第54話 無神経のツートップ
「見ろ、ノエル。マトンの丸焼きがあるぞ」
「いや、食肉扱いするのやめましょ。ウルスラの執事ですよね、これ。魔王様も顔見知りのはずですよ」
「私にジンギスカンの知り合いはいないが」
「薄切りにしないであげてください。まだ、生きておりますから」
とかなんとか言い合いながら、ギュスターヴとノエルが黒焦げになって地面に転がっていた羊執事をツンツンする。
突然の魔王の登場に固まっていたドラゴン族の長老達は、ここでようやく我に返った。
うち一匹が、思わずといった様子で口を開く。
「ま、魔王様の子、というのは……近頃側に置いていらっしゃると噂の、人間の小娘のことでしょうか?」
その瞬間──空気が、凍った。
ギュスターヴは、今し方発言をしたドラゴン族に視線をやり、静かな、しかしとてつもなく冷ややかな声で言う。
「小娘というのはな、少女を嘲って言う言葉だ。貴様──私の前で私の子を嘲るとは、いい度胸ではないか」
「そ、そんなつもりは……」
「では、どんなつもりだ。どういう了見で私の子を小娘呼ばわりした。言ってみろ」
「そ、そそ、それは、その……」
普段から女性を下に見ているドラゴン族の長老達にとっては、魔王の寵愛を受けるアヴィスでさえ取るに足りない存在だった。
しかし、馬鹿正直にそう告げたとたん、自身の首が胴から離れそうなことくらいは想像がつく。
アヴィスを小娘呼ばわりしたドラゴン族は、盛大に目を泳がせつつ言い訳を探す。
彼自身にも、彼の申し開きにも、元より微塵も興味がなかったギュスターヴは、さっさと視線を移した。
その先にいたのは、もちろんアヴィスなのだが……
「魔女の子とつるんでいたのだから、アヴィスが魔女の家にいたとしても不思議ではないが……」
「ドラゴン族の姫まで一緒ですねぇ。どういう状況でしょうか」
魔王の視線を辿って、魔女の屋敷の窓に目をやったドラゴン族の長老達も、ここでようやくクラーラの存在に気づく。
とたん、さっき発言したのとは別の者が、揉み手をしながら進み出た。
「それはそうと、魔王様。そろそろ嫁取りをなさってはいかがでしょうか。あそこにいるクラーラは、少々跳ねっ返りではございますが、母親譲りのいい体をしております。きっと、魔王様にも気に入っていただけるかと」
「現族長の一人娘を私に差し出そうというのか。次の族長はどうするつもりだ」
「それについてはご心配なく。ウルスラが男児を生みましたでしょう。あれを、我らの手でドラゴンとして育てますゆえ」
「……庶子の上に混血でも、男だというだけで族長に据えるつもりとはな」
魔族達が誰を族長に据えようと、魔王が口を出すことはない。
人狼族のように血で血を洗うことが起きようと、これまで関与することはなかった。
ただし……
「貴様らにとって、あの姫は魔王への献上品としての価値しかないのか」
「女にとってはこの上ない栄誉でございましょう。人間の少女などより、きっと魔王様もお気に召し……」
ここで、ギュスターヴはアヴィスからドラゴン族の長老へと視線を戻した。
そのあまりの冷たさに、ひっ、とドラゴン族の長老が喉の奥で悲鳴を上げる。
彼はドラゴン族の長老の中の長老──つまり、ドラゴン族の中で一番年を食っていて、一番威張り散らして、一番嫌われている老害の頂点。
それを一瞥するだけで小さくしてしまった魔王は、感情の見えない声で続けた。
「あの姫は、先日の魔界幹部会議において、族長代理を堂々と務めて見せたぞ。いささか直情的ではあるが、度胸は十分だろう。貴様らは、何を以てあれが次の族長にふさわしくないと言うのだ」
「そ、それは……」
自分達が認めていないクラーラが、魔王から評価されたことに、ドラゴン族の長老達は戸惑う。
人狼族の集落で、ルーが魔王から目をかけられているのを目の当たりにした人狼達と同じだった。
違うのは、人狼達がそれをきっかけにルーを見直し始めるのに対し、ドラゴン族の長老達には意識改革をする気概など皆無だということだ。
彼らと話し合うのは時間の無駄だと判断したギュスターヴは、こう吐き捨てて背中を向けようとした。
「同族の娘の価値さえわからぬ貴様らに、アヴィスの価値を語られるいわれはない」
その時だった。
長老達の股間が──爆発した。
「「「「「おおおおううっ……!?」」」」」
何とも言えない声を上げ、揃いも揃ってその場に崩れ落ちる。
魔王とその側近が顔を見合わせた。
「そういえば、キロンから何か連絡がきていたな。まだ見ていないが」
「いや、せめて既読付けなさいよ。……あっ、ほら! 魔王様が見てあげないから、私の方にも送ってきてるじゃないですか!」
「だったら、貴様が読んでやれ」
「しょうがないですね。えーと、なになに……〝不貞男強制去勢システムの試運転開始。なお、アレを異世界に飛ばすのは忍びないため、爆破処分に変更する〟ですって。仕事はやっ!」
などと、呑気に言い交わしている前では、五体のドラゴン族達が股間を押さえて悶え続けている。
地獄絵図であった。
「と、いいますか……こちらの長老達。あれだけ女性を見下しておきながら、揃いも揃ってこの年で奥さんを孕ませた上、不貞まで働いてやがるんですか?」
「クズにもほどがあるな」
888くんは激怒した。
必ず、かの悪逆無道の輩をメッタメタのギッタギタにせねばならぬと決意した。
何より……
「これ以上、こいつらがアヴィスと同じ空気を吸うのは──我慢ならん」
「あーあ、最悪のヘイトを稼いでしまいましたねぇ。ご愁傷様ですー」
ノエルが羊執事の丸焼きを引きずって、ガチギレ魔王から離れた。
その魔王は魔女の屋敷の窓に顔を向け、可愛い可愛い我が子……ではなく、その隣に寄り添っていた屍剣士に目配せをする。
ヒヨコは瞬時にギュスターヴの意向を察し、アヴィスの両目を手で塞いだ。
アヴィスに献身的かつ盲目的に仕え、決して彼女に劣情を抱かない彼を、魔王は高く買っていた。
「わっ……何ですか? ヒヨコ!?」
「……」
突然目の前が真っ暗になったかと思ったら、ヒヨコに目隠しをされていました。
すぐ側からは、魔女の楽しそうな声が聞こえてきます。
「あっはっはっ、こわいこわい。ああいう最期は迎えたくないねぇ」
「何が起きているんですか? ギュスターヴは何をやっているんです? ドラゴンさん達の股間はどうして爆発したんですか? 見たいです!」
「いけないよ、アヴィス。親にはね、我が子には見せたくない姿もあるんだよ」
「ギュスターヴは私の親ではないですから、知ったこっちゃないです!」
ヒヨコの手が外れた時には、全てが終わっていました。
魔女の家の玄関前には、ドラゴン族の長老達の姿は元より、血や肉片も見当たらなかったため、てっきりギュスターヴに慄いてすごすご退散したのかと思いましたが……
「おやまあ、父親を知らないドラゴンの子が五人も生まれてしまうね。私が引き取ろうか?」
「その必要はない。奥方達はとっくにあいつらに愛想を尽かしていたし、生まれた子はドラゴン族みんなで育てる。不自由はさせない」
どうやら、跡形も残さず消滅させられたようです。
私の耳には窓の向こうでの会話が聞き取れなかったため、彼らの何が魔王の逆鱗に触れたのかはわかりませんが。
「ママ、ドラゴンの粉末って、おいしい?」
「さあ、どうだろうね。薬草畑にはいい肥料になったけれど」
クリスが無邪気な声で、ドラゴン族の長老達の最期を語りました。
魔女は笑って、その頭をよしよしと撫でます。
それから、青い顔をしているクラーラに向き直りました。
「とにかく、私はクリストファーをドラゴン族に渡すつもりはないよ。ドラゴン族が束になったって私には敵わないから、クラーラの立場が揺らぐことはない」
魔女の強さがはったりでないことをクラーラは知っているようです。
悔しそうな顔をしつつも、彼女の言葉を否定することはありませんでした。
魔女はそれに満足げな顔をして続けます。
「私はね、クリストファーを最強の魔法使いにするつもりだ。いつか、魔王を凌駕するくらいのね」
「……は?」
魔女の野望を聞かされたクラーラがぎょっとする一方、当のクリスは口を尖らせました。
「ママ、おれ、それより、お団子屋さんになりたいなー」
「それはいいね、ぼうや。魔王より強い団子屋さんになればいい。そうしたら、アヴィスをお嫁さんにできるかもしれないよ?」
「そっか! じゃあ、おれ、お団子で魔王をたおしてアヴィスと結婚する!」
「ふふふ、いい子だね」
ツッコミどころ満載な魔女親子の会話に、クラーラがドン引きしています。
私は私で、ヒヨコに慌てて背中に隠されつつ、勝手に進められる結婚話に呆れておりました。
そこに、新たな声が割り込みます。
「私より強くなるのと、アヴィスを嫁にするのは別問題だろうが」
律儀に玄関から入ってきた、ギュスターヴです。
その後には、黒焦げの羊執事と並んでノエルの姿もありました。
羊執事はもう自力で歩けるまでに回復しています。なんとタフなことでしょう。
魔女がその頭を一撫でしますと、ウール百パーセントの毛並みもモフンッと元通りになりました。
ビリビリの礼服を着替えに行く彼を見送り、魔女はギュスターヴに向き直ります。
「ごきげんよう、魔王。しかし、お前さん……既読無視はやめなよ。せめてスタンプくらい返しなさいな」
「あいにく、私はアヴィスにしか返信はしない主義だ」
そういえば、クリスを私のところに遊びにやる際に、ギュスターヴにラインを送ったとか何とか言っていましたね。
苦言を呈する魔女からさっさと逸らされたギュスターヴの視線が、私を捉えました。
「アヴィス、五時になった。帰るぞ」
ふいに、私は口寂しさを覚えます。
クリスが爆食いしているのをずっと見ていたせいでしょうか。
相変わらず空腹を覚えることはないものの、何だか胸にぽっかりと穴が空いた心地がするのです。
たまらず片手で胸を押さえて眉を顰めておりますと……
「どうした。どこか、怪我でもしたのか?」
ギュスターヴに顎を掴まれて顔を上げさせられ、口を塞がれてしまいます。
そのまま唇の隙間から吹き込まれた彼の精気は、やっぱりくどくて──けれど、胸に空いた隙間を満たしてくれる気がしました。
「あ、わわっ……」
「おやおや、クラーラ。可愛いねぇ。顔が赤くなっているじゃないか」
「う、うるさいっ! 赤くなってなんかないっ!」
「ふふふ、初々しいことだ」
あくまで精気を口移ししているだけだというのに、クラーラが初心な反応をしています。
それをからかう魔女の横では、クリスが何やら膨れっ面になっていました。
私は私で、顔を背けて唇を離します。
ギュスターヴの精気をちょっとだけおいしいかもしれない、などと感じてしまったのが癪だったのです。
「ほっぺをハムハムするの、やめてください」
「いいだろう。減るものでもなし。仕事終わりのお父さんに癒しをくれ」
私に戯れつくギュスターヴを見てますます赤くなったクラーラと目が合いました。
「そうでした。ギュスターヴ、こちらのクラーラにとてもよくしていただいたのです」
「そうか。私の子が世話になったな、ドラゴン族の姫。礼を言う」
「いえっ……め、滅相もございません……」
私のほっぺをハムハムしているギュスターヴと、先日のガチギレっぷりとのギャップに、クラーラはどんな顔をしたらいいのかわからない様子でした。
ですが、彼女はすぐに表情を引き締めると、ぐっと頭を下げて言います。
「魔王様、長老達のご無礼をお詫び申し上げます」
窓の外の会話が聞こえていなかった私には、ドラゴン族の長老達がどんな無礼を働いたのかはわかりません。
ギュスターヴがそれを根に持っている様子もありませんでした。
「面倒だから、長老どもは魔女の返り討ちにあったことにしておこう」
「濡れ衣も甚だしいねぇ」
「私が関与したことを知れば、ドラゴン族の族長がまた菓子折りを持って飛んでくる。それを用意させられる妻が気の毒だろう」
「そういうことなら、まあいいけれど」
などと言い交わす魔界の頂点と次点をよそに、私はくっついてきたクリスと手を繋いで、クラーラの前に進み出ました。
頭を下げたままだった彼女の顔を覗き込み、笑みを作って言います。
「クラーラ、私とお友達になってくださいませんか?」
「えっ……あ、うん……別に、いいけど……」
「アドレスを交換してください。あとこれ、私の会員制交流場のアカウントです。相互フォローしましょう」
「ぎゃっ……何コレ! えげつないフォロワー数……!」
なお、タイムラインはヘイヘイアプリ緊急メンテの話題で持ち切りでした。
携帯端末を囲んでワイワイする私達を、ギュスターヴと魔女が微笑ましそうに眺めています。
「アヴィスとドラゴン族の姫が友達になったならば、族長の妻もママ友グループに招待せねばなるまい」
「そうだねぇ。彼女は友達の友達の友達だから、私が招待しておくよ」
これには、傍観に徹していたノエルがたまらずといった風に口を挟みました。
「本妻と不倫相手がいるグループ!? 絶対いやでしょっ!」
「「私はまったく気にしないが?」」
「ええー……」
魔界の頂点の次点は、無神経のツートップだったようです。
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