第40話 古木のおばあさま



 力の差は、歴然としておりました。

 自身よりずっと大きな体躯のドラゴン、それを三匹まとめて相手にしながら、息を乱すこともありません。

 研ぎ澄まされた二つの刃が鮮やかに流線を描き、無作法者どもを容赦なくバラバラにしました。

 魔王城の門前はたちまち朱に染まり、ここを守る役目を担うガーゴイルがガタガタと震えています。

 エミールも呆気に取られた顔をして、血振りされた双剣が鞘に収まる様を凝視していました。

 

「ヒヨコ、帰ってきたのですねっ!!」


 私は幼子を抱えたまま、体当たりするみたいにマントに覆われた剣士の背中に突っ込みます。

 魔界で新しい体を得た私の後をピヨピヨとついてきて、どういうわけか忠誠まで誓ってしまった死人──屍剣士ヒヨコ。

 元勇者とやらに弟子入りするため、一月もの間私から離れていた彼でしたが、唐突に帰ってきたのです。

 すぐさま振り返ったヒヨコが、ぎゅっと強く私を抱き返しました。

 血の通わない彼の体は冷たくて、その胸にどれだけ耳を押し付けようとも鼓動は聞こえません。

 フードの下の顔もやはりえらいこっちゃな状態で、相変わらず言葉を発せられる状態ではありませんでした。

 けれども、私を包み込む腕からは彼の想いがひしひしと伝わってきます。


「私の反対を押し切って行ってしまうなんて万死に値しますが……ちゃんと帰ってきたので許します。おかえりなさい、私の可愛いヒヨコ」

「……っ」


 ヒヨコが、感極まった様子でますます強く私を抱き締めました。

 私たちの間に挟まれた幼子が、目を白黒させています。

 そんな中、ふいに聞こえてきた震える声に、ヒヨコとの再会の感動に浸っていた私ははたと我に返りました。

 

「ア、アヴィス……そいつ、は……」


 エミールの声です。

 さっきは、私がギュスターヴや魔女に精気を口移しされたのを目の当たりにして不貞腐れていたのです。

 見知らぬ屍との抱擁は、またエミールの機嫌を損ねてしまうかもしれません。

 私は、ヒヨコがただの可愛いヒヨコであることを説明しようと、慌てて彼に向き直ります。


「エミール……?」


 エミールは、愕然とした表情をしていました。

 その空色の瞳が凝視するのは、私ではありません。

 私を抱き締めたままのヒヨコでした。

 元々白かったエミールの顔色は、いまや紙のように真っ白になっています。

 その形の良い唇からは血の気が失せ──霊体なので、当然と言えば当然ですが──わなわなと震えています。

 けれども、それもわずかな間だけでした。

 突然カッと両目を見開いたかと思ったらみるみる顔が赤くなり、その表情は憤怒に染まったのです。

 

「なんで……っ、なんでなんで! なんでだよっ!!」

「エ、エミール、落ち着いて……」

「どうしてお前がここに──どうして、僕を差し置いてアヴィスの側にいるんだっ!!」

「えっ……?」


 突然喚き始めたエミールに、私を抱き締めたままのヒヨコが怯えたようにビクリと震えました。

 新グリュン国王と謎の屍剣士は、どうやら面識がある様子です。

 前回私がグリュン城の国王執務室へエミールを訪ねた折、ヒヨコも後から兄と一緒に転がり込んできました。

 とはいえ、直後に乗り込んできたギュスターヴの印象が鮮烈だったこともあり、あの時エミールとヒヨコがどれほどお互いの存在を認識できたでしょう。

 そもそも、今のエミールの言動から推測すると……

 

「エミール……あなたもしかして、この子のことを前から知っているの?」

「何言ってるの、アヴィス! 知っているも何も、だって、そいつは──」


 霊体のくせに顔を真っ赤にして、むしろ生き生きとしたエミールが、ビシリとヒヨコを指差し言い募ろうとした、その時でした。



「……おのれっ……焼き殺してくれるっ!!」



 ヒヨコの双剣に切り伏せられ、地面に転がっていたドラゴンの一匹が、突然頭をもたげて叫んだのです。

 かろうじて息があったらしいそいつは裂けんばかりに大きく口を開き、巨大な火の玉を吐き出しました。

 最初に追いかけていた幼子か、それを担いで逃げた私か、それとも自分たちを切ったヒヨコか。

 あるいはその全員を狙ったのかもしれません。

 とはいえ、ヒヨコが即座に私達を抱えたまま飛び退いたことで、ことなきを得ました。

 火の玉の軌道にいたエミールとガーゴイルも、すんでのところで避けます。

 それにほっとしたのも束の間でした。

 なおも勢いよく飛んでいく火の玉の先にあったのは、避けようにも避けられない存在──



「お、おばあさまがっ……!」



 ドラゴンが吐き出した火の玉は、魔王城の庭に根を張り聳え立つ古木にぶつかり、瞬く間に大きな炎へと変貌を遂げたのです。


「おばあさまっ! おばあさまが、燃えてしまうっ……!!」


 私はヒヨコの腕の中から抜け出し、幼子を地面に下ろすと、慌てて古木のおばあさまに駆け寄ります。

 火の玉を吐き出したドラゴンにとどめを刺し、ヒヨコが追いかけてきました。

 幼子も、つられたみたいにヨタヨタと続きます。

 その間に、古木はすっかり炎に包まれてしまいました。

 火はすでに樹冠にまで達し、みるみる枝葉が焼け落ちていきます。

 やがてそれは真っ黒い炭になって、雨のように地面へと降り注ぎました。

 バチバチ、と焼けた木の皮が剥がれて収縮する音が響き、辺りには火の粉が舞います。

 この日はまだ一言も言葉を発していない古木のおばあさまでしたが、燃え盛る炎の轟々という音が、まるで断末魔の叫びのように聞こえました。

 私はなすすべもなく、頭を抱えます。 


「わ、私のせいです! 私がドラゴンを怒らせたから……私が、余計なことをしたから……っ!」

「ちょっ、ちょっと落ち着いてよ、アヴィス! 君のせいなんかじゃ……」


 エミールはおろおろと私の周りを飛び回り、ヒヨコは血糊の付いた双剣を携えたまま立ち尽くしています。

 炎に気づいた魔王城の魔物達がわあわあと集まってきて、バケツリレーが始まりました。ガーゴイルもこれに加わります。

 しかしながら、火の勢いがあまりにも強すぎて、焼け石に水といった有様でした。

 私の両目から溢れ出した涙など、当然なんの役にも立ちません。


「おばあさま……おばあさまっ……!!」


 バキバキと音を立てて表皮が剥がれ、空洞になった幹の内部が顕になりました。

 心は絶望に打ちひしがれ、体中の血が凍ったみたいに全身が冷たくなっていきます。

 燃え盛る炎で熱いくらいのはずなのに、私はブルブルと震えていました。

 

「私のせいで、おばあさまが死んでしまう! 私の、私のせいで──!」

「違う。違うんだ、そうじゃない……」


 燃え盛る古木から視線を遮るように、エミールが私の正面に回ります。

 けれど、その金色の髪と空色の瞳を目にしたとたん、私はさらなる絶望の気配に気づきました。


「ぜんぶ……ぜんぶ、わたしのせいです。わたしのせいで、なにもかも、はめつする……」

「アヴィス……?」


 この魂に紐づけられた記憶の奥底から、恐ろしいものが頭をもたげ始めました。

 グルグルと目が回る心地を覚えながら、私の口は絶望を語ります。


「おばあさまがもえたのも、グリュンおうこくがおかしくなったのも」

「アヴィス……?」

「おとうさまやおかあさま……エミールのおかあさまがなくなったのだって──」

「──アヴィス!」


 エミールが、私の言葉を鋭く遮ります。

 その瞬間でした。




 ──ザッ!!




 なんの前触れもなく、魔王城の庭は豪雨に見舞われたのです。

 濃密な水のカーテンが、目の前にいたエミールも、燃え盛る古木の姿も隠してしまいました。

 そんな状況にありながら、しかし私は少しも濡れていません。

 真っ白い毛皮が傘のように頭上を覆っていたからです。


「ギュスターヴ……」


 私を豪雨から守ってくれていたのは、会議室にいたはずの魔王のマント。

 視界は涙でぼやけてしまっていましたが、私を見下ろしたギュスターヴの表情が曇ったのは、なんとなく分かりました。 


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