第一章 第三十二話 『大人の意地』

 修二とリクが『レベル3モルフ』へと火をつける前、およそ十分も前のことだ。

 霧崎は、教会の入り口にいた化け物へとサブマシンガンを向けていた。


「無事に逃げなさいよ」


 もうここにはいない修二達のことを考えながら、霧崎はそう呟いた。

 奇妙な出会い方をしたものだと思っていた。

 細菌兵器を研究していた碓氷の捕獲と、その証拠を確保することが目的の筈が、生存者の護衛という無茶な任務が追加されてしまったのだから。


 元々は、密かに研究所へ侵入する予定だったのだ。

 それが、島民全てに細菌が感染し、上陸時点で発砲をすることになってしまったのだから、想定外が過ぎていた。


 そうして、任務を進めていけば、周りの隊員はほぼ全滅して、ついには霧崎と桐生の二人のみとなってしまった。

 本当は、泣きたいぐらいに悔しかった。

 それができなかったのは任務中でもあったが、彼らにその姿を見せたくなかったこともある。


 彼らはとても強い子達だ。

 もっと怖がってもいいはずなのに、役に立てることはないかなどと、素人の癖に良く言ったものだった。

 そんな彼らに霧崎も来栖も助けられたのだから、隊員失格だとさえ思っていた。


 でも、今この時こそ、彼らを守らなければいけない時だと霧崎は思っている。

 頼りがいがない隊員だとしても、今この時だけは必ず守り抜いてみせると、覚悟を決めて霧崎は引き金を引いた。


「こっちを向きなさい! 化け物!」


 銃弾が、化け物へと撃ち込まれていく。

 その化け物の姿を見た時から、それが何かを霧崎も予測していた。

 研究所で見た記録にあった、感染段階が上がった存在、『レベル3モルフ』であることを。

 初めて見る個体だったが、その異質な姿は危険そのものだ。

 教会の入り口の扉を破壊した方法もまだ分かってはいないが、このモルフには何もさせてはいけないと霧崎の中でそう思わせた。


 銃弾を撃ち込まれたモルフは怯み、左腕が刃物となっていたそれを頭部を庇うようにしていた。

 結果、それが盾の役目を果たし、霧崎から放たれた銃弾を弾くことに成功していた。


「くっ! なら、これならどう!?」


 手持ちには地下研究所で持ち合わせていた手榴弾がある。

 焼夷手榴弾は地下でのあの巨大クモが張った糸を焼く為に使った為、もう手持ちには残っていない。

 手榴弾のピンを引き抜き、それをモルフの足元へと投げた。

 すかさず、破裂片やその爆風から逃れようと木製の椅子の陰に隠れる。


 手榴弾が爆発し、教会の入り口部分が吹き飛ぶように爆風で吹き荒れた。

 その瞬間も、霧崎は時間を無駄にはしなかった。

 すぐにリロードをして、万が一『レベル3モルフ』が生きていた場合、すぐに撃ち込むように態勢を整える。


 爆風が収まり、霧崎はすぐに教会の入り口を見たが、モルフはそこにはいない。

 跡形もなく消しとんだのかと思われたが、すぐに違うことがわかった。

 肉片が、どこにも散らばっていないのだ。


「っ! どこに!?」


 逃げたのかと思われたが、真上から音が聞こえて、霧崎は背筋に悪寒を感じた。


 モルフはどうやったのか、天井に付けられているシャンデリアへと飛び移っていたのだ。

 そして、飛び移ったモルフは霧崎の方を見ながら、その歯を剥き出しにしていた。


「良い的よ! 食らいなさい!」


 霧崎がサブマシンガンでシャンデリアにいるモルフへと銃弾を撃ち込もうとする。

 が、モルフはこれを横っ飛びに避け、銃弾を回避した。

 目まぐるしく移動するモルフを見て、正真正銘の化け物と闘っていることを身にしみる。


 霧崎は元々、対人間の制圧部隊として訓練を受けてきた。

 それがスタンガンであろうが拳銃であろうが、対処の仕方は学んできたつもりである。

 しかし、人外の様な動きをする化け物との戦闘方法に関しては何一つ学んでいないのだ。


「ちょこまかと……っ!」


 飛ぶように左右上下を跳躍し、モルフは霧崎の銃口から照準が合わないように飛び回る。

 霧崎は動き回るモルフの動きを予測して、次の跳躍地点へ銃を向けて先読みした。


「良い加減に……当たりなさいよ!」


 狙いは完璧だった。

 モルフが次に跳躍した場所は、霧崎が銃口を向けていた先であった。

 すかさず引き金を引き、銃弾がモルフの身体へと撃ち込まれていく。


「ぎぎゃあぁぁあああ!!」


 ダメージを受けているのか、モルフは女性のような高い叫び声を上げ、苦しんでいる。

 だが霧崎は待たない。

 絶好のチャンスを逃さぬように、近づきながら銃弾を連射していく。

 先ほどのように、左腕の刃物で防御を取らないあたり、それができないほど勢いに押されているのか、モルフは一発一発撃ち込まれる毎に後ろへと後退している。


「これで、終わりよ!」


 背中に掛けていたショットガンに持ち替え、霧崎はそのモルフの頭部を狙った。

 だが、その一瞬の間がモルフにとっては都合が良かった。

 右腕の刃物を薙ぐように、側にあった木製の椅子を霧崎へと飛ばしてきたのだ。


「っ! きゃあっ!」


 攻撃態勢に入っていたこともあり、霧崎はこれを避けることができない。

 飛ばされた椅子を真正面から受けて、そのまま吹き飛ばされてしまった。

 そのまま地面を転がり、全身に激痛が襲いかかってくる。


 特に鈍い痛みが、右腕に感じられた。恐らく折れてしまっているのだ。

 これでは、銃を撃つことができない。


 ーー状況は最悪。


 手持ちに残っているのは拳銃が一丁と、数十発程度しか装填されていないサブマシンガンに、手榴弾が残り一つ。

 両手を使わなければロクに当てることもできないサブマシンガンを使うことはもう無理だ。


 吹き飛ばされて立ち上がる霧崎だが、モルフは既に動いていた。

 血を流しながら、使いどころがなさそうなその右腕をこちらへと向けている。


「――――」


 嫌な予感がする。

 意味の無さそうなその行動に、霧崎は攻撃態勢に入らず、右腕の先の射程から逃れようと横っ飛びした。


 その瞬間、モルフの左腕の先から肉の弾が射出された。

 その威力と速さは、拳銃のそれとまるで変わらない。

 回避行動をとっていなければ、今頃霧崎は穴だらけになっていたであろう。


 だが、その攻撃はそれで終わりではなかった。

 肉弾が撃ち込まれた壁が、突如弾けるように炸裂したのだ。


「っ——!?」


 身を庇うように、霧崎は動く左腕で顔を庇う。

 幸いにして、その炸裂の衝撃が霧崎の身に襲いかかることはなかったが、撃ち込まれていた場所を見て驚愕した。

 入り口の隣の壁が崩落し、外の風景が見えていたのだ。

 その絶大な威力を見て、霧崎は一番始めにこのモルフが教会の入り口の扉を破壊した方法を理解した。

 原理は分からないが、あの射出された肉弾には炸裂弾のような威力を兼ね備えていたのだ。


「どこまで絶望させるのよ……」


 右腕は動かせず、モルフは再生を開始しているのか、撃たれた箇所が塞がりつつある。

 加えて、お互いに持っている武器の力量の差もある。


 笑いたくなるほど劣勢な状況に、霧崎はそれでもその目を死なせなかった。


「もう、絶対に……」


 ――諦めない。最後の最後まで、自らの責務を果たすと、まだ動く左手で拳銃を握る。

 これは大人の意地のようなものだ。

 修二達が必死で生き延びようとしているのに、このまま自分が犬死になど、あってはならない。


「誰も……死なせない!!」


 歯を食いしばり、右腕の痛みを無視するように我慢しながら立ち上がる。

 もう簡単に、あの肉弾を避けるのは難しいだろう。

 それに、あれを動き回られた状態でやられれば、霧崎にはどうすることもできない。


 だから、この瞬間が勝負だ。

 モルフが再生をしているその時、奴は動こうとしない。

 恐らく、動けないのだ。

 再生を優先する場合は、身動きが取れないということだ。

 なら、今この時に、決着をつけるしかない。


「これで、なんとかするしかないわね……」


 その方法は賭けに近かった。

 このモルフは、明らかに学習している。

 銃弾を刃物で防御したり、避けようとしたこともそうだ。

 普通にやって、二度同じ手は通じないことは分かっている。

 だから、やるならば騙し討ちのようなやり方をとる他にない。


「あの子達は、無事に逃げ切れたかしら……」


 ふと、霧崎が逃がした彼らのことを思い出す。


 ここから逃げきれば、きっと後は桐生隊長がなんとかしてくれる。

 そうでなくても、救援のヘリが彼らを連れていってくれるはずだ。

 私は、私の役目を果たす。

 例え、ここで死ぬことになっても、死んでも奴を修二君達のもとへは行かせない。


 確固とした決意が、霧崎に力を取り戻させた。

 脳内のアドレナリンが、まるでその痛みを忘れさせるように、目の前の亡者へと集中することができた。


「なんだか、不思議と高揚感があるわ。来栖もこんな感じだったのかしらね」


 今はここにはいない仲間のことを思い出す。

 左手に拳銃を持ち、霧崎は前を見据えた。

 まだモルフは再生に集中しているのか、その場から動かずに顔だけはこちらを向いていた。


「さあ、いくわよ!」


 霧崎は走り出した。

 ただし、その走り出した先はモルフの方ではない。

 教会の中央部分、ちょうどモルフが飛びついていたシャンデリアの真下だ。


 そこで、普段は両手持ちで固定して撃つはずの拳銃を片手で持ち、モルフへと発砲していく。

 両手で撃てない為、当たりはするが狙いである頭部へは照準が合わず、一発も当てることが出来ない。

 だが、それは霧崎自身も織り込み済みだった。


 モルフは撃たれたことにより、すぐさま再生を中止。霧崎がいる中央の部分へと飛び掛かるように跳躍してきた。

 これを霧崎は飛び前転をするように回避し、再び銃口を向けた。

 モルフではなく、その真上のシャンデリアへと。


「お願いだから、当たって!」


 肩に顔を置くように、無理矢理照準を合わせようとして引き金を引いた。

 残り数発の弾丸をそこで消費させ、霧崎の撃った弾丸はシャンデリアの一部に当たりはしたが、肝心の天井部分からシャンデリアを支える管には一発も当たっていない。

 要はシャンデリアを落とし、モルフへとぶつけることで倒そうとしたのだ。


 モルフは何事か、霧崎が撃ったシャンデリアの方を見るが、杞憂だと判断したのだろうか、落ちてこないと分かり、再び霧崎の方を見た。


「――――?」


 コロコロと音がした。

 なんの音か、すぐにはモルフも分からなかったのだろう。

 だが、正面にいる霧崎を見ると、その手に握られていた拳銃がどこにもないことに気づく。

 目下、最大の凶器であるそれをモルフはずっと警戒していたが、彼女がそれを持っていないのは何故か。モルフのその知能では判断がつかない。


「それが、あなたの限界よ」


 その声が発せられた直後、モルフの足先に何か太い塊がぶつかった。

 信管が抜かれた、最後の一個となる手榴弾が爆発する瞬間であった。


△▼△▼△▼△▼△▼


 爆発の衝撃が、霧崎を襲い掛かる。

 本来は手榴弾を投げた後に、遮蔽物に隠れるべきであったのは本人も分かってはいた。

 だが、モルフの注意を一瞬でも引く為には、あの位置から動くべきではなかった。

 正真正銘、最後の武器を使い果たしたようなものなので、これで万が一仕留め切れていなければもう霧崎にはどうしようもないのだ。


 床を転がり、全身に強い痛みが襲いかかる。

 手榴弾が破裂した際に、衝撃でめくれて飛んだ木片が腹部に刺さっているのが分かった。

 それ以外にも全身を強く打った為に、立ち上がることさえもできないでいた。


 まだ幸いに致命傷とはいかず、霧崎は生き延びることができたが、出血がひどい。

 このままだと、出血多量で死んでしまいかねないほどだ。


「はあっ、はあっ。やった……のね……」


 せめて状況だけでも確認しようと、顔だけをモルフがいた場所へと向けた。

 モルフがいた場所は、爆発の衝撃で床が陥没しており、その姿を視認することができなかった。

 だが、そこら中に肉片らしきものが落ちており、まず間違いなく大ダメージを負っているはずだろうと思われる。


 生死を確認するまでは死ねない。

 あの子どもたちの安全を確保するまでは絶対に。


 立ち上がり、身体の調子を確かめようとしたが、腹部の痛みが特に酷かった。


「くっ! 本当に、痛いわね」


 腹部に刺さった木片を引き抜くか迷ったが、今抜けば死が早くなるだけだ。

 仮に生き残っても破傷風のリスクもあり、生き地獄は確定的だった。


 そのまま、モルフがいた陥没した床の穴を見ると、その中には上半身のみとなったモルフがいた。

 さすがにピクリとも動こうともせず、再生もしていないことは分かる。


 倒した……。ようやくその実感を得た霧崎は、片足を引きずるように修二達の後を追おうとした。


 霧崎の腰のケースには、ウイルスのサンプルとその記録データが入っている。

 すぐに彼らにそれを渡さなかったのは、状況が状況ではあったが、今はこれを渡しにいかないといけない。

 ここで死んでいればそれまでではあったが、霧崎にとって優先順位はあくまで修二達であり、ウイルスサンプル等は二の次であったのだ。


「……?」


 痛みに耐えながら、奥の扉へと向かうとその道中に妙なものが落ちていた。

 あのモルフの肉片、その部位となる一つが霧崎の足元にある。


 グロテスクなそれを気にする必要はないと思っていたが、その肉片には何かがくっついていることに気づく。

 ストラップのようなものだろうか?

 元をただせば、あのモルフは元人間だった。生前の者がそのストラップをつけていたのだろうと思うが、念のため確認しようと、そのストラップを手に取って見た。


 それは、何かのキャラクターのような可愛らしいストラップだった。

 血で汚れているが、その裏側には何かの文字が書かれている。


 それは人の名前だった。


「――江口……真美……まさか!」


 行方不明になっている修二達の友達の名前が書かれたそれを見て、思わず霧崎はモルフがいた場所へと振り向いた。

 振り向いた……その同時だった。

 もう死んでいると思われたモルフが、上半身だけでこちらへと飛びかかってきたのだ。


「っ!! 嘘、でしょ!?」


 飛びかかられた勢いで、霧崎は後ろへと倒れるように床に背中から落ちた。

 モルフは奇声を上げながら、呪詛を振り撒くように叫んでいる。

 その姿には、もうほとんど生前の頃の面影など残っていない。

 ただ生きている人間を殺戮せんとすることだけを目的に動く屍だ。


「あなた……あなたが、修二君達の友達……だったのね」


 尋ねるように問いかけたが、モルフは返事をしない。

 怒り狂うかのようにこちらを向いて叫び続けているだけだ。


「私は、修二君達に恨まれるかもしれない。でも、仕方のないことなの。だから、ごめんなさい」


 モルフは左腕の刃物をゆっくりと振り上げようとしている。

 もはやその動きも芳しくなく、死にかけていることだけは分かる。


 霧崎はまだ動く左腕の調子を確かめた。

 武器はもう残っていない。いや、一つだけだが、皮肉にも残ってはいる。

 それをすればどうなるかも、霧崎には分かっていた。


「あの子達の為にも、もう死んで楽になりなさい」


 小さく呟き、霧崎は歯を食いしばった。

 絶大な痛みに耐えるために、そして、途中で意識を失わないように集中して――、



 腹部に刺さった木片を、左手で無理矢理引き抜いた。


「ぐっ、あああああああっ!」


 痛みに悶え苦しむが、今はそれどころではない。

 引き抜いた勢いで、左手に持つ尖った木片をモルフの首筋へと刺した。


「ギャアアアアッ!!」


 モルフはたまらず叫び声をあげ、のたうち回る。

 木片はほぼ貫通するように、モルフの首に刺さりこんでいた。

 もはや攻撃することなど忘れ、モルフは痛み苦しみながら床を転げ回っていた。


 その様子を見るまでもなく、霧崎は完全に致命傷を負わせたことを理解する。

 もう、顔を上げることも、身体を動かすこともままならない。


 腹部からは木片を引き抜いたことにより、血が止めどなく流れ出てきていた。

 腰のケースの中には、手当てする道具も入っているが、身体を動かすこともできないので、自分で手当てすることもできない。

 たとえできたとしても、意味がないだろう。感覚的に、内臓を損傷していることが分かっていたからだ。


 もはや死ぬのも時間の問題だった。

 目を薄く開けて、霧崎は考えていた。


 修二君達は大丈夫かしら。

 きっと大丈夫ね。だって、あの子達は私なんかよりもずっと強いもの。

 生きて、幸せな未来を勝ち取るのよ。

 私みたいに……なっては駄目よ。


 自分の辛い過去を思い出した。

 尊敬する父に裏切られ、母には置いていかれ、たった一人になったこと。

 あの事は、思い出すのも苦しい過去だ。

 でも、桐生隊長や嵐副隊長、織田や来栖と出会って人生は変わった。

 汚れ仕事は多かったが、仲間達は皆良い人達だった。

 裏切られることなんてことはなく、霧崎にとっては本当の家族のようなそんな存在。

 そんな人達と一緒に生きてこられたことを後悔なんてするはずがない。


「待っててね……皆……」


 もはや身体の痛みなど、霧崎には感じられなかった。

 僅かな意識の中、霧崎は心の中で、ただ役目を果たせたことに満足していた。


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