第10話 エピローグ・巡り会い再び


 未来みくの結婚式の日取りは夏からトントン拍子に進み、その年の十二月二十五日と決まった。クリスマスでもあり、未来の誕生日だ。幸いその日は大安ではないが、日曜日なのに、式場も不思議と空いていたので、すんなり決まってしまった。


 当日には多くの人々が祝福をしに来てくれた。おごそかに、そして盛大に執り行われた。




 式が終わって一人ぽつんと家に居ると、翔太は耐え難い寂しさを覚えた。


 やがて仏壇の遺影のサチコと祐子に話しかけ始めた。翔太の白髪が多くなり顔のシワが年輪の様に刻まれている。哀愁が体から出ている。


「祐子、サチコ……。今日、未来みくが嫁に行ったよ……。ちょっと寂しいが、行かず後家っていうのもなんだしなぁ……。

 それから、俺、会社をそろそろ辞めようかなって思っているんだ。未来も居なくなってしまったから、これからは自分の為に生きようって思うんだ。残り少ない自分の余生を楽しむのは、今までの俺のご褒美だと思っている。そうだろ? 祐子?……」



 数日後、翔太は会社へ辞表を出した。部長になると60歳や65歳の定年は無い。課長クラスから会社の組合員では無くなるから、定年を気にしなくて構わない。





 未来みくの結婚。翔太の退職によってそれぞれが、それぞれの道を歩き出していった。



 愛娘サチコに愛妻祐子を亡くし、生後間もない娘を男出一つで育て上げてきた。片親。いいや、それは違う。確かに戸籍上では翔太のみの家族だったが、多くの人々に包まれる様に未来は育ってきた。確かに低学年の時は参観日や母の日が近づくたびに、未来も翔太も心苦しい日々が続いた。しかし、顔には出さず周りのみんなの心に包まれて育ててきた。


 それぞれが各自の思いを胸に抱いて、大きく道に一歩を踏み出した。この先、多くの戒めを解かれた様に、自らの人生について考える事だろう。


 翔太は会社を辞めて数日間はブラブラしていた。何も考えていない様に見えるが、何かを考えていたようだ。 


 ある日翔太は決断した。残りの人生、店を出すことにした。部長として辞めたので退職金としての資本金はそれなりにある。いままでの家事をしてきたので料理には自信がある。町角の一角に小さい小料理屋を出すことにした。


 長年営業として働いてきたので、やはり人と触れ合わないと寂しいのだ。翔太を知る多くの人達がこの店を利用して、まずまずの経営が続いた。




 一方嫁いだ未来は平凡な幸せを噛みしめていた。多くの人は気が付かないが、何も変化が無い生活こそが幸せなのだ。


 結婚して数か月も経つと、未来もやがて妊娠した。自分が育ってきた環境は母親がいなかったので、まだ見ぬ、お腹の子供を慈しむように大事にしていた。


 そして出産の時期を迎えた。


 用意していた入院用の荷物を持って、夫であるけんと病院へ急いだ。賢は焦っているが未来は初めての出産なのに落ち着いている。不安など微塵のかけらも無いようだ。

 それもそのはず、結婚して最近忘れていたあの が、妊娠後からよく出てくるようになっていたからなのだ。


 出産による不安感。初産なら誰でも経験があるはず。ちゃんと五体満足で生まれるだろうか? という不安な思いは親なら誰でも思う。


 しかし、そんな不安感や情緒不安定に襲われると、決まってあのが出てきて未来の手を握り落ち着かせてくれた。‟大丈夫、心配しないで”。と声にならないが、そう言っているように感じ、落ち着くのだった。なんとも不思議な温かさに安心感がある。夫の賢の手も大きくて温かいが、夫の場合はそれだけなのだ。


 あの手には、包み込むような安堵感がある。どこか懐かしく、母親に抱かれている様な感じがする。それでいて、魂が安らぐ様な気がするのだ。

 出産は大丈夫。私にはあの、お母さんが付いていてくれるから……。と未来は思っている。

 




 病院へ着き、診察が終わり分娩室の隣の部屋のベッドに寝かされた。

 陣痛の間隔が段々短くなってくる。骨盤がきしみ徐々に広がっていく。産道も広がってくる。


 腰が痛い。割れる様に痛い——。苦痛に顔がゆがんでくる。


 賢は未来の側で腰をさすっている。時折声を掛けて励ます。それぐらいしか出来ない。




 ——やがて出産の時が来た。


 賢も白衣に着替えて、分娩台に横たわっている未来の側にいる。いわゆる、立ち会い出産だ。昔と違って今は夫が妻の出産に立ち会ってもいい事になっている。未来もその方が気が楽だ。割れる様な腰をさすってもらわなければならない。やはり看護師には頼みにくい。


 やがて破水が起こり、産道が大きく開いてきた。


「奥さん、いきんで——」


 助産師の呼びかけに力無くうなずく。


 ヒッ、ヒッ、フゥ——。ヒッ、ヒッ、フゥ——。


 お産特有の呼吸法が呪文の様に分娩室に響く。


「未来、がんばれ——。もうすぐだ——」


 夫賢の応援の声が虚しく響く。未来も必死になって頑張っている。全身汗だくとなり、息も乱れてくる。つられて賢の呼吸も乱れてくる。


「ううっ——。いたっ……痛い——」


 と、その時、未来は夫に握られていないもう片方の手を、誰かが強く握ってくるのを感じた。いきみながら、その手を見た。居ない——。誰も居ない。誰も居ないが、手を握られている感触はある。


 あの手だ——。そう思うと自然と勇気が沸いてくる。後少し、もう少し、と言う助産師と夫の呪文の様な応援の掛け声も苦にならない。


 しかし、気持ちは落ち着いて感情は冷静でも、やはり体はついて行かない。

 骨盤がギシギシと悲鳴の様な音を出して、産道と共に広がってくるのだ。痛くない訳が無い。未来は堪らず声をあげた。


「助けて、お母さん————」


 その瞬間、未来の握っていたあの手の感触が、スウーッと抜けていった。と、同時に赤ちゃんがスルリと産道を通り生まれてきた。


 待機していた助産婦と看護師により、手際よくヘソの緒を切り鉗子にて止血する。問題はその後だ。産声うぶごえをあげてくれれば問題は無いが、泣かないでいると大変だ。脳に酸素が届かない。みんなが見守る中、約三秒後に産声をあげた。


「オギャァーオギャァーオギャァーオギャァー」


 力強い生命の誕生の産声が部屋に響く。


「良かった~産声を上げてくれた……」


 安堵の顔をした看護師が赤ちゃんを産湯につけて体を洗い、タオルに包んで未来の横へ連れてきてくれた。


「おめでとうございます。可愛い女の子ですよ」

「未来、よく頑張ったな。ご苦労様……。ホントによくやった。うっ、うっ——。俺は、命の誕生に感動した——」


 賢は妻の出産を目の辺りにして感動して泣いているようだ。苦痛で顔がゆがみ、全身汗だくとなっている未来。傍で付き添っているだけでも疲れてしまう。そんな苦労をして出会った我が子なら、可愛さもひとしおだ。


 未来は我が子を側に見ても、ただ茫然としている。無理もない、全身全霊と言う言葉が当てはまるぐらいな大仕事をしたのだから。


 出産の痛みがまだ体に残っている。天井に目を移すと、眩しいはずの照明がかすんで見える。動悸もまだ静まっていない。


 大きく深呼吸を二度して、看護師が側に連れてきた我が子を改めて見た。


 お猿サンみたい? と思いながら、看護師から我が子を渡された。分娩台の背もたれを少し起こされ、赤ちゃんを抱きやすい様に看護師が気を遣って渡してくれた。


 タオルで包まれた我が子をそっと腕に抱き、未来はしげしげと見た。自分の腕の中で泣いている、今はまだ名も無き赤子。それはあたかも、か細く、そして力強く泣いていた。。ただそれだけな事が、何か切なく、一生懸命に感じてしまう。命の誕生とはそんなものなのかも知れない。


「初めまして、私の赤ちゃん。私がママよ。これからよろしくね……」


 そう言いながら、未来は自分の右の小指を赤ちゃんに握らせた。と、同時に不思議な衝撃が未来の全身を貫いた。数秒間金縛りにあった様に体も動かず、言葉さえも失った。知らぬ間に頬へ涙が伝っている。頭の中に何か意識のようなモノが駆け巡る。


 抑えきれない思いが、ふつふつと胸の奥から湧き上がってくる。


「あなた、だったの……ね?——」


 生まれたばかりの赤ちゃんの右手からくる不思議な感覚は、例の‟幻の手”だった。長い間捜し求めていた、‟あの手”。今こうして、母と子としてやっと巡り逢えた。未来は興奮して自分を抑える事が出来ない。後から、後から、とめどなく流れる涙。未来は我が子を抱きしめてそっと呟いた。


「あぁ、神様——。私にこの子を授けて下さって、ありがとうございます……。

 本当にありがとうございます——」


 未来はクリスチャンでは無いが、思わず神に祈らねばならない様に感じていた。

 小学校のいつ頃からか忘れてしまったが、気が付いた頃からといえば十数年が経っている。


 長い間、待ちわびてきたあの手。握っているだけで、本当に心が落ち着いてくるから不思議だ。まるで心と心。いや魂と魂が通じ会っているような感覚なのだ。お互いの心に包まれ、自然と安らいでくる。


 しばしの感動の対面の後、看護師が未来から赤ちゃんを受け取り、新生児室へと連れていった。まだ未来の後産が残っている。


 赤ちゃんを産んだ後の処置も終わっていない。助産師に処置をされ、未来は夫と病室へ移った。





 病室で、夫の賢は未来をねぎらっていた。


「未来、本当によく頑張ったな」

「ねぇ、アナタ。私が‟幻の手”を探している事は知っているでしょ?」

「ああ、そういえば前に聞いたことがあったな。それで、もしかして? 見つかったのか?」

「そう、もしかしてよ——。私、ついに見つけちゃったの——」

「ええっ? そうなのか? で、誰だ? もしかして、助産師さんか?」

「もう、なに言ってんのよ。私の赤ちゃんなの——」

「えっ、それ本当か?——。それなら二倍嬉しいじゃないか? よかったな未来。

 これからは何時でも好きな時に手を握れるじゃないか。良かった、良かった——。

 そうだ未来、今さっきこの病室に入った時、窓の外を見て思ったんだが、今日は十五夜じゃないか? 窓の外に綺麗なお月様が浮かんでいるし、この子の名前を今、ふっと思ったんだが、十五夜の名月に生まれたから、『美月みつき』ってのはどうだろう? 言葉の響きも可愛いしな。どうかなぁ?」

「『相沢美月』か、いいんじゃない。可愛い名前だわ。あなた、ありがとう……」


 産婦人科の病室でしばし、この二人にとって幸せな時が流れていった。










 ◇ ◆ ◇ ◆







 遥か天上界からでは、この夫婦からの命の誕生を垣間見ている者達がいた。神官と天使達だ。


「よかった、ようやく、やっとあの二人が巡り会う事が出来て……。

 でも神官様、どうしてあの未来の母親裕子は出産後に亡くなったのでしょうか?    

 再会が遅れた理由はどうしてなのでしょうか?」


 天使の問いに神官は静かに答えた。


「残念ながら、私には人の寿命を司る事は出ません。死天使長サリエルでさえ、デス・ファイルにて人間の寿命を管理しているのです。

私に問われましても、あの母親は生まれ持っての寿命としか言いようがありません。


 前にも言いましたが、人間界での生活は生前のカルマを背負って修復する『修行の場』なのです。サチコのミツバチとなった時の試練は無事昇華出来ましたが、あの時、サチコが亡くなった時から運命の歯車が外れてしまっていたのです。

 一旦運命の歯車が狂うと、いくら私の力を持ってしてもどうしようもないのです。


 ズレた歯車によって未来の母親の裕子の寿命は、本来なら出産後に寿命を全うする予定でした。しかしながら、ミツバチになったサチコの頑張りによって数日では有りましたが、裕子の寿命が延びたのです。母親である裕子の寿命は、デス・ファイルに記載されていましたから、仕方が無い事……。それが、サチコの頑張りで上書きされるとは思いもよりませんでした。


 私とサチコとの約束は、一番良いタイミングで親子が再会出来る。と言うモノでした。


 サチコの件で死天使長サリエルより伺いましたが、本来亡くなるはずのお腹の子ではなく、サチコが亡くなってしまったことから、お腹の子の魂の主が未定だった事が幸いしました。魂の無い体にサチコの魂を入れるタイミングはギリギリでしたが、上手くサチコと裕子の母娘関係に繋がりました。それが、現世では逆転してしまいましたが、再び母娘関係を築く事になりました。

 

 しかしながら、あの二人は強い絆で結ばれているようですね。

 サチコの母親の裕子も魂となって天界にあがって来たときに、サチコ同様に側に居たいと懇願していました。サチコの件があったので再び母娘の形になりました……。

調べによるとどうやら、 魂の片割れツインレイだと分かりました」

魂の片割れツインレイ。と申しますと?」

「何世代も転生を繰り返しても、必ずや側にいてお互い助け合う事をいうのです。

 この世に存在するたった一人の運命の相手のこと。前世で一つの魂だったものが、二つに分かれたとされており、魂の片割れと言われています。

 前世と今は母娘ですが、その前は夫婦であったり兄弟姉妹だったりするのです」

「そうなのですか?——」

「あれだけ強い絆を持っていればカルマの浄化も終わり、もうすぐ天界人になる日も近いでしょう。アナタ達もそうだった様に——。

 さあ、もう彼女達を心配する必要は全て無くなりました。私の役目も終わりました。彼女達は今までの戒めを解かれ、幸せになることでしょう——。

 私が約束しましょう。では、皆さん行きますよ」

「はい、様――」


 神官と天使達は、光の衣に包まれ静かに消えて行った。








 下界では十五夜の名月である満月が浮かんでいる。


 太陽の光は全ての生き物に生きる力を与えるが、反面、死に追いやる場合もある。 

では、月の光はどうだろう? 人畜無害で有るが故に、どこか寂しく、なぜか落ち着くのかも知れない。


 今宵の月は、どこか優しく照らしている様に感じる。まるで下界の人々の行く末を、天界の住人達が案じている様に気遣いながら、煌々と、いつまでも、いつまでも照らしていた…………。








 流転〜ツインレイ〜                             

        了



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流転~ツインレイ~ 甲斐央一 @kaiami358

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