第5話 魔王と堕天使と携帯端末
「――魔王様、アヴィスを外に出してもよろしいのですか?」
アヴィスが魔王城の庭でヒヨコ属性の屍剣士と出会っていた頃である。
ノックに返答があったのを確かめてから魔王の寝室の扉を開いたのは、部屋の主の側近であるノエルだった。
その手には、水差しとグラスを載せたトレイを持っている。
一拍置いて、ベッドの中から寝ぼけたような声が返ってきた。
「……アレは、アヴィスというのか」
「呆れた。あなた、あの子の名前も知らなかったのですか?」
「魂自体には名なんてないんだ。名乗られねば、いかに私とて分からん」
「左様で。それで、もう一度お聞きしますけれど、あの子を城から出してもよろしいのですか?」
肩を竦める側近の問いに、ようやく身体を起こしたギュスターヴが、銀色の髪を掻き上げながら気怠げな声で答える。
「子供は外で遊ぶものだろう」
「子供って……あの子、十八らしいですよ。人間ではもう立派な大人だと思いますけどね」
「子供は子供だ。そもそも、今のアレの身体は私の血肉でできている。並の魔物ではどうこうできまいよ。私の目の届く範囲で遊んでいる分はなんら問題ない」
「そうですか。では、魔界にいる限りは心配ないのですね」
ノエルは安心したとばかりに微笑むと、グラスに水を注いで差し出す。
それを受け取って口をつけながら、しかし、とギュスターヴが続けた。
「痛覚がないというのも考えものだな。骨が剥き出した血塗れの拳をしげしげと眺めて、あらー、なんて暢気に驚いているのを見せられると……うむ、さすがに心配になってくる」
「一回死んだせいなのか元々なのかは分かりませんが、変に肝が据わった子ですものね。痛みは抑止力になりますから、無茶をさせないためには必要かもしれません。今からでもあの子の体に痛覚を付け加えてやってはいかがですか? 魔王様なら可能でしょう?」
「わざわざ痛い思いをさせるのか? かわいそうだろうが。貴様は、鬼か、悪魔か」
「いえ、天使ですけど」
ノエルはもともと、天界で神に仕える天使だった。
それがなぜ、魔王の右腕などしているのかについては、今は割愛するとして……
「そういえば、あの子の魂を返せ、と元同僚の天使からメールが来ていましたが」
「ほう? 魔界に落ちた魂を天使が? わざわざ? 初めてのケースだな」
「ですよね。よほどあの子を天界に連れていきたかったのでしょうか。いかがなさいます?」
「愚問だな、ノエル。あれはもう私の子だ。天使にも、ましてや神になんぞくれてやるはずがない」
ギュスターヴは鼻で笑ってそう言うと、ベッドの脇に置いてあった端末を手に取った。
手慣れた様子でそれを操作して、ノエルに画面を見せる。
「アヴィスには携帯端末を持たせている。今どこにいるのかはこの通り、一目で分かるからな。五時になったら迎えに行くと言っておいたが……さて、私の話をまともに聞いていたのかどうか」
「門限五時なんです? しかし、威信をかけて衛星を飛ばした天界も、まさか魔王様にそれを利用されているとは思わないでしょうねぇ」
「神だって、魔界が開発した会員制交流場を使ってるんだ。お互い様だろう。知っているか、あいつ結構なツイ廃だぞ?」
「知りたくなかったです」
地界よりも科学技術が飛躍的に進んだ魔界や天界では、情報通信網も発展している。
天界では画像投稿に特化した会員制交流場が主流で、意識高い系の死人が日々キラキラしい写真を上げている一方、呟きに特化した会員制交流場の人気が根強い魔界ではクソリプ合戦が盛んで、日々どこかで誰かが炎上していた。
なぜ魔界や天界がこのような発展を遂げているのかというと、地界で大成しないまま寿命を迎えた天才、奇才、変人が、ほぼ無限に存在し続けられる死後の世界で情熱を燃やし続けた結果である。
そして、魔王も神もだいたいは退屈を極めているので、そういう輩への援助を惜しまない。
魔界は基本ろくでもないやつがくるため、ろくでもない方向に発展することが多いが、それもまた一興。
ともあれ、天界の技術革新のおこぼれを拝借し、魔王とその側近はアヴィスの現在地を割り出した。
ギュスターヴは彼女を示すアイコンを指先で突いて、その肩書きとは不釣り合いなほど柔らかな笑みを浮かべる。
「しかし、画面上ではただのアイコンでしかないというのに、これが我が子だと思うとなんとも愛らしく見えるものだな」
「はあ……あなた、本当にあの子の親を気取るつもりなのですね? そんなに子供が可愛いなら、さっさと作ればよろしかったのに」
「口を慎め、ノエル。出産とは命懸けの仕事だぞ。自分が産むわけでもないくせに簡単なことのように言うな」
「これは、失礼しました。全国のお母様方に謝ります。ごめんなさい」
虚空に向かって謝る側近を一瞥してから、魔王が続ける。
「そもそも、この私の魔力を受け継ぐ子供を宿すに耐え得る母体が、そうやすやすと見つかるものか。千年生きた魔女でさえ、不可能だったんだぞ?」
「なるほど……それではあの子は正真正銘、あなたと血肉を分けた希少な存在ということになるのですね」
アヴィスを示すアイコンは、しばらくは魔王城の門を出たところで止まっていた。
寝起きの魔王と堕ちた天使はそれをほのぼのと眺めていたが、やがてアイコンが活動を始める。
おや、と後者が口を開いた。
「えーっと……気のせいでしょうか? 一直線に魔界の出口に向かっているように見えますが……」
「……ん? いやいや、生まれたてほやほやのアレが魔界の地理に詳しいはずが……誰かが門の場所を教えたのか?」
「魔王様が与えた携帯端末で調べたんじゃないですか? 子供って好奇心旺盛ですから、すぐにカラクリを使いこなすようになりますよ」
「なるほど……しかし、出口に辿り着いたところで、あそこには門番がいるだろう。あいつがそうやすやすと通すはずがない」
とは言いつつ、ギュスターヴもノエルも、何だか嫌な予感を覚えていた。
そうして、嫌な予感というのはだいたい当たるのだ。
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