第21話 泣いちゃった



「私の子に文句があるというのならば、私が代わって聞こうではないか」

「ま、魔王様……」


 ギュスターヴの長い足の間から見えたジゼルの顔は、恐怖で引き攣っていました。

 ただでさえ青白い肌が、死人のヒヨコのそれのように青さを増しています。

 ついにはガタガタ震え出した彼女の手を、ヒヨコがすかさず振り解きました。


「……っ、このっ……死人のくせにっ!!」


 慌てて捕まえようとするジゼルの手を躱し、ヒヨコは床に足が付く前に大きく剣を振り抜きます。

 悲鳴を上げる間もなく、吸血鬼の首が宙を舞いました。

 長い黒髪と吹き出た血が同じ弧を描きます。

 にもかかわらず、その澱んだ両眼はギョロリと動いてヒヨコを睨みつけ、首無しの身体も再び彼を捕らえようと動くのです。

 きっと、刎ねた首だってすぐにくっついてしまうのでしょう。


「どうすれば……どうすれば、いいの……」


 不死身の相手を、一体どうやって倒せばいいのでしょうか。

 私が床に倒れ込んだまま、絶望に打ち拉がれそうになった時です。

 ふいに目の前の額縁が……いえ、私が覗き込んでいた股座の主が口を開きました。


「そこのヒヨコ――貴様に、吸血鬼の滅し方を教えておこう」

「……っ、魔王っ!!」


 とたん、ジゼルの生首が凄まじい形相で叫びました。

 なんでもいいですが、いい加減こわいです。

 夢に見そう……眠れればの話ですけれど。

 強大な敵を前にして、死人にかまっている場合ではなくなったのでしょう。

 ヒヨコに背を向けた首無しの身体が、こちらに――魔王ギュスターヴに掴みかかろうとします。

 刎ね飛ばされて宙を舞っていた首も、うまい具合にその断面の上に着地して、元通りの美しい吸血鬼に戻った――のも束の間。


「切って殺すのならば、再生が追い付かぬほどの速さで――」


 私は一瞬、何が起こったのか理解できませんでした。

 だって、ギュスターヴに掴み掛からんと迫っていたジゼルの体が、次の瞬間にはただの肉片になってしまっていたのです。

 ギュスターヴがしたことといえば、殊更爪が尖っているわけでも、刃が付いているわけでもない優美な指先で、さらりと空を撫でただけ。

 そんな中、ふいにギュスターヴがマントを脱いで、私をすっぽり覆うように上から掛けてしまいます。

 理由は、その後の展開を律儀に解説してくれたおかげで理解できました。

 ヒヨコ相手にまるで教鞭を執るように、魔王は淡々と続けます。


「最も効果的かつ確実なのは、燃やすことだ。魔物であろうと人間であろうと天使であろうと、肉体は等しく可燃物――灰になってはもはや蘇生も叶わん」


 とたん、ゴウッと音を立てて炎が上がります。

 さっきまでジゼルであった肉片も、ヒヨコの二本の刃に付着した血や脂までも、ことごとく飲み込まれてしまいました。


 

「焼き尽くせ、血に飢えた獣が無に還るまで」



 凪いだ声に似合わぬ、残酷な命令が下されます。

 それに従い煌々と燃え上がった炎は、床の絨毯を伝って扉にたどり着き、その向こうに押し寄せていた吸血鬼達をも捕らえました。

 耳を擘くような断末魔が幾重にも重なり、吸血鬼屋敷を揺らします。

 私はギュスターヴのマントの下に守られたまま、ただ身を固くすることしかできませんでした。

 けれども、そんな時間も唐突に終わりを迎えます。

 ギュスターヴが両手を一つパンと打ち鳴らしたとたんでした。

 ジゼルも、吸血鬼達も、彼らを飲み込んだ炎も何もかもが、跡形もなく消え去ってしまったのです。

 炎が舐めた絨毯と扉の焦げだけが、今し方の惨劇が現実であったと物語っていました。


「……」


 私の戸惑いなどどこ吹く風で、静寂が戻ってきました。

 しかし、それを真っ先に破るのもまたギュスターヴでした。

 彼はパンパンと埃を払うみたいに両手を打ち鳴らすと、まずはヒヨコに向かって言います。


「貴様はなかなかに筋がいい。だが、生粋の魔物を相手にするには明らかに力不足だ」

「……」

「その身が滅び去る最後の瞬間までアヴィスに仕える気があるのならば、師となる者を紹介してやってもいいが……どうする?」

「……っ、……っ!」


 ギュスターヴの言葉に、ヒヨコが一瞬の逡巡もなくこくこくと頷きます。

 それに満足そうに頷き返すギュスターヴを、私はマントの下からそろりと顔を出して見上げました。

 それに気づいているのかどうかは分かりませんが、ところで、と彼がこちらを振り返らないまま続けます。


「アヴィス、ネット上で知り合ったやつと安易に会ってはならんと知らなかったのか」

「……ぐす……知りません……だって、まだ始めたばかりですもの」


 私が涙声で答えたとたんでした。

 慌てて振り返ったギュスターヴが、ぎょっとした顔をします。

 彼はすぐさま駆け寄ってきて、床に転がっていた私を自身のマントごと助け起こしてくれました。


「そんなに泣いてどうした。膝か? 膝が痛いのか? しかし、わんぱく少年のような膝だな?」

「うっ……ぐす、痛くないです……」

「では、怖かったのだな? よしよし、もう大丈夫だ。悪い吸血鬼はお父さんがやっつけてやったぞ」

「お父さんじゃないですし……別に、怖くて涙が出てるんじゃないです……」


 じゃあなんだ、とギュスターヴが途方に暮れたような顔をしています。

 ヒヨコもおそるおそるといった態で寄ってきました。

 私はうるうるの瞳で、そんな彼らを交互に見上げて訴えます。


「さっきの、あの吸血鬼……ジゼルって方……」

「うむ、あいつが?」

「あの方、めっっっ……」

「め?」


 ぎゅっ、と一度きつく目を瞑り、ためられるだけためてから……




「……っっっちゃくちゃ! 精気がまずかったんですっ!!」




 全身全霊を込めて気持ちを吐き出しました。


「もう、辛くて苦くて酸っぱくて、そのくせ死ぬほど甘ったるい……最低最悪! まるで、この世の終わりみたいな味……っ!!」

「それほどか……逆に試してみたくなるな」

「いけません! 好奇心は猫ちゃんをも殺すのですよ!?」

「うむ、お前が言うと実に説得力がある」


 今は鼻の奥がツーンとしていて、涙が勝手にポロポロ溢れてしまいます。

 それを、さきほど吸血鬼達を容赦なく焼き尽くしたのと同じ手が優しく拭ってくれました。


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