第7話 ラスボスお父さん
「ここを通りたくば、私を倒してからにしろ」
決して大きくはない、いっそ穏やかにさえ聞こえる声がそう告げた。
低く艶やかで、相手を魅了するような美しい男の声だ。
けれど、誰もがその場にひれ伏してしまいたくなるような、絶対的強者の声だった。
アヴィスとヒヨコが骸骨門番を倒して門を潜ったことは、会員制交流場を介して瞬く間に魔界中に拡散された。
魔界には、地界に未練がある死人や地界で悪さをしたい魔物が大勢いる。
そんな連中が、魔界を抜け出すなら今だとばかりに、大挙して門の前に押し寄せたのだ。
ところが、いまだバラバラの骨を番犬達にしゃぶられまくっている門番に代わって、彼らの前に立ちはだかったのは魔王ギュスターヴだった。
巨大な黒塗りの門の前に悠然と佇む彼には、一切付け入る隙がない。
アヴィスでは床に引きずってしまったマントも、本来の主が羽織れば風を浴びて裾をはためかせていた。
「どうした。かかってこないのか」
予想だにしないラスボスの登場に、有象無象はどいつもこいつも固まってしまっている。
自分を倒して門を突破しようという気概のあるものは皆無だと判断したギュスターヴは、パンパンと両手を打ち鳴らした。
「はい、解散解散」
それを合図に、魔物も死人も弾かれたように動き出し、我先にと逃げていく。
きっとこの後、オフ会で散々愚痴るのだろう。
ギュスターヴは足下にじゃれ付いていた番犬の頭を撫でながら、ようやく骨を回収した門番に向き直った。
「すまなかったな、プルートー。私の子が悪戯をしたようだ」
「私の子って……あんた、あれを悪戯で済ますんです?」
「悪戯だろう。そして、子供は悪戯をするものだ」
「悪戯で全身バラバラにされた上に骨を盗まれたんじゃ、たまったもんじゃないですよぅ!」
プルートーと呼ばれた門番が地面に座り込んだまま、歯をカタカタいわせて抗議する。
アヴィスが左の大腿骨を持っていってしまったせいで立てないのだ。
そんな中、ギュスターヴが門番と向かい合っているのをいいことに、こっそり門を出よう目論む魔物がいた。
腹に女の顔がついた土蜘蛛である。
土蜘蛛の巨体は、その八本の長い足でもって音もなく門に近づいたのだが……
「私を倒してからにしろと言っただろう」
ギュスターヴが振り返りもしないまま右手で空を薙いだとたん、一瞬にしてバラバラになってしまった。
毒を吹き掛ける間も、鋭い鋏角で対抗する間もなくである。
あっけなく倒れた土蜘蛛を、ギュスターヴは赤い瞳で無感動に見下ろす。
かと思ったら、ふいに脚を一本を拾い上げて門番に差し出した。
「大腿骨の代わりにこれをくれてやるから、そうカリカリするな」
「いやあ! ゴリゴリに毛が生えてて気持ち悪ぅ……でも、不思議! サイズぴったり!」
「よかったな」
「よかねーわっ!」
とは言いつつも、背に腹はかえられない。
しぶしぶ左の太ももだけゴリゴリに毛深くなった門番は、気を取り直して立ち上がった。
「それで、どうするんです? お嬢さんが、死人と連れ立って出て行ってしまいましたよ?」
「ほう、死人。何者だ? アヴィスの友達か? なんと、この短時間でもう友達ができたのか? 我が子ながらすさまじいコミュ力だな」
「はあ……まあ、友達じゃなくて彼氏かもしれませんけどね。男でしたから」
「――なに? 彼氏、だと?」
とたんに膨れ上がった魔王の怒気に当てられ、まだ息があってピクピクと蠢いていた土蜘蛛が木っ端微塵に飛散した。
その残骸が、パラパラと雨のように降り注ぐ。
「……今朝生まれたばかりだぞ? まだ、彼氏を作るには早い」
唸るようなギュスターヴの声に、厳つい面構えの番犬達もすっかり怯え、後ろ足の間に尻尾を巻き込んでブルブルと震えている。
失言をした門番はというと、鎌の柄を杖にして、こう呟くのがやっとであった。
「ぴええ……お父さん、落ち着いて」
魔界と地界とを繋ぐ、長い長い階段の果て。
ようやくたどり着いた扉を開くと、そこは大きな池のほとりでした。
その対岸に見える丘の上に、雪を纏って立っているのは……
「グリュン城だわ。私、本当に帰ってきたんですね……」
大陸の北に位置し、一年の半分以上が雪に覆われるグリュン王国。
にもかかわらず、この城の裏にある大きな池が凍らないのは、ここに生息する巨大な古代魚が常に水の中を泳ぎ回っているせいと言われています。
これまで幾人も犠牲になってきたため、決して近づいてはいけないと幼い頃から言い聞かされてきましたが、しかしこの池のほとりに魔界へ通じる扉があるなんて知りもしませんでした。
ところが、グリュン城を見上げるのをやめて後ろを振り返ったとたん、私は思わず隣に立つヒヨコと顔を見合わせます。
「扉が……」
今まさに潜ってきたはずの扉が、忽然と姿を消してしまっていたのです。
ともあれ、グリュン王国に帰ってきたからには目的を果たさねばなりません。
私は積もった雪をサクサクと踏みしめて丘を上り、ヒヨコを連れたまま堂々と正門から城を訪ねました。
……まあ、当然のことながら騒然となりましたわね。
「ア、アアア、アヴィス様っ!? ひえええ……おおお、おれ! 幽霊とかそういうの、だめなんですっ!! しかも、思いっきりヤバそうなの連れてるじゃないですかっ!!」
「安心してください。幽霊じゃありません。ちょっと死んで新しい身体になっただけです。そして、こちらの彼はただの可愛いヒヨコです」
「いや、全然分かんないっす! そんな、ちょっとお着替えしてきただけー、みたいに言われても! しかも、お連れ様の一体どこらへんがヒヨコなのか、説明できるものなら説明してくださいってんですよっ!!」
「ピヨピヨと、私の後ろをついてくるところですけど?」
ところで、何も考えずにワンピースとパンプスという軽装かつ薄着で来てしまいましたが、雪深い中だというのに寒く感じないから不思議です。
対して、もこもこの防寒具に身を包んだ若い門番は知った顔でした。
名前はトニー。私が生まれ育ったローゼオ侯爵家の家令の三男です。
トニーは、死んだはずの私が色違いになって現れたことと、どう見ても生きた人間ではないヒヨコの姿に驚きましたが、しかしすぐに涙ぐみ……
「おれ、おれ……お葬式でアヴィス様の棺を担いだんですよぅ。あんなに泣いたの、生まれて初めてなんですからぁ……」
「まあ……それはどうも、ごめんなさいね……」
どうやら私が死んでから今日で五日目らしく、元の身体はやはりすでに墓の下のようです。
いじらしいことを言って泣きじゃくるトニーに、私は身に付けているもので唯一金目がありそうな赤い宝石の髪飾りを与えました。
元々は私のものではありませんが、私の髪を飾ったからにはもう私のものです。
異論は認めません。
現在時刻は午後四時を回ったところ。
いつの間にかお茶の時間も過ぎていました。
そういえば、ずっと飲まず食わずにもかかわらず、喉は渇かないしお腹も空きません。
不思議に思って首を傾げていた私に、トニーはおそるおそるといった様子で尋ねました。
「そ、それで、アヴィス様。どうして戻ってらしたんですか? やっぱりあれですか? ご自身に毒を盛ってエミール殿下をはめようとした何者かに復讐を……?」
「復讐……そんなこと、思いつきもしませんでした」
私は確かに殺されており、その自覚も記憶もあります。
とはいえ、髪と瞳の色以外は生前と変わらない身体で今現在問題なく動けているせいでしょうか。
実を言うと、下手人に対する恨みや怒りはさほどないのです。
しかしながら、期待されると応えてしまいたくなるのが人間というもの。
魔王の血肉でできた器が、人間に数えられるかどうかはさておき。
せっかく地界に戻ってきたのです。
幽閉されているであろうエミールを救い出す前に、ちょっと第二王妃のところに顔を出して挨拶でもしてやりましょうか。
その節はどうも、と。
「そもそも、エミールが犯人ではないと、あなたはちゃんと理解しているのですね?」
「そりゃそーですよ! エミール殿下がアヴィス様を殺すわけないじゃないですか! だってあの方は……」
殺したはずの私がけろりとした顔で現れたら、あのいけ好かない女はさぞ恐れ慄くでしょう。
とたんにウキウキした気分になった私は、まだ何か言い募っているトニーの話も聞かず、ヒヨコと手を繋いで王宮へと足を向けたのでした。
ところがです。
時を経たずして、私は復讐相手と再会することになりました。
正門から王宮の玄関までの間に広がる庭園――その中ほどの雪の上に、第二王妃はエミールの父親であるグリュン国王と仲良く並んでいたのです。
「あらー……」
ただし――ともに、生首の状態ではありましたが。
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