第一章 第二十八話 『日陰者達の集まり』

 出口の扉を閉めた後、目の前にある地上への梯子を前にして、霧崎達はそれぞれ地面に手をつき、伏せていた。

 後で聞こえた轟音が、来栖の最後の行動の意味を皆が容易に理解した。

 その行動を、修二は認めることが出来ないでいた。


「どうして……」


 小さく呟き、両手で握り拳を作り、怒りの形相を浮かべた修二が霧崎へと投げかけた。


「どうして、助けなかったんですか!? まだ、あの瞬間なら間に合ったはずだ! どうして!?」


 巨大クモが来栖へと襲いかかった時、修二は迷わず撃つつもりでいた。

 だが、霧崎がそうはさせまいと修二の腕を掴んで逃げる選択をしたのだ。

 救えたかもしれない命を放棄した彼女に、修二は怒っていた。


「もう、来栖は助からなかったわ……。彼も、私ももうそれは分かっていた」


「そんなの……!」


「もう、感染していたのよ! 私達が知らない所で! ここで来栖を助けても、モルフになっていつかは私達を襲うことになっていたのよ!? 来栖が選んだことを……これ以上私達にどうしろって言うのよ!」


 霧崎が怒鳴り声を上げて、修二は萎縮した。

 ――感染していた。その言葉を受けて、頭が真っ白になっていたのだ。

 一体、いつどこで来栖は感染してしまったのか、それが分からずにいた修二に、霧崎は分かっていたように説明した。


「恐らく、黒猫のいた部屋を突破する時よ……。階段を私達が先に超えた後に、右腕を噛まれたんだわ。あの後から、来栖の様子が変なことには気付いていた。でも、感染していたなんて……」


 霧崎はそう言って、悔しげに唇を噛んでいた。

 修二は何も言えなかった。

 来栖の最後の行動は、もう助からないことを悟ってのことだったのだ。


 そのことを聞いていた椎名は、何も言えずにただ泣いていた。


「うっ、うっ、来栖、さん……」


「私はあなた達を守る義務がある。だから、この選択をした来栖の想いも裏切るつもりはないわ。私が憎いのなら、それでも結構よ。後悔は……していない」


 霧崎のその声には、覇気すら感じられなかった。

 それ以上は、お互いに何も話せなくなり、足を動かすこと以外に何も出来なくなる。

 ようやく、たどり着いた地上への出口への喜びはどこにも、誰にも全く感じられなかった。


 梯子を登り、三人は地上へと出た。

 古びた小屋の入り口へと出て、修二は静かに立ち尽くしていた。

 まだ、夜だ。あれだけ、長く感じた時間の中で、得たものはこの島の真実とその証拠……。

 それに代わる代償は、彼にとっては耐え難きものだ。

 四人いた隊員は残る一人となり、その中にいた肉親はもうこの世にいない。


 結局、修二は失ってばかりだった。

 隠密機動特殊部隊の彼らと共にいて、あれだけ頼りがいがあって、安心感があったのにも関わらず、このザマである。

 修二が銃を持った所で、何の力にもなれていなかったことをこの時、初めて痛感した。


「霧崎さん、さっきはすみませんでした。来栖さんの覚悟を無碍にするような言い方をしてしまって」


 前を歩いている霧崎へと、修二は背中越しにそう言った。


「いえ、いいのよ。私も感情的になって悪かったわ。ともかく、地上に出たからといって、安全というわけではない。桐生隊長と合流するわよ。合流地点は私が知ってるから案内する」


 霧崎は前へ出て、一同は再び動き始めた。

 修二も、椎名ももうほとんど元気が残っていない。

 目の前で死んでいく人達を、何も出来なかった事をただ悔しそうに心の中で嘆いていた。

 霧崎はその様子を見て、歩きながらではあるが、ふと話し始めた。


「……あなた達は、私達がどうやって集められたか知ってる?」


「――え?」


 そんなことは知るわけがなかった。

 あくまで非公表部隊ということもあり、彼らには守秘義務があるはずなのだ。

 父が警察であることは知っていたが、そのような部隊に属しているなどということは、全く匂わせることも今まで無かった程だ。


「私達は元々、まともな生き方をしてこなかった人間の寄せ集めでもあるの。副隊長の嵐さんは少し特別なんだけど、他は皆、そうよ」


 霧崎は修二達の返答を待たずして、自らの、他の隊員達の経歴を話し始めた。

 修二も椎名も、ただ黙ってそれを聞いていた。


「知らないと思うけど、私は北海道で起きた無差別殺傷事件を引き起こした父の娘だったの。私の家族はいたって普通の家庭だと、私だけは思っていたわ。当時、その事件が起きて父が逮捕された後、実家には大量のマスコミが押し寄せてきたことはよく覚えてる。その頃から、私の人生は狂っていったわ。家にかかる誰からとも知れない電話の数々。窓に石が投げつけられたり、誹謗中傷が書かれたビラなんかも貼られたりしたわね。もっと酷かったのは、郵便入れの中にネズミの死骸が入った物が贈られてきてたことね。……そうして、引越しを繰り返していきながら母は精神的にまいって、ある朝、首を吊って死んでいたの。そんな私を引き取ったのが、今の嵐副隊長ね。霧崎という戸籍を、全部何もかも消して、国の都合に合わせて動く存在……そんな組織に入ることを条件に今の立ち位置があるの」


 淡々と、そう話す霧崎は辛そうな声色をしていなかった。

 ただ穏やかに、自らの過去を修二達へと打ち明けた。


「織田は、とあるハッカー集団の一味のリーダーだったわね。詐欺にも手を染めていた犯罪者で、その余罪は数知れない所を、裏でウチで引き取ったの。

最初はすごい反抗心がすごい人だったのよ」


 確かに、織田はハッカーが得意だとかそんなことを言っていたのは確かに覚えている。

 修二にとって、織田は優しい人のイメージが強く残っていたので、元犯罪者という経歴は意外なものであった。


「来栖はもっと酷かったわね。引き取ったのは私と同時期で、あなた達と同い年の辺りだわ。高校生の癖に、ヤクザにケンカ売ったり、殺されかけたりしていたらしいわよ。たまたま、桐生隊長と嵐副隊長がその現場に押し入った所を回収したとかなんとか。思えば、なんであいつ部隊に入ることになったのかしらね? 桐生隊長を尊敬してたから、そこかもしれないわね」


 一人一人、部隊に入っていった経歴を霧崎は話していた。

 この部隊は、社会の中でも日陰者達が集められた意味での部隊ということなのだ。

 今の霧崎も同様、戸籍が無いということは、表向きでは死んでいるようなものということである。


「父さんは……父も皆さんと同じような何かが理由で入ることになったのでしょうか? 少し特別とは言ってましたが」


 ここで修二はようやく口を開いて、霧崎へと疑問を投げかけた。

 父、嵐の性格はよく知っている修二だったのだが、その深い意味での彼の人生を知っているわけではない。

 そもそも、普段は温厚なあの父が、どうして隠密機動特殊部隊などという部隊に所属することになったのか、修二としてはただ純粋に気になっていた。


「嵐副隊長は、修二君のお父さんはね、あまり君が知っていいこととは思えないのだけど……、一時、自殺衝動に駆られた時があったのよ。修二君がまだ物心つく前の頃の事なんだけど」


「えっ?」


 それには修二も椎名も同じく驚いていた。

 二人が知る修二の父は、そんな印象は全くと言っていいほど無かったのだ。

 気さくで、面倒見が良く、人付き合いにおいても完璧な位に尊敬する父だ。

 そんな父がなぜ自殺衝動に駆られたのか、霧崎が言った修二が物心つく前のことで、ハッとした。


「もしかして――母さんのことですか?」


「そう……あなたのお母さんが亡くなった頃……、病気で亡くなった事を知ったのは嵐さんが外勤をしていた時らしくてね。嵐さんはその時から酷く、力を失ったかのようになっていたらしいわ。誰の言葉を聞き入れず、サボりも常習化し始めて、このままだと懲戒免職を喰らうハメにもなりかねなかった。

そうしてある日、嵐さんが帰宅途中の駅のホームで、嵐さんはホームから飛び降りようとしたらしいの。そこを桐生隊長が止めたらしくてね。なんか聞いたところによると殴り飛ばされたとか言ってたわね。ふふっ」


 そこは笑うところなのかと、修二も思っていたが、あの父にそんな過去があったことを修二は知りもしなかった。

 なぜなら、父はそんな過去があったことなど微塵も感じさせはしなかったのだ。


「嵐さんは、自分を見失っていたことにそこで気付いたの。あなたを残して死のうとした自分に腹を立てていたらしいわ。今の部隊に属していたのも、そのことに気づかせてくれた桐生隊長への恩返しって言ってたわね」


 霧崎はそう言いながら、修二達の方へと振り返った。


「あなた達が今、苦しんでいることは分かってるわ。特に、修二君は唯一の父がいなくなってしまったんだもの。簡単に分かってあげられるなんてことは言わない。それでも、これだけは分かっててほしいの。彼らは誰一人として、自分たちの行いに対して、後悔していないということだけは……」


 最後だけは弱々しく、父や他の隊員達の想いの代弁を、霧崎は伝えた。

 その言葉に、どれほどの重みが乗っかっているのか、修二には分かりようもない。

 ただ、霧崎の言いたいことだけは分かった。


「分かっています。霧崎さん、俺は今回、一緒に同行して自分の無力さが嫌という程に分かりました。

それに、父や織田さん、来栖さんは俺たちを守るという責務を果たしてくれたんです。俺は、彼らを誇りに思っていますよ」


「……私も、修二と同じです。本当は悔しい、でも、今の私達にできることは生き延びることって、改めて思い知りました」


 修二と椎名は互いに顔を見合わせて、自分の考えを伝えた。

 やるだけのことはやった。

 それでどうにもならなかったのは、彼らの責任とはなりえない。


「あなた達は、強い子だわ。我慢して泣かなくてもいいのよ」


「感情的になるのは、ここから脱出した時だって思っています。まだ、俺の友達の生死もかかっていますから」


「そうね、悪かったわ。あなたの言う通りよ。きっと、脱出しましょう」


 最後にそう言って霧崎は再び前を向いて進んでいく。

 彼女はきっと、命を懸けて、修二達を守ろうとするだろう。

 その先は誰にも分からない。

 だが、修二の考えは今までと同じだ。

 必ず、失わせないと、心の中で誓った。


「ねぇ、修二。修二はまだ、復讐したいと思っているの?」


 歩きながら、椎名は心配そうに修二の顔を見つめていた。

 それは、地下で話したことの再確認のようにも見えて、修二も少し戸惑う。


「どう……だろうな。確かにこんなことをした犯人に許せない気持ちはある。でも、俺たちがどうあがいても、勝てないんじゃないかと思っているんだ。俺が復讐しようとして、霧崎さんに迷惑をかけることはしたくない。今は、生き延びることしか考えれていないよ」


「そう、良かった。私ももう、修二には無理をしてほしくないから。もう……誰も目の前で死ぬところは見たくないの」


 そう言いながらも、椎名の手は震えていた。

 不安はあるのだろう。

 それを察した修二は、椎名の手を握って安心させようとした。


「大丈夫。きっとなんとかなるよ、笑ってハッピーエンドを迎える為に、皆でここを脱出しよう。俺が側にいてやるからさ」


 励ましとしては無理があったかと修二は考えていながらもそう伝えた。

 だが、それを聞いた椎名はその顔に涙を浮かべて強く頷いた。


「うん……うん、ありがとう。ありがとうね修二……」


 強く握り返された手を、修二は離すことはなかった。

 椎名も、霧崎さんももう誰もこれ以上死なせたくない。

 だから、生き延びる為の方法を考えるしかない。

 それは、ここにいる全員が同じ気持ちだった。


「もうすぐ合流地点に着くわ。モルフになった島民の姿は見えないけど、十分に注意してね。桐生隊長がいることを祈りたいけど」


 山の中を降りて、辿り着いたのは周り一面が見渡せる道路の道だ。

 周辺にあるのは田んぼや草が生えており、立ち入り禁止区域か、遠くにはフェンスが横に建てられていた。


「あれは――――」


 その奥に、二人の人影が見えていた。

 霧崎が警戒していたが、修二は目が良いので、それが誰なのかはすぐに分かった。


「桐生さんと……世良!?」


 別行動を取っていた桐生の姿ともう一人、行方不明になっていた世良の姿がそこにはあった。


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