第一章 第三十六話 『決死の攻防』

 血飛沫が舞い散り、腕が一本、空中へと飛んでいく。


 ――確実に捉えていたはずだった。


 だが、修二には見えていた。

 あの瞬間、世良は左腕で自らを庇い、その腕を犠牲にして、桐生の剣閃から逃れたのだ。


「桐生さん!!」


 状況が落ち着き、互いに動き合う様子はない。

 世良は失った左腕を押さえて、狂笑を浮かべて桐生の方を見ていた。


「あっはぁ。なんだお前、生きてたのか。さっきの動きもそうだけど、あの数のモルフを皆殺しにするなんて規格外にも程があるだろ」


 明らかに劣勢なその状況に、世良はそれでも余裕を崩さない。

 否、むしろ彼女にとって、この状況は最悪といってもいいのかもしれない。


「お前がこの島の事件の首謀者か?」


「僕を殺そうとした時点で、もう分かっているんだろう? そうだよ、僕が黒幕さ。島民をモルフに感染させ、君の部下を皆殺しにしたのも全部そうさ」


 挑発するその姿勢を崩さず、世良はあっさりと暴露した。

 桐生がここにいるということは、あの数のモルフを全て片付けたのだろう。

 その身体には傷一つついておらず、本物の化け物であるとさえ、修二は思ってしまうほどだ。


「それにしても、さっきはよくスペツナズナイフの攻撃を避けたね。絶対に当たったと思ったんだけど」


「工場で似たような形状のナイフを見ていたからな。お前がロシアの人間であることも、武器を見て理解している」


 さっきの飛びナイフを、修二は予測できなかった。

 いや、なぜ忘れてしまっていたのか、工場で見ていたはずだったのだ。

 竹田があのナイフによって殺されたことを。


 あのナイフの特徴は、刃部分だけを銃弾のように射出することができることだ。

 遠目に見えていたが、柄にある突起のボタンを押すことにより、刃が射出される。そういう仕組みであることが見て取れた。


「なるほど、あれを見られてたのか。それは僕の失態だね。だけど、少し違うな。僕をロシアの諜報員というのなら、それは間違いだよ。仕入れ先はそうかもしれないが、僕はとある組織の一員なだけで、ロシアという国には関係がないんだ」


「どっちでもいい。お前を殺しさえすれば、それでお終いだからな」


 桐生は、両手に持った剣を世良へと向けた。

 さっきの戦いぶりを見れば、確実に世良に勝つことはできるはずだ。

 それくらい頼りになると、修二にも確信があった。

 だが、それでも世良は余裕があるような様子で、


「ふふふ、君とは是非とも死ぬまでの殺し合いをしてみたいものだったよ。でも、悲しいかな。今は君と戯れあってる場合じゃないんだ」


 桐生が構えて、攻撃態勢に入ろうとしたところで、世良は腰にあるスイッチのようなものを取り出した。


「残念だけどお別れだよ、最強さん。君には僕の友達と遊んでもらうことにするよ」


 スイッチのようなものを世良が押した瞬間、爆発が起きた。


「っ!」


 予め、爆弾を設置していたのか、桐生の足元が崩れ落ちる。


 崩れる地面をどうすることもできず、桐生はヘリポートの下へと落ちてしまった。


「桐生さん!!」


「さて、次は君の番だ。手負いの僕が完治するまでに殺すことが出来るかな?」


 スペツナズナイフと呼ばれる武器を一本持った状態の世良が、修二へと向き直り近づいてきた。


「クソッ!」


 腰にある拳銃を取り出し、修二は世良へと向ける。

 だが、世良はその一手を読んでいたように、


「遅いよ」


 世良は、修二の目の前まで一気に詰め寄り、修二の持つ拳銃をナイフで弾いて飛ばした。


「くっ!!」


「君にはまだ経験が足りないね。僕とあの男が戦っている時に、既に構えておくべきだったんだよ」


すかさず拳で殴りかかろうとしたが、世良はこれを簡単に避けて、カウンターのように修二の顔面へとパンチを決め込む。


 女の腕力とは思えない程、重い拳が伝わり、そのまま修二は後ろへと吹っ飛んだ。


「がっ、ぁっ!」


 顎が外れたかと思われるぐらい、鈍い痛みが修二を襲う。

 何もさせてもらえないほどの戦力差を感じた。

 もはやそれは、同じ人間とは考えられないほどのそれを肌で感じて、改めて認識する。

 これが、『レベル5モルフ』の力であることを。


「君と椎名ちゃんの後を尾けている時、ずっと思ってたんだ」


 その気になれば、すぐに殺せる筈なのに、世良は何かを話し始めた。


「君はいつも、誰かを守ろうとしてたよね。でも、見ていて滑稽だったよ。君は守ってたんじゃない、守られてたんだ」


 それは、教会で修二が自身を戒めた話だ。

 皆を必ず死なせないと誓った挙げ句の果てに、自らが守られることになってしまった哀れな少年の心の内を抉るように、


「可哀想だね。鉄平君も白鷺ちゃんも、あと特殊部隊の隊員達、か。皆、君を庇って死んでいった。君に力があれば、今頃僕なんか簡単に倒せたのかもしれないのに」


 そんなものは結果論だ。

 リクに言われたその言葉を思い起こす。

 この女の言う事を間に受けてはならない。


「君のせいで、何人死んだ? 君に力があれば、君が自分の命を賭けて、誰かを守れれば、何人生き残ったんだい? 悲しいよね。あっ、でも椎名ちゃんを守ったことだけは誇っても良いんだよ? それ以外はほとんど死んじゃったけどね。あははははは!!」


 醜い言葉が、汚い笑い声が、修二の心に深く突き刺さっていく。

 間に受けてはならないと分かっていても、修二にとってはそれが正論であるように感じてしまうのだ。


 でも、それでも、


「お、まえが……」


「ん? なんだい?」


 力を振り絞り、修二は立ち上がろうと地面に手をつける。

 言いたいことはたくさんある。

 自分に原因があることも百も承知だった。

 だが、それでも、元々の原因は、


「お前が、お前のせいだろうが!!」


「人のせいにするなよ」


 叫ぶように反論をした直後、右目が真っ暗になり、何も見えなくなった。

 何が起きたのか一瞬分からなかったが、その後にきた感覚が急激に押し寄せてきて、すぐに理解した。


 右目をナイフで抉られたのだということに。


「がっ、あああああああっ!」


 灼熱のような痛みに襲われながら悶え苦しんでいると、世良は笑いながら修二の髪を掴んだ。


「全部! 何もかも! 君のせいで死んだんだよ!! 責任転嫁をするなよ。全員が生き残るルートは他にもあったはずなんだ。それを選択できなかった癖に、誰が悪いって!?」


 狂気の形相をしながら、世良は一言一言、区切って発するごとに修二の顔面を殴りつけた。

 もはや、弱いものイジメと言わんばかりのその状況を止める者はここにはいない。


「ぐっ……ぁっ」


 グッタリと力が抜けて、抵抗することもできない修二を見た世良が、ため息をつくように冷酷な目へと変えた。


「なんだ、もう終わりかい? もう少し手応えがないと、やりがいがないんだけどなぁ。仕方ない、もう終わりにしようか」


 髪を掴まれ、それを引き離すことも修二にはできない。

 世良は、右手に持つナイフを修二の首元へと向けていく。


「安心しなよ。君が死んでも、椎名ちゃんは必ず僕が守ってあげる。君の想いは無駄にならないんだ。それだけは感謝しなよ?」


 訳の分からないことを言い張りながら、修二は理解のできない狂人へと残った左目だけは見て離さなかった。


 必ず、許しはしないという覚悟の現れだった。

 死を目の前にして、もう僅かなところでも、それだけは譲らないよう心の底からこの女を憎んだ。


「――ん?」


 世良の持つナイフが、修二の首を裂く寸前に何かに気づいた世良が、修二を離し後退した。


「おっと」


 その時、先ほど世良がいた場所をナイフが過ぎていった。

 桐生が戻ってきたのかと思っていた修二であったが、そうではなかった。


「へぇ、君も生きていたんだ」


 教会で別れていたリクが、世良を睨みつけながらそこに立っていたのだ。


---------------



 地面が崩れていき、桐生は崩壊に巻き込まれないよう、着地地点を見極め、瓦礫から瓦礫へと飛び移りながら移動していく。

 崩落に巻き込まれない位置へと着地した桐生は、すぐさまもう一度世良の元へ向かおうとしたが、後ろにいる何かの気配を感じて、その足を止めた。


「ちっ」


 いつの間にいたのか、桐生の周りには皮膚がなく、奇妙な腕の形をしたモルフ達が囲んでいた。

 本人はまだ知らないが、桐生が相対しているのは『レベル3モルフ』であった。

 まるで飢えているかのように、涎を垂らして桐生へと近づこうとするモルフ達を相手に、桐生は持っていた剣を逆手に持ち替えた。


「邪魔すんじゃねえよ」


 世良がやったことは十中八九、時間稼ぎであることを理解していた。

 だとするならば、早々に決着をつけなければ上にいる少年達の命の保証ができなくなる。


「ウう、アアァアッ!」


 『レベル3モルフ』は呻き声をあげあがら、桐生へと襲い掛かろうと変異したその全身を震わせた。


 それに合わせて、桐生も剣を構えて態勢を整える。

 数は十数体。幾千ものモルフを相手にしていた桐生からすれば、戦闘力は違えど、その顔に焦りの表情はない。


「数分で終わらせる。それまで死ぬんじゃねえぞ」


 決死の戦いが、始まろうとしていた。



---------------



 顔面に強い痛みを感じながら、修二はリクが立っている方を見る。


「リ、リク……」


 死を覚悟していた修二は、助けに来た幼馴染が来たことに唖然としていた。

 それは助けられた驚きなどではない。


「どうして、来たんだ……」


 今、目の前にいるのは、ただの高校生がどうにかできるような相手ではない。

 相対すれば、必ず殺される。それだけの確実性を修二は身をもって体感したのだ。


「逃げてくれ……リク……っ!」


 これ以上に友人を失いたくない修二は、掠れ声になりながらも必死にリクへと訴えかけた。

 もはや残るクラスメイトは、修二とリク、そして意識不明の椎名を残すのみとなっている。

 それを分かっているからこそ、彼は止めたいのだ。

 リクに戦わせることだけは。


「立てよ、修二」


 武器も何も持たないリクが、修二を睨みつけるようにそう言った。


「立て! 諦めてんじゃねえぞ! 皆でこの島から脱出するんだろうが!」


 リクはそう言って、修二を鼓舞しようと働きかけようとしていた。


 この状況から、どうしろというのか。

 桐生はあれから戻って来ず、椎名はウイルスを注入されて昏睡状態。

 果ては、怪物を相手に武器を持たない高校生が二人。


 あまりも絶望的な状況だ。

 だが、それを分かっていても悲観する場合などではない。

 リクの言う通り、何もしなければただ殺されるだけなのだ。


「……すまねえ、大丈夫だ。俺も諦めてねえよ」


 口元の血を拭い、修二は両手を膝につけて立ち上がる。

 右目はもう何も見えず、失明していることだけは分かる。

 激痛が今も尚、右目から感じられて、そこから流れ出る血が顎へと伝って落ちていくのが感覚では分かっていた。


「良い友情だね。そうか、君たちは幼馴染だったんだよね。いいなぁ、羨ましいなぁ」


 手で髪を後ろにし、世良は笑みを浮かべながら調子付いた喋り方をしている。

 リクは、そんな世良を見て舌打ちをした。


「お前が、お前が黒幕だったんだな」


「もう何度も説明するのは面倒だからね。そうだとだけ言っておくよ。それで? 君はここに死にに来たのかい?」


「そんな風に見えんのか? ここまでイライラさせてくれたんだ。もうお前が裏切り者でも、驚いてられねえ。よくも、皆を殺してくれたな。イカれ女が」


 挑発を返すように、リクは世良へとそう言い切った。

 リクも、もう限界近くまで怒っているのが修二でもよく分かる。

 それは修二自身も同様ではあったが、怒りだけで状況は覆らないことは分かっている。

 今だけは、合理的な判断をするために、二人の問答を聞きながら打開策を練ろうと周りを見た。


 世良の後ろには、修二の手から弾き飛ばされた拳銃がある。

 その側には椎名もいるが、あれを手に入れれば、まだ逆転の目はあるはずだ。


「そう怒るなよ。むしろ凄いことだよ? 幼馴染だけがここに集まり、今、僕と相対しているんだ。

まるで映画のような展開だね。泣けてきたよ」


「そのふざけた口調を止めろ。修二も椎名も、もうこれ以上お前の好きにはさせねえ」


 威嚇するリクに対して、世良は失った左腕の先端を舐めるような仕草をした。

 その腕は、再生を開始しているのか、もう手首の辺りまで生えてきていることが分かる。


「ふふ、いいねいいよ。それこそ、僕が求めていた闘志さ。修二君は期待外れだったけど、君は何を見せてくれるのかなぁ」


「化け物が……」


 膠着状態が続く中、修二はいつ動くべきかタイミングを見計らっていた。

 世良の視界にいる以上、簡単にあの拳銃の元へはいけないだろう。

 それどころか、リクを一人で相手にさせるのはもっとマズイ。

 リク一人で戦わせて、その間に拳銃を拾うという案も悪くはないのだが、そんな犠牲前提の作戦を修二には組める訳がなかった。


「リク。世良は教会で説明した『レベル5モルフ』だ。こいつを普通の女と思ってやり合うのは危険すぎる。身体能力も何もかもが、俺たちを圧倒的に上回ってるんだ」


 とにかく、今は状況をリクに伝えて、少しでも流れを変えるしかないと修二は判断した。

 それを聞いたリクは、歯を食いしばる表情をして、世良を見る。


「そういうわけだよ。じゃあ、そろそろ動いてもいいかな? 幼馴染との最後の別れは済ませたかい?」


「言ってろよ。それと、ナメてんじゃねえぞ。俺はお前に殺される程、弱くもねえ」


 その言葉を聞いた世良は、悪魔のような笑みを浮かべ、右手に持つナイフをリクへと向けた。


「ははは、それじゃ、楽しませてもらおうか!」


 修二には目もくれず、世良は猛スピードでリクへと襲い掛かる。

 世良が横薙ぎに振ったナイフを、リクは躱すことだけに集中したのか、これをギリギリのところで避ける。


「へぇ、やるねぇ! じゃあこれはどうかな!?」


「っ!」


 一本しかないナイフを、世良は空中に放り投げた。

 武器を捨てて、何のつもりか分からずにいたリクの視線は一瞬、そのナイフへと向けてしまう。

 その隙を世良は見逃さず、掌底をリクの肩へと打ち込もうとした。

 世良の力でそれを打ち込まれれば、少なくとも脱臼は免れない。


 リクは咄嗟に、世良の掌底を受け流すように左手で弾いた。

 が、その瞬間、リクの左肩へと振り上げられた世良の右足が激突する。


「がっ!」


「まだまだ! 早く対処しないと死んじゃうよ!?」


 その様子を見ていた修二は、空中にあるナイフを見ていた。

 クルクルと回転しながら落ちていくナイフは、ちょうど格闘戦を繰り広げるリクと世良の真上に落ちていこうとしていて、


「っ! リク、避けろ!!」


 修二の声に反応し、リクは痛みを無視して世良の動きを注視した。

 世良は、右腕を真上へと上げ、放り投げたナイフを手に取り、そのまま斬りかかろうとしてきたのだ。


 ある程度の間合いを取られていたのが、致命的だった。

 避けることができないと判断したリクは、足で地面を蹴り上げ、少しでも距離を離そうとしたが、間に合わない。


 空中から掴んだナイフで、リクの胸元へと斬りかかられ、その傷口から血が飛び散る。


「い……ってえ!! ボケがぁ!」


 タダではやられず、すかさず蹴りを決め込もうとしたが、これは簡単に避けられてしまった。


「リク!!」


 致命傷ではない。だが斬られたことには変わりはなかった。


 修二はリクの安否を気にしていたが、リクの視線に気づいた。

 それは、近づくなという意思ではない。

 目線を修二へ向け、視線を違う方向へ向けるように、何かを指示しているように見えた。


「まさか、今のうちに拳銃を取りにいけって?」


 誰にも聞こえない声で、修二はそう呟いた。

 あのアイコンタクトは、そういうことだ。

 世良の視線がこちらへと向いてない以上、今が好機なのである。

 左肩を押さえながら、リクはもう二度と修二の方を見ることはなかった。


「行くしかない……っ!」


 修二は、できる限り音を出さないように走り出した。

 世良に気づかれれば、すぐにこちらへと向かいにやってくるだろう。

 せめて、拳銃を手に取るまでは何としても気づかれないようにしなければならない。


「うおらぁっ!!」


 リクは、修二が動き出したと同時に、世良へと無防備に殴りかかった。

 余裕の表情で、世良はこれを避けていく。

 その気になれば、簡単にリクへと致命傷を与えられるはずなのにあえてそうしなかった。

 遊んでいるのか分からないが、チャンスではある。


 あと五メートルもないところに、拳銃がある。装填されている銃弾は残り二発。だが、修二からすれば十分な数だ。

 両手さえ使えれば、彼はどこにでも撃ち抜くことができるのだから。


 だが、右目を失った修二にそれができるかは半分賭けの要素があった。

 いくら狙い撃ちの才能はあっても、目が一つしか残されていない以上、焦点が合うかが分からない。

 だがそれでも、やるかやらないかで言えば、修二にはやるという選択肢しか残されていない。


 全員で生き残る為に、椎名とリクと共に帰る為に。


 もう、すぐそこにある拳銃に手が届くというところで、声が聞こえた。


「修二!!」


 リクの声だ。

 だが、その声に対して振り向くことはしなかった。

 この拳銃を拾いさえすれば、どうにでもなるはずなのだから――、




「う、ぶっ」


 その時、首に何かが刺さった。

 何が起きたのか分からず、修二はそれでも拳銃を拾おうとするが、違和感を感じた。


 呼吸ができないのだ。

 何事か焦った修二は立ち止まり、その首へと手を当てた。



 何かが首に刺さっていた。


「え、ぁ」


 刺さっている、というのは少し違うようだった。

 喉仏の下に何かがあり、その部分を少し前にするだけで、それは簡単に取れた。


 そして、激痛が修二へと襲いかかった。


「げっ、あっ、あああああぁぁっ!?」


 手に取ったそれは、ナイフの刃だった。

 形状を見て、世良が持っていた筈の物、スペツナズナイフを修二へ向けて射出させたのだ。


 想像を絶するような痛みに苦しみ、修二は落ちていた拳銃を拾うこともできない。

 抗っても抗っても、襲いくる激痛を止める手段もない。


 溢れんばかりの血が、口内から、首から流れ出ていく。

 身体が冷たくなっていく感覚をその身に味わい、修二は恐怖した。


 この感覚が死、なのだということに。


 全身を悪寒が包み込み、痙攣しながらその身を震わせることしかできない。


 ――死ぬ……のか?


 襲いくる痛みと恐怖に、修二はふとそう思った。


 ――結局、俺は誰も守ることができなかった。


 決意したばかりの感情を、否定されるように覆され続けた最悪の一日であった。

 クラスメイトの皆を、父を、霧崎達を殺されて、何もかも奪われて、


 ――椎名……。


 まだ見える左目で、目の前に同じく倒れている幼馴染を見る。

 未だ昏睡状態にある彼女に、せめてその手を掴もうとするが、届かなかった。


 ――ごめんな。


 結果、謝ることしかできない。

 何一つできない自分を恨みながら、急激な眠気を感じていく。


 微かな意識の中、修二の手に何かが触れる感触があった。

 それは、目に見えていなくとも分かる感触だった。

 唯一、ここまで守り通すことができた幼馴染の手の感触だった。

 意識が戻った。その感覚を理解して、修二は安心した。


 そこで、修二は意識を完全に失ってしまった。



---------------



「修二ぃぃぃぃ!!」


 リクの叫びに、呼びかけに、修二は全く反応しない。

 まるで動かない彼を見て、リクは激昂した。

 世良が、リクへと反撃しなかったのは、タイミングを見計らっていたのだ。

 ギリギリまで溜め込み、手に持ったナイフを修二へと向けただけの筈だ。

 なのに、突然そのナイフは柄だけを残し、刃だけが射出するように修二へと飛んでいったのだ。

 その刃は、致命傷ともいうべき首に刺さる形で残り、修二は完全に動かなくなってしまった。


「てめぇぇぇぇぇ!!」


「おや、そこまで怒ることはあるのかい? 君には何も危害は加わっていないじゃないか」


 ことこの状況において、理不尽な物言いをする世良に、リクはその怒りをぶつける勢いで殴りかかる。

 世良にはもう武器は残っていない。

 最後の武器を失った以上、肉弾戦のみが残る戦いとなったが、それでも世良は余裕の笑みを崩さない。


 いなすように、リクの攻撃を捌きながら、リクの顔面へと拳を打ち込んだ。


「がっ、あっ!」


「感情に振り回されるのが君の弱点だね。もう少し冷静になれば、時間ぐらいは稼げたはずなのに」


 それでもリクは倒れない。

 幼馴染が二人共やられ、一人残された苦しみを、怨みを晴らすように、リクは何度も何度も殴りかかろうとする。

 だが、どれだけやってもただの一発も当たらず、それどころかカウンターのように拳を打ち込まれてしまう。


「君はクラスメイトの中でも、人間として最後の生き残りの一人という勲章だ。褒美に僕からプレゼントをあげようか」


「んなもん……いらねえ!!」


「そう言うなよ、君はいつも僕のことを見ていたじゃないか。好意を持ってくれてたんじゃないのかい?」


 そんな感情は、とっくの前に消え失せてしまった。

 修二が教会で突如走り出した後、電話の主の男に一連の事を教えられて、リクは頭が真っ白になった。

 そして、ふつふつと怒りがこみ上げてきて、報いを受けさせてやることを決めたのだ。

 その相手が今、目の前にいる。

 殺してやらなければ、もはや気が済むことはない。


 カウンターで飛んできた拳を顔面で受け止め、渾身の一発を世良の顔面へと打ち込んだ。


「はぁっはぁっ! どうだ!?」


「軽いな、もう少しトレーニングしたほうがいいよ?」


 まるで効いていないような様子で、世良はリクの両肩を掴んだ。

 もうすでに、世良の左腕は再生しきっており、指の先まで完全に元通りとなっていた。


「そら、プレゼントだ。ありがたく受け取りなよ」


 その言葉の後、世良がリクの首元へと勢いよく噛みついた。


「ぐ、あぁぁぁあぁぁああああっ!!」


 引き剥がそうとするが、まるで鉄の塊のように世良を離すことができず、なす術もない。


 数秒、噛みつかれて世良はリクから離れた。


 リクの首からは、噛みつかれた傷口から血がとめどなく流れており、その量は尋常ではなかった。


「さて、君は後、何分意識を保てるかな?」


「な、にを……」


 その時、意識が飛ぶような感覚をリクは感じた。

 酔っているかのような妙な感覚だ。

 なぜか、腕にも力が入らない。


「モルフのウイルスが、君の体内に感染したんだよ。もう君は助からない。あっ、それと『レベル5モルフ』の期待は無駄だよ? 君と椎名ちゃんじゃあ条件が違うからね」


 もはや、絶体絶命だった。

 リクには、もはや何もできることはない。

 世良を殺す方法も、もう動かない幼馴染達を救う方法も何もない。


 世良はどこから出したのか、隠していたナイフを取り出して、リクへとゆっくり近づいていく。


「まあまあ楽しめたよ。後はあの最強さんを排除して、椎名ちゃんとこの島からおさらばだ。天国で笠井君と仲良くやってあげてね」


 死が目の前まで近づき、リクは目を薄く開けて、それでも生にしがみつこうと意識を強く保つ。

 そうしたところで何も変わりはしないが、認めたくなかった。

 卑怯で下劣で、最低最悪のこの女に対して、負けだけはどうしても認めたくなかったのだ。


「それじゃあ、バイバイ」


 何も出来ず、ただナイフが振り下ろそうとされるのを見ていることしかできない。


 その瞬間だった。

 銃声が鳴り響き、世良は動きを止める。

 リクは何が起きたのか分からず、ただ突っ立っていたのみだ。

 世良も、なぜかその態勢からまるで動かない。


「な……っ!」


 世良が驚きのような声を漏らす。

 今までの余裕を見せた表情ではなく、苦痛に歪む表情をしていた。


 その胸を見てみると、血が流れ出ていることが分かる。

 しかし、一体誰が、何をしたのか?


 世良が首だけを違う方向へ向けて、リクも同じようにその方向を見た。


「どう……して、生きている!?」


 そこには、死ぬしかなかった筈の笠井修二が、拳銃を世良へと向けて立っていた。


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