第2話 神の真似事をした結果
「魂に生身を与えるなんていうのは神の領分だろう。あいつの真似事など、ごめんだぞ」
声の主はそうこぼしつつ、赤い瞳でじろりと周囲の者達を睨みつけます。
私はまたぼんやりとして、その赤を目で追っていました。
年の頃は私よりも一回りは上でしょうか。
(兄様と、同じくらいかしら……)
目は切長で、すっと通った鼻梁、薄い唇、上質の絹糸を思わせる長く艶やかな銀色の髪が目を引きました。
その髪に負けじと胸元で光沢を放つクラバット。
それを留めるブローチは随分と質のよさそうな金製で、ベストもシャツもズボンも上質のものとお見受けします。
さらに、真っ白い毛皮の襟付きマントは一際豪奢に見えました。
(神を〝あいつ〟呼ばわりするとは不躾にもほどがありますが……その傲慢さが許されてしまいそうなほど、凄まじい威圧感と存在感ですね)
加えて、とにかく美しい容貌をした男性だという印象を受けます。
だからといって、大陸一の美男子と名高かったエミールに見慣れている私の心は、別段動かされることもありませんでしたが。
ただ、その男性と目が合った瞬間、幾分戸惑いを覚えました。
どういうわけか、私を捉えたとたんに彼の眼差しから鋭さが消え去り、反対に慈愛のようなものが浮かんだからです。
「……ここは?」
何だか長い夢から覚めたばかりのような、ふわふわとした心地がします。
見ず知らずの銀色頭から視線を引き剥がし、私はゆっくりと周囲に首を巡らせました。
豪奢なシャンデリアがぶら下がった高い天井も、それを支える太い丸柱も似通った雰囲気ではありますが、明らかにグリュン城の大広間のそれではありません。
また、私と銀色頭を大勢の者達が取り囲んで固唾を呑んで見守っていますが、一人として知った顔はありませんでした。
しかも……
(もしかして……仮装パーティーでも催されていたのでしょうか?)
骸骨の仮面を付けた者や両のこめかみから角が突き出ている者、目をやるのが憚られるような際どい格好をした者、さらにはコウモリみたいな翼──ただし、どピンク──を生やした者までいるのです。
彼らの色とりどりの瞳に食い入るように見つめられて、私は何とも落ち着かない気分になりました。
落ち着かない理由は他にもあります。
どういうわけか私は、血で汚れた空色のドレスも何もかも取り払った状態で立っていたのです。
「わたし、すっぽんぽん……?」
「うむ、実に堂々としたすっぽんぽんだな」
不思議と羞恥は覚えませんでしたが、銀色頭の男性が自身のマントを脱いで包んでくれました。
床に引きずるほど長いそれはずっしりと重く、けれども襟のふかふかが存外心地よくて、私は自然と目を細めます。
「おや、かわいそうに。足が冷たいでしょう?」
ふいに横から現れた別の方がそう言って、ツルツルの大理石の床に素足で立っていた私にもこもこのスリッパを履かせてくれました。
こちらは、銀色頭とは色も雰囲気も対のように見える、司祭のような真っ白いローヴを纏った優しげな男性です。
その方の長い金色の髪と晴れた日の空みたいな青い瞳にエミールの姿が重なって、胸の奥がズキリと痛んだ気がしました。
とっさに裸の胸を片手で押さえた私は、しかしここで、はっとします。
「……鼓動が、あります」
私は、毒入りのワインを飲んで死んだはずでした。
あっけなく体を離れた魂は、お迎えの天使の腕に抱かれて現世に別れを告げたのです。
それなのに今、私の心臓は何事もなかったかのように胸の奥で脈打っていて……
「どうして……?」
私はわけが分からないまま、両の掌でペタペタと何度も胸を押さえました。
トクトクと確かに脈打つ心臓に重ねて問います。
「なぜ、あなたは動いているのですか?」
前が盛大にはだけるのを見兼ねたのか、正面から伸びてきた手がマントをかけ直してくれました。
かと思ったら、同じ手が私の顎の下を掬います。
そのまま強引に顔を上げさせられた先には、やはり鮮血よりもなお鮮やかな赤がありました。
「心臓は動いていて当然だ。お前は今、生きているのだから」
「生きて、いる……? 私が……?」
「ああ、そうだ。その、新しい体でな」
「新しい……からだ……?」
銀色頭の存外優しい声が噛んで含めるように告げた言葉に、私は訝しい顔をします。
死んだはずの私が、生きている。
しかも、新しい体とは、一体全体どういうことなのでしょう。
私は挑むように赤い目を見返すと、顎の下をくすぐっていた銀色頭の手をぺいっと振り払います。
そして、頭の中に浮かんだ言葉をそっくりそのまま声に乗せて吐き出しました。
「詳しく聞かせていただけますか──ギュスターヴ」
とたん、周囲を取り巻く者達からはどよめきが上がります。
しかし、銀色頭は片眉を上げたものの、手を振り払ったことに気を悪くする様子も、それどころか私の質問に答えることもありませんでした。
彼はただ、私に負けじと訝しい顔してこう問い返してきたのです。
「ギュスターヴ? 誰のことだそれは」
これに答えたのは、私の足にもこもこスリッパを履かせてくれた金色頭。
こちらもなんだか馴れ馴れしく私の頭を撫でながら、呆れた顔をして言います。
「しっかりなさってください。あなたの名前でしょう? 久しく呼ばれていないからといって、ご自分の名前を忘れたりしますか──魔王様」
「……まおう?」
私は弾かれたように金色頭を見上げました。
けれども、すぐに正面に視線を戻して首を傾げます。
「ギュスターヴは……魔王、なのですか?」
「いかにも」
銀色頭は偉そうに頷くと、懲りもせず私の顎の下を子猫をあやすみたいにくすぐるのでした。
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