第19話 浅はかでも、馬鹿でも、愚かでも
引き続き、ピンチです。
屋敷に入ってしまった私とヒヨコが遭遇したのは、知性の欠けらもなさそうな吸血鬼の群れでした。
なぜ、魔界新参者の私が吸血鬼と断言できるかというと……
『ちを……ちを、よこせ……』
彼らがひたすらそう繰り返しているからです。
吸血鬼達は私とヒヨコを取り囲んで、ジリジリと間合いを詰めてきます。
ヒヨコは私を背中に庇いつつ両手に抜き身を剣を構え、私は私で得物を握り締めました。
もちろん、先日手に入れた骸骨門番の左大腿骨のことですよ。
まるで誂えたかのように手に馴染んだそれを構え、私がヒヨコの動きに合わせて一歩足をずらした時でした。
パキリ、と何かを踏んだ音が響いたのは。
「――っ!!」
たちまち、私達と吸血鬼達との間で保たれていた均衡が崩れ去ります。
張り詰めていたものが破裂したみたいに、わっと一気に吸血鬼達が襲いかかってきました。
ヒヨコの双剣は、それを容赦なく斬り倒し始めます。
五日前、地界から戻ると何故だか復活していた彼の右腕も大活躍です。
左腕一本でもグリュン王国の騎士達を軒並み戦闘不能にした腕前ですから、突進するしか脳がなさそうな連中が今の彼に敵うはずもありません。
微力ながら、私も大腿骨でもって立ち向かいます。
「えいっ」
吸血鬼達の動きはさほど素早くないため、ド素人の私でも何とかなるものです。
それにしましても、正当防衛だと思うと遠慮なくぶちのめすことができて大変爽快ですね。
ぐしゃっ、と相手が壊れる感触……なんともワックワクしてしまいます。
しかしながら、吸血鬼達は意外にしぶとく、倒しても倒してもすぐに復活してしまいます。
私の身体は生前よりは疲れにくいようですが、このままではさすがにバテてしまうでしょう。
「ヒヨコ、ひとまず逃げませんか?」
キリのない戦いに見切りをつけた私は、鬼神のごとく双剣を振るっていた頼もしい相棒にそう声をかけます。
それに小さく頷いたヒヨコは、目の前に迫ったガタイのいい一匹を屠って、その首無しの身体を押し寄せる吸血鬼の群れに投げ入れました。
知性の欠片もない連中だと思っていましたが、無惨な仲間の死骸を忌避するくらいの感性はあるようで、一瞬そこにぽっかりとした空間が生まれます。
ヒヨコはすかさずその隙を付き、私を抱えて包囲網から抜け出しました。
とはいえ、玄関扉や窓の周りには大勢たむろしていて、外に出るのは到底無理そうです。
私達は否応なく二階を目指すことになりました。
ヨタヨタと吸血鬼達が階段を上って追いかけてきます。
さらには、二階の廊下の奥からも、新たにわらわらと現れました。
ヒヨコに抱えられているだけの私は、この状況を打開するべく案を募ることにします。
会員制交流場のフォロワー各位、に。
「〝吸血鬼の効果的な倒し方をご存知ありませんか。マジレス希望〟と。……これでは、冗談だと思われて相手にされないかしら?」
幸いなことに、この心配は杞憂に終わりました。
だいたい、こんな昼日中から会員制交流場に入り浸っているのは暇人ばかりなのです。
私の呟きが冗談であろうと嘘松であろうと、暇潰しになりそうだと思えば乗ってきてくれます。
それを証拠に、フォロー外の人を含めて、各方面からさまざまな吸血鬼対処法が寄せられました。
しかしながら……
「ニンニク、銀、流水……あいにく、どれも手元にありませんね」
せっかく教えていただいたどれもこれもが、今すぐこの場で用意できるものではありません。
そうこうしているうちに、私達はいよいよ廊下の突き当たりに追い詰められてしまいました。
背後には、ぴったりとカーテンが閉まった窓。
これを突き破って、私を抱えたまま飛び降りようかどうしようか、とヒヨコが悩んでいるのがありありと分かりました。
二階ですから、着地に失敗してもそう大したことにならないでしょう。
私にはどうせ痛覚もないですし、ヒヨコなんてそもそも死人ですもの。
ああ、それでも……
「こわいのは、こわいんですよね……」
一度死んだ身なれど、恐怖は生前同様に覚えるのです。
迫る吸血鬼の大群も、二階の窓から飛び降りるのも、本当はどちらも恐ろしい。
ええ、分かっています。
この状況を招いたのは私の浅はかさだということは、いやというほど自覚しているのです。
ここを訪れることをヒヨコは反対したのに、彼の優しさに付け込んで押し通してしまった私が馬鹿だったのです。
どいつもこいつも愚か者だと思っていましたが、むしろ私が一番愚か者でした。
ヒヨコを巻き込んだことも人並みに申し訳なく思います。
それでも彼を頼らざるを得ない自分が、とても恥ずかしい。
でも、でもでも、それでも――
「生前の私なら、こんなことできなかった。少しでも、エミールの足を引っ張るかもしれないと思うと、私は何もできなかったの――」
エミールという抑止力がなくなって、今はとても心が軽いのです。
死んでおいて言うのもなんですが、やっと自分の人生を歩み始めたような気がするのです。
浅はかでも、馬鹿でも、愚かでも、私はちゃんと私のために存在している。
「私の人生は、私のものだもの」
ぎゅっ、とヒヨコが私を抱きしめてくれました。
言葉はなくとも、祝福されているように感じたのはきっと気のせいではないでしょう。
それが嬉しくて、私も彼を抱きしめ返した――その時でした。
ピコン
場違い極まりない軽快な音を立てて、新たなリプライが届きました。
私はもはや何の期待も持たず、ヒヨコとくっついたままおざなりに携帯端末の画面を覗き込みます。
ところが、そこに表示された相手の名前に、私の心臓はたちまち大きく高鳴るのでした。
「はわっ……ゴッドさん!?」
赤褐色の賢そうな猫をアイコンにしたアカウント名〝ゴッド〟さんは、何を隠そう、私のフォロワー第一号。
普段は猫の写真ばかり投稿していますが、私の呟きには逐一イイネをくださるまめな方です。今朝のギュスターヴの寝顔にだって、真っ先に反応してくれたのでした。
「はわわわ、ゴッドさんからの初リプ……」
自分の置かれた状況も忘れて、私はすっかり舞い上がってしまいます。
ヒヨコの耳には、きっとうるさいくらいの心音が届いていることでしょう。
興奮冷めやらぬまま、私は携帯端末を恭しく両手で持って、ようやくゴッドさんからの返信に目をやります。
そこに書かれていたのは……
「……日光」
ゴッドさんが挙げたのは、この魔界では決して得られぬものでした。
地界の地面に阻まれ、太陽の光は一欠片も届かないのですから。
一瞬がっかりしかけた私ですが……ふと、あることに気づきます。
「日光の届かない場所にありながら、この吸血鬼の館が昼日中からカーテンをぴったり閉め切っている意味は……?」
ここまで呟いてはっとした私は、すぐ背後の窓を締め切っていたカーテンを引っ掴みました。
そうして、えいやっとばかりにそれを全開にし、屋敷の中に光が差し込んだとたんです。
『ギャアアアア!!』
喉が枯れんばかりの悲鳴を上げて、吸血鬼達がのたうち回り始めたのです。
「やっぱり! 魔界の光でも利くんだわ!」
ここからの、ヒヨコの状況判断と決断力は目を見張るものがありました。
床に転がる吸血鬼達を踏みつけて、即座に前進。
再度、包囲網の突破に成功します。
私も彼の腕から身を乗り出して、手当たり次第にカーテンを開いていきました。
光を浴びたとて吸血鬼達が即滅びるわけではないようですが、ただ切った張ったするよりは断然時間は稼げます。
ぐしゃぐしゃと蹴倒し踏みつけて、私を抱えたヒヨコは死屍累々のごとき廊下を猛然と駆け抜けました。
そんな中、廊下の突き当たりに光が漏れている場所を見つけた私は叫びます。
「ヒヨコ、あの部屋の中へ!」
光が溢れる部屋の中に吸血鬼はいないはずです。
ヒヨコも同感のようで、扉の側でうろうろしていた吸血鬼をばっさりと薙ぎ払うと、息つく間もなく部屋の中に飛び込みました。
すぐさま扉を閉め、鍵をかけます。
廊下に溢れた吸血鬼の大半はまだ光を浴びた衝撃から立ち直っていないのでしょう。
カリカリと引っ掻く音や呻き声は聞こえてきましたが、今すぐ扉をぶち破って追いかけてくる元気はないようでした。
「よかった……」
私はようやくヒヨコの腕から降りて、ひとまずほっと安堵のため息を吐きます。
そんな私の手を引いて、ヒヨコは早々にカーテンが開け放たれた掃き出し窓に向かって歩き始めました。
吸血鬼達が復活して押し寄せてくれば、きっと扉などすぐに壊れてしまうでしょうから、彼らを足止めできている今のうちに、ベランダから安全に下に降りる手段を探ろうというのでしょう。
私は大人しく彼についていきながら、部屋の中を観察します。
随分と広くて立派な、言うなれば当主の部屋といったところでしょうか。
調度はどれも古めかしい印象ですが、手入れは行き届いているように見えました。
部屋の中ほどには低いテーブルを囲んで、赤いビロードのソファが、一つ、二つ、三つ、四……
「え?」
すぐ横を通り過ぎようとして初めて、私は気がつきました。
私達が入ってきた扉に背を向けて置かれていたソファに、誰かが座っていたことに。
私だけならともかく、ヒヨコが気づかなかったのは驚きです。
ソファに座っていたのは、長い黒髪の美しい女性でした。
瞳は赤ですが、ギュスターヴの鮮やかな赤とは違って、こう言ってはなんですが澱んだ血のようなどこか昏い色をしています。
肌も、色白を通り越して青白くさえ見えました。
ちょうど、さっきまで群れをなして私とヒヨコを襲っていた、吸血鬼みたいに――
「――ヒヨコ!?」
気がつくと、私の手を引いていたヒヨコは吹っ飛ばされて、壁に背中をめり込ませていました。
一方、私はというと……
「あ、あの……」
「うふふ」
いつの間にか、ソファに座った不健康そうな女性の膝に抱かれていたのです。
私よりは幾分背の高そうな彼女の身体は、襟の詰まった袖も裾もたっぷりと長いドレスに覆われていて、肌が見えているのは顔と手の指先だけという徹底ぶり。
ほぼ裸な夢魔オランジュとは対照的です。
ただし、ドレスの色がどピンクなので、オランジュとは別の意味で直視が憚られました。
私はゴクリと唾を呑み込むと、おそるおそる尋ねます。
「もしかして――あなたが、〝血に飢えた獣〟さん?」
とたん、彼女はにっこりと微笑みました。
その赤い唇からは、長く鋭い犬歯が覗いています。
尖った爪の先で私の頬を撫でながら、彼女は謳うように言いました。
「ええ、お待ちしていましたよ――〝死に損ない〟ちゃん」
記念すべきフォロワーとの初対面は、お互いのアカウント名のせいで罵倒し合っているみたいになってしまいました。
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