第17話 いきなりですがピンチです



「それで、アヴィスは昨夜眠ったのか?」


 ようやくベッドから起き出した魔王は、身支度を整えながらそう問うた。

 部屋中のカーテンを開け放ちつつ、その側近が憂い顔で振り返る。

 ちなみに、もう夢魔の姿はない。

 精気を安物ワイン呼ばわりされて冠を曲げた元天使に、早々に部屋から蹴り出されたからだ。

 

「いいえ……メイドの話では、昨夜もずっと書庫に籠って本を読んでいたそうです。今朝は、私が起きた時にはもう庭にいましたし……」

「そうか……食事は?」

「そちらも、まったく興味がないようですね。ですが、精気が糧となるのならば今すぐどうこうということはないでしょう。試しに私のを吸わせてもみて正解でした」

「貴様が元凶か。誘い受けとはけしからん」


 アヴィスが魔界に爆誕して五日。

 九割が魔王の血肉でできた彼女の身体は、一切の睡眠と食事を受け付けていなかった。


「さて、どうしたものか……」


 窓辺に寄ったギュスターヴは、庭を見下ろして赤い目を細める。

 その視線の先では、彼と同じ色彩を持つ少女が庭に立つ古木に挨拶をしているようだ。

 アヴィスはそれを老婆の声で話す古木の魔物だと思い込んで、〝おばあさま〟と呼んでいる。

 しかし、あれが実は遠隔操作で中の人がしゃべっているだけのカラクリだという事実をいつか教えてやらねばならないだろう。

 そうこうしているうちに、彼女はフードを被った双剣使いの死人と合流した。

 今のところ、アヴィスが生活に支障をきたしている様子はない。

 それでも、我が子が眠りもせずご飯も食べないとなると、心配でならないのが親心というものだ。


「ふむ……育児板ででも相談してみるか……」

「いけませんよ、魔王様。いきなり書き込んだりしては。半年はロムらないと」

「そんなにか? 手っ取り早く答えがほしいのだが」

「でしたら、知恵袋にでもお悩み相談なさいませ」


 赤い瞳と青い瞳が見守る中、死人を従者のように引き連れたアヴィスが城の門に差し掛かった。

 元々なのか、それとも魔王の血肉の影響か、怖いもの知らずの彼女は厳つい顔のガーゴイルにも平気で絡んでいる。

 あの門番は顔に似合わず恥ずかしがり屋なので、きっと内心たじたじしていることだろう。

 魔王と側近の眼差しは自然と柔らかくなる。

 彼らがようやくアヴィスの背から視線を外したのは、執事がある報告を持って扉をノックしてからだった。


 曰く――天使が一匹、魔界に入り込んだようだ、と。

 







 いきなりですが、ピンチです。


「ヒヨコ、大丈夫ですか?」


 左右の手にそれぞれ抜き身の剣を構えたヒヨコが、私に背中を向けたままこくりと頷きました。

 彼が私を背に庇って対峙するのは、血に飢えた魔物です。

 青白い肌に澱んだ目、だらしなく開いた口元からは鋭い犬歯が覗いています。

 そんなのが群れを成して、いたいけな私達に迫ろうとしていました。


「どうして、こんなことに……」


 発端は、会員制交流場でのフォロワーさんとのやりとりでした。

 五日前にこの身体で新しい人生を始めた私は、ギュスターヴに与えられた携帯端末を使いこなすべく、メイドに教わりながら会員制交流場に登録。

 現在、着々と交流の輪を広げているところです。

 ちなみに、おそらくはあのメイドも、酔っ払い魔王に便乗して私の身体に血肉を混ぜ込んでいると思われます。

 ツンと澄ました顔をして、自分のことをママと呼ばせてやらんこともない、などとほざいておりましたので。

 呼ぶわけないですよね。

 どうかしてます。

 それはともかく、私は所詮新参者ですから、フォロワーの数はまだそう多くはありません。

 けれどもそのうち、数少ないフォロワーの中でも意気投合する方が現れました。

 相手の名前は、〝血に飢えた獣〟さん。

 アイコンは、可愛いピンク色のコウモリです。

 きっと、私と同い年くらいのお洒落な女の子に違いありません。

 ちなみに私のアカウント名は〝死に損ない〟。

 もちろん自虐です。

 名前を呼ばれる度に罵倒されている気分になりますが、それもまた一興。

 アイコンは、わざわざ口元に血糊を付けて自撮りしました。

 ギュスターヴやノエルには悪趣味だと不評でしたが、知ったことではありません。干渉されたくないので、彼らは即ブロックしました。

 血に飢えた獣さんの初リプライは、そんな私の血糊を舐めたいという攻めたもの。

 ギュスターヴ達とは違って、私のユーモアとセンスを理解してくれた彼女と仲良くなるのに時間は必要ありませんでした。

 そんな血に飢えた獣さんから、お茶のお誘いとともに彼女の屋敷の地図を受け取ったのは、古木のおばあさまに挨拶をし、目を泳がせまくっているガーゴイルを散々いじってから門を潜ったすぐ後のこと。

 顔も知らない相手の屋敷を訪ねると言うと、ヒヨコは最初難色を示しました。

 だったら一人で行こうかとも思いましたが、意外に頑固な彼はそれも許してくれません。

 黒い手袋に包まれた冷たい手が、強すぎない、けれどけして振り解けないほどの力で、私の手首を掴んで離さないのです。

 私はヒヨコの両手をぎゅっと掴み返し、切々と訴えます。

 彼の、情に。


「生前は、同年代の令嬢達が集まるお茶会にだって、ほとんど参加したことがなかったんです。私を取られるみたいで嫌だって、エミールが駄々を捏ねるものですから……」


 悲しげにそう呟けば、彼はとたんにおろおろとし始めました。

 私はここぞとばかりに畳み掛けます。


「可愛いやきもちだと思ってエミールの言う通りにしていましたが、もしかしたら私は彼を言い訳にして面倒事から逃げていただけなのかもしれません。ろくに世間付き合いができていないのに、私ったらどうやって国王となったエミールを支えていくつもりだったのかしら……」


 自嘲するように言う私の背中を、ヒヨコは慌てて慰めるように撫でてくれました。

 せっかく戻った彼の右手もやはり冷たいですが、私の心よりはよほど血が通っいるかもしれませんね。

 こちとら、相手の優しさに付け込むのに余念がありませんもの。

 

「一度死んで、けれどまたこうして生きる機会を与えられたのです。せっかくですから、生前できなかったことにしてみたいんです。ヒヨコ、私の我儘を許してはくれませんか?」

「……」


 案の定、ヒヨコは最後には頷いてくれました。

 そういうわけでやって参りましたのは、魔王城から見て東に位置する、少し離れた森の奥にある屋敷です。

 ちなみに、魔界魔界と言っておりますが、慣れ親しんだ地界の風景とそう大差はありません。

 魔王城は小高い丘の上に立っており、その膝下には大きな城下町が広がっています。

 店を開いているのも客も魔物や死人ではありますが、日々の営み自体は人間とさほど変わらないようです。

 そんな街を素見すのも後回しにし、血に飢えた獣さんのお宅を訪ねた私とヒヨコ。

 たいそう立派なお屋敷ですが、どういうわけか門にも庭にも人っ子一人、魔物一匹おりません。

 玄関扉の前に立って見上げれば、しんと静まり返ったその屋敷は、たくさんある窓全てがぴたりと隙間なくカーテンで閉ざされていました。

 血に飢えた獣さんち……西日でもきついんでしょうか?

 ともかく、玄関扉に付いていた真鍮製のドアノッカーをカツカツと叩いてみます。

 すると、お入りください、と扉の向こうから蚊の鳴くような声が返ってきました。

 私はヒヨコと顔を見合わせつつ、そっと片手で扉を押してみます。

 鍵は、かかっていませんでした。

 軽く押しただけのつもりなのに、まるで中から引っ張られたみたいに扉が大きく開きます。

 まだ午前中だというのに、屋敷の中は真っ暗でした。

 きっとカーテンが締め切られているせいでしょう。


「……」


 ここまでくると、さすがの私も屋敷の中に足を踏み入れるのを躊躇しました。

 たとえこれが血に飢えた獣さんによる演出であったとしても、初めてのオフ会でドッキリを仕掛けるのはいかがなものかと思います。

 馬鹿正直に入り込んで落とし穴があっても嫌ですから、ひとまず外に出てきてくれるよう、血に飢えた獣さんにお願いすることにしました。

 そうして、携帯端末を取り出したとたんです。


「――わあっ!?」

「――っ!!」


 突然背後から強い風が吹きつけ、私とヒヨコは背中を押されるようにして屋敷の中へと入ってしまいました。

 待ってましたとばかりに、扉が勝手に閉まります。

 あとは、ホラーもののよくある展開。


「……こんなに大勢でお出迎えしていただかなくても、結構ですのに」

「……」


 真っ暗闇の中、私とヒヨコは気づけば周囲を取り囲まれてしまっていました。

 青白い肌に濁った赤い目、だらしなく開いた口元から鋭い犬歯を覗かせた――吸血鬼の群れに。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る