第32話 悲喜こもごも
ギュスターヴの精気をたっぷり与えられたおかげで、左頬はたちまち元通りになりました。左耳の聴力も無事復活です。
もちろん、鼻血だって止まりましたよ。
足下のジゼルは残念そうな顔をしないでください。
せっかくですから、さっきと同じ構図で頬を寄せ合って自撮りをしておきましょう。
「はい、ギュスターヴ。笑ってください? かわいく」
「かわいく」
今度は、ちゃんとギュスターヴも満足そうな顔で写りました。
かわいく……はありませんが。
とても上手に撮れたので、さっきの写真と並べて会員制交流場に投稿してみます。
――はい、ゴッドさん。早かった。
相変わらず神速の反応ですね。
それにしましても、またもやえげつない速さで拡散され、めちゃくちゃイイネもいただいております。ありがとうございます。
引用が相変わらず、顔がいい、の嵐ですが、何かの合言葉でしょうか?
タグを作っていただくのは結構ですが、〝まおアヴィ〟ではなく〝アヴィまお〟でお願いします。異論は認めません。
とか何とか、楽しくやっていた時です。
慌ただしい足音が聞こえてきたかと思いましたら、騎士の格好をした人物が廊下の角から飛び出してきました。
私の兄――グラウ・ローゼオ侯爵です。
「――アヴィスぅううう!?」
「ごきげんよう、兄様」
おそらく、前大臣がローゼオ家を占拠しているという情報を得て、王城から駆け付けたのでしょう。
しかし、私がいることも……
「――と、魔王ぉおおお!?」
「さらばだ、アヴィスの兄」
ギュスターヴがいることも知らなかった兄は、素っ頓狂な声を上げます。
面倒くさい気配を察知したのでしょう。
ギュスターヴはさっさとこの場を去ることにしたようです。
いつの間にか、足下の床にはぽっかりと穴が空いていて、闇の中に階段が続いていました。
以前、ヒヨコと一緒にグリュン城を訪ねた私を迎えにきた時と同様、ギュスターヴが魔界への帰り道を開いたのでしょう。
カツカツと固いブーツの底を鳴らして階段を下りていく彼に、慌ててドリーが続きます。ジゼルは、ちゃっかり魔王のマントの裾にしがみ付いていました。
「ま、待てっ……!!」
ここでようやく我に返ったらしい兄が駆け寄ってくる気配がありましたが……
「アヴィス……アヴィス!! 魔王、アヴィスを返せっ!!」
あと一歩のところで穴は閉じてしまい、兄の悲痛な声だけが辛うじて私達の背を追い掛けたのでした。
「――くそっ!!」
廊下の床に両の拳を叩きつけ、グラウは悔しそうに吐き捨てた。
今の今まで、その床の上に開いていた穴はもう跡形もなくなってしまっている。
グラウはまたしても、愛する妹を成す術もなく魔界の王に連れ去られてしまったのだ。
「くそ……」
半月ほど前にグリュン城で執り行われたパーティーで、グラウの妹アヴィスは殺された。
彼女の許嫁であった第一王子エミールは嘆き悲しみ、絶望し、そして怒り狂い、アヴィスに対してわずかにでも悪意を持っていた人間全てに牙を剥いた。
一番の仇であった第二王妃の取り巻きなど、それはもう凄惨な末路を辿ったものだ。
そんな中で、大臣の一人がまんまと国外へ脱出していたのだが、それが傭兵集団を雇ってローゼオ侯爵家を占拠しているという一報が入ったのは、つい先ほどのことだった。
「グラウ……」
「ローザ、駆けつけるのが遅くなってすまない。怪我は?」
「ございません。使用人達は大広間に集められておりますが、全員無事です」
「そうか、無事でよかった」
彼の妻ローザは、聡明で気丈な女性だが、この時ばかりはさすがに青い顔をしていた。
グラウはおずおずと近づいてきた彼女を抱き寄せると、小さくため息を吐く。
一部始終を目撃したらしいローザの話では、前大臣は何やら化け物のようになった傭兵達に食い殺され、残骸も血糊も何もかもが、後から現れた魔王によって消し飛んでしまったのだという。
「グラウ、魔王なんてものが本当に実在するのですか? それに、アヴィスだって……あの子はもう、死ん……」
「蘇ったんだ。アヴィスは生きている。私もエミール――国王陛下も、いつか必ず、あの子を魔王から取り返すつもりでいる」
ローザの言葉を遮って、グラウはきっぱりとそう告げる。
アヴィスが蘇ったことを喜ぶ素振りもない妻を、彼の緑色の瞳は冷ややかに見下ろしていたが、すぐに顔面に笑みを貼り付けて言った。
「よくぞ、ローゼオ家と使用人達を守ってくれた。君のような頼もしい妻がいてくれるからこそ、私はこうして陛下に尽くすことができるのだ。感謝しているよ」
「まあ……光栄に存じますわ」
夫からの労いの言葉に、ローザはようやく安堵のため息を吐きかける。
しかし、次の瞬間――
「グライスもパルスも、出ておいで。父様が来たからには、もう大丈夫だ」
「え……」
彼女の身体は凍り付いた。
「父様」
「母様」
柱の陰から幼い双子の兄妹が現れて、寄り添って立つ両親の前までやってくる。
愛する我が子達の顔を、しかしローザは愕然として見下ろしていた。
「あなた達……そこで、聞いて……」
「姉様は、母様を助けにきてくれたんだよ」
「アヴィス姉様は、母様をとても愛していらっしゃったから」
ローザは今の今まで、子供達が近くにいることを知らなかったのだ。
知らなかったからこそ、これまで負の感情をひた隠しにしていい義姉を演じていたことを暴露してしまった。
一途に自分を慕ってくれていた義妹を、ひどい言葉で拒絶してしまった。
「ぼくは、姉様が好きだよ」
「私も、アヴィス姉様が好きです」
グライスとパルスはそう告げると、真っ青になって立ち尽くす母を哀れみを込めた目で見上げる。
それから、母にも、我が子である自分達にも、本当は少しも興味がない父を一瞥してから、そっと互いの手を握り合った。
グライスとパルスは、自分達がアヴィスを召喚した事実も、その方法も、誰にも打ち明けることはなかった。
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