第42話 問答無用



「──エミールは?」


 泣くという行為はたいへん体力を消耗するものです。

 私はしばらくギュスターヴの肩に頭を預け、マントのふかふかを堪能しながらうだうだしていましたが、ふいにエミールの姿が見えないことに気づいて顔を上げます。

 きょろきょろと首を巡らせて彼を探しておりますと、ニコニコしながら視界に入ってくる者がいました。

 エミールと同じ金色の髪と空色の瞳をした、ノエルです。


「あの霊体の少年でしたら、雨に打たれたのと同時に魔界から去りましたよ。きっと、肉体が回復して魂が戻ったのでしょう」

「そうですか、よかった……」


 堕ちたとはいえ元々は天使だったのですから、人間の魂に関してノエルはプロです。

 その彼が言うのなら、エミールは無事なのでしょう。

 一方ギュスターヴは、ほっと胸を撫で下ろす私を無言で見つめていましたが、ふいに背後を振り返ります。


「──そこの死人」


 魔王の視線に貫かれたヒヨコは、蛇に睨まれたカエルみたいに固まりました。

 しかしギュスターブは、彼の向こうで雨晒しにされた三匹のドラゴンの遺骸を一瞥すると、口の端を吊り上げます。


「ドラゴンの表層は異様に硬く、人間の力ではそう簡単に切れるものではない。それを、よくぞあそこまであっさりとバラしたものだ。貴様、腕を上げたな」


 ヒヨコの修行の成果は、満足のいくものだったようです。

 魔王からのお褒めの言葉に、ヒヨコもどこか誇らしげに見えました。

 彼は私のものなので、こちらも鼻が高いというものです。

 ギュスターヴの肩越しに手招きし、いそいそとやってきたヒヨコの頭をフード越しになでなでしてやりました。

 けれどふと、古木が燃える直前のエミールとのやりとりを思い出します。


「エミールはあなたと面識があるようでしたけれど、どういう関係だったのかしら?」

「……っ」


 たちまち、ヒヨコがビクリと体を震わせました。

 それを不思議に思いつつ質問を重ねようとしましたが……


「──よくも! よくもうちの者達を殺したわねっ!」


 またしても邪魔が入ります。

 金切り声を上げてヒヨコに襲いかかってきたのは、魔王城の会議室で円卓を囲んでいた連中のうちで、私と同年代に見えた女の子でした。

 赤い髪からは二本の角が生え、鱗がついた長い尻尾とコウモリみたいな翼を持つ彼女がドラゴン族で、ヒヨコが切り捨てた三匹と同族であることはガーゴイルから聞いています。

 ドラゴン娘は鋭い爪でヒヨコの喉を掻っ切ろうとしましたが、彼は難なくそれをかわしつつ双剣を抜きました。

 私も私で、一方的にヒヨコが責められるのは納得がいかないため口を挟みます。

 魔王の腕の中という、超安全圏からですが。


「お待ちください。先に手を出したのは、ドラゴンさん達の方なんですよ? 言うなれば、正当防衛で……」

「薄汚い屍がっ! 誇り高き我らドラゴン族に刃を向けてただで済むと思うなっ!!」

「いや、全然話を聞いてくださらないですね。そもそも、誇り高いという割に、ドラゴンさん達はよってたかって小さな子をいじめて……」

「問答など無用よ! 引き裂いて、魔界魚のエサにしてやるわっ!!」


 本当に、まったくもって聞く耳を持たないんですね。

 すっかり頭に血が上ってしまっている様子のドラゴン娘に呆れたのは私だけではありませんでした。

 堕天使ノエルとケンタウロスのキロンは苦笑いを浮かべ、魔界の門番プルートーと灰色の毛並みをした人狼は顔を見合わせて肩を竦めます。

 対する女性陣──吸血鬼ジゼルと夢魔オランジュ、そして鳥っぽい女の魔物らはニヤニヤと、なんとも底意地の悪そうな笑みを浮かべていました。

 なお、魔王と魔女はドラゴン娘を歯牙にも掛けないつもりか、私に視線を固定しております。

 そんな中、ドラゴン娘が再びヒヨコに襲い掛かろうとする気配を察知した私は、ギュスターヴの腕の中から身を乗り出して言いました。


「ヒヨコは私のものです。よって、彼の行いの責任はすべて私にございます。文句があるのでしたら私におっしゃっていただけませんか」


 すると、ドラゴン娘の視線がヒヨコから私に移ります。

 やっと私の声が届いたようで安心しました。

 角と尻尾と翼がある以外は人間っぽい見た目だと思ったドラゴン娘でしたが、私を見据えた青緑色の瞳は、夜行性の爬虫類みたいな縦長の瞳孔をしています。

 彼女はそれを針みたいにして私に焦点を合わせると、牙を剥き出し叫びました。


「ならば、お前が責任をとって死──」


 鋭い爪の切先とともに私に叩きつけられようとした怒号。

 それが、唐突に途切れます。

 ギュスターヴが、すっと視線を向けたせいです。

 口を大きく開いて硬直したドラゴン娘に、私を抱いたまま一歩近づいた魔王は凪いだ声で言いました。


「アヴィスはな、私の子なのだ」

「ま、魔王、さま……」

「子の行いの責任をとるのは、親たる私の役目だな。アヴィスに文句があるのなら、私が代わりに聞こうではないか」

「い、いえ……それは、その……」


 さっきまでの威勢はどこへやら。

 自称〝アヴィスのお父さん〟の申し出に、ドラゴン娘がビクリと体を震わせて後退ります。

 針のように細くなっていた瞳孔は一転、いまや怯えた猫ちゃんみたいにまんまるになっていました。

 鋭い爪が付いた両手を胸の前で握り締め、見ているこっちが可哀想になるくらいおろおろとし始めます。

 すっかり戦意を消失したドラゴン娘を見て、ヒヨコも双剣を鞘に戻しました。

 今度こそ、一件落着でしょうか。

 私は小さく息を吐いてから、ギュスターヴの肩に頭を乗せ直します。

 起きて早々、走って騒いで大泣きしたものですから、なんだかまた眠くなってきてしまったのです。

 それにしましても、腕力に訴えるどころか声を荒げることもなく、こんなにあっさりドラゴン族を屈服させてしまうなんて、魔王の名も伊達ではありませんね。

 ふかふかのマントの感触を堪能しつつ、ふわわわとあくびをする私の頭を、ギュスターヴが当たり前のように撫でてきます。

 以前、私がグリュン王国の元大臣が雇った傭兵に引っ叩かれて頬を腫らした時は、これぞ魔王といったすさまじい形相でブチギレたギュスターヴですが、今回は無傷であったためか特に怒っている風ではありません──なんて思ったのは、大間違いでした。


「ドラゴンどもの行いの責任を取るのは、族長の名代としてやつらを連れてきた貴様だな?」


 私の髪を撫でる優しい手つきとは裏腹に、彼の口からなんとも冷ややかな声が吐き出されたのです。

 ドラゴン娘は息を呑み、凍りついたみたいに動かなくなりました。

 魔王は三匹のドラゴンの遺骸を顎でしゃくり、容赦無く畳みかけます。

 

「あちらで事切れている連中は、私の子を害そうとしたらしいが──貴様、どう落とし前をつける気だ」


 前言撤回です。

 自称〝アヴィスのお父さん〟は、今回もやっぱりたいそうお怒りのようです。



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