第14話 清廉潔白な真犯人
「――思い出しました」
魔界へと続く階段は、国王執務室を出てすぐのところにありました。
いえ、さっきまでは絶対にそこにはなかったので、きっとギュスターヴが何かしたのでしょう。
私とヒヨコが上ってきた時は真っ暗だった階段が、今は等間隔で灯りを並べて主君の足下を照らしています。
魔王はそれを、私を片腕に抱いたまま悠然と下っていきました。
そんな中でふいに声を上げた私の顔を、ギュスターヴの赤い瞳が覗き込みます。
「何を思い出したと?」
こんなに密着していても全く居心地悪く感じないのは、やはりこの身体が彼の血肉でできているせいでしょうか。
心も身体も、すでにこの魔王を細胞の親と認識してしまっているのかもしれません。
それは本能であり、抗うのも馬鹿馬鹿しく思うほど、ギュスターヴは私の心理的縄張りにするりと入り込んできます。
私も負けじと彼の瞳を見つめて口を開きました。
「給仕の……毒入りのワインをエミールに渡した給仕の顔です。どうしてすぐに気づかなかったんでしょう。あれは――」
給仕の格好をした男がワイングラスを差し出し、エミールを介してそれに口を付けたことで、私は死にました。
国王陛下はそんな給仕は存在しないと言いましたが、私は確かに見たのです。
あの給仕の顔は――
「私の魂を迎えにきた、天使です」
「……ほう」
あのパーティーで、第二王妃も誰も私の殺害を企んでいなかったという国王陛下の言葉を信じるならば、最終的に毒入りワインを用意した給仕が疑わしくなります。
そうして、その給仕の顔と、虫の息の私を迎えに舞い降りてきたせっかちな天使の顔が一致したとなれば、それはもう偶然ではないでしょう。
「私……天使に殺されたんだわ……!」
全知全能の神の使い。
善人の魂を天界へと導く救い。
そんな清廉潔白の代名詞のような存在が、人に身を窶してまで私を殺すだなんて。
「ひどい……ひどい、どうしてっ……!!」
悲しみ、悔しさ、喪失感、そして凄まじい怒り。
それらがぐちゃぐちゃに混ぜ合わさって、私の中で出口を求めて荒れ狂います。
その間も相変わらず悠然と歩を進めるギュスターヴの肩に、私はたまらずしがみつきました。
そんな私の髪をあやすように撫でながら、なるほど、と彼が呟きます。
「天使はよほど、お前の魂を天界に連れて行きたいようだな。自然に死ぬのも待てなかったか」
「どうしてですか……どうして……」
「さて、どうしてだろうな。だが、その天使が諦めていないのは確かだ。今もまだ、お前の魂を返せと言っているらしいからな」
「――っ!?」
それは、私の中でぐちゃぐちゃに混ぜ合わさっていたさまざまな感情が、一つに――全てが怒りに呑まれた瞬間でした。
「――私の魂は、私のものです!!」
激しい怒りが、ついに口をついて私の中から飛び出します。
とたんに強い風が巻き起こり、私のものともギュスターヴのものとも分からぬ銀髪が煽られて宙を泳ぎました。
さらに、足下を照らしていた灯りも一気に吹き消され、残ったのは深い闇ばかり。
さっき私の髪やワンピースを汚したインクよりも、純粋で、濃厚で、傲慢な黒です。
しん、と耳が痛くなるほどの静寂がその場を支配しました。
けれども、それも一瞬のこと。
「――そうだ」
そう、ギュスターヴが呟いたとたん、足下の灯りがぱぱぱっと再び点灯したのです。
呆気に取られる私の頬を、彼の掌がゆったりと撫でます。
いつの間にか溢れていた涙も、それが優しく拭ってくれました。
さらには私の髪に口付けを落としながら、魔王は謳うように続けます。
「お前の魂は、お前のものだ。そして、私のものでもある」
「……私は、私だけのものです」
「いいや、違うな。魔界に来た時点で、全ては私のものだ」
「……傲慢」
そんな抗言も、魔王は軽く笑って許容してしまいました。
私は早々に彼との議論を諦めます。
痛覚がないはずなのに胸の奥がチリチリと痛む気がするのは、きっと天使の理不尽に対する怒りの名残りがまだそこで燃えているからでしょう。
私は片手で胸を押さえて、目の前の毛皮の襟に顔を埋めました。
「いやっ……絶対、いやです! あの天使の思い通りになんてなりたくない……天界になんて、絶対行きたくない!」
「その点は安心しろ」
くぐもった声で言い募る私に、ギュスターヴが何でもないことのように返します。
髪を撫で、こめかみに口付け、それこそ我が子を慈しむみたいに私をあやしながら彼は続けました。
「私がお前を手放すことは、未来永劫ありえない。天使にも、神にも、手を出させはせん」
「ほんとう、ですか……?」
「〝アヴィスのお父さん〟の称号に誓って」
「呼ばないですってば」
頑固だな、という魔王の声は笑っていました。
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