第37話 くどい魔王とおいしい魔女




「おいで、アヴィス。起きたのなら、朝飯代わりに精気をやろう」


 早々にエミールへの興味を失ったらしいギュスターヴが、円卓の向こうから手招きをしてきます。

 もう十時を回ってしまっているので、朝食というよりはブランチという方がしっくりくるかもしれませんね。

 とかなんとか思いつつ、私はツンと澄まして答えます。


「いらないです。だって、ギュスターヴはくどいですもの」

「待て待て。その言い草では誤解を生む。くどいのは私ではなくて、私の精気だろう?」

「ご自分の精気がくどいことをようやく認めましたね」

「……はめられたな。我が子ながら恐ろしい」


 私達のやりとりに、ギュスターヴの両隣がくすくすと笑います。

 次に口を開いたのは、その一方であるノエルでした。

 情けない顔をする魔王を一瞥し、元天使が勝ち誇った笑み浮かべて言います。


「うっふふふふ……では、こちらにいらっしゃい。私の精気は好みなのでしょう?」

「結構です。いい加減、薄味にも飽きました」


 これまた私がぴしゃりと言いますと、ノエルは一瞬にして撃沈してしまいました。

 高い鼻をへし折ってやった時の、この高揚感。くせになりそうですね。

 がっくりと項垂れるノエルをプギャーしてから揃って手を上げたのは、今度は顔馴染みの女性陣でした。


「じゃあぁ、わたしのをあげるわぁ、アヴィスちゃぁん。本職ですものぉ、魔王様や天使様よりはぁ、おいしい自信があるわよぉ」

「そう言って、オランジュは逆に私の精気を吸う気でしょう。分かっていますからね」

「うふふふ。でしたら、わたくしが……」

「ジゼルはご自分の精気のえげつなさを自覚するべきです。そもそも、逆にこちらの血もつまみ食いしてやろうとか企んでいるに違いありません。騙されませんよ」


 バレたか、テヘペロ、じゃないです。まったく、油断も隙もない。

 そんな中、ちょいちょいと私を手招きする者がありました。

 ギュスターヴの左隣に座り、彼と同じくらいどっしりと構えている、落ち着いた雰囲気の女性です。

 私はしばしの逡巡の後、とことこと彼女の前まで歩いていくと、ワンピースを摘んで腰を落としました。


「ごきげんよう、魔女の方」

「ごきげんよう、魔王の子。おや、私が魔女だと分かるのかい?」


 分かって当然です。

 何しろ彼女は、真っ黒い髪、真っ黒い服、真っ黒いとんがり帽子、と魔女じゃなければ逆に何なんだと言いたくなるような格好をしているのですから。

 初対面ではありますが、その金色の目が慈愛に溢れていたことと、私が近づいていってもギュスターヴが止めようとしないところを見ると、警戒が必要な相手ではないのでしょう。

 一方、魔女から二つ下がった席からは、何やらチクチクとした視線が飛んできます。

 私とそう変わらない年頃の女の子に見えますが、赤い髪からは二本の角が生え、鱗がついた長い尻尾とジゼルのそれと似た翼があることから、ドラゴンか何かでしょうか。

 ちなみに、彼女と魔女の間に座っていたのは鳥っぽい女の魔物でした。

 こちらは、ニコニコというよりはニヤニヤと、私と魔女、それからドラゴン娘を眺めています。

 そんな中、黒い袖の中から真っ白い手が伸びてきて、私の頬に添えられました。


「ふふ、可愛らしい……魔王の血肉で、こんなに可愛い子ができるなんてね」


 魔女のひんやりとした、たおやかな手です。

 かと思ったら、同じくらい冷たい唇が私のそれに重なりました。


「──は!? ちょ、ちょっと……アヴィス!?」


 エミールの戸惑う声が聞こえましたが、私はうっとりとして両目を閉じます。

 だって、流れ込んできた魔女の精気は、砂糖菓子のよう甘くて優しい味がしたのです。

 もっと味わいたくて、彼女の背中に両腕を回してしがみつこうとした時でした。


「……あっ!?」


 ぐっ、と二の腕を掴まれたかと思ったら、魔女から引き剥がされてしまいました。

 さらには、同じくらい力強い手に顎を捕まえられます。

 そうして、がぶりと噛み付くように私の唇を覆ったのは──最初にお断りしたはずのギュスターヴの唇でした。


「んふっ……」


 問答無用で注ぎ込まれた彼の精気が、私の脳髄を陶酔させていた魔女の精気を瞬く間に押し流してしまいます。

 おいっ! と怒ったようなエミールの声が聞こえ、私はいつの間にか抱き込まれていたギュスターヴの腕の中で暴れました。

 すると、彼は意外なほどあっさりと私を解放しましたが……

 

「──くどいっ!!」

「他に言いようはないのか」


 何やら不貞腐れたような顔をしています。

 私は負けじと頬を膨らませました。


「くどいオブくどいです。せっかく、魔女の方のがおいしかったのに、台無しです」

「おやまあ、かわいそうに。おいで、魔王の子。もう一度あげようね」


 くすくすと笑いながら、魔女の手がまた伸びてきます。

 私は、一も二もなくそれに飛び付こうとしました。

 それなのに、ギュスターヴに両肩を掴まれて身動きが取れなくなってしまいます。


「アヴィス」

「はい」


 ギュスターヴは私を自分の正面に立たせると、眉間に皺を刻んで言いました。





「めっ」





 しん、と会議室の中が静まり返りました。

 ドリーとプルートーが、ぽかんと大きく口を開いています。間抜けです。

 ノエルや魔女、ジゼルやオランジュは苦笑いを浮かべ、その他の面々は一様に戸惑った表情になりました。

 エミールも、思いきり眉間に皺を刻んで、私とギュスターヴを見比べています。

 私はそんな一同をじっくりと見回してから、正面のギュスターヴに向き直って首を傾げました。


「もしかして……私は今、ギュスターヴに叱られたのですか?」

「……」


 ただの事実確認です。

 それなのに、ギュスターヴはどことなくばつが悪そうに見えました。

 それでも目を逸らさない魔王の顔を、私もまじまじと見上げて繰り返します。


「ねえ、ギュスターヴ。私を叱ったのですか?」

「……私は、お前のお父さんだからな。我が子が危険な真似をするならば、叱って止めるのもやむなしだ」


 なるほど、と頷きます。

 あくまで、ギュスターヴの言い分は分かったという意味のなるほどです。

 彼が私のお父さんを名乗ることを容認していたわけではありませんのであしからず。

 それにしましても、甘くて優しい味だと思った魔女の精気ですが、もしかしたら取り込み過ぎてはいけないものだったのかもしれません。

 何でも用法容量を守るのは大事です。

 私はもう一度うんと頷いてから、ギュスターヴに向かって両手を広げました。

 すると、この自称〝アヴィスのお父さん〟は条件反射のように、私を抱っこするのです。

 何やら、エミールが息を呑む気配がありましたが、私はさほど気にせず、ギュスターヴの綺麗な顔を両手で挟んで言いました。


「叱られついでに、一ついいですか? たいへんなことを思い出してしまったのですけれど」

「……なんだ」

「オンラインフットネス三十日間無料体験を解約し忘れていました」

「……なんて?」


 はいはい、目を丸くしている暇はありませんよ。

 急いでください。


 オンラインフィットネス三十日間無料体験終了まで──残り、三分です。


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