第48話 生肉生肉うるさい

 私がギュスターヴに電話をかけた時から、少し遡ります。

 寝起きの彼に見送られて、私はヒヨコとともに魔王城の外に出ました。


「さあ、ヒヨコ。今日は何をしましょうか」


 ヒヨコから答えが返ることはありませんが、一向にかまいません。

 だって、私が何をしようと、彼が嬉々として付き合ってくれると確信しておりますから。

 ヒヨコは、一月の修業から戻って以来、私の側を片時も離れようとしません。

 どこへ行くにもピヨピヨとついてきて、可愛いことこの上ないです。

 魔王城の中にはヒヨコのための部屋も用意されていますが、まったく使おうとする気配がない、とツンデレメイドの山羊娘がプリプリしておりました。

 私がギュスターヴのベッドで眠りこけている時でさえ、寝室の扉の前でじっと膝を抱えているのです。

 見かねた善良な魔物有志一同が、彼のために藁で編んだ室を置いてくれました。

 猫ちぐら、っていうそうです。

 元々は猫用の寝床なんですって。

 そんなヒヨコと仲良く手を繋いで、私は魔王城の門を目指します。

 ところがある場所に差し掛かった時、彼は私の手をぎゅっと握り締めました。


「おばあさま……」


 十日前まで、ここには古い大きな木が立っていました。

 ですが、今では焼け焦げた切り株が残っているのみです。

 足を止めてそれを見下ろす私に、ヒヨコがおろおろする気配がしました。

 私は、そんな彼の手を握り返して笑みを作ります。

 

「心配しないでちょうだい、ヒヨコ。もう取り乱したりしません」


 ドラゴンの吐いた炎によって、ここにあった古木が焼け落ちてしまったのは、とても残念な出来事でした。

 なにしろ私はそれのことを、老婆の声で話す古木の魔物だと思って慕っていたのですから。

 その正体が実は、くたびれたおじさんケンタウロスだっただなんて、二重でショックでした。

 とはいえ、それももう過去のこと。

 すでに立ち直っている私は、焼け焦げた切り株から視線を外し、ヒヨコの手を引いて再び歩き出します。

 やがて視界に入ってきた魔王城の門を守るのは、今日も今日とて、恥ずかしがり屋のガーゴイルでした。

 そして、その陰からぴょこんと飛び出してきた者にも、見覚えがあります。


「アヴィス、あーそーぼっ!」

「アヴィス! 生肉食いにこない?」


 私を遊びに誘うのは、真っ黒い髪、真っ黒い服、真っ黒いとんがり帽子、さらにはコウモリみたいな翼を持つ小さな男の子、クリスことクリストファーです。

 彼は、私がこの魔界で生まれ変わったのと同じ頃──おおよそ一月半ほど前に卵から孵った、魔女ウルスラとドラゴン族長の不義の子なのだとか。

 初めて会った十日前に比べていくらか言葉遣いが流暢になったクリスが、私とヒヨコに向かって大きく手を振ります。

 ちょうどその時、一匹のモブ魔物が門を潜ろうとしていました。

 魔界の門番プルートーみたいな、骸骨の姿をしたやつです。

 ちなみに、プルートーの左大腿骨は引き続き私が所有しており、今も腰のリボンに差して装備しております。

 クリスの手は、そんなプルートー似の魔物にぶつかってしまいました。


「いってーな! このガキ! 何しやがるっ!」


 名もなき骸骨が、眦……いえ、眼窩を吊り上げてクリスに絡み始めます。

 ちょっと手がぶつかっただけですのに、こんなにイライラしてしまうなんて、カルシウムが足りていないのではないでしょうか。骨のくせに。

 クリスの父親違いの兄に当たるらしいガーゴイルが、慌てて骸骨を宥めようとしましたが──手遅れでした。


「おい! ガキだからって、許されると思ったら大間違……」


 喚き散らしながら、骸骨がクリスの肩を掴んだ瞬間です。

 バンッ! という大きな音とともに、そいつの体が爆発してしまいました。

 バラバラになった骨が四散します。

 私の方にも勢いよく飛んできましたが、すかさず前に躍り出たヒヨコが払い落としてくれました。

 あわあわしているガーゴイル兄をよそに、元凶たるクリスは平然として言います。


「静かになったね」


 クリスには、害意を持ってその身に触れる者を木っ端微塵にする、などという前代未聞の呪いがかけられていました。

 今回は、相手が骸骨で本当によかったと思います。

 そうでなければ、肉片やら体液やら臓物やらが飛び散って、えらいこっちゃになっていたでしょうから。


「クリスのこの呪いに関しては、早急に周知徹底されるべきですね。後始末に駆り出される方々が気の毒ですもの」

 

 どこからか集まってきた犬達が、バラバラになった骨を咥えて散っていきました。

 またいつか、一つになれる日がくるといいですね。

 私は気を取り直し、ヒヨコとともに門の前まで歩を進めました。


「アヴィス! ねえねえ、遊ぼっ!」

「ごきげんよう、クリス。ここまで一人で来たのですか?」

「アヴィスも生肉好きだよねっ!」


 クリスが駆け寄ってきて、ヒヨコと繋いでいない方の手を握ってきます。

 周囲を行き交う魔物達は、今しがたの骸骨の末路を目にしたため、クリスと平然と触れ合う私にぎょっとした様子でした。

 しかし、こんな幼子に対して害意を抱くはずもありませんので、呪いなど恐るるに足りません。

 私がやんわりと手を握り返すと、クリスは顔を輝かせて言いました。


「あのね、アヴィスと遊びたいって言ったら、ママが送ってくれたの!」

「そうですか、魔女の方が」

「アヴィス、何の生肉好き? オレ、ブタのが好き!」

「アヴィスのパパにラインしたけど、返事こないって!」

「私のパパ……ではありませんが、ギュスターヴでしたら今さっき起きたばかりです。まだ携帯端末を見てもいないのではないでしょうか」

「魔王様? 魔王様はね、トリの生肉好きだよ! たぶん!」


 魔王ギュスターヴと魔女ウルスラ──魔界の頂点と次点は、前者の側近であるノエルが堕天してくるよりも前からの付き合いだといいますのに、連絡先を交換したこともなかったのだとか。

 それが、私とクリスがお友達になったのをきっかけに、先日やっと彼らもお互いをお友達追加してグループを作ったのだそうです。

 保護者達がどんなやりとりをしていようと、私にとっては知ったことではありませんが。


「それでクリス、今日は何をして遊びますか?」


 地界で人間をやっていた時は、グリュン王国第一王子エミールの婚約者として、毎日分刻みのスケジュールで生きていましたが、今の私には何の義務も責任もありません。

 グリュン国王として忙しい毎日を送っているらしいエミールには申し訳ありませんが……毎日遊んで暮らせるというのは、素晴らしいですね。

 強欲な第二王妃と公爵の期待を背負わされ、窮屈な毎日を送っていたジョーヌ王子なんて、自由を知らないまま死んでしまって本当に気の毒です。

 私がしんみりとしていると、同じく毎日が休日の幼子が、もじもじしながら言います。


「えっとね、おままごとがしたいの。ヒヨコが子供で、おれがお父さん! アヴィスはおかあ……」

「利き生肉して遊ぼっっっ!!」


 クリスの言葉をかき消すような大きな声が響き、私は眉を寄せました。

 ガン無視しておりましたが……さっきから、生肉生肉うるさいのがいますね。

 私は渋い顔をして、ここでようやく声の主に視線を向けます。

 

「生肉はけっこうです。そもそも、あなたはどなたなのですか?」

「オレ? オレ、ルー! これ、魔王様にもらった名前!」

「それはようございましたね。ところで──豚や鶏を生で召し上がるのは、絶対にやめた方がいいですよ」

「大丈夫! オレ、今まで一度も腹壊したことないもんっ!」


 元気いっぱいに答えた健康優良児は、灰色の毛並みをした狼でした。

 ただし、ヒヨコよりもガーゴイルよりも大きく、二本足で歩いて衣服を身に付けているところを見ると、ただの獣ではなく魔物でしょう。

 そういえば、十日前に執り行われた魔界の幹部会議にいたような気がしないでもないですね。

 話を邪魔されて口を尖らせたクリスがさりげなく触れていますが、その狼の魔物が木っ端微塵になる様子はありませんでした。

 そんな素性のわからない魔物が、ずずいっと顔を近づけてきます。

 ヒヨコが剣に手をかけつつ、私を背中に隠そうとしました。

 ここで、ガーゴイルが慌てて口を挟みます。

 

「こ、この方は! 人狼族の族長……えっと、今現在、一番強い人狼、ですっ!」

「まあ、そうなのですか? あなた、お強いの?」

「えっ? えへへへへ、そうみたい! よく、わかんないけど!」


 物理的には強くても、おつむの方はだいぶ弱そうです。

 ただし……


「お手」

「うんっ!」


 お手ができるくらい賢ければ、犬科としては十分でしょう。

 私が差し出した手のひらに、ルーとかいう人狼族の族長がさっと前足を乗せてきます。

 人の手指と同じ形ですが、モフモフの毛が生えているのと、手のひらの部分に肉球がありました。

 それにしても、でっかい肉球ですね。モミモミして差し上げます。

 するとルーは、しっぽをブンブンと振り始めました。


「えへ、えへえへえへ、アヴィスってかわいーなぁ! ねえ、オレのこと、パパって呼んでいいよ?」

「呼ぶわけないですよね。どうかしてます」


 まったく、どいつもこいつも。

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