第2話 忍び寄る影


 サチコは買ってもらったばかりの自転車に乗り、裕子は徒歩で近くのスーパーを目指した。その買い物へ行く道中、楽しい親子の会話が続く。


「サッちゃん、自転車乗るの上手になったねぇ? 今度、パパに補助輪のコマ取って、乗れるように練習しようか?」

「えぇー、コマ取るの嫌だなー。それより今日もお菓子買って?」

「いいわよ。今日は特別にケーキも付けちゃおうかな」

「わーぃ、やった!——。でもどうしたの? 何かいい事でもあったの?」

「うん。スッゴイいい事あったョ。あのねサッちゃん、弟か妹ほしくない?」

「あのね、ママ。私ずっと前から妹がほしかったの」

「そうよね~、やっぱり欲しいわよね? 今日ね、病院に行ったら 『お腹に、赤ちゃんがいますよ』って言われちゃった。これでサッちゃんもお姉ちゃんだ」

「えっ? うそっ~やった——! 私はお姉ちゃんだー」


 そんな幸せな会話をしながら歩いているうちに、二人は目的地のスーパーに到着した。

 二人は目的地のスーパーに入るとそれぞれの目的物を見つけ、ゆっくりと買い物を楽しんだ。


 やがて二人はスーパーから出ると、あたりは夕焼けが広がっていた。


「大変、遅くなっちゃったね? でも、サッちゃんあそこの空、とっても綺麗ね」

「ほんとだー。あそこのお空、赤くてきれい。パパもいれば一緒に見えたのにね? 残念だなぁ」

「仕方ないよ、パパお仕事だから。それより早く帰って晩御飯の用意をしないと、それこそパパに怒られちゃう。サッちゃん、早く帰ろ」

「うん、帰ろ、帰ろ」


 春の夕焼け空を背中にし、二人は家路に着いていた。


 なんでもない、どこにでもある幸せな情景だった。


 しかし、この後二人の背後に耐え難い悲しみが近づいていようとは、誰も知る由は無かった……。






 ◇ ◆ ◇ ◆





「まあ、もうこんな時間だわ。急がなくっちゃ? ルミちゃん、ちょっとだけ我慢してね?」


 見るからに高級な外車に乗り、ペットのシーズをあやしながら独り言をつぶやく女性がいた。彼女の名は、武田信子たけだのぶこ七十二歳。


 このO県ではトップクラスの建設会社の社長夫人で、気ままに暮らしている。子供達はいるがそれぞれ独立した為、寂しさを紛らわすかの様に犬を溺愛していた。又、暇を持て余していた為、金に物を言わせ骨董品の収集を手がけていた。



 三日前の事、信子に一本の電話が入った——。


「もしもし、武田様の御自宅でしょうか?」

「はいそうですが、どちらさまですか?」

「これは失礼しました。いつもお世話になっております。骨董屋の水島でございます。奥様に耳寄りな情報が手に入りましたので、お電話をした次第でございます」

「まあ、そうでしたの?」


 受話器を持つ信子の手に少し力が入る。骨董屋の声に期待が膨らんでしまう。


「例の黒楽茶碗を見つけました。しかし相手方が、直に取引をされたいそうで?」

「解ったわ……。じゃあ相手の名前と連絡先、教えて下さる?」

「後ほど、ファクスにてお送りいたしますので……」

「ありがとう、そうしてちょうだい。取引がまとまったら、お礼は振り込んでおくわ」

「ありがとうございます」


 電話を切ると信子は一瞬微笑んだ。かねてから羨望せんぼうしていた年代物の黒楽茶碗が手に入るのだ。骨董品の中でも、特に陶器が好きで、かなりの数を所有している。又、趣味の内の一つに茶道があり、以前どこかで見かけた黒楽茶碗を欲しがっていたのだ。


 今回の骨董品は、銘は残雪、道入作。と云う江戸時代に作られた黒楽茶碗で、入手が困難とされていた。骨董品はプライスレスだ。値段は個人の価値観によって左右する。黒楽茶碗の中で最高峰と言われるのは、長次郎作、銘万代黒。三億円とも言われているそうだ。湯飲み茶碗に三億円とは、恐ろしい。触れるのも叶わない。



 数分後、電話が鳴りファクスが届いた——。

 

「まあ、これなら車で一時間ほどの距離だわ。その日は何も予定が無いし、早くこの日が来ないかしら? うふふっ……」


 ファクスには、相手の名前、住所、電話番号、湯飲み茶わんの凡その値段と簡単な地図が書かれてあった。約束の日は、三日後の午後六時に相手の自宅という内容だった。




 当日、信子は無記名の小切手を用意し、午後五時前に車に乗り込もうとしていた。


「アッ、そうそうルミちゃんを忘れてた……」


 愛犬のシーズを連れて、どこにでも行くのが信子の日課だった。犬を助手席に乗せると目的地目指して車を走らせた。




 ◇ ◆ ◇ ◆




「「夕焼け小焼けで日が暮れて~♬」」


 裕子とサチコは買い物帰りに歌を歌いながら帰っていた。買い物の帰り道は足取りが軽い。目当ての物をゲット出来たなら気分は上々だ。鼻歌も出てくるものだ。







「おかしいわね~? 確かこの辺りのはずなんだけど?……。あの人に聞いてみようかしら」


 約一時間、車を運転していた信子は買い物帰りの親子連れを見つけると、二人の側に車を止めようとした。信子にとってこの辺りの地理は良く分からない。戸惑いながら頭を整理する。こういう時は地元の人に聞くのが一番てっとり早い。


 一方祐子は、後方から車のヘッドライトに前方を照らされ、後方から車が来るのを察知してサチコを道端へ寄るように促した。

       

 キッ・キッー……。


 裕子はとっさにサチコをかばった。そんなにスピードは出てないが、親としては無意識の行動だろう。やがて車は二人の横に止まる。運転席の左の窓が静かに下がり、信子が顔を出し二人に道を尋ねた。

   

「すみません、道に迷ってしまったみたいなんですけど……。この辺りに山田さんと言う方の御家は、どの辺りなんでしょうか?」

「山田と言ってもこのあたりは結構多いんですよ。下の名前か、何か特徴は?」


 祐子の返答に、信子は送られて来たファクスをカバンから取り出した。


「あった。え~と山田茂三やまだしげぞうさんっていう人なんですけど。古いお屋敷で蔵があるらしいんですけどね。解りますか?」 


 祐子とサチコはお互いの顔を見合わせて同時に言った。


「あっ~! あそこのお爺ちゃんだ……」

「そうそう、確かおうちに蔵があって……。確か名前は、山田さん。あそこなら、すぐそこですよ。あそこの角を曲がって、坂の上の左のおうちですよ」


 祐子は車の中にいる信子に説明を始めた。その間サチコは退屈しているらしく、何気なく車の中を見ていた。


「ワン、ワン」


 車の中にいた信子の愛犬が後部座席から信子の運転席に移動して、信子の膝から窓越しに甘える様にサチコに吠えた。


「あっーワンちゃんだ~! ねぇ、ママ見て見て、ワンちゃん、可愛いネ~」


 自分の犬を可愛いと言ってくれると、誰でもうれしくなるものだ。信子は車の窓を少し開けて、サチコに犬がよく見える様にしてくれた。


「わぁーホントだ。可愛いですね~。なんて、名前ですか?」


 祐子にまでめられ、信子はすっかり上機嫌になった。一代で夫と苦労しながら県下最大規模の建設会社を創り上げた。いわば成り上がり者である彼女が、高圧的な感情を忘れ心から喜んでいる。


 子供たちも独立して、家にいてもひとりぼっち。たまに外出をしても、パーティに出てもありきたりのお世辞でうんざりしていた。


 寂しい。と感じた時から犬を飼いだした。犬は裏切らないし、余計な事を言ったりしない。だから犬は好きだ。知らない土地で知らない人から自慢の犬を褒められた事で、信子は普通の優しいオバサンになっていた。


「この子はねぇ、ルミちゃんっていうの——」


 すっかり気をよくした信子は、犬の自慢話しを始めだした。人というのは、自慢話を始めると止まらない。信子はこの場所に来た目的を忘れ、十五分間話しっぱなしだ。

 自慢話が一段落すると、信子はふと我に返った。約束の時間を十五分以上も過ぎている。


「あららっ、もうこんな時間が……。ごめんなさい。人と会う約束をしていたもので。道を教えてくれてありがとうございました。お嬢ちゃん、又ね~。そうそう、飴ちゃん、食べる?」


 別れ際に信子はサチコに幾つかのキャンディーをあげ、手を振りながら別れた。

 もう日も落ちた暗闇の中を、犬のかすかな鳴き声と共に車は静かに走り去って行った。





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