第50話 空から女の子が

「魔王様、アヴィスの護衛はあの死人でよろしいの?」


 そう問うどピンクのコウモリ──吸血鬼ジゼルに、町へ向かう我が子を見送っていたギュスターヴは視線も向けずに口を開いた。


「アレが勇者のもとでどんな修業をしてきたか、知っているか?」


 魔界の外れに小洒落たログハウスを建てて悠々自適の隠居生活をしている勇者は、広大な牧場を持っている。

 ただし、放牧されているのは牛でも馬でも羊でもなく、魔物だ。

 より強く、より凶暴で、より残忍な獲物を集めては、時折狩りを楽しむのが勇者の常だった。


「あのヒヨコとかいう死人は、一月その狩りに同行させられた」

「あらまあ、スパルタですこと」

「魔物に食われて消滅するか、音を上げて逃げ出せばそれまでだと思ったが……アレは、見事勇者を満足させて帰ってきた。アヴィスの側でアヴィスのために存在したい、ただその一心でな」

「左様でございますか。それはなかなか見上げた根性ですわねぇ」


 一月の間、おびただしい数の魔物を屠って腕を上げ、凄まじい量の返り血を浴びたことで、ヒヨコの体はもはやただの人間の屍ではない。

 そこまで告げて、ギュスターヴはようやくジゼルに視線をやった。

 

「今、アレとやり合えば……貴様も前回のようにはいかないだろう」

「あらあら……試してみましょうかしら?」


 ジゼルは獰猛そうな目で、すでに小さくなったヒヨコの背を凝視する。

 そんな魔王と吸血鬼のやりとりを、元天使は微笑みを浮かべて見守っていた。

 一方、顔を輝かせて言うのは人狼族の長だ。


「オレ、あのヒヨコって子と勝負してみたいなぁ!」


 ギュスターヴはここで、ジゼルから彼に視線を移した。


「ルー、なぜ人狼族の集落にアヴィスがいたのか説明しろ」


 その声にも表情にもすでに怒りはないが、人狼族はいまだ戦々恐々としている。

 彼らの長だけは、尻尾をブンブンと振り回しつつ元気いっぱいに答えた。


「あのね、魔王様! オレね! アヴィスにね! おいしい生肉をね! 食べさせてあげたくってね!」

「アヴィスは、生肉は食わんと言っただろうが」

「でもね! しゃとーぶりあんもね! あるんだよ!?」

「希少部位かどうかという問題ではない。いきなり生はやめろ、生は」


 族長のすげ替えを目論んだ人狼達が呆気に取られる。

 その様を、ノエルとジゼルが薄ら笑いを浮かべて眺めていた。


「うふふ、揃いも揃って間抜け面ですこと。けれど、驚くのも無理はありませんわ」

「馬鹿だ、阿呆だ、脳筋だ、と蔑みまくっていたルーが、これほど魔王様に受容されているのを目の当たりにしてはねぇ」


 信じられないと言いたげな人狼達に、今度はギュスターヴが無感動な眼差しを向ける。


「私に言わせれば、貴様らよりもルーの方がよほど賢いぞ。少なくとも、アヴィスを巻き込むことがどれほどのリスクを招くのか、こいつは本能的に理解している」

「うんうん。魔王様はアヴィスのこと、めちゃくちゃかわいーんだもんね?」


 アヴィスに対するルーの言動は百パーセント善意である。

 ギュスターヴもそれを理解しているため、可愛い我が子が執拗に生肉を勧められたと聞いても、別段怒りは覚えなかった。


「わかるよー、すごーくわかる。オレも、アヴィスかわいーもん」

「貴様も、あれに血肉をわけたのだったな」

「うんっ。ちょっとだけね。先っちょだけっ」

「どこの先っちょかは聞かないでおこう」


 人狼族は、相変わらず置いてけぼりだ。

 だが、これまでになく頼もしげにルーを見つめている。

 そんな中で唯一、ギュスターヴの目に留まった者がいた。

 アヴィスを噛んだ張本人であり、怒り狂う魔王にチビッて下半身ビシャビシャのまま震えている子狼だ。


「あいつの保護者はどうした。ちゃんと面倒をみてやれ」

「あっ、それオレだー。魔王様、あれね、オレの甥っ子。にーちゃん達が留守の間、頼まれたんだった」


 ここで初めて、魔王は人狼族の長に対して険しい顔をした。


「子供を預かったのならば、責任を持って面倒をみろ」

「はーい、魔王様。ごめんなさーい」

「私ではなく、あの子狼に謝れ」

「うん。ごめんねー、甥っ子!」


 魔王は現在、超絶真剣に育児に取り組むワンオペシングルファーザーである。

 そんな彼にとって、ネグレクトなどという悪逆無道は、けして看過できることではなかった。




 *******




『ヘイヘイ!』


 くたびれたおじさんケンタウロスの声とともに、決済が終了します。

 買ったのは、作りたてのお団子でした。

 白くて丸いお団子を四つ串に刺し、甘辛いタレを絡めています。


「アヴィス、ありがとっ!」

「どういたしまして、クリス」


 私もヒヨコも飲食に興味がありませんが、クリスがおいしそうに食べている姿を見ると和みます。

 クリスは無一文なものの、私のヘイヘイアプリがあるので問題はありません。

 魔界幹部達がこぞってチャージしてくれたおかげで、残高がどえらい額になっていますし。

 モチモチのほっぺにモチモチのお団子を頬張ってモチモチ咀嚼しているクリスをほのぼのと眺めていますと、お団子屋の中から声がかかりました。


「アヴィちゃんはー、相変わらず何も食べないで大丈夫なわけ?」

「精気はいただいているので問題ありませんよ──クモンスキー」


 お団子屋の店長は、びっしりと毛が生えた足が八本もある、クモの魔物です。

 ギュスターヴに成敗されたらしいクモ美の元恋人ですが、実は何股もかけられていたことを知って敵討ちをやめ、今はクモ江という新しい恋人と幸せに暮らしています。

 城下町の大通り沿いに店を構える、老舗お団子屋の後継らしいクモンスキーと、私は相互フォロワーの関係にありました。

 リアルよりもネット上で絡むことの方が多いのですが、せっかく町へ出たのでこうして店を訪ねてみたのです。


「そだ、アヴィちゃん。来月結婚式すんだけどー、出席してくんない?」

「クモ江さんと? 出会って一月余りでもう結婚を決めたのですか?」

「オレ達ってー、魔物の中じゃ短命な方なわけ。やっぱ、スピーディーに生きないとさー」

「そうですか……いえ、おめでとうございます。喜んで出席させていただきます」


 両家親族全員クモですので、私は絶対に浮いてしまうでしょう。

 八本足のドレスをギュスターヴにおねだりしてみましょうか。


「それにしましても……足が八本もあると、便利ですね」


 お団子を捏ねる、串に刺す、炙る、タレを塗る、箱詰めする、会計をする、が一度にできてしまうんですもの。

 しかし、私がクモンスキーの仕事ぶりに見惚れていますと、ヒヨコが慌てた様子で袖を引いてきました。


「ヒヨコ、どうかし……あらら、クリスがあんなところに!」


 隣でお団子を頬張っていたはずのクリスが、いつの間にかずっと離れた場所にいたのです。

 町を散策するのはこれが初めてらしい彼は、何に対しても興味津々でした。

 ただし、モンペ魔女によってえげつない呪いを付与されているものですから、町中を爆弾が歩いているのと同じです。

 呪いは比較的軽度な悪意でも発動してしまうため、クリスを放っておくと周囲は容易く血みどろになるでしょう。

 大惨事になるのを回避するため、私はヒヨコとともに慌てて彼を追い掛けました。

 ヒヨコ一人の方が早く追いつけるでしょうが、私は彼をクリスに触れさせたくないのです。

 ヒヨコは、私以外には基本的に無関心ですが、私に害を及ぼす相手にはとたんに好戦的になります。

 クリスの自由な行動が私を煩わせていると彼が判断した場合、全く害意を抱かないとは言い切れないのです。


「ヒヨコが木っ端微塵になるのは、絶対に嫌ですからね。あなたには、ずっと側にいてもらいたいですもの」


 走りながら言う私の横で、ヒヨコがこくこくと頷きます。

 深く被ったフードのせい……いえ、そもそも顔面がひどく損傷しているため表情はわかりませんが、彼が嬉しそうなのは伝わってきました。

 そうこうしているうちに、何かを見つけたらしいクリスが細い路地に入っていってしまいます。

 一列にならないと通れない幅のそこに、私はヒヨコに先導されて飛び込みました。


「クリス、待ってください!」


 薄暗い路地の先は開けているらしく、光が溢れていました。

 私の制止も虚しく、クリスの小さな背中はその光の中へと消えてしまいます。

 時を置かず、ギャッ、と小さな悲鳴が聞こえてきました。


「クリス──!?」


 私とヒヨコは一気に路地を駆け抜け──目に飛び込んできた光景に、はっと息を呑みます。

 そこは、四方を石造りの建物で囲まれた広場になっていました。

 真上からたっぷりと光が入るおかげか、植物が青々と茂っています。


「クリス……!」


 黒尽くめの小さな体は、刺股のようなもので押さえ込まれて、緑の中に埋まっていました。

 その周囲を、六匹の屈強そうな魔物が取り囲んでおります。

 体は鱗に覆われ、頭からは二本の角。

 長い尻尾と──クリスの背にあるのと同じ、コウモリに似た翼を持つ魔物です。


「ドラゴン族……」


 路地を抜けてすぐの場所には、白い猫のぬいぐるみが落ちていました。

 どうやらドラゴン族達は、これでクリスを路地の奥まで誘い込んだようです。


「やだっ……はなせっ! はなせよっ!」


 クリスは押さえ込まれているだけで、今のところは無傷なようです。

 逆に、ドラゴン族が一匹、右目から流血していました。

 クリスに、お団子の串で刺された模様です。

 さっきの悲鳴はクリスではなく、このドラゴン族のものだったのでしょう。

 リーダーらしき一際立派な体躯のドラゴン族が、足下でもがいているクリスを憎らしそうに見下ろして口を開きます。


「直接触れさえしなければ、害意を読み取られることもない」


 なるほど、その手がありましたか。

 ドラゴン族は脳みそまで筋肉タイプかと思っていましたのに、意外です。

 などと、失礼なことを考えていたのがバレたのかどうなのか。

 リーダーらしきドラゴン族が、私とヒヨコを鋭い目で睨みました。 


「用があるのはこのガキだけだ。あんたらに手を出して魔王様を敵に回す気はない。こいつを置いて、とっとと失せな」


 十日前に魔王城でクリスを追いかけ回していたドラゴン族達よりは冷静なようです。

 とはいえ、彼らの言葉に従うわけには参りません。


「クリスは私のお友達ですよ。置いてなんていくわけがありません。さっさとその子を解放してください」

「アヴィスー!」


 草むらに押さえ込まれたクリスが、嬉しそうに私の名を呼びました。

 私は腰のリボンからモンコツこと門番の大腿骨を引き抜き、一歩前に出ます。

 とたん、ドラゴン族達がざわりとしました。

 なんだ、こいつ! まさか、強いのか!? 的な目で見られてちょっといい気分になりましたが……残念ながら、私のはったりつよつよタイムは十秒足らずで終了です。

 ヒヨコにとっとと背後に押しやられてしまいました。

 シャッと音を立てて、ヒヨコが双剣を抜きます。

 その頼もしい背中から顔を覗かせ、私は肩透かしを食らったような顔をしているドラゴン族達に向かって言いました。



「私の戦闘力がゴミだろうと問題ありません──だって、私のヒヨコはとっても強いんですもの」



 たちまちヒヨコの全身に覇気が漲り、ドラゴン族達が怯みました。

 体格ではドラゴン族に到底敵わないですし、そもそも六対一なのですからヒヨコの方が圧倒的に不利です。

 それなのに──私は、彼が無双する未来がすでに見えた気さえしました。

 勇者とやらの下でどんな修行をしてきたのかは知りませんが、魔王も認めるその強さは伊達ではありませんよ。

 きっと、あっという間にドラゴン頭のトーテンポールができあがる──そう、確信した時です。



「──お前達、バカな真似はやめろっ!!」



 そんな叫び声とともに、突如空から何者かが降ってきました。

 私とそう変わらない年頃に見える、女の子です。

 燃えるような赤い髪の間から二本の角が生え、鱗に覆われた長い尻尾とコウモリみたいな翼を持っていました。

 彼女には見覚えがあります。


「クラーラ、でしたっけ?」


 十日前に行われた魔王城での幹部会議に、族長代理として出席していたドラゴン族の姫でした。

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