第6話 カミキリムシ
もはや、エリーの言葉などサチコの耳には届かない。空中で羽ばたきながら、心配そうにカミキリムシに声を掛けた。
「大丈夫?――」
カミキリムシはサチコに気が付いた様だ。苦しい表情で呟く。
「これが大丈夫に見えるか——。いや……気を悪くしないでくれ。助けてくれ。と言っても、アンタには出来そうもないが…………。
頼む、何でもいいから、俺に食べ物をくれ。腹が減りすぎて、力が出ないんだ。頼む、何でもいい……」
カミキリムシの言葉が終わらない内にクロアリ達は、サチコに気がついた。
「うるせぇーんだョ、お前ら——! オイお前、ミツバチの分際で出しゃばるんじゃねえぞ。お前も捕まえて連れて帰ちゃうぞ? ハハハッ……」
クロアリ達は、大きな獲物を仕留めている為上機嫌だ。サチコに罵声を浴びせている。
サチコはカミキリムシに何をあげようか? と考えた。今持っているのは、体の中の微量の蜜と足に持っている花粉団子しかない。取りあえず、花粉団子をカミキリムシの口の所へ投げてみた。
「いくわよ――。ええぃ!」
上空から落とすとなると、なかなか目標物には当たらない。風も有った為か、目掛けた位置よりかなりズレて落ちてしまった。
クロアリ達はその落下物が気になったのか、花粉団子の側に行ってみた。近寄ると、蜜の良い香りがする。一匹のアリが花粉団子を一口食べると歓喜の声をあげた。
「うめぇ~! こいつはうめぇぞー!」
その声を聞くと、他のアリ達も我先にと一斉に花粉団子に群がった。
今しかない。そう思ったサチコはカミキリムシのお腹の上に降り立ち、体の中の蜜を絞り出す様にカミキリムシの口に出した。サチコはカミキリムシに蜜の雫を与えるとすぐ上空へ逃げた。
身動きが出来ないままカミキリムシは、サチコに与えられた蜜を何とか飲み干した。
「美味い——」
カミキリムシは、クモの糸をほどこうと体をくねらせた。しかし、頑丈なクモの糸を断ち切る事は出来なかった。
「ちくしょう――。駄目か……」
カミキリムシはもはや、諦めそうになった。折角のチャンスをモノに出来なかった。サナギから羽化したばかりで、浮かれて蜘蛛の巣に引っ掛かった我が身を呪った。
一方、サチコを心配するエリーはサチコの側にやって来た。
「サチ様、もうお止めになって下さい。彼らも残酷ですが生きる為なのです」
もはや、エリーの言葉はサチコには届かない。目の前で起こっている異常事態に感情的になっている様だ。バッタがカエルに捕食される現場を見てしまった。それがトラウマになってしまったのか、なんとかして助けたい。と願っている。
「エリーお姉ちゃん、お願い。あのカミキリムシを助けて――。お姉ちゃんなら、あのローヤルゼリーを作れるんでしょ。お願い、一回だけでいいから彼に、あげて――。お願い、助けてあげて――」
サチコはエリーに助けを求めた。最初は遠巻きに見ているつもりだったが、サチコにここまで頼まれると、エリーは嫌とは言えない。なにしろ名前を授けて貰い、尚かつお姉ちゃんとまで呼んでくれているのだ。どうして、助けを拒む事が出来よう。
「解りました、やってみましょう。私が、ハイと言ったら、この花粉団子をあのクロアリ達にぶつけて下さい」
エリーはそう言うと、サチコに自分の花粉団子を渡した。エリーはその後激しく口を動かしている。
一方、地面ではクロアリ達は、花粉団子を食べて御機嫌が良いようだ。上空で羽ばたいているサチコに向かって、相変わらず罵声を浴びせている。
「オーイ、さっきのは、もう無いのか。又食ってやるから早く落とせー」
エリーは依然として、激しく口を動かしている。花粉を体内で消化し自らの分泌液である大アゴ線や下咽頭線にてローヤルゼリーを即興で作る。
サチコはエリーを心配そうに見ている。やがて、エリーはサチコに向かってニッコリと微笑んだ。
「お待たせしました。そろそろ行きましょうか————。ハイ!」
エリーの合図でサチコは花粉団子をアリ達に向かって投げた。投げられた花粉団子にアリ達は、我先にと一斉に花粉団子に向かっている。
その隙を突いて、エリーはカミキリムシのお腹に降り立った。急いでエリーは口からローヤルゼリーをカミキリムシへと渡すと、上空へ避難した。
ローヤルゼリーを受け取ったカミキリムシは、身体の自由が効かないまま大急ぎで食べている。一口食べると歓喜の声を上げた。
「なんて美味いんだ——」
その様子を一匹のアリが見ていた。
「おい、何食ってんだ?」
ローヤルゼリーの甘い香りに他のアリ達も気がつき、一斉にカミキリムシの口元に群がっていく。
「ウオオッ――――」
大地を揺るがすかと思うほど、大きな声が響き渡った。カミキリムシは体をくねらせ、地面を利用してクモの糸を引きちぎった。
アリ達は大事な獲物を逃がすまいとカミキリムシの至る所に噛み付いている。
しかし自由になったカミキリムシは、手足や自慢の長い触角でアリ達をなぎ払う。自由になったカミキリムシにとって、アリ達はもはや敵ではない。カミキリムシ特有の長くしなやかな触角は、鞭のように縦横無尽に動き続け、アリたちを遠くへ弾き飛ばしてしまった。
辺りにクロアリがいない事を確認すると、カミキリムシは大きな羽根を広げ、サチコ達のいる上空へと飛び上がった。
「ありがとう、おかげで命拾いしたぜ。処で、あの美味しい物は一体なんだい?」
「あれは花の蜜とローヤル――――」
「あれは、花の蜜です。キットあなたは、お腹が空いていたから美味しく感じたのでしょう。蜜がほしければ花の所へ行けば、いくらでも有りますよ」
サチコが喋っている内にエリーが話に割り込んできた。エリーは素っ気無い話し方をしている。
「そうか、オレはサナギから羽化したばかりなんで、よく知らないんだ……。
又、又何処かで会おう。ありがとょ——」
サチコ達にお礼を言うと、カミキリムシは何処かに飛んでいった。
地面では折角の獲物を逃がしたアリ達が、悔しそうにサチコ達を見上げている。
「さあ、行きましょう」
アリの視線を無視してエリーに促されサチコは花へと移動した。先程の件でお腹が減った様だ。何しろ、体中の蜜を出し切ったからだ。花に着くとエリーはサチコに言った。
「サチ様、あまり他の虫にローヤルゼリーの事は言わない方が—―」
「どうして?」
「先程のカミキリムシは、蜜を吸ったでしょう。もし私達の巣を襲ってきたらかなり苦戦すると思います」
エリーの心配はもっともだ。先程のカミキリムシは、ルリボシカミキリといって、体が青く黒い斑点が有るのが特徴だ。そのルリボシカミキリムシは樹液を吸う。それに彼らはなぜか時々、花の蜜を吸う事がある。
普通カミキリムシというのは、花の蜜など吸わないのだ。もっぱら、樹の若枝を頑丈な大あごでかじり取る様に好んで食べている。
カミキリムシは甲冑類だ。堅い外骨格で体全体を覆っている。もちろん、ミツバチの針などは刺さらない。対抗するには難敵なのだ。しかし、心配は杞憂だ。実際には争いは起こらない。ルリボシカミキリムシは争いを好まない穏やかな性格だ。
「ごめんね、エリーお姉ちゃん。そこまで解らなかったの」
「いえ、いいんですョ。でももう、他の虫を助けるのは、これで最後にして下さいネ、危険だという事がこれで解ったと思いますから」
「うん—―」
エリーにたしなめられて仕方なくうなずいた。確かに弱肉強食の厳しい世界ではあるが、目の前の惨劇を見過ごせ無かったのだ。
「さあ、気分を新たにして、仕事に行きましょうか?」
「はい」
「じゃあ、サチ様、昨日のあの場所に行ってみましょうか?」
「あっ、そうだった。さっきの事件で忘れてた。お姉ちゃん早く
行こう」
カミキリムシを助ける事に夢中になり過ぎて、自分の大切な使命を忘れかけていた。
サチコは勢いよく飛び上がると、生前の実家を目指して飛んで行った。
「アッー待って下さい。サチ様――――」
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補足:ルリボシカミキリムシ
・大きさは30㎜。日本で一番美しいカミキリと言われてます。澄んだ鮮やかな瑠璃色に黒い斑点が特徴。切手のデザインになるほどの美しさを持っています。
このカミキリは幼虫時には朽木を食べて成長します。成虫になると基本、花粉や果実、樹液などを餌とします。他のカミキリムシのような生木を食べません。
幼少の頃には田舎の実家でよく見かけましたが、最近ではあまり見なくなりました。何処に行ったのでしょう?
・日本を代表するカミキリムシといえば、大型のシロスジカミキリ。驚かすと「キィキィ」と音をたてて威嚇します。体長45~70㎜。大きいですね。迂闊に触ると噛みつかれます。痛いです。
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