第22話 魔王の寝首を掻く者
「ギュスターヴ、ごめんなさい……」
私はグスグスと洟を啜りながら、涙を拭ってくれるギュスターヴの手を握り締めました。
「ギュスターヴの精気……くどいって言ってごめんなさい」
「よしよし、どうした。いきなり殊勝だな」
「ジゼルのに比べれば、あなたのなんて生臭いミルクくらいなものでした」
「……なぜだろうな。素直に喜べない」
腑に落ちない顔をしながらも、彼が口直しに精気を吸わせてくれます。
やはりちょっとくどいとは思いましたが、さすがに口には出しませんでした。
しかし、彼の精気のおかげでしょうか。擦りむいた膝がたちどころに治りました。
それを見た私はふと、思ったのです。
「……精気は、吸うことしかできないのでしょうか」
例えば、私の精気をヒヨコに分け与えることができたとしたら、この膝の傷みたいに、彼のフードの下の顔も治ったりしないでしょうか。
試してみる価値はありそうです。
「ヒヨコ、ちょっと……ちょっと、いいですか?」
早速、ギュスターヴの腕の中からヒヨコに手招きをします。
好奇心は猫をも殺すといいますが……よくよく考えれば、私は猫ではありませんもの。
一人でそう完結した私は、素直に隣にしゃがみ込んだヒヨコに顔を寄せようとして……
「――アヴィス」
いつになく厳しい声で、ギュスターヴに名を呼ばれました。
首を竦めておそるおそる見上げれば、その顔は別段怒っているふうではありませんでしたが、凪いだ瞳がじっと私を見据えていました。
「迂闊な真似をするな。精気を吸い取られ過ぎれば、お前とて滅びるぞ」
「ヒヨコはそんなこと……」
「そいつに、加減ができればいいがな」
「……」
むっとして口を引き結んだ私の横では、ヒヨコがおろおろしています。
そんな私達を眺めて、ギュスターヴは小さく肩を竦めました。
そうして、パンと一つ手を打ち鳴らすと、仕切り直すように言います。
「精気云々はともかく、アヴィスはまず、飯を食え」
「めし……」
「お前はいったい何ならば食う気になるんだ? せっかくだから、城に帰る前にどこかで食っていこう。そこのヒヨコも一緒で構わん」
「本当ですか!?」
さっそく私はヒヨコと頭を突き合わせて、携帯端末を覗き込みます。
せっかくですので、吸血鬼を倒す案を寄せていただいたお礼を投稿ついでに、フォロワーさんにおすすめを聞いてみましょう。
反応はすぐにありました。本当に、皆さんお暇なんですね。
おかげで、今朝までやりとりをした〝血に飢えた獣〟さんの、ピンクコウモリアイコンはどんどん過去に埋もれていきます。
さようなら、マイフレンド……永遠に……
「パンケーキ……らーめん? ちーずどっく? たこ、やき?」
それにしましても、パンケーキ以外は聞いたこともないものばかりです。
付けていただいた画像を見る限りどれも美味しそうに見えますが、あいにくこの身体になって空腹を覚えたことのない私は食指が動きません。
そんな中、一際風変わりなものが目に飛び込んできました。
教えてくれたのは、またもやゴッドさんです。
「ギュスターヴ、これは何ですか? カエルの卵ですか?」
「それはタピオカだな。しかし、飯にはならな……いや、ひとまず子供が興味を持ったものから食べさせて徐々に品目を増やしていくといい、と育児板には書いてあったな……」
「おすすめされたのですけれど、これは美味しいのですか?」
「さて、魔界では一昔前に流行ったものだが、私もカエルの卵にしか見えなかったので食ったことがない。確か、今は天界でブームだという話だが……」
ふいに、ギュスターヴが言葉を切りました。
かと思ったら、私の端末を覗き込んで片眉を上げます。
「ほう、〝ゴッド〟……」
「あっ、だめだめ。だめですよ。あんまりじろじろ見ないでください」
ギュスターヴは顎に片手を当て、しばし天井を睨んでいました。
けれどもやがて、まあいいか、と小さく呟くと、今度は端末ごと私を抱き上げます。
そうして、頬をムニムニと擦り寄せながら言いました。
「そろそろ、私のブロックを解除しないか?」
「絶対いやです」
この後、ギュスターヴとヒヨコと三人でタピオカを飲んでいる自撮り写真を投稿しましたところ、思いも寄らない数のイイネとリツートをいただきました。
そうして図らずも、〝タピオカ〟の文字が世界トレンドに返り咲くことに貢献してしまったのです。
*******
大きいばかりで飾り気のないベッドに、目が痛くなりそうなほど真っ白いシーツ。
天蓋から垂れ下がるカーテンも、白。
この真っ白い世界で眠るのは、神とは対なす存在――魔王である。
ふいにその瞼が震え、銀色の長いまつ毛の下から鮮やかな赤が覗いた。
気怠げに小さく息を吐いてから、魔王ギュスターヴは口を開く。
「……アヴィス」
「ふぁい」
「……何をしている」
「……ぷは。血を吸っていました」
彼の喉元に突っ伏すようにして齧り付いていたのは、魔界にやってきて間もない人間の魂である。
髪と瞳の色以外は生前のままの姿だが、その身を構成するのはギュスターヴを筆頭とする魔物の血肉。
そして、その中に吸血鬼ジゼルの血肉も入っていると判明したのは、つい昨日のことだった。
「夢魔の血肉のおかげで精気を吸えるのですもの。吸血鬼の血肉が入っているのなら、血も吸えるのではないかと思いまして」
「なるほど?」
恐れ多くも魔王の寝込みを襲った元人間アヴィスに悪怯れる様子はない。
仰向けに身体を横たえたギュスターヴの上に乗っかって、呑気に頬杖を付いている。
彼女は何も知らない。
今まで魔王の眠りを妨げた者が、故意であろうとなかろうと、一様にどんな凄惨な末路を辿ったのかを。
ギュスターヴの方も、わざわざそれを語るつもりはないようだ。
アヴィスの唇を親指の腹でそっと開かせ、その牙と呼ぶにはあまりにもいとけない犬歯に眦を緩めている。
「ジゼルは、とてもギュスターヴの血を欲しがっていたのです。どれほどおいしいのかと思って確かめてみました」
「ふむ、それで? 私の血はお前の口に合ったか?」
勝手に血を吸ったことを咎めもせずに問うギュスターヴに、アヴィスは小さく首を傾げる。
それから、彼の胸に顎を乗せて答えた。
「よく、わかりません。おいしくもまずくもないです。これだったら、わざわざギュスターヴに痛い思いをさせて血を吸うより、精気をいただいた方が心が痛まないです」
その言い草に、ギュスターヴは吐息のような笑いを漏らす。
すると、少しだけばつが悪そうな顔になったアヴィスが、今度は彼の胸に頬をくっ付けて小さな声で呟いた。
「……齧ってごめんなさい、ギュスターヴ。痛かったですか?」
ギュスターヴは否と返して、自身と同じ色になったアヴィスの髪を撫でる。
優しく、丁寧に、心から慈しむように。
自分の血肉で健気に生きるこのか弱い存在が、彼はとにかく可愛くてならないのだ。
ただひたすら無償の愛を授けたくなるこの衝動を、親心と言わずに何と言おう。
口付けなど、もはや挿し餌だ。それで肉欲を刺激されるほど青くはない。
そう思っているギュスターヴは胸の上にいた〝我が子〟を引き寄せると、その唇を塞いだ。
じんわりと熱を奪われるのが、寝起きの気怠い身体には存外心地いい。
彼はなおも無垢な唇を啄みながら、ふと呟いた。
「私の寝首を掻く者がいるとしたら……それはお前だろうな、アヴィス」
とたん、元は緑だったという瞳をぱちくりさせたアヴィスが、慌てた様子で唇を離す。
今は赤い瞳でギュスターヴを胡乱げに見つめ、彼女はふるふると首を横に振った。
「うっかりあなたを倒したりなんかしたら、今度は私が魔王を務めることになるのでしょう? 全力でお断りです。そんな面倒なこと」
「ほう、魔王は面倒か?」
面白そうな顔をして問うギュスターヴに、アヴィスはいやに神妙な顔をして、大きくこくりと頷く。
かと思ったら次の瞬間、その表情は一変。
にっこりと、あまりにも無邪気な笑みを浮かべて言うのである。
「私はこのまま、ギュスターヴの脛を齧って面白おかしく生きるんですもの」
「――愛い」
今日もまた、魔界の平和な一日が始まる。
『第二章 死に損ないと血に飢えた獣』おわり
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