第3話 再会


「祐子——。今救急車を呼びに行かせたから、もう少し頑張ってくれ」


 翔太は車の暖房温度を最大に上げ、祐子の手を握りしめた。車がぶつかった時、翔太の運転席側のドアの窓は割れ、そこから雪と冷たい風が吹き込んでいる。割れたガラスで翔太の額から血が流れている。後部座席の祐子の方は外傷は無いみたいだが安心は出来ない。


 早く病院へ——。その思いだけでいっぱいだ。翔太は自分のジャンパーを脱ぐと祐子に掛け、寄り添った。


「ありがとう、あなた——。あなたの手って、大きくて、暖かい……」




 数分後、救急車がサイレンを響かせながらやって来た。雪の中、救急車に搬送され祐子と翔太は病院へやっとの思いで着いた。


「先生、妻を、祐子を、お願いします。陣痛が来ていてもう子供が生まれるんです」

「分りました大丈夫です。それよりご主人も処置室で止血をしてもらって下さい」


 待機していた医師と看護師はそう言うと、祐子を別の処置室へと連れていった。


 翔太は別の看護師に促されて、頭の止血をしてもらった。祐子の身を案じ事故で興奮していた為、自分のケガの事など気が付かなかったのだ。頭に包帯を巻いてもらった後、祐子のいる処置室の前でただ一人祈った。


 愛娘サチコを突然の事故で失ってしまったのは、記憶に新しい。警察からの当時の事故の検証結果を聞く限り、偶然が重なったのかも知れない……。それでも納得いかない自分がいる。それは裕子とて同じ事なのかもしれない。


 翔太の心の中では、不安な気持ちが渦を巻いて止まらない。もう、二度と誰も失いたくない……。裕子は大丈夫だろうか? お腹の子供は大丈だろうか?


 翔太はクリスチャンでも敬虔けいけんな宗教信者でもない。祈りを捧げる神は居ないのかもしれないが、それでも翔太は祈り続けた——。




 途中、処置室からオペ室へと祐子は移動させられた。


「神様、もし、もしも、居るのなら祐子とお腹の子を、お助け下さい——。俺から、全てを奪わないで下さい——」


 翔太は神に祈らなければならない様な、そんな心境だった。ただ一人、翔太はオペ室の前で、ひたすら祈り続けた——。







 ◇ ◆ ◇ ◆





 その頃小さな光が、雪の降る夜空を流れて病院へ降りてきた。その光は建物の壁をすり抜け、なにかを捜しているようだった。やがて目標物を探し当てたのか、一人の頭上で旋回するとお腹の中に吸い込まれる様に消え入っていった。


 どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。翔太はあれからずっと祈り続けている。むしろ時間の流れが気にならないといったほうが良いのだろう。祐子の事がそれだけ心配なのである。


 一方祐子は分娩台に横たわっていた。事故に合った時衝撃で、破水していたのだ。一旦破水してしまうとまもなく出産が始まってしまう。自然分娩ならいいが、裕子の場合は事故の衝撃で破水したのだ。医師は迷っていた。まだ産道が開いてない。


「奥さん、帝王切開にしましょうか? それとも——」

「先生、お腹は切らないで下さい。私は、自分の力で生みたいんです……」


 苦しげな表情のままで訴えるように裕子は自分の意志を伝えた。


「分りました、もう少し様子をみてみましょう。でも、あまり時間を掛けられませんよ。あなた自身、母体まで危険になりますからね」

「はい……」


 初めての出産ではないが、裕子は苦しそうだ。お腹をいため、苦しんで生むからこそ、生まれてくる我が子が愛しい。


 医師も、もう少しだけ様子を見る事にした。徐々にでは有るが、ようやく産道が開き始めた。医師は帝王切開の準備を止め、裕子の意思を尊重した。




 それから三時間経過した。


 一旦、産道が開けば後は楽な事だった。安産とはいかないが、裕子は頑張って自分の力で無事出産した。全身汗だくとなり、疲労感でいっぱいだ。子供を産む為に、いきむ呼吸で全身に力が入らなくなってしまった。骨盤がきしみ腰の骨が悲鳴をあげている。視界がかすむ。天井の照明が眩しいから、ボンヤリとしか見えていない。


「オギャ——」


 新しい命の誕生だ。裕子は心身共にぼろぼろの状態になりながらも喜んだ。すぐに助産婦が生まれたばかりの赤ちゃんを産湯で洗い、タオルに包んで裕子の側に連れてきてくれた。


「おめでとうございます。かわいい女の子ですよ」


 裕子は分娩台に横たわったままの姿勢で、我が子と対面した。


「初めまして、私の赤ちゃん。これからよろしくね」


 そう言って、我が子の手を握った。自分の小指を、赤ちゃんに握らすと不思議な感覚に襲われた。赤ちゃんは依然として泣いている。


「オギャーオギャーオギャ——ママ、わたしよ

「何? この感じっ————?」


 夫の翔太と手をつないでも、こんな感覚は無かった。魂が通じ合う様で、暖かく心が休まるような不思議な感じだった。裕子は以前どこかで同じ感覚を受けた事を思い出した。


 ? サチコの生前は、よく二人で手をつないでいた。あの時と同じ感覚なのだ。


「ああ、神様——。私の元にサチコを返してくれてありがとうございます」


 そう思わずにはいられなかった。知らぬ間に頬に涙が流れている。それだけサチコを愛していたのだ。裕子は幸せに包まれていた。


 翔太が祈り始めて五時間が流れた。やがて分娩室から助産師が出てきた。


「先生、祐子は? 子供は? どんな具合なんですか?」


 心配している翔太に助産師はにこやかに話した。


「おめでとうございます。無事赤ちゃんは生まれました。かわいい女の子ですよ。後で看護師がつれて来ますので」

「先生、ありがとうございます——」


 翔太は一礼すると、赤ちゃんの見える保育室へと向かった。



 廊下からガラス越しで部屋の中が見える。翔太はどれが我が子か分からないが、部屋の中を眺めていると、それに気づいた看護師が生まれたばかりの赤ちゃんを窓越しに見えるような場所に連れてきた。


 窓越しに手を振ると、大きなアクビをしている。翔太はうれしくて胸がいっぱいになった。


 出産後、裕子は病室へと移された。個室なので翔太も一緒に泊まる事が出来る。出産で力を使い果たしたのか、裕子は静かに寝むっている。


 俺も少し休もう。そう思いながら、個室のソファに横になり、備え付けの毛布にくるまった。



 外ではいまだ雪が降り続いている。一切の穢れを隠すかのように辺りは真っ白になっている。


 明け方にはまだ間がある今は午前四時。クリスマスの十二月二十五日だった——。








 ◆ ◆ ◆ ◆



 その様子を遥か天上から眺めている者がいた。あの神官と天使達だ。サチコが転生し再び裕子の元へ帰った事を確認すると、天使達は喜んだ。


「神官様、これであのサチコの魂も報われますね?」


 しかし、天使達の歓喜の声も届いていないのか、神官は顔を曇らしたまま姿を消してしまった。


 後に静寂だけが残った——。





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