第9話 縁を結ぶ


 そんな未来みくも高校を卒業後、翔太のいる芝松電器へ入社した。


 父である翔太は現在部長となっていたが、娘の未来は決してコネなどで入社した訳ではない。翔太は依然営業部、未来は総務部へ配属された。


 会社へ入ってからも相変わらず、未来の例の ‟握手”は行っている。会社に居れば色々な人と多く関われる機会があるからだ。


 もちろん仕事もそつなくやっている。仕事のミスもまだやってはいない。


 そんな未来も会社で働く様になって数年が経ってしまった。今だ、あの“幻の手”には再会出来ないでいた。


 しかし、今は二十四才。そんな年齢ともなると、恋愛の適齢期だ。未来も例外では無い。会社内である男と知り合い恋に落ちた。勿論、中高生の間は、思春期真っ盛りであったが、幻の手を捜すのが夢中であった為、恋愛なんぞそっちのけ、という感じだった。


 いわゆる社内恋愛によって未来の心は、大きく変わろうとしていた。退社時刻となっても真っ直ぐ家に帰らず、彼とデートを重ねる日々が続いた。もちろん父、翔太もそんな未来の行動が気にはなっていたが、こればっかりは誰が何を言おうがお構い無しだと言うことは分かっていたから、あえて何も言わないでいた。





 そんな夏の土曜日の朝——。


 未来は庭に出て、花の手入れをしていた。朝から照りつける太陽から我が身を守ろうと、大きな麦わら帽子をかぶっている。花に水を与え雑草を抜いている内に、額に汗が出てくる。額の汗をぬぐいながら家に入った。




 父翔太は起きて朝ご飯の準備をしていた。


「おはよう、お父さん。あっ、ごめんね、朝ご飯の支度させちゃって……。すぐ替わるから」

「いいよ、気にするな。しかし、お前もご苦労さんだな。朝早くから庭の花の世話をして——。もう出来たから、手を洗って一緒に食べよう」

「うん——。ありがとう」


 父に促されて大急ぎで手を洗ってきて未来は、一緒に食事をとった。雑談混じりに楽しく食べれば美味しく感じてしまう。


 その雑談中に、未来の顔が一瞬真顔になった。何かを切り出そうとしているようだ。


「ねぇ、お父さん——」

「何だ?」

「生垣のアベリアが今年も咲いたネ。私、あの花大好き——」

「ああ、お父さんもあの花は好きだよ。夏から秋ぐらいまで咲き続けるし、可憐な白い花が何とも言えないからな」

「お父さん——今日何か用事がある?」

「いや、別に今日、明日は何も予定は無いが、どうした?」


 未来はいよいよ話を切り出す時が来た。


「あの——。お父さん……。今晩、会って貰いたい人がいるんだけど……」


 翔太は驚いた。以前に未来から聞いていた例の ‟幻の手”の事が頭をよぎったからだ。


「そうか、ついに見つけたか? で、何処の誰だ? 何なら今からでもいいぞ? 

 やっぱり、お母さんの生まれ変わりなら、女だな。いやいや、こればっかりは女とは限らないかもしれない。もしかして、男か?」

「ハァ? 何言ってんの?」

「エッ、何だ、例の‟幻の手”の本人を見つけたんじゃないのか。違うのか?——。

 だって今お前、会ってほしい人がいるっていうから……」


 翔太は、その時ハッとした。


「もしや、未来……。か、彼氏か?」

「うん——。私達、結婚しょうと思っているの。だから……お父さんに会ってもらいたいの——。お父さんの人を見る目で、彼を観て欲しいの……ダメかな?」


 未来の返事を聞いて翔太は、体中の力が一気に抜け落ちて行くのを感じた。


「——分った。お前も年頃だからな」

「ありがとう、お父さん。じゃあ、晩ご飯を家で取るように準備するからネ。その時でいい?」

「ああ、分かった——。ごちそうさま。未来、後片づけは任すよ……」

「はい……」


 翔太は朝食を終えて立ち上がると、自分の部屋へと入っていった。部屋に入るとタバコに火を付けて茫然としている。


 なんてこった——。ついにこの日が来てしまったのか?……。ついに、か……。


 翔太の気持ちは複雑だった。片親一つで、苦労しながら娘をここまで大きく育ててきた。それを何処の馬の骨とも分からないヤツに連れて行かれるなんて。と思うと涙が出てくる。しかしそんな苦労したからこそ、娘には幸せになってほしい。複雑な思いが交錯する中、翔太は決断した。


 親の目じゃなくて、いち男の目で観てやろうじゃぁねぇの!




 やがて翔太は着替えると、家に居づらいのか何処かへ車を走らせた。


 一方、未来は父が彼に会ってくれるので、有頂天になっていた。早速彼に電話をして今晩、家で共に晩ご飯をとる旨を伝えた。


「さあ、今日の晩ご飯は何にしょうかな?」


 料理のレシピ本を取りだして楽しげにしている未来みくだった。







 やがて、夕方になり翔太が荷物を持って家に帰って来た。


「もう、お父さん——。何処行ってたの? 連絡もしないで。もうすぐ彼が来ちゃうのに早く着替えて……」

「まぁそう怒るな、ほれ、お土産だ」


 翔太はそう言って、クーラーバッグを床に置き中の魚を見せた。


「なんだ、釣りに行ってたの? もう、早く着替えてよ」

「いいじゃないか、お父さんだって家に居づらかったんだから。それに、ほれ、見ろ大きいだろう? ヒラメだ。今夜はこの刺身で一杯やろうか?」

「もう、何言ってんの? 彼に会ってくれるんじゃないの?」

「分ったって——。分った、分った……」


 未来の剣幕を後にして、翔太は台所へ入り魚を調理しだした。妻を失ってからは家事を全てやってきた。当然料理のレパトリーも多いので、包丁さばきも手慣れたものだ。アッと云う間に、魚を卸してしまった。


「未来、まだ時間はあるんだろ?」

「うん、まだ三十分ぐらい」

「そうか、なら、これをお向かいのじいちゃんの所へ持って行ってくれないか? あのじいちゃんも刺身が好きだからな。おすそ分けだ」

「うん、いいよ」

「アッそれから、この刺身はお前の彼を、お父さんが気に入ったら『刺身を出せ』っていうから。それが合図だと思ってくれ」

「じゃぁ、もし、もしも、気に入らなかったら?」

「気に入らなかったら、すぐに帰ってもらうしかないな」

「もう——」

「じゃあ、お父さんは風呂に入って仕度するから……」


 翔太はそう言うと風呂に向かった。未来は仕方なく刺身を分けて、お向かいの権蔵の家に持って行った。






 風呂場からは、翔太の鼻歌が聞こえる。


 余裕が有るのか? と思う様に見えるが、実はそうではない。出来る事ならこの場から逃げ出したい気分なのである。何かしていないと気を紛らわせれない。鼻歌ぐらい歌っていないと落ち着かないのだ。


 やがて、翔太は風呂から出て体を拭いていた。その時、玄関のチャイムが鳴った。


 ピンポ~ン——。


 彼だ。彼が来た。ついに決戦の時がやってきた——。




「はぁ~い。今、行きます——」


 玄関先で話し声が聞こえる。翔太は焦っていた。やがて、威勢の良い男の声がした。


「失礼します——」


 未来に案内されて男は家に上がってきた。和室に通され翔太を待っている。

 未来は慌てて、風呂場の翔太の所へやって来た。


「もう、お父さんたら、早くしてよ——。何、もたもたしてんのょ」

「分ったって、そんなに慌てるな。少しぐらい待たせておけ——」

「もう——」


 翔太は着替えると一直線に和室へと向かった。間が空くと行きづらくなる。思いっ切りよく和室の戸を開けた——。

 



 一方、未来は台所でお茶を用意していた。


 父が気に入ってくれるだろうか? という思いで息苦しくなってしまう。不安な気持ちでいる為にお湯が沸くのに時間が気になる。もう~。


 早々にお茶を入れると、和室へお茶を持っていった。

 どんな状態になっているんだろうか? という不安な思いでふすまを一気に開けた。



「失礼します——」


 未来は唖然とした。和室の中で二人は仲が良さそうに談笑している。

 あ~良かった。という思いでホッとすると同時に力が抜けてしまった。


「おい、未来、何で今まで彼の事を言わなかったんだ?」

「だって、言いにくいじゃない——」


 未来の彼の名前は『相沢賢あいざわけん』翔太の部下だった。とりわけ容姿が良いわけでもなく目立つ所は無いが、誠実な所は翔太も感じていた。以前、製造での不良品が市場に出回っていた時、回収に大きく貢献した一人だった。

 責任感が強く何か人を引きつける物がある。最近翔太が釣りを始めたのもこの彼がキッカケだった。いわば翔太の釣りの師匠でもある。まるで釣りアホ日誌。そんな彼を気に入らないはずがない。


 三人は楽しく食事を取り、ビールを数本飲んだ。勿論、今日釣って来たヒラメを肴に。

 こんなに楽しく食事をしたのは、何年ぶりだろう? と思うほど翔太はビールを飲んだ。今までの緊張が安堵に替わる。


 三時間ほどで食事が終わり、彼が帰る事となった。


「では、部長、今日はごちそう様でした。今日の所はこれで失礼します」

「相沢君、会社じゃないんだから夢野でいいよ」

「失礼しました」

「ああ、そうだ。娘の事を頼むよ。それから今度、又一緒に釣りに行かないか?」

「はい、有り難うございます。未来さんは僕の一生をかけて必ず幸せにします」

「ああ、頼む。じゃ、気を付けてな——」

「はい、失礼します」

「お父さん私、チョット見送ってくるね」

「あぁ——」


 翔太の複雑な思いが交錯する忙しく、そして充実した一日が幕を閉じた。


 そして未来の彼である相沢はちょくちょく家に遊びに来るようになり、式の日取りもトントン拍子に決まっていった。





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