑んだ。
「そうです、良く解りましたね。さすがサチ様。実は、ローヤルゼリーと云う物は、なぜか若者にしか出来ないのです」
エリーの言葉を借りて説明しよう。先程言った様に、なぜか若者にしかローヤルゼリーは作れない様だ。
ローヤルゼリーの作り方は、ハチの大アゴの奥に有る大アゴ線から出る、ローヤルゼリー酸と云う脂肪酸を、下咽頭線からの分泌液と蜂蜜とで混ぜ合わせると出来る様だ。それが解っているから、おのおのが各貯蔵庫に分けて入れている様だ。
なぜか年配者のハチには脂肪酸か分泌液が出なくなり、ローヤルゼリーが出来ないらしい。若者の成せる技と云っても過言では無い。という事は、期間限定だ。ミツバチの寿命は短い。直ぐにローヤルゼリーも作れなくなるから貴重なのだ。
それともう一つ。花から取ってきた蜜は、巣の入り口で仲間に口移しで渡している。これは口移しで渡す事によって、花の蜜の余分な水分が蒸発され濃縮されるからである。
「エリー、やっぱり凄いゃ。みんな本当にすごい——」
サチコはすっかり興奮している。生前では、あんなに意味嫌っていた虫達だったが、今彼らの世界を知る事で、驚嘆と感動を覚えていった。
「なにもそんなに驚かなくても、サチ様もすぐに慣れれば出来ますよ。あのローヤルゼリーは、主に女王様か、次の女王の幼い幼虫の食事と成ります。私達はほとんど食べません。体調の悪い時を除けば、ほとんど食べようとしません」
「あんなに美味しいのに、どうしてみんな我慢しているの?」
サチコの問いはもっともだ。普通の蜂蜜より甘く、栄養価の高いローヤルゼリーはみんな食べたいと思うのが正常である。しかし、エリーはサチコの問いにも平然として微笑んでいる。
「サチ様、若く限定された者にしか作れない物を、みんなが争って食べようとしたらどうなりますか? たちまちこの巣は滅んでしまうでしょう? 限られた者にしか出来ない貴重な物だからこそ、みんなが遠慮し、卵を産む女王様や、幼い幼虫へと心使いをするのです。私達は家族ですから……。それぐらい当たり前の事なのです。そうでしょう?」
エリーの言葉が、サチコの心に響く。生前そんな事など思った事は一度も無かったからだ。人間界の大人でも、自分さえ良ければ良い。という考えを持つ人が多いのに—―。
何とけなげで慈悲深い世界なのだろう。サチコはそう思わずにはいられなかった。サチコは知らない内に泣いていた。悲しみの涙では無い。感動と懺悔の涙と云えば、それに近いかも知れない。自分を押さえる事が出来なかった。
「エリ――」
「サチ様、どうされました? 何か、失礼な事でもありましたでしょうか?」
「ううん、違うのエリー。少しだけ、泣かせて――」
サチコは、エリーにしがみついて、泣いた。エリーはサチコを優しく抱きしめた。
数分の後、サチコは泣きやんだ。
悲しみの涙ではないから、すぐに止まってしまう。エリーに抱きしめられた安堵感でサチコの心も変わってきた様だ。巣穴から目覚めた時、エリーに声を掛け高飛車な態度で接した自分が恥ずかしく思えてきた。
「ねぇ、エリー。さっきエリーは、この巣の仲間は家族だって言ったわよね。だったら、エリーは私のお姉ちゃんでしょ?」
「そりゃぁ、一応はそうですけど」
「だったら、これからはエリーの事をエリーお姉ちゃんって呼んでいいかなぁ?」
「いけません、アナタは生まれながらにして名前を持たれたお方。同じ家族でも身分が違います」
「でも今は、アナタもエリーっていう立派な名前があるでしょ。いいじゃない?」
サチコに甘えられるエリーは、心なしか喜んでいる様だ。確かに、同じ
「仕方ないですね、じゃあ、誰も居ない時だけですよ」
「やったーエリーはお姉ちゃんだ――」
うれしくて堪らないサチコはエリーに抱き付いた。
生前であれば、まだ五歳だ。寂しくて、人恋しい第一思春期なのだから、仕方がない――。
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補足:ハチミツとローヤルゼリー。
・最初にミツバチが花から採取した蜜の主成分はショ糖ですが、口移しで運搬すると体内でブドウ糖と果糖に分解されます。やがて水分が蒸発すると濃縮されてハチミツとなります。
・ローヤルゼリーは、若い働きバチがハチミツや花粉を材料に体内で合成して作ります。(分泌腺である下咽頭線やアゴ線などからの分泌物を体内で混ぜ合わせて作られます)
これはミツバチの寿命に関係してくるので体内で作るには期間限定となります。
・基本、女王蜂が産卵の為にメインでローヤルゼリーを食べます。自然界では、特別な「王台」というところに産み付けられた幼虫だけが、ローヤルゼリーを与えられ、次の女王蜂へなるそうです。Σ(゚Д゚)ヘェ~!
・ローヤルゼリーとは、炭水化物、タンパク質、ビタミン、ミネラル、脂質の五大要素を全て含んでいます。自然界での「完全食」という事ですね。
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