第49話 コロコロ子狼の悲劇

「私の子を噛んだのは、どいつだ」


 ──血を流したな?

 

 その問いに対して答えを返さないうちに、ギュスターヴはやってきました。

 指摘された通り、私は彼との通話中に傷を負い、右の前腕から流血しております。

 おかげで、現在地を伝える手間が省けましたね。

 この自称〝アヴィスのお父さん〟は、たった一滴でも私が血を流すとやってきてしまうのですから。

 今回の傷は、噛まれてできたものでした。


「ジゼル、離れろ」

「いやですわぁ!」


 なお、傷口にはギュスターヴとほぼ同時にやってきた吸血鬼ジゼル──どピンクのコウモリが張り付いております。

 私の血が大好きらしい彼女も、流血に気づいて飛んできたようです。

 眉を撥ね上げたギュスターヴはジゼルを引き剥がしますと、私を軽々抱き上げます。

 そうして、無言のまま唇を塞いできました。

 ドッと流し込まれた精気は相変わらずくどいですが、効果は覿面。

 牙が突き刺さってできた四つの穴は、たちどころに塞がります。

 その光景を目にしたクリスは、ヒヨコの隣で何やら口を尖らせておりました。


「やれやれ、あなたは本当によく怪我をしますね。危機感が乏しいのは、やはり痛覚がないせいでしょうか」


 ギュスターヴにくっついてきていたノエルが小言を言いつつ、懐から出したハンカチで血の汚れを拭おうとします。

 もったいないいい! とジゼルが泣き叫んで抵抗しておりますが……なるほど、これがギュスターヴが以前言っていた〝もったいないおばけ〟とかいうヤツですね。おぞましいです。

 そんな元天使と吸血鬼の攻防を横目に、私を抱いたままのギュスターヴが吐いたのが、冒頭のセリフでした。


「さっさと名乗り出ろ。でないと──ここにいる全員を殺すぞ」


 ゆっくりと首を巡らせる魔王の前に跪いているのは、毛むくじゃらの連中です。

 なにしろここは、狼の魔物──人狼族の集落。

 モフモフ達は一様に、三角形の耳をペタンと伏せ、足の間にしっぽを巻き込んで、ブルブルと震えています。

 ぷんすこマックスの魔王に、彼らはすっかり怯えて切っているのでした。


 魔王城の門で話しかけてきた、人狼族の長ルー。

 彼もまた、私の体が作られる際に血肉を紛れ込ませたのだといいます。

 しまっちゃいたいくらい可愛い派の夢魔オランジュ、食べちゃいたいくらい可愛い派の吸血鬼ジゼルに続き、生肉をたらふく食べさせてあげたいくらい可愛い派が登場しました。

 生肉は、ルーの大好物だそうです。

 それを譲ってでも食べさせたいというのは親心であり、百パーセント善意なのでしょう。

 そんな彼に連れられて、私は魔王城から少し離れた丘の上にある人狼の集落までやってきました。

 クリスと、もちろんヒヨコも一緒です。

 生肉を食べてやるつもりは微塵もありませんが、人狼だらけのモフモフランドには期待しかありませんでした。

 実際、人狼の子供はコロコロの子犬みたいな姿をしていたものですから、私は思わずにっこりしてしまいます。全力で抱っこしたい。

 ところがここで、思わぬ騒動が勃発します。


「ふぅん……人狼族の内紛、かしら?」

「ここに並べられているのは、ルーが族長なのが気に入らない者達ということですか」


 私の血を舐めてツヤツヤになったジゼルを肩に乗せ、同じく私の血で汚れたハンカチを懐にしまったノエルが、ギュスターヴの隣に並びました。

 魔王、そして元天使と吸血鬼を戦々恐々と見上げているのは、ドラゴン族と並んで戦闘力が高いらしい人狼族の中でも、殊更屈強そうな体格をした者達です。

 彼らは、私を連れて集落に戻ってきたルーに、いきなり襲いかかった連中でもありました。

 

「ルー、貴様の兄はどうした」

「にーちゃんねぇ、奥さんと一緒に朝からでかけてる。友達の結婚式なんだって。明日帰ってくるよ」


 ギュスターヴの問いに、両の拳を血に染め、なおかつ返り血を浴びまくったルーが呑気に答えます。

 石造りの館の床は、いまや血の海でした。

 ルーが、同族を返り討ちにした跡です。

 人狼族最強というのは伊達ではないようで、束になって襲いかかってきたモフモフを、彼はあっという間にミンチにしてしまいました。

 ちなみに、壁や天井に赤い絵の具をぶちまけたみたいになっているのは、うっかり害意を持ってクリスに触れてしまったモフモフの成れの果てです。

 お掃除、頑張ってください。

 私を人質に取ろうとしたモフモフの首も、ヒヨコがスパスパ切って積み上げました。

 月見団子みたいになっています。

 そんな地獄絵図のごとき光景をにこやかに見渡し、ノエルとジゼルが頷き合いました。


「摂政役の兄上が留守の間に、族長をすげ替えようとしたのですね」

「まあまあ、浅はかですこと」


 ルーの兄は、聡明で人望の厚い人狼なのだそうです。

 腕っ節では弟には敵いませんが、総合的に見ると兄の方がずっと族長にふさわしいと考える者は大勢いたのでしょう。

 なにしろ、ルーは少しばかり……いえ、だいぶとおつむが残念なのは、会ったばかりの私でもわかります。

 幸か不幸か、兄自身は一族で最も強い弟を族長として崇めることに不満を抱いてはいないようです。

 つまり、今回のクーデターは、兄のファンクラブによる独断でした。

 過激なファン達は、邪魔なルーを始末し、推しが族長として立たざるを得ない状況を作ろうとしたのです。

 しかし……


「人狼族が誰を族長にしようとかまわん。納得がいくまで、殺し合いでもなんでもすればいい。ただ──私の子を巻き込んだことは、許せん」


 魔王の怒りを買ってしまったのは、想定外でしょうね。

 ルーにミンチにされたり、うっかりクリスに触れて木っ端微塵になったり、ヒヨコにスパスパ首を飛ばされたりせずに生き残った猛者達も、圧倒的強者を前にして硬直してしまいました。

 彼らから少し離れた場所では、コロコロの子狼が恐怖のあまり、じょばーっ! と滝のようなおもらしをしています。

 何を隠そうこの子狼こそ、魔王の怒りの元凶でした。

 

 集落に到着すると同時に大乱闘に巻き込まれ、無力な私はヒヨコによって、人狼達の牙や爪だけではなく血飛沫からも守られておりました。

 人狼族のいざこざはどうでもいいですが、それでモフモフが損なわれるのは看過できません。

 手っ取り早くラスボスに収めてもらおうというのは、我ながら妙案だと思いました。

 しかし、なかなか電話に出なかったギュスターヴに文句を言っている最中、思わぬ悲劇が起きます。

 大人達が起こした騒ぎに驚き逃げ惑っていた件の子狼が、私の足にぶつかってすっ転んだのです。

 コロコロしているので、それはもうコロコロとよく転がります。

 私はとっさに助けようと手を伸ばしたのですが──軽率でした。

 混乱し、怯え切っていた子狼は、見ず知らずの私に触れられたことで、余計にパニックに陥ってしまいます。

 がむしゃらに暴れて私の手から逃れようとして、ついついガブッとやってしまったのでしょう。


「狼は、噛むものです。それを失念していた私の落ち度でした」


 子狼に剣を向けようとしたヒヨコを、私はそう言って制しました。

 従順で聞き分けのいい彼は、私に子狼を責めるつもりがないとわかると、あっさり剣を引いてくれました。

 しかし、ギュスターヴは──自称〝アヴィスのお父さん〟はそうはいきません。


「アヴィスが許そうとも、私が許さん」


 大人げないったらありませんね。

 なんといっても魔王ですから、慈悲深くも倫理的でもありません。

 やると決めたなら、相手が年端もいかない子狼だからという理由で、温情を与えることはないでしょう。

 これはある意味、公平なのかもしれませんが……


「アヴィスを噛んだやつだけ差し出せ。他の者の扱いには、私は関与しない」


 ここに来て、私は人狼族の有様に感心しておりました。

 おそらく今この場にいるほとんどの人狼は、私を噛んだのが誰なのかを知っているでしょう。

 それなのに、激おこの魔王を前にしても、保身のために子狼を差し出そうとする者は一人もいなかったのです。

 狼は群れで暮らすと言いますから、元々連帯感が強いのでしょうか。

 とにかく、人狼族に対する好感度が爆上がりした私は、この緊迫の状況を打破することにしました。

 ギュスターヴに抱っこされているのをいいことに、その上着の胸元に手を突っ込みます。

 ノエルとジゼルも、おや? と眉を上げました。


「アヴィス? いきなりお父さんの胸をまさぐってどうした? あいにく、乳は出な……ん? お前、何を探しているんだ?」

「ギュスターヴが持っている魔法のカードがほしいです」

「魔法のカード、ですか?」

「まあまあ、そんなメルヘンチックなもの、魔王様はお持ちではないでしょう?」

「いいえ、私は知っているんですよ。なんでも買える黒いやつ、持っているでしょう?」


 クレジットカードのことかい! と魔王と元天使と吸血鬼が口を揃えました。仲良しですね。

 あれは子供がおもちゃにしていいものではない、とかなんとかうるさいです。

 おもちゃにする気なんてありませんのに、失礼しちゃいます。

 私の手をギュスターヴの胸元から引っこ抜いたノエルが、頭をなでなでしながら諭してきます。

 ジゼルは彼の肩から私の肩に飛び移りました。

  

「先日、携帯端末にヘイヘイアプリを入れてあげたでしょう? それで買い物しなさい」

「いやです。あれ、決済するたびに知らないおじさんの声でヘイヘイ言いますもの。あの覇気のない声、いったい誰のなんですか」

「キロンが開発したのですから、キロンの声なのではないかしら?」

「知らないおじさんの声が、くたびれたおじさんケンタウロスの声だと判明したころで、何らおもしろくありません」

「確かに、おもしろくはないな」


 ギュスターヴが小さく笑って、私に同意します。

 彼は自身の携帯端末を取り出して、何やら操作し始めました。

 人狼族は、完全に置いてけぼりです。

 私は結局、魔王のカードを奪うことは叶いませんでしたが……


「お父さんがたっぷりチャージしてやったから、それで何でも好きな物を買いなさい」

「アヴィス、私も送金しておいてあげましょうね」

「わたくしも差し上げますわ。充実した生活こそ、いい血を育みますのよ」

「あっ、オレも! アヴィス、オレもしてあげるねっ!」


 怒りを鎮火させることには成功しました。

 ノエルもジゼルも、当事者であるルーさえも、血みどろの光景が目に入っていないかのように、和気藹々としています。

 ヒヨコとクリスも、それを平然と眺めていました。

 人狼族だけが、ポカンと間抜け顔を晒しています。

 私は私で、途中で飽きて放置していたアンガーマネジメント講座の続きを受けてみる気になりました。

 無料キャンペーン終了まで、あと二月ほど。

 余裕ですね、きっと。

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