第一章 第三十七話 『幼馴染の最後の願い』

「どう……して、生きている!?」


 世良は、苦悶と驚愕に満ちた表情が入り混じった顔で、その方向を見る。

 そこには、拳銃を持ち、世良へと向けて撃った張本人、笠井修二がそこに立っていた。

 世良もリクも、訳が分からない様子だった。


 それもそうで、生きていることも一つの疑問だが、他にも最大の疑問がある。

 世良がナイフで傷つけさせた右目と首の傷が、何事もなかったかのように治っていたのだ。


「な、にが……?」


 撃たれた胸を押さえながら、世良は苦しそうに修二を見る。

 だが、修二も満身創痍の様相で、多量の血が流れ出たこともあってか、その顔は青ざめていた。


「お前の、負けだ。世良」


「ふ、ざけるなぁ! 僕の、僕の『レベル5モルフ』の力が、こんなところで!!」


 叫び、立場が逆転するかのように、世良には焦りの表情が見えていた。

 モルフの弱点は、その頭とそれに繋がる脊椎の損傷。

 それを知っていた修二は、一番狙いやすい心の臓付近の脊椎を命中させたのだ。


 世良の表情からして、そこに命中したことは聞かなくても分かる事実であった。


「あと一発、この拳銃には弾が装填されている。もう後一発あれば、お前の頭ぐらいなら撃ち抜ける。どうだ? 散々舐めプして、逆にやられる気分ってのは?」


 お返しのように、修二は笑みを浮かべて挑発した。

 歯軋りを起こす勢いで、怒り狂う世良は持っていたスペツナズナイフをもう一度修二へと向ける。


「うるさいうるさいうるさいっ!! 劣等人種どもが!! さっさと死ねよぉ!!」


「その劣等人種とやらにお前は負けるんだよ。後ろ、気づいてないだろ?」


「えっ?」


 後ろを見ようとした世良だが、その目は後ろを視界に入れることはなかった。


 頭だけが、ぐるぐると空中を回り続けて、ようやく理解したのだろう。


 ――後ろから、桐生が首ごと跳ね飛ばしたということに。


「なっ……ぁ――」


 ボトッと頭だけが地面に落ちて、世良はパクパクと口を開けていた。


「う、そだ。この僕が……」


 今まで、様々な惨劇を目の前で見続けていた修二であったが、首だけになった世良を見るのは中々ショッキングな瞬間であった。

 もうすぐに死ぬであろう世良を見て、修二は最後に彼女に言い放つ。


「人間を辞めたことが、お前の敗因だよ」


 その言葉を聞いて、苦痛に顔を歪めたまま、世良は完全に動かなくなった。


「終わった……のか」


 リクが、ホッとしたようにそう零した。

 修二も、ようやく肩の荷が降りたように拳銃を持っていた腕を力なく降ろしていく。


「終わった。俺たちの勝ちだ」


 勝利宣言をし、修二は二人の元へと近づいていく。 

 その時、長かった夜が明け、日差しが地平線から差し込んできた。

 全ての戦いに決着がついたことを表すように、綺麗な朝陽が差し込んできていた。


「ぐっ!」


「リク!? 大丈夫か!」


 リクが前のめりに倒れ、それを修二は支えた。

 首からは血が大量に流れており、止まる気配が感じられない。


「おい、これ使え」


 桐生から医療キットの箱を渡されて、修二はすぐに受け取り手当をした。

 少々荒いが、応急処置として血を止めるぐらいまではできた。


「ありがとうございます。桐生さん」


 礼を言って、桐生の方を修二は見た。

 桐生は持っていた剣を鞘に納め、リクの容体を確かめるように膝を下ろす。


「すまないな、俺があともう少し早く来ることができれば、お前らが傷つくことはなかったんだが……よく持ち堪えた」


 いつも仏頂面のような表情をした桐生が、珍しく申し訳なさそうな顔でそう言った。


「いえ、そんなことはありませんよ。むしろ無事で良かったです。俺もリクもこうして無事に生き残ることができたんですし、結果オーライってやつですよ」


「そういえば、修二。お前……どうして傷が塞がっているんだよ?」


 リクは、疑問となっていた修二の容体について聞いた。

 修二は明らかに致命傷を負っていたはずなのだ。

 それはリクだけでなく、世良自身もそう思っていた筈であり、修二自身も同じだった。


「正直、分からない。俺ももう死んだと思ったんだけどさ、気づいたら痛みが無くなってて、目も見えてたんだ。夢かと思ったけど、そうじゃないなら何でだろうな? 最後に覚えてることといえば、椎名が俺の手を握ったような、そんな記憶が……」


 椎名、と口ずさんだ時、ハッと何かに気づいたように修二は振り向いた。


「そうだ! 椎名、椎名は!?」


 椎名がいた方を見ると、変わらず倒れている彼女の姿があり、目を覚ます気配は感じられなかった。


「椎名! おい、椎名!」


 揺さぶって、彼女の安否を確かめるが反応はない。

 脈はあるようで、死んでいないことだけは分かる。


「死んでない。生きてる、生きてるぞ!」


 それだけでも僥倖な情報であった。

 死んでさえいなければ、まだ可能性は残されていると、今までの修二なら絶望していた所を希望に感じた。


 だが、不安な点もある。

 それは世良が言っていたことだ。

 世良は椎名に、モルフのウイルスを体内に打ち込んだ、と聞いている。

 どちらに転んでも、椎名がモルフになることは確定に近いのだ。


「本当に生きているのか? 何があった?」


 桐生の問いに、修二はどう答えるべきか躊躇した。

 もしも、椎名が感染していることを桐生が知れば、どうするのか分からなかったからだ。

 感染者は総じて、死した化け物と化し、人を襲う。

 それを知って、椎名がそうなる前に排除することは何もおかしい話ではない。


「椎名は……」


 喉まででかかったそれを口にすることに、修二は躊躇う。

 その時、ヘリの羽ばたく音が微かに聞こえ、一同は海の方角を見た。


「――来たか」


 帰還用のヘリが、こちらへと向かってきているのが見えた。

 ようやく帰れるという安堵の感情と、これまでの過程を思い出した悲哀の感情が入り乱れた。

 特段、喜べなかったのはそのせいでもあったのだ。

 できることなら、皆と脱出したかった。

 それでも、ここに椎名とリクがいる。

 助かった命があったことだけでも、喜ぶべきであり、それが今の修二にできることでもあるのだ。


 椎名を抱きかかえて、修二はヘリの到着を待った。

 そこで、桐生は修二の肩に手を置いて、リクには聞こえない距離で言った。


「この女のことは、上と掛け合ってなんとかしてやる。さすがに島民と同じようになられちゃあどうしようもないが、そうならないように祈ってろ」


「っ! ありがとう……ございますっ!」


 その言葉を聞いて、安心した。

 桐生は初めから気づいていたのだ。

 例え僅かな希望だとしても、椎名が生きていられるならその可能性を選びたい。

 日本本島へ戻れば、治療の余地はあるのかもしれないのだ。


 ヘリコプターが、ヘリポートの上に着陸して回転翼だけが回っていた。

 中にいた操縦士は、桐生や、ここにいない隊員達と同じ服装をしており、恐らく同じ部隊の隊員であることが見受けられた。


「桐生隊長! 大丈夫ですか!?」


 操縦士が、桐生の安否を気遣うように、操縦席から外に身を乗り出して聞いてきた。

 彼も桐生や霧崎達と同じような服装をしており、恐らく隠密機動特殊部隊の一人であることは見て取れる。


「ああ、問題ない。今ここにいるのが全ての生存者だ。時間が無いからさっさと出るぞ」


「はっ!」と、敬礼をした操縦士は席に戻り、後部座席の扉を開かせた。


 これに乗れば、もうこの悪夢のような一日が終わる。

 長かった一日を終えて、修二はこれまでの疲労がのし掛かるような感覚になった。


 椎名を抱きかかえながら、リクの顔を見て修二は言った。


「皆の墓、作ってやらねえといけねえな」


 この島で死んでいった他のクラスメイト達、そして修二達を守り、死んでいった隊員達のことを思い浮かべて、修二はそう言った。

 帰れば、やらなければいけないことは山程ある。

 皆の親御さんへも、伝えなければいけない。

 それで、修二がどれほど憎まれることになるかは想像に難しいが覚悟はしていた。

 この島で起きたことを、修二達には伝える役目があるのだ。


「リク、お前も手伝ってくれるよな?」


 一人じゃ心許ない。そんな弱気な心が生んだが故の頼みだが、リクは修二の顔を見て、目を伏せた。


「ああ、そうだな……」


 元気がないリクの様子を見て、世良から受けたダメージが余程残っているのか、これ以上は何も言わずにいておいた。


「おい、早く乗れっ! 何か近づいてきてるぞ!」


 操縦士がそう言って、修二達もヘリコプターへと乗り込む。

 何かが近づいてきているとの言葉が気になり、外を見ると、奴らがいた。

 この島で、モルフとなった住民達、中には見たくなかったクラスメイトの姿もある。


「ごめんな……」


 もはや楽にさせてあげる力も、武器も残っていない。

 悲哀に満ちた表情で、修二はそう言って見届けた。


 ヘリコプターが垂直上昇を開始し、回転翼の轟音が耳に響き出した。


「なぁ、修二」


 リクが、ヘリの上昇の途中で話しかけてきた。

 元気がない様子は相変わらずだが、日本本島へ戻ってゆっくり休めば治るだろう。

 あまり長話はしたくなかったので、そっけなく修二も応えた。


「どうしたよ、もう大分疲れてるだろ? 今はもう休んどけって」


 修二がそう言って、リクを休ませようとしたが、彼は聞かないで修二の手を払った。

 その顔は、今までよりも遥かに辛そうな表情をしていた。


「お前には感謝してる。あの状況で、俺は世良に負けを認めずに済んだんだからな」


 急に何を言い出すのか、そんなくだらないことを話す為に無理をするのなら、聞かないでおけば良かったと修二は後悔した。


「んなもん、気にするなよ。親友だろ?」


 親友でなくても、修二は誰があの状況の淵に立っていても同じ行動を取っていただろうが、何かと恥ずかしい感じがしたので目を背けた。


「修二、お前は他人をいつも庇護するやつだけどな、お前はお前自身をもっと大切にしないといけねえぞ」


 父さんみたいなことを言うリクに、修二は反抗期の子どものように、何も言い返さなかった。

 だが、父さんは逆だったのだ。

 誰かを守る為に何をしてでも守れと、そう教えられた修二には、今のリクの言葉は寛容するには難しかった。


「だからな、修二、最後に頼みがあるんだ」


「リク?」


 今までの辛そうな表情はそこにはなく、いつもの真剣な表情をしたリクがそう言った。

 その手には、修二が持っていた拳銃が握られていた。


「リク、何を……」


 問いただそうとした修二の言葉は最後まで続かなかった。


「椎名を、頼むぞ」


 そう言って、リクは扉を開けた。

 とっさのその行動に、修二は手を伸ばし、止めようとしたが間に合わない。


「リク、待て! やめろ!!」


 手が届く寸前、リクはヘリから飛び降りた。

 あまりの突然の行動に修二は焦り、操縦士へと呼びかける。


「リクが、リクが飛び降りました! 早く降ろして下さい!」


「無理だ! もう奴らが迫ってきてる! 降下すれば俺たちまで巻き添えを食らうぞ!」


「それでもっ!」


 泣きそうになりながら、修二は窓際から飛び降りたリクを見る。

 五メートル程の上昇から飛び降り、足を痛めたのか、リクはヘリポートの上で苦しんでいた。


「どうして……っ!」


 訳の分からない行動を取ったリクに、修二は答えが見つからずにいた。

 助かった。助かった筈なのだ。

 なのに、なぜこんな真似をしたのか、嫌なら考えが頭の中を駆け巡る。


「やはり、あいつも感染していたのか」


「え?」


 舌打ちした桐生がふとそう呟き、修二は桐生の方を見る。


「感染していた? リクが……?」


「あいつの様子が変なことには気づいていた。ただの貧血に似た症状かと思っていたが、あの首にある傷の跡から……噛まれたんだな、あの女に」


 それは、絶望を知るに十分すぎる示唆だった。

 あの首の傷跡から、最初はナイフで抉られたものだと思っていた。

 だが、桐生の考えと、リクの行動を照らし合わせるなら、それは一致してしまう。


「そんな……、でも、まだ助かるかもしれないはずです! 今すぐ助けないとっ!」


 必死に乞い願うが、桐生も、操縦士も何もしない。

 ――まるでもう、手遅れだとでも言うかのように。


「お願いですっ! 親友なんだ! あいつを、リクを助けてやって下さい!!」


「もう無理だ! これ以上、降下すれば奴らの手が届く。いくぞ!」



 非情な決断が、修二の心を抉っていく。


 せっかく助かったはずの命が、こうも簡単に投げ捨てられるのか?


 そんなことを、修二自身が許容できるまでもなく、彼は子どもの様に泣き叫ぶ。


「い、やだ。いやだ! リク、リク!!!」


 窓を叩きリクを呼ぶが、彼にはもう聞こえていない。

 地上にいる彼は立ち上がり、こちらを見ずにいた。

 その前には、三十数体ものモルフがヘリポートの上を埋めるように押し寄せていた。


 ヘリが上昇し、親友の背が遠くなっていく。

 涙で目を曇らせ、少年はただ叫び泣き続けることしかできなかった。


「リクぅぅぅぅぅっ!!」


 叫び声も虚しく、親友の声は彼に届くことはなかった。

 リクの座席には、彼が最後に残したウイルスサンプルだけが置いてあって、修二はそんなことを気にするまでもなく、ただ窓の外を見続けることしかできなかった。



————————————



 ヘリコプターの回転翼の音が遠ざかっていく。

 地上に落ちて、受け身をとったつもりだったが、身体が上手く動かせず、地面にぶつかり痛い目にあった。

 もう親友の声は聞こえず、周りには亡者達のうめき声しか聞こえない。


「生きて、椎名を守ってくれよ。修二」


 最後の願いを、幼馴染へと託した。

 リクは自身が助からないことを悟っていた。

 意識が明滅しつつある中、あのままヘリの中にいれば、修二を襲いかねないことを懸念していたのだ。

 そうなれば、また親友に銃を持たせなければいけなくなる。


 もう、それだけは二度とさせたくなかった。

 何度も、修二には助けられた。

 修二がいなければ、きっとリクは今ごろこの場所に立ってすらいなかったのだから。


 目の前には多数の感染した島民達が、リクへと向かって近づきつつある。

 今のリクには、それをどうにかできる力もなく、立っているのもやっとの状態だ。


 その中でリクは、ただ一つ、修二が持っていた拳銃をその手に握り、それをモルフ達へと向けた。


「まるで、映画みたいな状況だな。絶体絶命の窮地ってやつか」


 たったの一発しか銃弾が残っていないその銃を使ったところで、何も変わらないことは明らかだ。

 それを分かっていて、リクはあえて拳銃を持ってヘリから飛び降りたのだ。

 ――その使い方は、もう決めていた。


「お前らなんかに、食われてたまるかよ」


 モルフが近づき、リクはそれに合わせるように後退していく。

 海側の端の部分まで後退し、リクは持っていたその拳銃を見る。

 実銃を使うことなど、人生で一度としてなかった。


 そして、最初で最後のその経験を、リクは自らの頭へと銃口を向けて、笑った。


「あばよ、クソ野郎共」


 モルフの群勢へとそう言い放ち、彼は拳銃の引き金を引いた。

 銃声音が鳴り、少年は力無くして、ヘリポートから落ちていった。



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