第15話 一緒に帰ろう



「ところで、アヴィス」

「はい」


 悠然と階段を下っていたギュスターヴが、ふいに足を止めます。

 不思議に思った私が彼の肩口に落としていた視線を上げますと、相変わらず鮮やかな赤とかち合いました。

 しばしの見つめ合いを経て、先に口を開いたのはギュスターヴです。

 彼は、何やら一つわざとらしい咳払いをしてから続けました。

 

「後ろの死人とは、どういう関係だ」

「え? ……あっ、ヒヨコ!」


 私とギュウターヴから十段ほど距離を置いて、足音もなく付いてくるのはヒヨコでした。

 はるばる地界まで付き合ってくれたというのに、私ときたら自分のことで手一杯で、彼の存在を今の今まですっかり忘れていました。

 それを申し訳なく思いつつも、私はひとまずギュスターヴの質問に答えます。


「見ての通り、可愛いヒヨコです」

「ふむ、ヒヨコ……彼氏ではなく?」

「どこからどう見ても、ヒヨコでしょう?」

「なるほど。そうか……違うのか……」


 ギュスターヴはグリュン城の門番トニーみたいに、私のヒヨコ発言に突っ込んでくることはありませんでした。

 それどころか、なんだかほっとした様子でうんうんと頷いています。


「うむ、彼氏でないならばいいんだ。さすがに、まだアヴィスには早すぎるからな」

「何が早すぎるんですか?」


 何やらぶつくさ言っていたギュスターヴは私の質問には答えず、ヒヨコを振り返って声をかけました。


「そこのヒヨコとやら。貴様、どうする? 今ならまだ、引き返せば地界に戻れるが?」


 その言葉が意外だった私は、ギュスターヴのやたらと綺麗な顔を両手で挟んで自分の方に戻し、鼻先を突き合わせるようにして尋ねます。


「魔界から出奔した私達を連れ戻しにきたのではないのですか?」

「いや? 私はただ我が子を迎えに赴いただけだ。五時の約束だっただろう?」

「でも、あんな門番まで置いて脱走を阻んでいるのに……。強制的に連れ戻さなくてもいいのですか?」

「あの門を出た時点で、その者は私の管轄から離れる。どこで何をしようと知ったことではない」


 つまり、私のことは我が子という認識だから連れ戻すが、ヒヨコに関しては必ずしもその必要はないということのようです。

 私の両手に顔を挟まれたギュスターヴは、後ろを振り返らないまま言いました。


「地界に戻って人間どもを恐怖に陥れるもよし。ただその身体が朽ちるのを待ち、気まぐれな天使に拾われて天界に行くのを夢見るもよし。好きにすればいい」

「……」


 魔王の突き離すような言葉に、ヒヨコはただ立ち尽くしています。

 その姿が迷子のように見え、私はとたんに胸が騒ぎました。

 それに、彼を天使に渡すのはどうにも気に入りません。

 私はいてもたってもいられなくなって、ギュスターヴの肩越しに身を乗り出し、ヒヨコに向かって手招きしました。


「ヒヨコ、私とおいでなさいな。一緒に帰りましょう?」

「――!」


 とたん、ぱああっと顔を輝かせた……いえ、実際はフードに隠されて顔は見えないのですが、とにかく喜色をあらわにしたヒヨコが一気に階段を駆け下りてきます。

 それが、千切れんばかりにしっぽを振る犬みたいで、私は思わず破顔してしまいました。


「まあ、かわいい」

「……ふむ、これが可愛いのか。今時の若者の感覚は分からんな」


 ヒヨコが、私が放り出してきた大腿骨を拾ってきてくれていたこと。

 そして、彼に右腕が戻っていることに気づいたのは、魔界に戻ってからでした。









「……アヴィスは、僕のものだ」


 晴れた日の空のような澄んだ青。

 ずっとアヴィスがそう思っていたエミールの瞳は、今はひたすら昏く宙を睨んでいた。

 

 アヴィスを抱いた魔王が戸板の外れた国王執務室の扉を潜ったとたん、彼ら以外を平伏させていた見えざる力が消え去った。

 真っ先に動いたのは、アヴィスが連れてきた謎の剣士だ。

 弾かれたように飛び起きた剣士は、部屋の隅に転がっていた何者かの大腿骨を掴んで国王執務室から飛び出していった。

 次いで我に返ったアヴィスの兄グラウも、愛剣を片手にそれを追う。

 ところが……


「あいつら、どこへ行ったんだ……」


 国王執務室の外には、すでアヴィスの姿も、魔王の姿も、剣士の姿も――彼らがいた痕跡すらも無くなってしまっていたのである。

 ここにたどり着くまでに、あの謎の剣士に伸されたグラウの部下達も、ようやく意識を取り戻して起き上がり始めた。


「さっきの手練の剣士……あれは、もしや……」


 グラウは先ほど交えた剣士の剣と、それを受け止めた時の感触から思い至った、ある仮説に眉根を寄せる。

 しかし、部屋の中から自分を呼ぶ少年の声に、ひとまず結論を保留にした。

 グラウが国王執務室に戻ると、彼の現在の主君――十八年前から弟となることが決まっていた第一王子エミールが、執務机の前に座って宙を睨んでいた。

 妹とは違い、グラウにとってその昏い目は見慣れたものである。


「魔王だかなんだか知らないけれど、アヴィスは返してもらわないとね」

「魔界に乗り込むとおっしゃるなら、喜んで供をしますが?」

「それは心強いね。ところで、グラウは魔界への行き方を知っているの?」

「そんなもん、知るわけないでしょう」


 とたん、エミールはじろりとグラウを睨んで、使えないな、とぼやく。

 けれども、机に両肘を突いて指を組むと、その上に顎を乗せて気を取り直すように口を開いた。


「まあ、いいや。アヴィスがもう一度生身を持っていて、ここに戻ってくることも可能だと知れただけで十分だ。僕は、ジョーヌみたいに早まった真似をしなくて正解だったよ」

「……」


 グラウはそれに答えなかったが、エミールは気にせずに続ける。


「父上の思い通りになるのは癪だけど、アヴィスが戻ってくることを考えると、この国を廃退させるわけにはいかないね」


 そうして、先ほどアヴィスが現れたために中断していた書き物を再開しようと、彼がインクの蓋を捻った瞬間だった。


「――っ!?」


 まるでこの時を待っていたかのように、勢いよくインクが飛び出したのである。

 噴き上がったインクは重力に従い、床に、執務机に、その上に広げられていた書類に――そして、エミールの上に降り注いだ。

 先ほどアヴィスにしたように、彼もまた頭からインクを被る羽目になったわけである。


 考えるまでもない。


 あの魔王からの意趣返しだ。


「……っ、くそっ!」


 忌々しげに舌打ちをするエミールに対し、グラウは片頬を釣り上げた。

 こんな兄の表情も、アヴィスは生前見たこともなかっただろう。

 

「はは、ざまぁ」

「グラウ……」

「アヴィスをいじめて泣かせるからですよ。いい気味だ」

「だって、アヴィスがいけないんだよ。僕に断りもなく色なんて変えてくるから……」


 インクに塗れた金色の髪を掻き上げつつ、エミールは唇を尖らせる。

 しかし、恐怖に慄くアヴィスの姿を思い出したとたん、その顔には恍惚とした笑みが浮かんだ。


「アヴィスはばかだなぁ、本当に目を抉ったりするわけないじゃないか」

「今の殿下ならばやりかねない。さすがにその時は、私があなたの腕を叩っ斬って差し上げますので」

「あはは、魔王に論破されたやつが偉そうに」

「次は負けません」


 両親亡き後アヴィスの親代わりを務めたと豪語するグラウはまた、同じく母を亡くしたエミールも支えてきた。

 そのため、主従というよりも兄弟のように気の置けない仲の二人ではあるが……


「ああ、それはそうと――騎士団長」

「――はっ」


 エミールがグラウを肩書きで呼ぶなり、彼らの関係は瞬時にして、主君とその忠実な騎士に変わる。

 エミールは指に付いたインクで目の前の汚れた書類にサインをすると、にっこりと――それこそ天使のように麗しい笑みを浮かべて告げた。


「僕の名において、前国王の首を刎ねてください。アヴィスが天界にいないと分かった今、もう親殺しの罪を背負おうともかまいませんからね」

「御意」


 この翌日のことである。


 エミール・グリュンは正式に国王として立ったことを、国内外に宣言した。







『第一章 新しい身体と新しい人生』おわり



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