第一章 第二十九話 『死する群勢』
辺りはまだ暗い。
時間で見ると、午前の四時頃だろうか。
日の出が近くなりつつある中、空は雲り始めてきていた。
その中で、修二達は走っていた。
そこには嬉しさと安堵の感情があった。
あの森の中で行方不明になっていた世良と、工場で別れていた桐生の姿があったからだ。
「桐生隊長! 無事ですか!?」
霧崎が前を走り、桐生の安否を気遣うように声を掛けた。
隠密機動特殊部隊の隊長である桐生は、こちらに気付いていたようで、冷静な面持ちで霧崎を見ると、
「霧崎、よく戻ったな。嵐や他の隊員はどうした?」
桐生の疑問に、霧崎は戸惑いの表情を浮かべたが、伝えなければいけないことと分かっており、震える声で報告をする。
「……副隊長、並びに織田、来栖の三名は自らの責務を果たして……殉職されました」
「――――」
それを聞いた桐生は、表情を変えずにただ黙って聞いていた。
隣にいた修二も、同じように悔しい気持ちだった。
指示を出したのは桐生自身であり、その責任を痛感する想いはきっと強いはずだろう。
しかし――、
「――そうか」
ただ一言、それだけだった。
その表情の裏に、どれほどの感情が渦巻いているのかは修二には分かりようもなかったが、修二自身も桐生に伝えなければいけないことはあった。
「桐生さん……」
修二が霧崎の間に入って、腰にかけていた拳銃を取り出した。
それを、修二は片手で桐生の前へと出して、俯きながら返そうとした。
「俺には……力不足でした。結局、父も皆も守ることはできませんでした。すみません」
「何を言っている?」
差し出された拳銃に、桐生は目も向けようともせずに、修二の顔を見続けていた。
そのプレッシャーは、場の空気を威圧するかのような気配だった。
「お前にこの銃を渡したのは、この女とお前自身を守らせる為のものだ。お前は自分の役目を果たした。違うか?」
確かに、この拳銃を渡された時、桐生はそう言っていた。
だが、修二にとっては、誰も失わずにここに戻りたかったのだ。
何の為に、この拳銃を携帯することを望んだか、それを思えば、返すことは道理だった。
「父さんを、織田さんを、来栖さんを、誰一人として失いたくなかった……。俺の掌はちっぽけで、生き延びることが精一杯でした。この先だって……」
そこから先は口にしてはいけない。
そんなことは分かっていつつも、感情的になってしまう修二を責める者はいなかった。
それが、余計に無力感を思い知ることになるのだが、桐生からの返答は変わることはなかった。
「なら、この先も生き延びてみせろ。お前にこの銃を渡したのは、お前になら扱えると俺が判断しただけのことだ。あいつらは、自分達の責務を果たした。お前にも、あいつらにも責任はない」
桐生はそう言って、修二に差し出された拳銃を押し戻した。
押し返されたその拳銃を見つめ、修二はその重みを再び感じていた。
「嵐達のことは、俺の責任だ。俺の判断でそうしたまでのことで、お前が責任を感じることは一ミリもねえよ」
無愛想にしつつも、桐生は自身に責任があると言い張った。
それでも、失った命はもう帰ってこないことは分かっており、修二は悔しかった。
きっと、なんとかなると、心の中で思い込んでいたのだ。
これだけの精鋭がいて、失うわけがないと高を括ったことが、修二自身の甘さでもあった。
そして、それは父達も同様だったとそう言われたかのような感覚にもなってしまう。
「世良ちゃん……無事で良かった……。あれからどこにいたの? 修二とずっと探してたんだよ?」
そんなやり取りをする中で、隣で椎名と世良は互いの無事を喜び合っていた。
世良は見た雰囲気だと、怪我はしてなさそうだ。
修二もそこにはホッとする勢いである。
なにせ、あれから数時間もずっと離れ離れになっていたのだ。
心配するなと言われて、出来るはずもない。
「ぼ、僕も椎名ちゃん達が無事で安心したよ。あれから、ずっと逃げ回ってて、その時にこの人と会ったんだ。それで、この人達は一体……?」
世良が、疑わしげに桐生と霧崎の両名をその青い瞳で見ていた。
桐生とはこの場で出会ったばっかりなのだろう。
恐らく、彼らの存在については全く知らないということだ。
「詳しいことは後で話すよ。とにかく、味方であることだけは確かだな」
秘匿情報でもあるので、おいそれと話してはいけないであろうと思っていたが、状況が状況なので後でこっそり世良にも話しておこうと、修二は話を伏せた。
桐生は、状況を確認するように霧崎へと尋ねるように聞いた。
「それで、目標はいないようだが、失敗か?」
「目標の碓氷の捕縛は、駄目でした。地下は既に暴徒、いえ、ウイルスに感染された研究員達の巣窟となっていて、碓氷はもう地下にはいなかったと我々が判断しています。ですが、ウイルスのサンプルとその証拠となるデータは確保しました。これがあれば、奴らの違法な研究の証拠になります」
霧崎は、腰にかけていたケースを取り出して、その現物を桐生へと見せた。
それは、あの地下施設で手に入れた唯一の成果の一つ、モルフウイルスのサンプルと記録データが入ったケースであった。
世良は状況が読めていないのか、椎名の側に寄り添いながら、その様子を眺めていた。
「やはりウイルスか。島民は全て感染しているということで間違いないな?」
「ええ、ウイルス名はモルフと呼ばれるもので、感染した者は数時間で死に至るそうです。ウイルスが脳を侵食した後、その屍を動かすのですが、もっと厄介なのが、時間が経過する毎にその人体を変異させて、我々のような生きた人間に襲いかかる習性があるようです。……この島にいる人間は、夕刻に予定していた予防注射に乗じて、そのウイルスが打ち込まれたものらしいです」
地下で見た記録の内容を、そのまま桐生へと伝えた。
今思えば、なんとおぞましいウイルスかと修二は考えていた。
一度感染すれば、治療の術は現時点では存在しない。
それはここにいるメンバーの誰もが同じことなのだ。
桐生はその後、地下で起きたことを霧崎から報告を受けて、両腕を組んだ。
「そうか。となると、嵐と織田を殺したのは、並の相手ではないな。工場でこのガキ共を襲わせた奴と同一人物であることは間違いない」
意外にも、修二と同じ考えを桐生が考察していたことに驚いた。
修二も同様に、美香の死から工場に至るまでのことは、その者が原因であると推測している。
霧崎はその事を聞いて険しい表情をした。
「では、やはりまだこの島に……」
「落とし前は必ずつけさせることは確定事項だ。が、今は脱出を優先とする。ヘリの手配は済ましている。あと一時間と少しで到着するとのことだ」
「了解しました。それで、他の生存者は?」
「――――」
霧崎が桐生に尋ねようとした時、桐生の顔は霧崎へと向いていなかった。
「桐生隊長?」
修二も、他も含め、桐生が向いている方角を見ると、山の方角。いや、それだけではない。
他方向からも人影が見える。それも、尋常ではないほどの数の人影だ。
修二は目を凝らして、その存在を確認しようとすると、それが何か即座に理解した。
「――え?」
「う、そ……だろ?」
思わずこぼれた言葉と同時に、それを見ていた椎名も、霧崎も声を失っていた。
それは、この島にいたモルフに感染された島民達の姿だった。
その数は、今までとは比にならない程であった。
後方にあるフェンスの奥を除いて、多方向から修二達がいる場所へと向かって、押し寄せてきていたのだ。
まるで、この島にいる全ての島民が一挙に押し寄せてきたかのように、モルフ達はこちらへと向かってきている。
「そんな……どうして……」
霧崎は悲観的にそう漏らしたが、桐生の対応は早かった。
修二達の前に立ち、腰に掛けた二刀の剣を引き抜いて、霧崎へと指示を出す。
「霧崎、お前はこのガキ共を連れて、フェンスの奥へ行け。このフェンスの先、海側に近い所に教会がある。そこにガキ共と同じ生存者を匿っているから、そいつらと合流して、脱出用のヘリを待つんだ」
「ま、待ってください! いくらなんでもこの数を相手には……一度でも噛まれれば終わりなんですよ!?」
霧崎は慌てふためき、桐生を説得するが、彼の動きは変わらない。
二刀の剣を構えたまま、モルフの群勢を見据えている。
「数が何体に増えようと俺には関係ない。今はお前らがいる方が足手纏いなんだよ。教会の裏手にある先にヘリポートがある。そこに帰還用のヘリが来るから、俺が来るまでは待機していろ。これは命令だ。分かったか?」
「――っ!」
命令という言葉に、霧崎はそれ以上何も言えなくなってしまった。
霧崎は、その場で少し逡巡していたが、これ以上は何を言っても変わらないことを悟ったのか、言う通りにしようと修二達へと駆け寄った。
「行くわよ。皆、そこのフェンスを登って」
「え、え、あの、桐生さんを置いていくんですか!?」
「そうよ、あの人なら大丈夫。ほら、早く行って」
押し問答を軽くいなされ、霧崎はフェンスへと椎名達を連れて行く。
修二も後をついていこうとしたが、一度立ち止まって、桐生の方を見た。
いくらなんでも無謀すぎる。
ここから見た限りでも千体は下らない程の数がいるのだ。
それをたった一人で……。
だが、このままフェンスを越えて、皆で逃げても同じこと。
モルフ達は必ずいつか、修二達へと辿り着くことになるのだ。
囮役を買って出た桐生を見て、修二はただ一言告げる。
「桐生さん。待ってます」
それに対して、桐生からの返答は無かったが、修二にできることはもう何もない。
そのまま、霧崎達の後についていき、フェンスをよじ登って、越えていった。
霧崎の後ろについて、修二達は走った。
その時、後ろをふと見て、桐生がモルフの群勢へと向かって行くのを目の端に捉えられた。
勝てないだろうと、正直非感していた。
だが、それでも修二は、祈った。
これ以上の死人を出したくない思いで、修二は桐生のいる方向を向いて、
「必ず、戻ってきてください……っ!」
誰にも聞こえない声音で、修二は祈りながらそう言った。
△▼△▼△▼△▼△▼
二刀の剣を携え、桐生は正面だけを見続けていた。
もう、後ろには霧崎もあのガキ共もいない。
「ようやく、静かになったな」
彼は元々、一人で戦うことを戦闘スタイルとしており、仲間との連携は苦手としている。
大抵は、他の隊員と連携しようとしても桐生の動きを阻害するのみで、逆に足手纏いになってしまうのだ。
そのため、実質は笠井嵐が隊員達と連携を組んで動き、桐生は別行動をとって戦う。それが、この部隊の本質であった。
桐生は右手に持つ小太刀を逆手に持ち替えた。
モルフの群勢との距離はおよそ三十メートルもないところまできている。
それでも落ち着きながら、彼は前方へと向き、刀を構えながら微動だにしない。
「――――」
人を殺すことに、彼は躊躇いを持たない。
それが生きていない者であっても、障害となりうるのならば、桐生はすかさず排除する。
そうして、彼は今の今までを生き続けてこられたのだ。
「——ちっ」
誰も知らない、いや、ただ一人だけ彼の過去を知る者の顔を思い出した後に、桐生は自分の過去をふと思い出した。
――剣の使い方を教えた、あの男のことを。
だが、今は戦闘中。すぐに考えることを止めて、二刀の剣の柄を強く握りしめる。
その構えは、一切の隙さえ感じさせない程の所作でもあったが、凡人も達人も、この状況を見れば、誰だってこう答える。
――絶対に無理だ、と。
それでも、桐生は臆することはなかった。
百でも千でも、数は彼にとって関係しない。
負けることなど、桐生は微塵も頭に入っていなかったのだった。
「こいよ、化け物共」
桐生はそう言って、すぐそこまできたモルフへと斬りかかった。
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