第35話 幼馴染で許嫁で兄妹
「──エミール? どうして、エミールが魔界に?」
ぱっと飛び起きた私は、目の前の相手に掴みかからんばかりにそう問いました。
朝早くにギュスターヴを叩き起こし、用が済んだ後は一緒に二度寝と洒落込んだものの、どうやら私の方が長く眠りこけていたようです。
主人不在の魔王の寝室はカーテンが引かれたままですが、すっかり明るくなってしまっていました。
「エミール、どうしてここにいるのですか? まさかあなた、死……」
言いかけて、私はとっさに自分の口を両手で塞ぎます。
例え話でも、エミールが死んだなんて口にしたくありませんでしたから。
そんな私をじっと見つめて、エミールがぽつりと問いました。
「僕が死んだら……アヴィスは困るの?」
「そんなの、当たり前でしょう。誰だって、大切な人にはできるだけ長く生きていてほしいものです」
「……大切なひと?」
「エミールは、今も昔もこれからも、ずっとずっと私の大切な人です」
と、ここまで言っておいて何ですが、最後に会った時に受けた仕打ちを思い出した私は、じとりと彼を睨みつけました。
「でも、インクをかけられたことと、目玉を抉られそうになったことは、まだ許していませんから」
「ああ、そんなこともあったなぁ」
「そんなこととは何ですか。エミールにあんなひどいことをされて、私はとっても傷ついたんですからね。謝罪と償いを求めます」
「謝罪と償いかぁ……報復なら、もう受けたんだけどね」
エミールは、何やら苦虫を噛み潰したような顔をしましたが、その後小さくため息を吐いて言うのです。
「アヴィスが急に色なんて変えてくるから、びっくりしちゃったんだよ。インクをかけたのは、僕の知るアヴィスに戻ってほしかったからだけだし、目玉を抉るなんて言ったのはほんの冗だ……」
「言い訳は結構。謝る気がないのでしたら、もうエミールとは口もききません」
ツン、と私が顔を背けますと、さしものエミールも慌てました。
彼は横を向いた私の顔の前に移動すると、心底すまなそうな声で言います。
「ごめん……ごめんね、アヴィス。いじわるして、ごめんなさい。どうか、許して?」
「さて、どうしましょうかしら」
「お願いだよ、アヴィス。アヴィスに嫌われたら、僕はもう生きていけないよ」
「まあ……」
私が死んだ一月余り前はまだ立太子もしていなかったエミールですが、すでにグリュン国王として立っていると言います。
ということは、私がグリュン城を訪ねた時、雪に覆われた庭に首だけ出して埋まっていた前国王の行く末は聞くまでもないでしょう。
「僕は本当に、どうしてここにいるのかな? 死んだ覚えはないんだけど……」
エミールは私の記憶にあるものより少し伸びた前髪をかき上げつつ、初めて見るような疲労を滲ませた顔でそう呟きます。
私はとっさに、熱がないか確かめるため彼の額に手を当てようとして……
「あら……触れられない……?」
「みたいだね。今の僕は、魂だけの状態なのかもしれないよ。なにしろ──こんなだし」
こんな、とエミールが指差した彼の足下を見て、私はぎょっとしました。
だって、エミールに足がなかったのです。
なんということでしょう。典型的な幽霊のフォルムではありませんか。
記念に写真を撮っておきましょうね。
もちろん、心霊写真を撮るのは初めてのことです。
いそいそと端末を起動して幽霊エミールを写真に収めていた私でしたが、ここでまたはっとします。
「もしかして、早く身体に戻らないとまずいのでは? このままでは、本当に死んでしまうんじゃありませんか?」
「さあ、どうだろうね。死んだことがないから分からないなぁ」
「死んだことがある私にも分かりません。こうなったら、分かりそうな人に聞きに行きましょう」
「それって……誰に?」
首を傾げるエミールを見上げ、私はきっぱりと告げました。
「ギュスターヴ──魔王です」
「──ちょっ、ちょっとちょっとちょっと! アヴィス!?」
エミールを連れて魔王の寝室を出た私は、早々に顔見知りに遭遇しました。
私の世話を任されたメイド、山羊娘ドリーです。
そろそろ私を起こそうと、水差しとグラスを載せたトレイを持って魔王の寝室を訪ねようとしていたところだったと言います。
ドリーは、私の隣でふよふよ浮いているエミールを指差し、青い顔をして叫びました。
「ななな、何なのよ、その子! おばけ!? おばけこわいっっっ!!」
「うるさい」
「うるさい」
わあわあとうるさいドリーに眉を顰めつつ、ギュスターヴはどこかと尋ねます。
すると彼女は、千切れて飛んでいきそうなくらい首を横に振りました。
「だめだめだめだめっ!! さすがに邪魔しちゃだめだからねっ! 魔王様は今、この先にある会議室に幹部を集めて定例会議をなさってるんだからっ!!」
「この先の会議室に魔王と愉快な仲間達が集まってるんですって、エミール。見に行きましょう」
「いいね、魔界の幹部とやらの顔を拝んでやろう」
「わぁああ! 私の愚かものぉおおおお!!」
水差しとグラスが載ったトレイを抱えているせいでドリーの動きが鈍いのをいいことに、私はワンピースの裾を掴んで走り出します。
こらーっ!! と焦った声が追いかけてきますが、知ったことではありません。
空中を泳ぐようにしてついてくるエミールは、あははっと声を上げて笑いました。
「こうやってアヴィスと走り回るの、久しぶりだね」
「そうですね。小さい頃は、よく一緒に泥だらけになって遊びましたのにね」
幼い頃から私とエミールは何をするのも一緒で、兄妹のように過ごしていました。
そんな私達も年を重ねるにつれ、お互いの立場を自覚するようになります。
エミールの許嫁として、私が本格的に清く正しく慎ましくをモットーにし出したのは、そういえば、両親が亡くなってからでした。
母親代わりとなった義姉に、淑女らしく振る舞いなさい、将来あなたは王妃になるのですよ、と厳しく躾けられたためです。
義姉の本心を知ってしまった今となっては、あんなに教育熱心だったのは私のためではなく、王妃の義姉となるご自身のためだったのかもしれませんが。
ともあれ、もう私はグリュン王国の王妃にはなりませんから、淑女らしく振る舞う必要なんてありません。
「ア、アヴィスー!! こらあ、待ちなさーい!! って、意外と足速いなあ!?」
「本当に速いね、アヴィス。もしかして、その体になって鍛えたの?」
「ええ」
と得意げな顔をして見せましたが、実際はオンラインフィットネスの三十日間無料体験で、足が速くなるトレーニング方法の動画を視聴しただけなのですけれど。
「……そういえば、あれって解約したかしら」
そうこうしているうちに、目的地──魔王城会議室の扉の前に到着します。
もちろん、最低限のマナーとしてノックをしようかとも思いましたよ。
ですが、こちとら何と答えが返ってこようと押し入る気満々ですので、わざわざ問いかけることに何の意味がありましょうか。
無意味なことは嫌いなんです。
ギュスターヴだって、グリュン城の国王執務室を訪ねてきた時、ノックをするどころか兄とヒヨコごと扉を吹っ飛ばして入ってきましたもの。文句は言わせません。
フォロワーさんが教えてくれました。
ああいうのを、〝ダイナミックお邪魔します〟と言うのだそうです。
そういうわけで、私がいきなりバンッと扉を押し開けますと、中にいた連中の視線が一斉にこちらを向きました。
ひいっと背後でドリーが引き攣った悲鳴を上げておりますが、知ったことではありません。
私は一同の顔をぐるりと見回してから、にっこりと微笑んで言いました。
「皆様、ごきげんよう」
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