第9話 誰がアヴィスを殺したの?



「……池の主に食われたのだろう。ジョーヌの遺体は、右腕しか上がらなかった」


 ジョーヌ王子が私を愛してくれていたなんて――国王陛下の言う通り、私はちっとも知りませんでした。

 彼の凄惨な最期に、痛覚のないはずの私の胸がズキリと痛みます。

 ジョーヌ王子は、先日十六歳の誕生日を迎えたばかりでした。

 エミールのお母様が存命中は第二王妃も辛うじてその地位に甘んじていたため、ジョーヌ王子も私やエミールと一緒に遊んだものです。

 よちよちと後をついてくるのが可愛くて、本当の弟のように思っていた時期もありました。

 剣に興味を持った彼に熱心に稽古を付けたのも、私の兄です。

 やがて、増長し出した第二王妃のせいで疎遠になってしまいましたが、私個人としてはジョーヌ王子に対して悪い感情はないのです。

 何より、彼は腹違いの兄エミールを純粋に慕っていました。

 第二王妃も公爵家も、ジョーヌ王子を王位に就けようとエミールを陥れ、そのために私を毒殺したのでしょうが……しかし、十中八九彼が望んだことではないのです。

 サクッとパンプスを雪に埋もれさせて後退った私の背を、ヒヨコが震える左腕で支えてくれました。


「……」


 いつの間にか、辺りには粉雪がちらつき始めていました。

 えも言われぬ焦燥を覚えた私は、国王陛下の生首から庭園の終点に立つ王宮へ視線を移します。

 雪を纏った白亜の城は、まるで凍える氷の彫像。

 静まり返ったその姿はじっと息を潜めて獲物を待つ獣のようで、なんとも言えず不気味に見えました。

 言葉を無くして立ち竦む私に、国王陛下が言います。


「アヴィス、どうやって君が蘇ったのかは知らないが……どうか、エミールには会わないでくれないか」

「なぜですか? 私はエミールを救いたくて、はるばる魔界から戻ってきたのですが」

「あの子は王の器だ。今は、君を失ったことで我を忘れているかもしれないが、やがて君の死を乗り越えて正しくこの国を導いてくれるだろう。そのためには、君への執着を払拭することが不可欠なのだよ」

「……なんですか、それは」


 エミールが国王になるためには私が邪魔だとでも言うのでしょうか。

 エミールの許嫁として、幼少の頃からずっと彼中心で生きてきたというのに、あんまりです。

 私はその場にしゃがみ込むと、手に持っていた門番の大腿骨でもって、また国王陛下の頭をポクポクと叩きました。

 不敬罪ばんざい。 


「国王陛下は、最初からエミールが国王にふさわしいと思っていらっしゃったということですか? だったらどうして、彼の立太子を阻もうとする王妃の暴挙をお止めにならなかったんです?」

「そもそも大前提からして間違っているんだ。あの夜、君のワインに毒を盛ったのは王妃ではない。あのパーティーで君を殺そうなんて、王妃も誰も企んでいなかったんだ」

「あら。でしたらいったい、私は誰に殺されたとおっしゃるんです?」

「それは私にも分からない」


 私は眉間に皺を寄せ、なおもポクポクと国王陛下を叩きます。

 勢い余って彼の首はガクガクしておりますが、知ったことではありません。


「私が倒れた時、王妃が真っ先に声を上げたではありませんか。即座にエミールを下手人と決めつけた彼女が真犯人であると考えるのは、妥当でございましょう?」

「王妃が真っ先に声を上げたのは、自分がいの一番に疑われると確信していたからだ。この機に乗じて、エミールを排除しようという打算もあったようだがね」

「信じられません」

「そうだろうね。エミールも信じなかった」


 国王陛下の話をにわかに信じることはできませんでした。

 ただ、第二王妃もジョーヌ王子も亡くなった今、国王陛下が保身のためにそんな嘘を吐く必要はないようにも思います。

 もしも、彼の話が本当だとしたら、一体誰が私のワインに毒を盛ったというのでしょう。

 ここでふと、私はあることに気づきました。


「国王陛下、給仕は……エミールにグラスを手渡した給仕がいたはずです。彼は、なんと証言したのですか?」


 ワインには確かに毒が入っていました。

 私はそれで臓腑を冒され、血を吐いて絶命したのです。

 無差別殺人でもない限り、私が飲むと知ってワインに毒を入れた者が必ずいるはず。

 そして、それを知っているのは給仕か、あるいは給仕自身が犯人なのかもしれません。


「国王陛下、給仕は何者なのですか? 私に何か恨みでもあったのでしょうか?」


 ついに、自分を殺した真犯人にたどり着くかと思われました――それなのに。

 国王陛下が、雪の地面から生えた首をゆるゆると横に振って言うのです。


「アヴィス……エミールにワインを渡した給仕など、存在しなかった」

「……は?」

「存在しなかったんだ。あの時、給仕は誰もエミールの側にはいなかった。エミールは、どの給仕からもグラスを受け取ってなどいなかったんだ」

「何を……何を、おっしゃっているんですか……?」


 そんな馬鹿なこと、あるはずがありません。

 エミールが給仕からグラスを受け取った姿を、私はこの目で見ていたのですから。

 国王陛下はなぜ、そんな見え透いた嘘を吐くのでしょう。

 私は目一杯顰め面をして、わけが分かりません、と抗議するように吐き捨てます。

 そのとたんでした。

 

「そうだ! 何もかもわけが分からない! 分からないことだらけだっ!!」


 突如、国王陛下が髪を振り乱した叫び始めたのです。

 さらには、お隣に並んだ第二王妃の死顔よりもまだ凄まじい形相で私を見上げて言いました。

 

「確かなのは、君が死んで、エミールも、ジョーヌも、この国も、何もかもが狂ってしまったということだけだ! ――もう、たくさんだっ!!」


 何という言い草でしょう。

 そもそも私が死んだのは私のせいではないはずです。

 それなのに、全ての元凶が私であるかのような国王陛下の言葉に、さしもの私もカチンときましたよ。


「頼む……頼むから消えてくれ、アヴィス! これ以上、この国を掻き乱すのはやめてく……っ!?」


 狂ったように喚き続ける国王陛下の生首を、ヒヨコが剣の柄で殴りつけて昏倒させていなければ、私が蹴っ飛ばしていたかもしれません。

 生きている間も、死んで新しい身体になってからも、人を蹴ったことはまだ一度もございません。


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