第3話 魔王の誤算
世界は、大きく分けて三つで構成されています。
一つ目は、全知全能の神がおわす天界。
よほどの悪逆を尽くさない限り、人も動物も死んだら魂だけになってそこに行くと言われています。
二つ目は、地界。人が蔓延る現世ですね。特筆すべきことは何もありません。
そうして三つ目となるのが、魔物が跋扈し、天界に受け入れられなかった魂が行き着く先と恐れられる最果ての地──魔界です。
天界の長が神であるとすれば、魔界の長は魔王。
「魔王だか何だか知りませんが、気安く触らないでください」
懲りずに自分の顎の下をくすぐっていた銀色頭の──いえ、ギュスターヴの手を、私は再びぺいっと振り払いました。
ザワザワと、周囲がいっそう騒がしくなります。
「何たる無礼者」
「命知らずめ」
そんな囁きは、どうやら私に向けられたもののようです。
ギュスターヴと金色頭が冗談を言っているのではないとすると、前者は魔王で、つまり私がいるこの場所は天界でも地界でもなく魔界だということになります。
魔界を牛耳っているのは、天界とも地界とも相容れない存在──魔物。
「もしかして……骸骨の仮面も、両のこめかみから突き出た角も、どピンクのコウモリみたいな翼も、仮装パーティーの装いではなく素のままの姿なのでしょうか」
「そうだぞ」
「あの、目のやり場に困るような際どい格好まで通常運転なのだとしたら、それこそどうかしてます」
「安心しろ。あいつは、私の目から見てもどうかしている」
などと、私の独り言に相槌を打っていたギュスターヴですが、やがてゆったりと両腕を組んで金色頭と顔を見合わせていました。
「しかし……妙だな、ノエル。私自身も忘れていたような私の名前を、なぜ人間が知っていたのだろうか」
「記憶ごと受け継いだのではないですか? この子の器の九割は、あなたの血肉でできておりますから」
金色頭はノエルという名前のようです。
それにしても、さっきから血肉がどうの、と一体何なのでしょうか。
「私にも分かるように、ちゃんと説明してください」
私が同じように両腕を組んで睨み上げると、ギュスターヴはようやく核心に触れ始めました。
「魔界に来るにしては、お前の魂はあまりにも無垢だった。興味本位で経緯を探ってみれば、どうやら天使の手を振り解いて落ちてきたらしいではないか。これはさぞ面白い魔物になろう、と血肉を捏ねて器を作ってやった……ということで間違いないな、ノエル?」
「ええ、おおよそは。しかし、まるで他の誰かがやらかしたかのようにおっしゃっていますが、さっきも申し上げた通り、この子の器に血肉をぶっこんだ筆頭は魔王様ですからね?」
ギュスターヴが魔王だとして、魔界にいるということはノエルもまた魔物なのでしょう。
しかし、むしろ天使だと言われた方がしっくりくるような風体で、小さい子にするみたいに私の頭をしきりになでなでしています。
あまりの馴れ馴れしさに眉を顰めた私でしたが、ふと彼の手が掬い上げた髪の一房に目を止めて、ぎょっとしました。
「ご覧なさい、一目瞭然でしょう。髪も瞳も、魔王様の色そのものではありませんか」
ノエルが掬い上げたのは、私の髪。
それは、あろうことか銀色に──目の前でふんぞり返っているギュスターヴの髪と同じ色になってしまっていたのです。
「……私の髪は黒です」
「そうでしたか。では、瞳の色は?」
「……緑、です」
「黒い髪と緑の瞳のあなたもさぞ愛らしかったでしょうね。しかし、銀色の髪と赤い瞳のあなたもたいへん可愛らしいですよ」
呆然とする私に、ノエルは優しい声でもって慰めのような言葉をかけるのでした。
未練だらけだった私の魂は衝動的に天使の手を振り解き、地界に帰るつもりがそれを通り越して魔界にやってきてしまったのでしょうか。
そうして飛び込んだのは、運がいいのか悪いのか、魔王ことギュスターヴが主要な魔物を集めて酒宴を催していた魔王城の大広間。
いきなり現れた魂を面白がったギュスターヴは、余興くらいのノリで自身の血肉を使って器を拵えたようです。
「とはいえ、さっきも言った通り、魂に生身を与えるなんていうのは神の領分だ」
「せいぜい、魂が入っただけのお人形ができあがるくらいの見積りだったんですけどねぇ」
ギュスターヴとノエルが呑気に言い交わします。
つまり、今こうして生前のように私の心臓が鼓動しているのは、器を作った本人にとっても想定外のことなのです。
「どうしてこうなったのかは、まったくわからん。なんせ、ベロンベロンに酔っ払っていたからな」
「実は私もです。なかなか美味だったものですから、ついつい深酒してしまいましたね。魔王様、あのワイン樽はどこで仕入れたのです?」
「知らん。いつぞや衝動的にポチッて城の地下に転がしていたやつの中から適当に選んできた」
「あなた、さてはまた大量に注文しましたね。まさかとは思いますが、リボ払い設定にはしていないでしょうね?」
呆然とする私を間に挟んだまま、銀と金がよくわからない話題で盛り上がります。
かと思ったら正面から伸びてきた前者の手が、いまだ後者に頭をなでなでされていた私の腕を掴んで引き寄せました。
その拍子に顔を押し付ける形になった胸は固く、当たり前のように背中に回った腕は逞しい。
ギュスターヴは、これまでずっと側にいたエミールとは何もかもが違いすぎて、私はとたんにひどく落ち着かない気分になりました。
けれども、私の様子など少しも気に留めないまま、頭上での会話は続きます。
「それよりも、ノエル。貴様さっき、コレの九割が私の血肉と言ったな。では、残りの一割は何だと言うのだ」
「私と、たまたま近くにいた数匹の魔物の血肉ですね。面白そうなので便乗しました」
「なんだと? 貴様、ふざけた真似を。変なものを混ぜるんじゃない」
「変なものとは失礼な。それに、仕方がないじゃないですか。我々だって、魔王様に負けず劣らずベロンベロンだったのですから」
ぎゃあぎゃあといい年をした男達が言い合うのに、私はしばし呆気にとられます。
しかし、やがてふつふつと腹の底から湧き上がってくるものがありました。
怒りです。
(魔王だか魔物だか知りませんが……ひとの魂を何だと思っているの)
酔いに任せて作り上げた魔物の血肉の器に、無力な人間の魂を好き勝手に押し込めておいて、想定外だの領分じゃないだのと、まったくもって言い訳がましい。
口を閉じていろというものです。
「……」
ペチンッ、と乾いた音が響きました。
肩を抱いていたギュスターヴの手を、私がはたき落とした音です。
相変わらず遠巻きに見守っていた連中がどよめきますが、知ったことではありません。
キッと睨み上げると、ギュスターヴとノエルはようやく愚にも付かない言い合いをやめました。
「んん? もしかして、怒っているのか?」
「もしかしなくても、怒っているようですね」
目を丸くする彼らを、周囲を取り巻く魔物達を、ぐるりと見回します。
そうして──私の口は、今まさに満を持して発っするのです。
毒入りワインを飲まされたあの時、グリュン城の大広間に集まっていた連中にこそぶつけたかった、この言葉を。
「──どいつもこいつも」
「ん?」
「はい?」
よく聞き取れなかったとばかりに首を傾げる、銀と金。
赤い瞳と青い瞳に見下ろされて怒りを加速させる、私。
「──愚か者ですっ!」
ガツッ! と、今度は鈍い音が響きました。
勢いよく突き上げた私の拳が、頭上にあった顎に見事に命中した音です。
アヴィス・ローゼオ、享年十八。
死因──毒殺。
やがてグリュン国王となるエミール王子の許嫁として、清く正しく、そして慎ましくをモットーにこれまで生きてまいりました。
そんな私が生まれて初めて──いいえ、死んでからも初めて殴った相手は、全ての魔物の頂点に立つ魔界の王、魔王陛下そのひとだったのです。
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