第20話 凄惨な初オフ会



「ああ……」


 我が身を見下ろして、私はほとほとため息を吐きました。

 だって、膝を擦りむいてしまったのです。

 しかも、右も左も、両方とも。

 痛覚がないとはいえ、これではまるでわんぱく少年みたいではありませんか。

 まあ、ただすっ転んだだけなんですけれど。


「はあん……なんて芳しいのかしら……これが、魔王様の血の匂いなのですね……」


 そんな私のわんぱくな膝を眺めてうっとりとしているのは私のフォロワー、血に飢えた獣さん。

 その正体は数百年を生きる魔物で、この吸血鬼溢れる屋敷の親玉だったのです。

 女吸血鬼は、ジゼルと名乗りました。

 そうして、魔王の血肉から生まれた私の血を欲して、こうして屋敷に招いたと言うのです。


「ギュスターヴの血がほしいのでしたら、本人からいただいてくださいませんか?」

「それができないから、こうして代わりにあなたをいただこうとしているのですよ。魔王様がどれほど恐ろしい方か……あなたはちっともご存知ないんですのね」


 両膝を擦りむいたのは、ジゼルにいきなりガブリとやられそうになって、とっさにその膝から飛び降りたせいです。

 着地に失敗して両膝を打ちつけたものの、痛覚がないおかげでどうにかこうにかすぐに立ち上がって距離を取ることができました。

 けれども、安心したのも束の間……


「ヒヨコを離してあげてください。死人の血は吸わないのでしょう?」

「うふふ、だめですわ。だってこの子、わたくしの邪魔をしますもの」


 壁まで吹っ飛ばされていたヒヨコは慌てて駆け戻ってきて、ジゼルを切りつけました。

 ところが、当の吸血鬼は胴を真っ二つにされて臓腑を撒き散らしておきながら、廊下に溢れていた連中と同様に――いえ、彼ら以上の早さで復活してしまったのです。

 その有様はまさしく不死身。

 ジゼルはさらに、そのたおやかな姿からは想像もつかないほどの怪力でした。

 座っていたソファを片手で掴み上げ、それでもって容赦無くヒヨコを殴り付けたのです。

 かと思ったら、床に倒れこんだ彼の背中にソファを乗せ、頭を足置きにして座り直してしまいました。

 細長いヒールが、ヒヨコのフードに杭のように食い込みます。

 ヒヨコはどうにかして抜け出そうと懸命にもがいていますが、びくともしません。

 ジゼルは窓から入る光をさんさんと浴びながら、慄く私の腕を掴みました。

 

「あなたは……日光を浴びても平気なんですか?」

「魔界の日光は所詮紛い物ですもの。あなた達をおもてなしした成れの果て達には作用しても、生粋の吸血鬼であるわたくしには屁でもありませんわ」

「屁」

「あら……ごめんあそばせ」


 廊下に溢れていた知性の欠片もなさそうな連中は、この生粋の吸血鬼ジゼルの餌食となった人間や魔物の成れの果てなのだそうです。

 そもそも、彼らを使って私を害そうという意図はなく、この当主の部屋まで案内させるだけのつもりだったと言います。

 血をよこせとうるさかったのは、仕様でしょう。

 そうとは知らない私とヒヨコが派手に抗ったがために、成れの果てを総動員しての大乱闘に発展したわけです。


「あのような有象無象どもに、可愛いあなたを味見させてやる謂れはありませんわ。あなたの血の一滴までも、全てわたくしのものです」

「……私の血は、私だけのものですよ」

「はあ、うふふ、可愛い……可愛くて、美味しそう……」

「全然話聞かないんですね……絶対、私おいしくないですよ。精気がくどいんですから、血だってきっとくどいですよ」


 私をやたらと可愛い可愛い言うことからも分かるように、この女吸血鬼もまた、私の身体に血肉を加えた魔物の一匹だったのです。

 ほぼ裸の夢魔はしまっちゃいたいくらい可愛いと言っていましたが、まさか食べちゃいたいくらい可愛い派がいるとは想定外でした。

 強い力で引き寄せられたかと思ったら、膝小僧に滲んだ血を舐められます。

 痛覚はないので痛くはありませんが、傷口を舌で擦られるのは気持ちいいものではありません。

 ですので、美味! と叫んだその美しい顔に膝蹴りを喰らわせようとしましたが、あっさり避けられてしまいました。

 しかも、今度は首筋をベロリと舐められて、さしもの私も竦み上がります。


「あ、あなたに血を吸われたら……私も廊下の連中のようになってしまうのですか……?」

「うふふ、安心してちょうだい。あんな中途半端に食べたりしませんわ。余すことなく、全部食べてさしあげますわね」


 それを聞いたヒヨコが、がむしゃらに暴れ出しました。

 ジゼルは尖ったヒールでその頭を踏み込みながら、私の両肩を掴みます。

 そうして、ついに首筋に牙を立てられそうになった――その瞬間でした。


「――んむっ!」


 私も彼女の両頬を掴んで、ガブリッと食らいついてやったのです。


 首筋ではなく――唇に。


「――っ!?」


 至近距離で見開かれた吸血鬼の瞳は、やはりギュスターヴのそれよりも濁った赤。

 そこには、意外なほど冷静な表情をした私が映り込んでいました。

 ええ、自棄になって食らいついたわけではないのです。

 ギュスターヴの寝室でオランジュに精気を吸われた際に、身体の力が抜ける感覚を覚えたのを思い出したのです。

 もちろん、それでジゼルをやっつけられるとは思ってはいませんでしたが、少なからず意表を突くことには成功したようです。


「ぐっ、こ、この……小娘がっ……!」


 ジゼルは私を突き飛ばし、牙を剥き出しにして叫びました。

 その顔は怒りで真っ赤に、というよりは……あらあらあら、まあまあまあ。

 耳まで真っ赤。

 もしかして、赤面していらっしゃいます?

 思いがけず初心な反応に驚きつつ、しかし私も口元を押さえて床に倒れ込んだまま突っ込む余裕もありません。

 しかしヒヨコは、ジゼルの気が自分から逸れた瞬間を見逃しませんでした。

 頭を踏みつけていた足を振り払い、ソファをひっくり返す勢いで飛び起きます。

 双剣はたちどころに弧を描いて、吸血鬼の両の腕を切り落としました。

 けれども、それはすぐに意味を失います。


「何度切っても、無駄ですわっ!」


 瞬時に再生したジゼルの両腕が、ヒヨコの首を掴んで吊し上げてしまいました。

 そのまま圧倒的な力で締め上げられ、ヒヨコの両足が宙を掻きます。

 いかに剣の腕が立とうとも、元々は人間でしかないヒヨコでは生粋の魔物には歯が立たないのでしょうか。


「……っ、くっ! ヒヨコ……ヒヨコ!!」


 私は喘ぐように彼を呼びます。

 すでに死人である彼の首の骨が折れたとして、その結果どうなってしまうのか。

 私には想像もつきません。

 滲む視界を泳ぎ、床を這い寄ってくる私を見て、ジゼルが熱に浮かされたような声で言いました。


「わたくしの唇を奪うなんて、いけない子ですわ。この死人を片付けたら食べてあげますから、そこで大人しく待っ……」


 ふいに、ジゼルの言葉が途切れます。

 不思議に思って、私が顔を上げようとした時でした。

 




「――その〝いけない子〟とは、私の子のことか?」





 静かに響いたその声が、一瞬にしてこの場を支配してしまいます。

 低く艶やかで、穏やかにさえ聞こえるのに、絶対に逆らえないと思わせる覇王の声でした。

 けれども、私にとっては何よりも心強い声です。




「ギュスターヴ……」




 門限の五時にはまだ程遠いというのに、長いマントを翻した自称〝アヴィスのお父さん〟が私の前に立っていました。



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