第27話 戦闘力はゴミ




「わたくしのことは、この際どうでもよろしいの」


 どピンクのコウモリが、そうぴしゃりと言いました。

 しかし、どうでもよろしいわけがないのです。

 だって、ヒヨコが斬って斬って斬りまくっても再生してきた彼女でしたが、最終的にはギュスターヴによって細切れにされ、さらに屋敷に溢れかえっていた手下ともども焼き尽くされたはずなのですから。

 魔王でも滅ぼせないなんて、まさか不死身だとでも言うのでしょうか。

 私もドリーも訳がわからない心地でしたが、それよりも、とジゼルは続けました。


「そこの子供達、再度お尋ねしますわ。どこでこれを知ったんですの?」


 彼女はそう言って、どピンクの皮膜にちょこんと付いた爪の先で床を指します。

 床の上には、何やら魔法陣のようなものが描かれていました。

 そういえば、魔王城で私達が謎の光に包まれた際も、足下の床には同じようなものが現れたように記憶しています。

 それに心当たりがあるかと私が問いますと、胡散臭そうにジゼルを見ていたグライスとパルスはこくりと頷きました。

 

「ついさっき、あるひとに教えてもらったんだよ」

「あるひと……とは、どなたでしょうか?」

「知らないひと。でも、これでアヴィス姉様に会えるって」

「まあ……」


 双子の証言に、私はドリーと顔を見合わせて首を傾げます。

 一方、ジゼルはパタパタと皮膜を羽ばたかせて魔法陣の上と飛び回りながら呟きました。

 

「これは、召喚用の魔法陣ですわ。ですが、媒介がなければ何も呼び出すことができないはずなのですけれど……」


 それを聞いたグライスとパルスのそっくりな顔が、私を見上げて言います。


「媒介には宝石を使ったんだよ。トニーからもらった、赤いやつ」

「アヴィス姉様からいただいたものだけど、自分にはもったいないからって、私達にくれたの」

「そうだったの、トニーが……」


 トニーとはローゼン家の家令の三男で、グリュン城の門番を務めております。

 半月前、エミールを助けようとグリュン城を訪れた際に再会し、私を悼んで涙を流すいじらしい彼の姿にたいそう心を打たれたものです。

 あの時、せめてもの慰めに、と私は確かに髪を飾っていた赤い宝石をトニーに与えたのでした。

 慎ましい彼は持て余したそれを換金することもなく、私の形見としてグライスとパルスに譲ったようです。

 双子はそれを媒介とし、見知らぬ何者かから教わった魔法陣でもって、私をここに呼び出しました。

 ドリーと、ちょうど私の顔面に張り付いていたジゼルもそれに巻き込まれ、一緒にこうして地界に召喚されてしまったというわけです。

 それにしても、どうしてグライスとパルスはこの秘密の書斎にいたのでしょうか。

 そんな問いに返ってきた答えは、信じがたいものでした。


「エミール様に追い出されて国外に逃げていた前の大臣が、急にうちに押しかけてきたんだ」

「ローゼオ家の人間を人質にして、父様にエミール様をやっつけるように言うんだって」


 それを聞いた私は、思わず鼻で笑ってしまいそうになりました。

 前政権の残党が、あまりにも愚かな要求を掲げているからです。


「兄様がエミールを裏切ることなど絶対にありえません。義姉様も、それをご存知のはずです」

「うん。だから母様は、死を覚悟してぼく達をお隠しになったんだ」

「何があっても――母様を殺すって言われても、二人で隠れていなさいって」


 双子の話によると、ローゼオ侯爵家は現在反乱軍に占拠されているとのこと。

 当主である兄様はもうずっとグリュン城に詰めたままだといいますから、きっと義姉様が当主代理として、一緒に人質となった使用人達を守ろうと奮闘しているに違いありません。


「義姉様……」


 愚か者どもに毅然と立ち向かう義姉の凛とした姿を想像し、私はぐっと奥歯を噛み締めました。

 そんな私にしがみつき、グライスとパルスが泣きそうな声で言うのです。


「ねえ、姉様」

「アヴィス姉様、どうか」


「「母様を助けてください」」


 私も、愛しい甥と姪を両腕に抱きしめて答えました。


「もちろんです」


 ところがここで、猛然と抗議の声が上がります。

 ギュスターヴから私のお守りを任されたというメイドのドリーです。

 彼女は私の両肩を鷲掴みにし、ぐぐっと顔を近づけて噛み付かんばかりに言いました。


「ちょっと、安請け合いしないでちょうだい! その身体が魔王様の血肉でできているとはいえ、お前の戦闘力は生前と変わらないのよ! 多く見積もっても五! ゴミよ!?」

「そんなはずはありません。確かに丸腰ではそのくらいの戦闘力かもしれませんが、今の私には強力な武器がございます。こちら、門番の大腿骨――略して、モンコツ」

「モンコツだかポンコツだか知らないけど、そんな骨一本で何ができるっていうのっ!!」

「まあ、殴るの一択なんですけど」


 私の答えに納得がいかないらしいドリーが、この身の程知らず! と詰ります。

 それにしても、キャンキャンとうるさいったらありません。

 まるで躾のなっていない犬のようです。

 山羊娘なんですから、可愛くメエメエ鳴いていればいいものを。

 いい加減、お説教にもうんざりとした私は、目の前で忙しなく開閉していた顎を掴みました。


「あがっ!?」


 とたんに口を閉じられなくなったドリーが喘ぎます。

 私は、彼女の間抜け面を真正面から見据えて言いました。

 

「確かに、私は強くはありませんが……この身になって得たものがございます」

「えはほほ?」

「はい。それは、思い切りのよさ、です」

「ほ……?」


 痛覚がないため傷を負うのも恐ろしくありませんし、人の身より丈夫なので多少の無理もできます。

 魔王や魔物の血肉で生きているせいか、生前のような倫理観も持ち合わせておりませんから、ひとを殴りつけようとも一切罪悪感を覚えません。

 むしろ、ワックワクします。

 何より……


「死んで人の身を失った私は、もうグリュン王国の王太子妃にも王妃にもなることはありません。何をしようと、何を言おうと、もうエミールの足を引っ張る心配をしなくていいんですもの――私は、自由」


 まんまるに見開かれたドリーの緑色の瞳に映った私は、満面の笑みを浮かべていました。

 顎を離しても、ドリーはもうキャンキャンと説教をしてきませんでした。

 グライスとパルスが、少しだけ悲しそうな顔をして私を見上げています。

 

「うふふ、楽しそうですわねぇ、死に損ないちゃん?」

 

 パタパタと飛んできたどピンクのコウモリ――吸血鬼ジゼルが私の肩に止まり、面白そうな声で耳元に囁きました。

 彼女がどうして滅ばなかったのか、そもそも味方なのか敵なのかも分かりませんが、こんなに近くにこられても不思議と嫌悪感も危機感も覚えません。

 そのため、私はにっこりと微笑んで答えました。


「私はたぶん、嬉しいのです」

「嬉しい? まあ、何がかしら?」


 ジゼルは今度は不思議そうな顔をします。

 ドリーは何やらおろおろとしていますが、双子は瞬きもせずに私を見つめていました。


「私をこの年まで育ててくださったのは、義姉様です。何の恩返しもできないまま死に別れてしまったことを口惜しく思っておりましたが……」


 両親亡き後、私の親代わりを務めたのは兄夫婦でしたが、騎士団の仕事で家を開けることが多く、会ったら会ったで溺愛するばかりだった都合のいい兄とは違い、義姉は真実、母親役を務めてくれました。

 私を躾け、教育し、叱り、けれど寂しい時は必ず隣に寄り添ってくれたのです。

 義姉はいつだって、時間を惜しまず私の言葉に耳を傾けてくれました。

 彼女がいてくれたから、父と母が亡くなった後も枕を涙で濡らす夜はありませんでした。

 

「今こそ、義姉様にご恩返しをする時です」

 

 私は意気揚々と、隠し扉を開きます。

 とたんに差し込んできた日の光に、生前とは正反対の色合いになった髪が輝き、グライスとパルスが息を呑む音が聞こえました。








「――いやな予感がする」


 魔王ギュスターヴがそう呟いたのは、地下牢から城へと戻る階段を半分ほど上った頃だった。

 後ろに付き従っていた堕天使ノエルが、はて、と首を傾げる。


「あなたが気にかけるのですから、そのいやな予感というのはアヴィスに関することなのでしょうか?」


 ノエルがそう言い終えるのを待たず、彼の前からギュスターヴの姿が消えた。

 おそらく、アヴィスの所にすっ飛んでいったのだろう。


「アヴィスが来てから、魔王様はいきいきするようになりましたねぇ」


 一人、暗闇の中に取り残されてしまったノエルは、やれやれと肩を竦めて苦笑した。




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