第53話 ごめんなさいして

「──おやまあ、いらっしゃい」


 魔女ウルスラの家は、町外れの森の奥にありました。

 なかなかに立派な屋敷の周囲には、広大な薬草畑も作られています。

 礼装をした執事らしき羊──ダジャレを言っているわけではありません──に呼ばれて玄関までやってきた魔女は、たいそう驚いた様子でした。

 クリスが私と一緒に帰ってきたことにも、私達の手を引いてきたのがドラゴン族の姫クラーラであることにも──そして、クリスに触れたクラーラが無傷であることにも。


「子供というのは、私の予想など容易く凌駕してしまうね。これだから、子育ては楽しいんだ」


 そう言って笑う千年を超えて生きる魔女は、慈愛に満ちた母親の顔をしていました。

 そんな魔女を、クラーラは憎々しげに睨みます。


「もういいだろう。義理は果たした」


 彼女は吐き捨てるように言いますと、私とクリスから手を離そうとしましたが……


「まだ、ご用事は済んでいませんよ」

「ママにあやまってもらうんでしょ」


 私とクリスは示し合わせたみたいに、彼女と繋いだ手に力を込めて引き止めます。


「私は、そんなこと望んでは……!」


 クラーラは私達を振り切ろうとしますが、ここで動いたのは最初に扉を開けてくれた羊執事でした。

 彼は、私とクリスとクラーラ、それからヒヨコもひとまとめにして屋敷の中に押し込めると、扉を閉めてしまいます。

 ウール百パーセントの下は、筋肉二百パーセントなのでしょうか。


「あのねぇ、ママ。アヴィスにお団子、ねーねにはたくさんおごってもらった」

「そうかい、ぼうや。よかったねぇ。アヴィスもクラーラ姫もありがとう。お礼をしないといけないね。ゆっくりしておいき」

「お礼は結構ですが、お邪魔はします」

「ちょ、ちょっと! 私はいいってば!」


 クリスを抱き上げて手招きする魔女に、クラーラとヒヨコの手を引いて私も続きました。

 なお、羊執事は玄関扉を背に腕組みをして立っております。

 主人の持てなしを拒否する無礼な客は許さないということでしょうか。

 帰りたければ我の屍を越えてゆけ、とでも言いたげな形相です。

 魔女は、客間ではなく、広い居間に私達を通しました。

 羊執事以外に使用人はいないらしく、魔女が自らお茶を淹れ、焼き菓子を出してくれます。

 向かいの席でクリスがそれをもりもりと食べ始める中、私やヒヨコと横並びに座ったクラーラは無言のままカップを睨みつけています。

 クリスの隣に腰を下ろした魔女は、苦笑いを浮かべて口を開きました。

 

「毒なんて入っちゃいないよ、クラーラ姫。怖がらずにおあがり」

「こ、怖がってなんかないわよ! ばかにしないでちょうだい!」


 まんまと魔女の挑発に乗せられたクラーラが、勢いよくカップを掴みます。

 くすりと笑った魔女は続いて、お茶にもお菓子にも手をつける素振りもない私とヒヨコをまじまじと眺めました。


「そういえば……アヴィスが何も口にしたがらない、と魔王が悩んでいたねぇ。また、私の精気をあげようか?」

「せっかくですが、けっこうです。あなたに精気をいただいてしまうと、後々ギュスターヴに倍の量の精気を飲まされてしまいますので」


 魔王の精気はくどいので、たまったものではありません。

 そう言う私に声を立てて笑った魔女は、次にヒヨコに視線を移しました。


「では、そっちの死人の子にあげようか。私の精気をもってすれば、損傷した顔面も元通りになるよ」


 とたん、ヒヨコはブンブンと首を横に振ると、縋るように私の袖を握ってきました。

 ドラゴンも人狼もスパスパ切ってしまうほど強い彼に頼られたのだと思うと、なんとも誇らしい気持ちになりますね。

 自己肯定感爆上がりです。

 私はヒヨコの頭をフード越しになでなですると、魔女に向かって毅然と言い放ちました。


「ヒヨコにも、いただかなくてけっこうです」

「おや、その子の元の顔を見てみたくないのかい? それに、会話ができないと不便だろう?」

「顔がなくともヒヨコは可愛いですし、口がきけずとも彼が何を考えているのかは大体わかります。何より、本人が望まないことを強いるつもりはありません」

「ふふ、そうかい」


 あと、私以外がヒヨコに影響を及ぼすのは、なんとなく気分がよくないのです。

 ヒヨコに精気を与える必要がある時がきたら、絶対に自分のものを分け与えたいです。

 そんな思いを吐露する代わりに、私はここに来た当初の目的を口にしました。


「それよりも、魔女の方はクラーラに謝ってください」

「ふむ……さきほど、クリストファーもそんなことを言っていたね?」

「ちょっと、アヴィス! 余計なことを……」


 クラーラは私の口を手で塞ごうとしましたが、すかさずヒヨコがそれを阻みました。

 私を挟んで、クラーラとヒヨコが剣呑な空気を纏います。

 それに構わず、私は魔女を見据えて続けました。


「あなたはドラゴン族の長に家庭があると知りつつ、関係を持ったのでしょう?」

「そうだね」

「でしたら、それにより精神的苦痛を被ったクラーラに、あなたは謝罪すべきだと思うのです」

「なるほど」


 魔女は微笑みを浮かべたままでしたが、私の話に真剣に耳を傾けてくれているのはわかりました。

 なおその隣では、クリスがむしゃむしゃ続行中です。

 本当に、よく食べますね。

 魔女はそんな彼のもちもちのほっぺを撫でながら、視線を移して口を開きました。

 私から、隣のクラーラへと。


「確かに、お前さんの気持ちを考慮しなかったのは私の落ち度だ。反省が必要だね」

「どの口がっ……!」


 私の頭越しにヒヨコと睨み合っていたクラーラも、燃えるような目を魔女に向けます。

 魔女はそれを真正面から受け止めると、静かな声で告げました。


「すまなかったね、クラーラ姫」

「……っ」


 ぐっと、何かを堪えるようにクラーラの体に力が入るのを感じました。

 と同時に、テーブルの向こうで魔女が両目を見開きます。

 何事かとその視線を辿った私も、目を丸くしました。


「クラーラ……?」


 クラーラが両目からポロポロと涙をこぼし、声もなく泣いていたからです。

 私はまた、胸が締め付けられるような痛みを覚えた気がしました。


「ああ……いやはや、これは参ったね……この私が、子供を泣かせるだなんて……」


 千年を超えて生きる魔女からすれば、魔界で爆誕してまだ一月半あまりの私は元より、五十年生きているクラーラさえ幼子のようなものなのでしょう。

 子供好きというのも伊達ではないようで、ずっと澄ました顔をしていた魔女が初めて動揺を見せます。

 魔女はテーブルを回ってクラーラの側までやってくると、腰を落として言いました。


「ごめんよ、可愛い子。どうか、泣かないでおくれ」

「私は……一生許さない──母を傷つけた、お前のことを」


 私は、クラーラは父親の不貞に傷ついているのだとばかり思っていました。

 ですが、違いました。

 彼女が何より心を痛めているのは、父親に裏切られて母親が傷ついたことだったのです。

 これに感銘を受けたのは、私だけではありませんでした。

 魔女が、今までにないほど真剣な表情をして宣言します。

 

「では私も、この身が滅び去る瞬間まで、お前さん達母子に対する贖罪の気持ちを忘れずにいよう」


 しん、と静まり返った居間に、ぐすぐすとクラーラが鼻を鳴らす音だけが響いていました。

 そんな中、ぽつり、と呟いたのはクリスです。

 

「おれも……ねーねと、ねーねのママに、ごめんなさいする?」


 魔女が、すぐに何か言おうと口を開きかけます。

 しかし、それよりも早く声を発した者がいました。


「いらないわ。必要ない。私も、きっと母も、お前に非があるとは思っていないし、お前を責めるつもりもない」


 手の甲で乱暴に涙を拭ったクラーラが、そう毅然として言い放ちます。

 これを聞いた魔女は破顔しました。


「お前さんも、母君も、実に気高いね」

「当たり前でしょう。私も母も、誇り高きドラゴン族よ。お前のような阿婆擦れとは違うわ」


 ツンと澄まして言うクラーラに、魔女はますます笑みを深めまて言います。

 

「次期族長がお前さんなら、ドラゴン族も安泰だね。クリストファーの存在が、お前さんの立場を揺るがすことなどないから、安心しておくれ」


 当たり前だ! とクラーラが即答する──そう思っていました。

 ところが私の予想に反し、彼女は唇を噛んで俯いてしまいます。


「そっちがそのつもりでも、皆が同じ考えとは限らない。現に……」


 その時でした。

 居間の扉の前に控えていた羊執事が突如ムキムキになりました。

 ウール百パーセントの下は、筋肉二百パーセントどころではなかったようで、礼服がビリビリに破けております。

 そんな、とても来客を迎えるとは思えない姿で、彼は居間を飛び出して行ってしまいました。


「どうやら、招かれざる客が来たようだね」


 魔女はそう呟いて、窓辺に寄ります。

 私もヒヨコも、クラーラとクリスもそれに倣いました。

 居間の窓からは、ちょうど屋敷の玄関が見えました。

 ムキムキになった羊執事が飛び出してきて、魔女の言う〝招かれざる客〟と対峙します。

 招かれざる客は、総勢五名。

 それぞれ、頭から二本の角を生やし、体は鱗に覆われています。長い尻尾とクラーラやクリスの背にあるのと同じ、コウモリに似た翼を持つ魔物──ドラゴン族でした。


「あら、またドラゴン族ですか? クラーラの説得を受け入れて、引き上げたと思っておりましたのに……」

「──違う。あれは、さっき町中で会った奴らじゃない」


 魔女の家を訪ねてきたのは、ハーピーに売りつけられた刺股でクリスを襲おうとした連中とは別の集団のようです。

 私にはドラゴン族の見分けがつきませんが、クラーラはもちろん、魔女も彼らに心当たりがあるようでした。


「ドラゴン族の長老達、だね。クリストファーを攫いにきたのだろうよ。よこせよこせとうるさいのを、ずっと無視していたんだが……業を煮やして実力行使に出ることにしたらしい」

「まあ、クリスを攫うつもりなのですか? それならば、さっきまでのように、クリスが外を出歩いている時の方が攫いやすいかったでしょうに」


 不思議がる私に、魔女は笑って言います。


「攫っても、私がすぐに取り返しにくるとわかっているからだろう。ならいっそ、私を始末してからクリストファーを手に入れようということになったんだね」


 クラーラは愕然とした様子で窓の外の同胞達を見つめています。

 ドラゴン族の長老達は、羊執事に何やら訴えているようでしたが、早々に交渉決裂したようです。

 取っ組み合いが始まってしまいました。

 一対五では分が悪かろうと思いましたが、意外や意外。

 羊執事が善戦。凄まじい張り手でドラゴンおじいちゃん達を押し戻しております。

 これは強い! 羊さん、強いです!

 ドスコイ! ドスコイ! とは、どういう掛け声でしょうか?


「あの方達は、どうしてクリスがほしいのですか?」


 私がそう魔女に問いますと、答えたのはクラーラでした。


「父の血を引く男児がほしいんだよ。あいつらは、私が次の族長になるのが気に入らないんだ。私が──女だから……」

 

 力の強い者が長となる人狼族とは違い、ドラゴン族は初代の長の血筋が代々族長を務めているそうです。

 そんな中でも、現在最も強いドラゴンは、族長であるクラーラの父親に他なりません。

 ただ、ドラゴン族は長幼の序を重んじる傾向にあり、族長といえど長老達の意見を無視できないというのです。


「長老達は女の私しか産まなかった母を散々こけにしてきた。父に他のドラゴン族の女を宛てがおうとしたことだって、これまで何度もあったんだ。父はずっと、これには乗らなかったというのに……」


 クラーラは言葉を切って、魔女に恨みがましげな目を向けます。

 とにかく、どういう心境の変化なのか、クラーラの父親は魔女との間に子供を作ってしまいました。

 その子が男児であったため、長老達は娘のクラーラではなく、クリスを次期族長に据えようと目論んでいるというのです。


「ですが、さっき町で会ったドラゴンさん達は、クラーラを認めていらっしゃいましたよね?」

「あいつらのような若い世代は、威張り散らすばかりの長老達に嫌気が差しているからね。表立って女を下に見たがるのは、ドラゴン族でももう長老達くらいだよ」


 そうこうしているうちに、ドラゴン族が火を吹いて、羊執事は黒焦げになってしまいました。

 死んではいないようですが、残念ながら彼はここで戦線離脱です。

 ドラゴン族の長老達も無傷ではありませんでしたが、ついに魔女の屋敷の扉に手を掛けようとしました。

 同胞の悪行に責任を感じてか、クラーラが飛び出していこうとしますが、魔女がその腕を掴んで止めます。

 同じく、剣を抜いて飛び出そうとしたヒヨコも彼女に止められました。


「私が相手をしようかと思ったけれど……」


 魔女はそう呟き、壁掛け時計に視線をやります。

 長針は、あとわずかで真上を──短針は、もうほぼ五の数字を指しておりました。

 それを確認した魔女は、私に向かって満面の笑みを浮かべます。


「ちょうどいいのが降臨しそうだから、丸投げしてしまおうね」


 その直後のことでした。

 カチッ、と小さな音を立てて、長針がついに真上を指し……




「ドラゴンども、ここに何用だ。まさか、私の子に危害を加えようというのではあるまいな」




 魔界の序列における頂点──魔王ギュスターヴの登場です。

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