第52話 フラグが立った

「邪魔するぞ……」


 人狼族の長ルーが甥っ子を着替えさせるのを見届けた後、魔王は側近とともに執務室に戻った。

 なお、戻ったからといって仕事をするとは限らない。

 ノエルが積み上げていく書類をギュスターヴが無感動に眺めていると、元からくたびれた様相の男が、さらに疲れ切った顔をしてやってきた。

 ケンタウロスの科学者、キロンだ。


「どうした、キロン。今日はまた一段としけた面をしているな」


 仕事をする気が微塵もない魔王の問いに、持参したタブレットを覗きつつ、キロンはいかにも憂鬱そうな表情のまま答えた。


「ヘイヘイアプリのカスタマーセンターに、突如とんでもない量の苦情が届き始めたんだが……何か知らないか?」

「知らん」

「知りませんね」

「決済音に覇気がなさすぎるから改善しろ、というものなんだが」

「皆目見当がつかんな」

「ええ、まったく心当たりがありませんね」


 ギュスターヴとノエルが、息をするように嘘を吐く。

 彼らは、心当たりがありまくりだった。


「意図してのことかどうかはともかく……十中八九、アヴィスが扇動したんだろうな」

「あの子、えげつない数のフォロワーがいますからねぇ」


 などと、今もまだアヴィスにブロックされたままの主従がヒソヒソする。

 そもそもキロンは、アヴィスを探してここにきたらしい。


「アヴィスなら町へ遊びに行っているぞ。くたびれたおっさんが私の子に何の用だ?」

「いや……ヘイヘイアプリの決済音を変更するなら、あの子に声を吹き込んでもらおうかと思ったんだが……」


 そのアヴィスこそが、カスタマーセンターに苦情が殺到している元凶だなんて、キロンは思ってもいない。

 そんな彼に、ノエルがさすがに同情を禁じ得ないでいる横で、ギュスターヴは難しい顔をして首を横に振った。


「そんなことをしたら、決済音を聞きたいがために散財してしまうではないか──私が」

「しますね。魔王様は、絶対にします」


 そうこうしているうちに、ついにカスタマーセンターのページが鯖落ちした。

 キロンはタブレットを前にして頭を抱えるが、ギュスターヴは気にも留めないまま話題を変える。


「それはそうと、キロン──妻の妊娠中に不貞を働いた男は問答無用で去勢させようと思うんだが」

「……なんだって?」

「不貞男強制去勢のベースは私が構築するから、貴様がシステム化しろ」

「いや、なんだって!?」


 くだらない冗談はやめろ!

 そう言い返そうとしたキロンだったが、相手の顔を見てさらに頭を抱えることになる。

 現在の主君であり、スポンサーでもある魔王が、そのくだらないことを本気でやろうとしていると悟ってしまったからだ。

 そんなキロンに、ノエルはまたもや同情しかけたが……

 

「あんたは、次から次へと無理難題を……! ヘイヘイの決済音を変更するのが先だから、すぐには無理だぞ!」

「できない、とは言わないんですね……」


 魔王とマッドサイエンティスト──この最悪の組み合わにより、不貞男強制去勢システムの導入が急速に現実味を帯びてきてしまった。

 思わず天を仰ぐ堕天使をよそに、後者がアヴィスに話題を戻す。


「あの子は、暗くなる前には魔王城に戻っているんだろうな?」

「門限が五時だからな。戻らねば、私が迎えに行く」


 魔王の仕事には消極的でも、アヴィスのお父さん業務はやる気満々である。

 アヴィスに血肉を分けたわけではないキロンは、それに肩を竦めつつ続けた。


「戻ったら、明日の朝まで外を出歩かせない方がいいぞ」

「おや、キロン。今夜、何かあるんですか?」


 故郷に向かって拝むのをやめたノエルの問いに、キロンがタブレットを操作しつつ答える。


「新月と銘打って、LED電球の一斉メンテナンスをすることになった。魔王はどうせ寝ている時間だから関係なかろうが……」

「寝ているな」

「爆睡中ですね」

「とにかく、魔界中が真っ暗闇になる。アヴィスが転びでもしたらかわいそうだから、出歩かせないようにしてくれよ」


 それは、生粋の〝いい人〟であるキロンの、百パーセント善意からの言葉だった。

 しかし、魔王と堕天使は心の中で声を揃える。


 フラグを立てやがったな、と。




 *******




 魔王城の城下町の真ん中には、大きな噴水がありました。

 一通り町を散策し終えた私達は、その縁に腰を落ち着けて休憩をとります。

 並んで座った私とヒヨコを胡乱な目で眺め、クラーラが呟きました。


「あんた達って、どうしてそんなに飲食に興味がないわけ?」

「私もヒヨコも、一度死んだ身だからでしょうか。私達にはおかまいなく、お二人はどうぞ召し上がってください」


 そう答えた私と自身の間にいる相手──クリスに視線を移し、クラーラは今度は呆れた顔をします。


「こっちはこっちで、いったいどれだけ食えば気が済むのよ」


 クリスはたこ焼きに続いて、チーズドッグ、クレープ、ソフトクリーム、たい焼き……そして、今は焼き鳥串を両手に三本ずつ持って、むしゃむしゃしております。

 ヘイヘイヘイヘイ言わされたのは、やはりクラーラの携帯端末でした。

 そのヘイヘイアプリですが、焼き鳥串の決済を終えた直後に緊急メンテナンスに入り、現在は使用できなくなっております。

 何があったのでしょうね。

 私には皆目見当もつきません。

 クラーラも私も、もちろんヒヨコも現金を持ち歩いていないため、クリスの買い食いもここまでとなりました。


「ねーね、焼き鳥おいしーよ!」

「あっそ、よかったわね」


 何度突き放しても、ねーね、ねーね、と慕ってくるクリスに、クラーラも根負けしたようです。

 しかめ面をしつつも、タレで汚れた幼子の口元を拭ってやる姿は、面倒見のいい姉そのものでした。

 幼い頃、本当の弟のように可愛く思っていたジョーヌ王子を思い出し、私も懐かしくなってしまいます。

 池の主に食べられて亡くなったという彼の魂は、一体どこへ行ってしまったのでしょう。

 親殺しは天界に行けないはずなので、悪霊となって地界を彷徨っているのか……


「それとも、ジョーヌ殿下も魔界のどこかにいるのかしらね? ねえ、ヒヨコ。どう思います?」

「……」


 口のきけないヒヨコからは、答えが返るはずもありません。

 ただ、気のせいでしょうか。

 なんだか、苦笑されたように感じました。

 そうこうしているうちに、クリスが最後の焼き鳥串に食らいつき始めます。

 それを眺めつつ、私はずっと気になっていたことをクラーラに問いかけました。


「ハーピーは、魔女と仲が悪いのですか?」

「いや、あいつらは無二の親友だって聞いてる」

「ではなぜハーピーは、さっきのドラゴンさん達に武器を与え、魔女の子であるクリスに害が及ぶのを助長するようなまねを?」

「おそらく、うちの連中がカモにされただけだ。ハーピーは意地汚いからね。あの刺股、きっととんでもない値段で買わされたんだ」


 クリスを守るための仕掛けは、木っ端微塵になる呪い一つだけではないだろう、とクラーラは踏んでいるようです。

 私が一滴でも血を流すとギュスターヴがやってきてしまうみたいに、クリスに本当に危険が及んだ場合は魔女が駆けつけるのかもしれません。

 その魔女をよく知るハーピーは、ドラゴン族達にクリスをどうこうできるとは、少しも思っていないのでしょう。


「ハーピーといい、魔女といい……どこまで、私達をこけにしたら気が済むんだろう」


 忌々しそうに呟きつつも、クラーラは焼き鳥のタレでベタベタになったクリスの手を拭いてやりました。

 その目に、腹違いの弟に対する憎悪は見当たりません。

 ただ、どこか悲しそうで……


(気丈に振る舞っていますが、本当は父親の不貞に深く傷ついているのでしょう)


 ズキリ、と痛覚を持たない私の胸まで痛んだ気がしました。

 当事者であるクラーラの心痛はいかほどかと思うと、居ても立っても居られなくなります。

 私は噴水の縁から立ち上がり、彼女に向き直って言いました。


「ひとまず──魔女に謝ってもらいましょう」

「……は?」

「あなたにはその権利がありますし、魔女にはそうする責任があります」

「いや、いきなり何を……」


 クラーラは目を丸くしていますが、私は構わず彼女の片手を掴みます。

 もう片方の手は、私を真似るみたいにクリスが掴みました。


「ちょ、ちょっと!? 待ってよ、あんた達……」


 クラーラが慌てるのも構わず、その手を引いて駆け出そうとして……

 

「ところで、魔女の住まいはどちらですか?」

「おれ、わかんなーい」


 私は魔女の家の場所を知らないし、クリスも迎えがないと帰れないことが判明します。

 もちろん、ヒヨコだって知っているはずがありません。

 となると、頼みの綱は……


「クラーラ、魔女の住まいをご存知ですか?」

「ねーね。おれのおうち、どこ?」

「はあ……何なのよ、この子達……」


 クラーラはそれはもう、特大のため息を吐きます。

 けれども最終的には、私とクリスの手を引いて歩き出すのでした。

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